第229話 今のもう一度呼んで

 鞍馬は駐車場でドラム缶に入れた角材に火を点けようとしていた。周囲の者たちに指示する言葉を聞くと、それを篝火にして不寝番をするつもりらしい。

 近づきながら亘は軽く眉を寄せた。

 悪魔を野生動物と同様に捉え、火があれば悪魔は寄って来ないと考えているようだ。とはいえ悪魔は野生動物ではないので無意味だろう。

 そもそも野生動物とて、火があれば興味をそそられ寄って来る事もあるのだ。夜目の利かない人間に火が必要だが、幸いにも今日は月夜。それなら息を潜めやり過ごした方が得策かもしれない。

 もっとも、それを指摘するつもりはない。

 根拠を示せないことを言って、誰が信じるだろうか。創作物のように、主人公の謎知識をあっさり信じてくれる人間は現実には存在しないのだ。

「先程はどうもありがとうございました」

 亘は礼を述べつつ、いつの間にか服を替えていた鞍馬に尋ねる。

「ところで、その格好はどうしたのですか」

「これですか。実は私は居合道と剣術を学んどりましてね、今日もここで居合の稽古をする予定でおったのですよ。やはり、この格好は気合いが入りますのでね」

 言いながら笑う鞍馬は胴着に袴姿で、腰には日本刀を差していた。

 同じような格好の者が数人おり、どうやら居合道同好会らしい。バットやゴルフクラブ、または角材を構えた者たちと一緒に油断なく周囲を監視している。

 七海が困った様子となったのは、亘が日本刀に寄っていくのではと心配しているからだろう。

「なるほど……それは心強そうな」

「お任せ下さい、皆の安心安全は私が守ってみせますので。それはそれとして、あなたにも施設の防備固めをお願いしたい」

「もちろんですが、何を?」

「図書室に本がありますでしょ。その書架を窓際に並べ壁にしたいのですよ。それで――ああ、すみません。ちょっと失礼」

 鞍馬は皆の中心となっているらしく、色々と相談されるなど頼りにされている。今もまた体育館の窓をどう塞ぐかの話だ。

 その間に七海が心底心配そうな顔で尋ねてきた。

「あのっ、五条さんどうしたんですか? 大丈夫ですか!?」

「何が?」

「だって刀に興味を示さないなんて……」

「ああ、そりゃね。別に刀だから何でも良いってわけじゃないし。見たところ拵えも現代作ばっかり、中身も現代刀か新刀かな。よくて精々、末古刀あたりだろうから興味がね。でもまあ前に兼定の三代か四代と思って居合刀に使ってたら、之定初期銘だった事もあったけど。そういう事は――」

 そこに鞍馬が戻って亘は残念そうに口を閉ざした。長くなりそうな話が途切れ、七海はこっそり安堵している。

「お待たせしました。それでは改めて図書館の本棚を動かす手伝いをお願いします。それをして頂ければ、休んで貰って構いませんから」

「もうすぐ日が暮れそうですから急ぎましょうか」

 亘の言葉に鞍馬は肩を竦めてみせた。

「全くです。そうだ、寝る場所なんですけど、体育館の中は風紀維持のため男女別で仕切ってます。やはり娘さんと一緒がよろしいですかね」

「あのっ、私たちは親子では……」

 言いかけた言葉を亘は急いで遮った。

「娘も不安がっているので一緒でいられると助かります。はははっ」

「じゃあ寝る場所は、二階の会議室のどこかを使って下さい」

「分かりました。それでは図書室に行きますか」

 歩きだす亘を七海が不満そうに軽く睨んでいた。


◆◆◆


 図書室では本を全て出した棚を窓際に置き、また詰め直す作業をしていた。さっそく手伝いに加わるのだが、ある理由で苦労することになる。

 なにせ、亘も七海も今の状況下では常人を超える力がある。

 レベルアップによって身体活性状態であることや、APスキルのパッシブ効果のせいだ。気配と力を押さえているものの、それでも常人のそれを越えているため力のセーブが必要なのだ。

 それが苦労であった。

 七海が重たげな辞書を何冊も重ねヒョイッと運んでしまい、亘が慌てて目配せする。あっと気付いた七海が慌てて重そうにすると、即座に作業していた男たちがわらわらと集まり手助けに来てしまう。

「大丈夫かい? 無理したらダメだよ。半分持つから」

「あ、大丈夫です。このぐらい平気ですから」

「本当かい? 遠慮しないでね。女の子なんだから、無理したらダメだよ」

 優しげに気遣う言葉に、横で重い本を抱え運んでいた女性たちが面白くない顔をしている。そちらは誰も手助けしようともしないのだ。

 もちろん亘だって面白くない。

 数人がかりで持つはずの書架を一人で持ち上げ、ズシンッと下ろしてしまう。それで周囲が驚きの顔をするが素知らぬ顔だ。

 作業は続く。

 そして日が暮れ夜が訪れた。

 

 廊下はいざという時の避難路となるので寝る場所には使用せず、各所部屋などを使用する事に決められた。幸いなことに体育館や会議室などでスペースは充分に事足りているようだ。

 幼い子供や幼児のいる家族は音楽室や視聴覚室といった部屋に。会議室は家族に割り当てられ、それ以外は体育館は段ボールでしきられ男女別にされた。

 ただし亘と七海がいるのは、講師控え室という小部屋だ。

 三人で一部屋という好待遇なのだが、誰からも文句は出ない。

 理由は、この部屋にある大きな窓のせいだ。そこは塞がれておらず、外がよく見えてしまう。他の部屋のように塞ぐにしては、使えるスペースが少なく放置されていたのだった。

 他の会議室は横長テーブルや会議用テーブル、スチールラックなどを使い、厳重に窓を塞いでいる。または、ベニヤ板を打ち付けてある。そうした、安全な部屋を奪い合うように場所取りがされているのだ。

 どうせ大した効果もないのだが、やはりそうした壁がある方が心理的安心感があるのだろう。何にせよ、おかげで亘は控え室を自由に使える。

 並んで座り外を眺めつつ、チラッと横を向く。

「えっと、七海さん。どうしたのでしょうか」

 畏まった様子で亘は尋ねた。

 窓から差し込んだ月光の中に、少し頬を膨らませた七海の姿がある。やや上目遣い的に見つめ返してくる顔は可愛いが、しかし怒り気味なのは間違いなかった。

「何を怒っているか教えて欲しいわけで。気に障ることを言ったかな?」

「だって五条さん、私と親子なんて言いました」

 ぷくっと頬を膨れているが、それで何が拙かったのか亘には分からない。

「それは別々の部屋になるのは嫌だったからで……」

「親子だなんて酷いです」

「すまん。こんなのが親とか言われたら嫌だよな」

 子供の頃の参観日が憂鬱だったことを思い出す。クラスメイトの父親たちが陽気で快活に挨拶を交わしていた中で、自分の父親だけが不機嫌顔で腕組みし、いかにも面倒そうに欠伸をする姿が嫌だった。

 それと同じように、亘が身内と見られ恥ずかしいのだろうか。

「違います、そうじゃありません。その……私たち、恋人じゃないですか」

 最後の言葉は少し恥ずかしそうに、けれどハッキリと言う。亘は数度瞬きした。そして心底嬉しく笑顔になった。

「そうだな、そうだよな。ああ、そうだよな。すまなかった」

「次からは注意して下さいね」

「分かった」

 笑顔の二人を他所にサキがアホらしげに欠伸をする。だが、神楽の方は身を乗り出し、小さな手を握りしめ応援しながら見守っていた。

「でも親子という事になってますから。それなら、明日はそれっぽく呼ばないとダメですよね。じゃあ……お父さんでいいですか」

 その瞬間何かが亘の琴線に触れた。今の言葉は凄くグッとくる何かがあった。

「今のもう一度呼んでくれないか?」

「はい? お父さん、ですか」

「良い、凄く良い。凄く良いぞ」

 そんなやり取りにサキは白目をむいている。砂を噛むような顔で起き上がると、軽く伸びをして気怠げな足取りで窓へ移動しだした。

「どうした?」

「んっ、外いく」

「……トイレか?」

「違う!」

 あまりに失礼な言葉に流石のサキも歯をみせ呻りをあげた。ついでに神楽から蹴りを入れられ、七海からは注意され散々な目に遭ってしまう。

「一宿一飯、お揚げの礼」

「なるほど」

 よっぽど稲荷寿司が嬉しかったらしい。気まぐれなサキではあるが、マイルールで礼には礼を持って接するという事だ。その辺は人間などより義理堅い。

 今宵の安全を守るべく、スタスタと闇夜に姿を消してしまう。

「どうしましょう。私たちも手伝いますか?」

「なに、サキに任せておけばいいさ。それより休んでおいた方がいい」

「じゃあ、私はお父さんに甘えちゃいます」

 言って七海は亘の前に入り込んだ。

「おい?」

「こうすれば暖かいですよね。毛布が一つしかありませんから」

「そ、そうだな。素晴らしい考えだな」

 腕の中の七海は身を寄せ、もたれかかってくる。その存在は温かいだけでなく、暖かく心地よい。不思議な甘いような良い香りが鼻腔をくすぐり、頭がくらくらする。

 亘は行動に出た。

 いつもより大胆に手を前に回し、七海の感触をさらに強く感じようと抱きかかえたのだ。ぎゅっと抱き締めようとして不思議な感触に戸惑う。

 それは最初、少し固さがあるように思えた。

 だが、それは固いわけではない。

 軽く力を入れるとグッと弾力があって柔らかい。

 下から手の平で包むように持ち上げてみると中身がしっかりして質量がある。

 何か分からないが心くすぐる最高の感触を堪能しつつ考え込み――思考が正常に働きだす。その感触と、手の動きに合わせ息遣いが荒くなる様子。そもそも位置関係からすれば、考えるまでもなく七海の胸を揉んでいるのだ。

「…………」

 どう言えばいいのか分からない。しかし、同時に気付くのは七海が嫌がる素振りもない事だ。相変わらず手が止まらず堪能し続けているのだが、拒否や制止の言葉は何もない。

――これは、いける?

 次第に大胆になった亘は片手を下にやり七海の腹部に触れ、恐る恐るとさらに下へと進めていく。指先をそっと布地を持ち上げ服の間に滑り込ませ、その下にある布地越しに敏感な部分に触れ――ぎゅっと足が締められた。

「駄目です」

「あっすまない。つまりこれは、別に変なつもりでは」

「えっと駄目……というのは、つまりそのこんな場所はという事で……」

 消え入りそうな声だ。

 その答えに亘は安堵しつつ、どきどきした。何かが大きく進展したようで、大胆に行動した事が良い結果をもたらしてくれたらしい。素晴らしいと感動した。

 上でガッツポーズしていた神楽が大喜びで声を張りあげる。

「ということはさ、あれだよね。もっとムードのある場所ならさ、オッケーってことなんだね。やったねマスター!」

 どうやら亘の従魔はひと言多いらしい。おかげで七海など、恥ずかしそうに下を向いて悶えてしまった。もうムードもなにも、ぶち壊しである。

「あー、とにかくだ。今日は大人しく寝よう。結構歩いたし自転車も乗ったからな、これから先を考えて、休めるときに休んでおかないと」

 とりあえず位置を戻し横に並ぶ。さすがに亘は体のどことは言わぬが一部が興奮しきって、前に七海を置いておくことは辛いのだ。

「あの五条さんの昔の話をしてくれませんか?」

「構わないが、早く寝た方が……」

「えっとその、とにかく今はちょっと寝られませんから」

 七海は何かを誤魔化すように毛布の中で小さくジタバタしてみせた。ようするに、興奮して辛いのは亘だけではないということだ。

「そう? じゃあ、あまり大した話もないが」

 昔話をねだられ、小声で思い出話をする。本当に下らない何気ない日常などの話だが、七海は嬉しそうに聞いている。長々と続くうち、頷いていた七海の動きが緩慢になっていった。月明かりに見る寝顔は穏やかで嬉しそうだ。

 亘もうとうと目を閉ざしゆっくりと眠りに落ちていった。この激変した世界の中で、最も安息に包まれている二人に違いない。

 公民館の中では人々はサキの気まぐれに守られているとは知らず、怯え寝付けずにいる。外では不寝番を続ける鞍馬たちが闇夜に怯えているのだった。

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