第231話 怒り慣れた者の顔

「よっと、ほっと」

 掛け声とともに、車から運び出された米袋がアスファルト舗装の上に積み上げられていく。何人かで作業をしているが、放り投げるぐらいの勢いだ。揺れ動く車体は重量から解放され嬉しげにも見えた。

 籾殻か米袋自体が臭うのか分からないが、鼻にくる米の匂いがする。田舎育ちの亘にとって嫌なものではないが、精米した米しか知らぬ者は顔をしかめているぐらいだ。

 それらを公民館の倉庫へと運び込んでいくのだが、なかなかの重労働。重たげな米袋を一つずつ抱えて運ぶ人もいれば、台車に乗せフラフラと進む人もいる。

 皆がふうふうと辛そうにする中を、亘は両脇に抱えスタスタと運んでいた。本当はもっと運べるが、それをすると異常性が露わになってしまうため適度に手を抜いている。

 七海も手伝いを申し出ていたが、さすがに華奢な女の子が軽々と米袋を運ぶわけにもいかず亘が止めさせた。あと、米袋のにおいをつけさせるのが可哀想だったのもある。

「ふう、これで全部か」

 出てもいない汗を拭う真似をしたところで、手や腕につく米殻の粉に気付いた。ザラザラとしたそれは服にも付着しているが、もし神楽がスマホから出ていたら世話焼きぶりを遺憾なく発揮したことだろう。

 代わりにサキが申し出てくる。

「んっ、払う手伝う」

「悪いな。じゃあ、外で払うか」

 外へ出ると、サキは植栽のブロック壁に跳び乗りバシバシと半ば叩くようにして亘の服を払いだした。遠慮無く背中から腹まで叩き、さらにはズボンの下まで叩きだす。

「ちょっ、そこは止めろ。痛いだろ」

「きひひっ」

「まったく……ん?」

 この状況に似つかわしくない笑いさざめく声が聞こえた。何気なく目をやると、七海が何人かの若者に囲まれていた。どれも今風の若者で小顔で鼻筋が通り髪型が整い、どこか中性的な雰囲気がある。

 七海は困った様子ながら受け答えをしている。もちろんそれが、普通の対応という事は分かっている。分かっているが、胸の中がチクリとしてしまう。

「…………」

 自分は七海に相応しい人間なのだろうか。本当はああした連中こそ相応しいのではなかろうか。この埃にまみれ薄汚れた手は、擦って払ったところで落ちやしない。それと同じで、自分がいくら頑張ったところで相応しくはなれないのだろうか。果たして自分は七海の隣にいていいのだろうか。

 そんな思いが不安と共に湧き上がってしまった。

 もし神楽がいれば一笑に付しただろうが、サキは何も言わない。恐らく亘の心情など気付きもしないだろう。

「やあ、お疲れ様でしたね」

 声をかけてきたのは鞍馬だ。先程まで米運びをしていたため、汗で湿った髪が額に張り付いている。見た目は完全におっさんで、こちらが亘にとって相応しい相手なのだろう。

 亘が見ていた先に目をやると、鞍馬は眉をあげ苦笑してみせた。

「娘さん可愛いですからね。親としては、気を揉むところでしょうね」

「ええ……まあ……」

「でもあれですよ、今から慣れておかないといけませんよ。娘が嫁に行く時は、そらもう泣けるもんですから。私なんて恥ずかしながら号泣してしまいましたよ、うははっ」

「…………」

 亘が何とも言えない気分でいると、ようやく七海が小走りでやってきた。明るく眩しい笑顔が今は少し辛く感じてしまう。

「五条さ……じゃなくって、お父さん。お疲れ様です、もう行きますか?」

「そうだな、ここを出て移動するか。ところで、あの連中はもういいのか?」

 亘は胸の中のチクチクが命じるまま、少し非難がましい口調をしてしまう。もっと自分を構って欲しいという、子供じみた感情もある。

「えっ? いえ危ないから一緒に付いていくって言われてしまって。でも大丈夫です、ちゃんとお断りしておきました」

「そうか……」

「勘違いでしたらすみません。なんだか怒ってませんか?」

 七海は目をぱちくりさせジッと亘の顔を見る。それで照れくさくなり視線を逸らしてしまう。

「別に」

 腕組みをしたまま指先をトントンさせブスッとした顔だ。これで何でもないなどと、誰が思うだろうか。足下のサキなど、不穏な様子にススッと離れて安全を確保している。

「やっぱり怒ってます。あの、何か拙かったでしょうか?」

「別に何でない」

 やはり不機嫌そうに亘は言った。しかし、目を閉じ考え込む。

 苛ついている。実にバカバカしく愚かしい――だが、そう考えてしまう自分の中に嫉妬がある。この嫉妬は、七海が取られたくないという独占欲なのだろう。嫉妬にかられ不機嫌となってしまう自分の、なんと幼稚なことか。

 そんな情けない自分を恥じ、反省した亘は深々と嘆息して気分を切り替えた。

「いやすまない。少し先の事を考えて不安になってな。悪かった。行くとしようか」

「こんな状況ですものね」

「そうだな」

 納得してくれた七海を伴いサキを連れ歩きだそうとすると、鞍馬が肩を掴んで引き留めてきた。

「本当に行かれるのですか、外は危ないですよ。やはり止めておいたらどうです」

「いえ。行かねばならないので」

「そうですか、そこまで言われるなら無理には止めませんが」

「いろいろお世話になりました。食事とか寝床とか――」

 その最中、亘は長く尾を引く声を聞いた。それは七海にしても鞍馬も同様で、訝しげな顔で辺りを見回している。足下のサキが小さな呻り声をあげた。

「悲鳴、何か来る」

「まさか悪魔ですか! これはいけません。すぐ仲間を集めないと! あなた方も出発は止めて、中に避難して下さい! 皆、集まれ!」

 大声をあげ走り回る鞍馬を見やり、亘と七海は顔を見合わせた。


◆◆◆


 公民館の中は不安と恐怖に包まれていた。既に悪魔が接近中の情報は人々に伝わり、身を寄せ合い怯えてしまっている。

 そんな皆を安心させるよう、鞍馬はテキパキと指示をし防衛を固めさせた。恰幅の良い体躯であるし、表情や仕草に人を従え慣れたものがある。

 そこはさすが『元部長』という事だ。

「皆さん、どうぞ安心して下さい。力を合わせれば必ず乗り切れます」

 だが、人垣の中から誰かが声をあげた。

「だけど相手は悪魔なんだろ。おい、どうすんだ」

「どうするではなく、皆でどうにかする事なのですよ」

「俺らまで巻き込む気か! そんな危ない事させる気なのか!?」

 そのとんでもない言葉に亘は、そっと息を吐いた。

――馬鹿馬鹿しい。実に馬鹿馬鹿しい。

 とっくに全ての人間が巻き込まれ、誰もが危険な状況下にあるのだ。この期に及んで、まだ他人に護って貰い何もしないつもりでいるとは、あまりにも平和ボケしすぎている。

 大半の者が同意する雰囲気だ。

 亘は他力本願すぎる人々に見切りを付けた。もう、自分に関係ないものとして区別。どうなろうと構わないという気分だ。

 しかし鞍馬はそうではないらしい。

 ムッとした表情を顔に出す。それは他人を怒り慣れた者の顔だ。

「いいですか、こんな状況で自分だけが助かろうなんて間違ってます」

「俺らに死ねって言うのか!」

「極論を言わないで貰いたい。今は一人でも助かるため、全員で力を合わせないと駄目なんです。あえて言いましょう、人として恥を知りなさい!」

 そんな鞍馬は熱を帯びた言葉に、亘はこっそりため息をつく。

 気持ちは分かる。分かるがしかし、そんな頭ごなしに叱りつけるように言えば反発を貰うだけでは無いか。こんな連中は見捨てればいいのだ。生きるつもりのある者だけで、別の場所に行けばいいのだ。

 様々な文句が飛び交い、まとまりもなく騒々しい。

 亘は聞くに堪えなくなり、そっとその場を離れた。腰に抱きついたままのサキを引きずり七海と共に歩きだした。


 集団を離れ、二階の会議室へと移動する。幼児とその母親や動けない年寄りなど、ごく数人が不安そうに身を寄せ合っていた。そこを素通りし、何となく寝泊まりした控え室へと戻る。特に何か理由があるわけでもない。

 窓辺に寄り住宅街の方を眺めた。大きな窓が皆に忌避された部屋だけあって、広範囲を見渡すことができる。

 道路を異形の生物が数体闊歩している。米を運搬する途中で見かけた姿だ。きっと、後をつけられたに違いない。

「さてどうするかな。どうせ移動するつもりだったし、このまま立ち去ってもいいが」

「私の希望を言ってもいいです?」

「うん? それは構わない。というか、むしろドンドン言ってくれ」

「それでは。私は、皆さんのことが心配です。もう少しだけ、ここにいたいです。もう後少しだけ」

 当然と言えば当然の希望だ。どうするか亘ですら迷っている状態で、この優しい娘がそうと言わないはずがない。

 分かっていた。その上で、勿体ぶって頷く。

「まあ乗りかかった船だしな。そうするか」

 たちまち七海は嬉しそうに笑い、感謝するように見つめてくる。

 だからとても罪悪感が湧く。相手の意見を尊重するフリをして恩に着せ、自分に対する好意を保とうとする。そんな狡い自分が嫌だった。

 不意に七海の頭をポンポンと叩くと驚いた様子から嬉しそうな顔に変化する。この少女が自分を好きでいてくれる事を確認し、亘は少し気分が楽になった。

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