第230話 わわったよ食べないよ

 窓から差し込む明るい光によって目が覚めた。

 日の出だ。

 亘は毛布をどけ上半身を起こした。下は絨毯だったとはいえ固い床と大差ないものだ。おかげで身体の節々が強ばっており、大きく伸びをすればあちこちがコキコキ音をたててしまう。

「んぁっ、マスター。おあおー」

 寝ぼけ眼の神楽が欠伸をしながらフヨフヨと頼りなげに飛んできた。そのまま顔にヘチョッと張り付きムニャムニャ言いながら小さな身体を擦りつけてくる。好きにさせておけば、耳なんぞをハグハグ甘噛みされてしまう。

 痛くはないが、こそばゆい。

「間違えて本当に食いつくなよ。前みたいに」

「んー、わわったよ食べないよ」

「本当に大丈夫だろな」

 ちょっとだけ不安だ。

 七海はまだ夢の中である。いつの間にか戻ったサキをヌイグルミのように抱きしめた姿は健やかながら、すっかり寝入った様子からすると精神的には疲労しているのだろう。

 眠たげな神楽をヒョイッ掴んで懐に入れると、そのままモゾモゾと潜り込んでいく。中でポジショニングしながら動いているが、しばらくして大人しくなった。

 そして亘は慎重に立ち上がると、幸せな眠りを邪魔せぬよう忍び足で部屋を抜け出る。

 公民館の中は静かで空気も冷え切っていた。底冷えのする寒さだ。

 慣れない環境も合わせ、これで体調を崩した者もいるかもしれない。一人が風邪でもひけば、瞬く間に広まるだろう。たかが風邪されど風邪。体力が弱れば別の感染症となって命に関わるだろう。何より今は外で悪魔がうろついている。

「ふむ、面倒になる前に移動するか」

 ドライと言えばドライだが、心配したところでどうにもならない。そもそも自分の身は自分で守る事が本来だ。自己責任という言葉を批難するような世界がおかしいのである。

「何もしない奴に限って、皆で助け合いましょうとか言うからな……」

 大勢が過ごす会議室からは豪快なイビキが廊下にまで聞こえていた。助け合いや絆が大好きな人は、睡眠を邪魔されても平気なのだろうか。

 皮肉げに考えながら亘はトイレに向かった。

 悪魔はインフラを狙うわけではないため、水道や電気は正常に使用することができる。しかし、それもいつまで続くかは不明。そうしたインフラ設備とて、誰かが維持しているからこそ使用出来るのだから。

 顔を洗い口をすすぎ、ホテルから持って来たアメニティグッズの剃刀でひげを剃る。身嗜みは大事だ。なにせ七海が一緒なのだから見苦しいところは見せたくない。


 公民館の中で少しずつ人の動きが感じられ、料理室からだろうがご飯を炊く香りが漂ってきた。おばちゃんたちが早起きして朝食の準備をしているのだろう。

 亘は感謝しながら控え室へと戻った。

「あっ、おはようございます」

 ちょうど起きた七海が小さな欠伸をしているが、眠たそうに目を擦る姿が可愛い。

「おはようさん。よく寝られたか? 身体とか痛くないか」

「大丈夫ですよ。凄く安心して寝られましたから」

 固い床の上で一晩過ごして何ともない様子に、これが若さかと亘は軽く項垂れた。キョトンとした七海に何でもないと笑っておく。

「お手洗いはまだ空いてたよ、今のうちに行っておかないと直ぐ混んでしまうぞ」

「あ、そうですね。じゃあ行ってきます」

 七海はにっこり笑い、小走りで部屋を出て行った。そして毛布には苦しげな様子のサキが残されている。なんだか呼吸が荒そうだ。

「どうした?」

 その問いに、ずっと七海の胸に抱かれていたサキは大きく息を吐いて答えた。

「お餅に埋もれる夢。苦しい」

「あれは何と言うか餅というか、柔らかいけど手応えがあって――」

 悩む亘は顎に頭突きを貰って強制的に黙らされた。懐から飛びだした神楽の一撃だ。

「マスターってばさ、ほんっとデリカシーないんだからさ」

「すいません。調子にのってました」

「ほんっとに、そだよ。そーゆう些細なとこから嫌われたりするんだからね」

 亘が床に正座すれば、小さな神楽はふわふわ漂いながら説教しだす。様子を見ていてサキも空気を読んで正座しだしている。

「ほらさ寝癖もついてるじゃないのさ。ほんとに顔洗ってきたの? あっ、ひげも剃り残しているじゃないのさ」

「剃刀に慣れてないもんで。いてっ! 抜くなよ」

「しかも剃刀で怪我しているし。悪魔の攻撃は平気なのに、なんで怪我するのさ」

「なんでだろ」

 回復魔法で治されて、剃り残しの髭を狙う神楽と攻防戦を広げサキまで参戦し、なんだかんだと朝のひと時を過ごしていると七海が戻ってきた。

「鞍馬さんが皆さんを起こしてましたよ。体育館でラジオ体操をするそうで、終わった人から食事が貰えるそうです」

「ラジオ体操ね。そうか、ラジオ体操か。じゃあ行くか」

 そう答えながら、しかし亘はこの場所が長く保たないような予感を覚えた。

 朝とはいえ、まだ早い時刻。それなのに寝ていた人たちを起こし、ラジオ体操をさせ食事をするにも許可がいる。昨日を思い出せば、半ば強制的に皆を動員し防衛を固めさせていた。

 やっていることは正しいが、しかし少々強引すぎ仕切りすぎた感がある。

 特に世の中は率先して行動する者を批判する傾向にある。出る杭は打たれると言うが、まさにそれだ。鞍馬のややもすると強引すぎる部分につけこみ、不協和音を奏でだす連中が必ずいるはずだ。

「早いとこ立ち去るか」

 亘は厄介に巻き込まれる前に移動しようと決めた。


◆◆◆


「昨日の残りで悪いねぇ。準備した朝食は全部食べられてしまってね」

 食糧を貰いに行くと、おばちゃんが差し出すのは稲荷寿司だった。

「いえ、とんでもないです。これ凄く美味しいので」

「そう言ってくれると嬉しいわね。つくった甲斐があったわ」

「こいつも凄く喜んでますので」

 亘がひょいと襟首を掴んで持ち上げると、サキは満面の笑みで稲荷寿司の皿を抱え同意しながら頷いている。心の底から嬉しげで幸せいっぱいだ。

「まあ嬉しい。最近の子はこういうの好まないのに珍しいわ」

「パンじゃなきゃ嫌だって言ってね。親の方も他のにしてくださいって、今をどんな状況と思ってるのかしら。

「そうよね、稲荷寿司なんて嫌だって食べない子もいるのに」

 稲荷寿司不人気情報にサキの目つきが剣呑になりつつあるが、おばちゃんたちは噂話に夢中なため少しも気付かない。とりあえず亘が首根っこを掴み宥めるばかりだ。

「んっ、手を出す」

 サキはおばちゃんたちに向け偉そうに言った。何か考えがあるらしい。

「おやまあ、握手したいのかい?」

「悪魔避けのまじない」

「あらまっ、なんて可愛いの。心配してくれて、ありがとうね。うちの子も小さい頃はこんなだったわ。ほぉら、よしよし」

 おばちゃんたちは微笑ましげに笑い、大喜びでサキの手をとり頭を撫でたりして和んでいる。きっと誰も本当に悪魔避け効果があるとは思っていないだろう。

「まだ、そんなスキルを隠し持ってたのか」

「サキちゃんは凄いですよね」

「気紛れなのが玉に瑕だな」

 頂いた朝食を食べ終え鞍馬を探す。さすがに何も言わず立ち去るような事はしたくないわけで、一言ぐらいは挨拶すべきだと思うのだ。

「ちょうど良いところに。食糧確保に協力願いたいのですが」

 しかし見つけた鞍馬は、そちらから声をかけてきた。眼が赤く徹夜明けの風情だ。無理をしすぎだと思うが、一晩寝た自分が言うべきでないため黙っておく。

「食料の確保ですか?」

「そうです。ここにいる人数が人数ですから備置も不安があります。幸い避難された中に、農家の方がいましてね。出荷予定だった米を提供して良いと仰ってくださいましたよ。これを逃す手はありません」

「確かに米さえあれば、生きてられますからね」

「どうにも皆さん腰が痛いという方が多くてですね。昨日の作業で五条さんが力持ちだったと聞いてますから、是非、米を運ぶのをお手伝い願いできますか」

 そう鞍馬に頼まれ、チラッと周囲を見ると目の合いそうになった人たちがサッと視線を逸らす。下手に関わって、代わりを頼まれるのは嫌だという意図がありありと伝わってきた。嫌なことは人任せで、良いとこだけ取るのかと苦々しく思える。

 元から断るつもりはなかったが、せめてもと快諾することにした。

「食べさせて貰ってますからね、頂いた分ぐらいは働いてみせますよ」

 それは周囲で何もせず座り込んでいる連中に聞かせるためもあり、やや大きめの言葉であった。


「じゃあ行ってくるから」

「いってらっしゃい」

 そんなやり取りを七海と行い、しばしの別れを手を振りながら告げる。鞍馬が運転するワンボックスカーに乗り込む。

 サキも来たがったが、さすがに連れて行くわけにもいかない。中身はともかく見た目は小さな女の子なのだから。代わりに七海を何があっても守れと言い含めると青い顔でガクガク頷いていた。

 しかし、直ぐには出発出来ない。

 一緒に食糧確保に行く連中が家族と涙の別れをする最中であった。

 安全な――少なくとも皆はそう信じている――公民館を出て悪魔の出没する場所を移動するということで、何やら悲壮な雰囲気である。残った家族は鞍馬に対し批判的な眼差しをしているぐらいだ。

 そのせいだろうか、運転席の鞍馬は出発しても無言であった。

 道路には放置された車両があちこちに点在。フロントガラスがひび割れていたり、窓が赤く汚れた状態のものもあった。恐らく車内に侵入され、逃げることもできず襲われたに違いない。

「あっ、あれ!」

 運転していた鞍馬が悲鳴のような声をあげた。

 車の前方に、のそりと人外の姿が現れたのだ。車内に緊張がはしり、後ろの二人など前座席にしがみつき目を凝らしている。

 アクセルを踏み込まれ、車はグンッと速度をあげ悪魔の脇を掠めながら走り抜けた。たちまち異形の姿は後方へと流れ去ってしまう。どうやら追っては来ない様子だ。きっと満腹だったに違いない。

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