第232話 二人寄り添うよう立ち去って

 金属が引き倒される音が響く。

 バリケード代わりの工事用看板が数体の悪魔によって蹴り飛ばされているのだ。まだそれは敷地フェンス周辺だが、徐々に近づく音に公民館の中で人々は怯えるのみであった。

 窓に打ち付けた板の隙間から外を窺っていた男が息を呑んだ。

「大変ですよ、あれ見て下さい。駐車場端にある車の下、ほら子供の姿が!」

「そりゃ本当かどこだ」

「ほら、あそこ。右から三台目の下ですよ」

 ドヤドヤと数人が窓に押し寄せ、外の様子を窺う。そこに血相を変えた女性が割り込み、飛びつくように隙間から外を見る。

「もしかしてうちの子!? いないと思ったら! 誰か助けて、お願い!」

 振り向いた若い母親は、周囲の者に頼み込む。しかし、返ってくるのは渋い顔だ。中には露骨に嫌そうな顔をする者もいる。

「なんで目を離すんだ、それに今まで気付かないとか……自分で行けよ」

「誰か助けに行って! 行ってくれないなら……大声出してやるから! ここに悪魔を呼んでやるから!」

「おい! 勝手なこと言ってんじゃないよ!」

 半狂乱になった母親を周囲が宥めようとし騒動が起きる。幸いにして、まだ悪魔との距離があり気付かれた様子はない。しかし、どのみち時間の問題ではあった。

「……いや、こうなったら打って出ましょう。どのみち悪魔は倒さねばなりませんよ。ここに入り込まれる前に何とかしましょう」

 鞍馬は木刀を手に皆を見回した。

 それに応える者はいたが、しかし数は少ない。

「子供救出作戦を開始する。皆で力を合わせれば乗り越えられない試練はない!」

 バリケード代わりの車のボンネットを乗り越え、まず木刀を手にした鞍馬が駆けだした。残りの者もゴルフクラブや金属バット、さらには日本刀を振りかざし続く。気合いの声が周囲に満ち、まるで大河ドラマのひとコマのようだ。

 その攻撃は確かに悪魔へと命中した。

 だが……当然ながら反撃もある。しかも、多少の傷など構いもせず獲物を狙い襲いかかる。一方で人間の方は少しの傷で怯み動きを止め、何より恐怖した。

「逃げないで戦いましょう! 仲間とかばい合って!」

 鞍馬の制止など聞きもせず、次々と公民館へと逃げ戻ろうとする人々。だが、その背後から追いすがる悪魔によって引き倒された。幸運だった者は公民館まで辿り着くものの、入り口は固く閉ざされたままだ。

 中へ入れてくれと頼み込む声に、公民館は息をひそめたままであった。


◆◆◆


 亘は二階の窓から外に出たバルコニーで、腕組みしながらそれを眺めていた。助けるべきか悩んでいるだけで、行動に移そうといった気配はない。

「ど、どうしましょう!」

「だいぶ前にも言ったが、悪魔を使うなんて普通ではない。まして、今は悪魔がそこらを彷徨いてる。神楽やアルルを見られたら、即座にアウトだな。ましてや、直接戦って悪魔を殴り倒したらどう思われる?」

「…………」

 政府なりマスコミなりが『デーモンルーラー』使いの存在を公表し公認し、世間一般に情報が浸透し認知されていれば話は別だ。今の段階では、それがない。

 もちろん、突如として現れた正体不明で常人を越える力を持った存在を、手放しで受け入れヒーローとして賞賛する可能性も――いささか、ご都合主義的ではあるが――ないわけではない。

 しかしそうなると、今度はヒーローとして数十名に及ぶ人々を守らねばならなくなる。そして勝手に期待され、勝手に失望され、最後に待つのは異質な存在への排斥だろう。

 しかし七海はスマホを取り出す。

「アルル! お願い!」

 画面から白い綿毛のような塊が飛び出し、線のように細い手足を伸ばし手すりの上に降り立つ。辺りの空気が揺らめき不可視の刃が放たれ、今しも鞍馬を引き裂こうとしていた悪魔が両断される。

 七海は身を翻すと、軽い身のこなしで手すりを乗り越えた。二階の高さを苦にもせず、いとも容易く地面へと着地した。トンッと軽やかに駆けだし、悪魔に追いすがられた男へと向かう。

「ふせて下さい!」

 七海の放った蹴りが悪魔の腹に鋭く炸裂。今しも男を引き裂こうとしていた悪魔は格闘ゲームのザコキャラのように宙を舞い、車の側面へと叩き付けられる。金属がひしゃげガラスが割れ、そのまま動かなくなった。

 亘はその一連を冷静に眺め、軽く頭を降ると静かに命じる。

「頼むよ」

「んっ、仕留める!」

 金色の髪をなびかせサキは駆け出すが、その輝く目は獲物を前にした獣だ。気配を感じた悪魔どもは、上から飛び降りてくる姿に怯えた視線を向ける。

 それには目も向けず亘もまたスマホを取り出すと、特に何をせずとも画面から神楽が勝手に現れた。ふわりと飛び上がると、亘の顔に飛びつくようにして身を寄せてくる。

「どしたのさ」

「その辺の連中の回復を頼む。それから……」

 亘は小さな巫女服姿の少女へとあることを頼む。そして自らも手すりを乗り越え、宙へと身を躍らせた。ドンッと力強く着地すると、そこに居た悪魔を虫でも払うように仕留めてしまう。

 向こうで七海が何体かの悪魔に囲まれているが援護の必要はない。DPで出来た細剣が軽やかに振るわれ、悪魔を次々と倒している。

 さらに向こうではサキが嬉々として悪魔を追い回している。傷を負い辺りで倒れていた居合胴衣の連中は淡い緑の光に包まれると、突如消え失せた痛みに驚きつつフラフラと起き上がった。

 亘はのしのしと歩き、へたり込んだまま茫然とする鞍馬へと歩み寄った。

「大丈夫ですか。危ないところでしたね」

「え、ああ。一体何が」

 鞍馬はぽかんと口を開けたまま座り込み、何やら藁の家を吹き飛ばされた子豚のように茫然としている。しかし、そこにサキが駆けてくると我に返り飛び退くように這い逃げた。

「く、来るな! お前も悪魔なのか!」

「うん……」

「そいつも! お前も! お前の娘も全部悪魔だな! この化け物め!」

 折れた残りの刀が投げつけられる。亘がそれを軽く受け止めた隙に、鞍馬は仲間の元へと駆けていった。

「……化け物ね」

 亘は手にした刀の柄をなんとなしに眺めた。よほど鍛錬に使い込まれたか、白糸の柄巻きは毛羽立ち少し解れている。折れた刀身を投げ捨てるのも何なので、そっと足下に置く。

 小石を踏む音に目を向けると、七海だった。少しバツの悪い顔だ。助けた子供は恐怖の眼差しで亘たちを眺めやり、手を振り払って逃げていった。

「ご免なさい。勝手なことをしたせいで……」

 そう言って視線を巡らせた先に亘も顔を向ける。

 拒絶と恐怖と怒りの顔が幾つもある。身を寄せ合う鞍馬たちだけでなく、公民館のバリケード越しにも息を潜め無言のまま睨んでいた。あの稲荷寿司をくれたおばちゃんたちも怯えた様子だ。

 鞍馬が足下の石を掴む。

「この化け物!」

 その言葉を皮切りにして罵詈雑言が浴びせられだす。最初の投石に倣って次々と投石が始まった。その中には、一緒にバリケードをつくった者や、米を取りに行き運んだ者もいる。多少なり見知った顔が、やり場のない恐怖を発散するように怒鳴っていた。

 だが投石が亘と七海に届くことはない。

 小さな光球が幾つも現れると、その全てを迎撃してみせる。神楽の仕業だ。事前にこうなるだろうと予想し頼んでおいたのだった。

「なにさ! マスターに助けて貰ったくせにさ!」

 さらに怒った神楽は頼んでいないことまで実行する。一際大きな光球が放たれ、駐車場の地面に炸裂した。腹に響く轟音と共にアスファルト塊が飛び散り、大きな穴が穿たれる。それで悲鳴があがり、鞍馬たちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。公民館の中でも大混乱の騒動で逃げ惑う様が感じ取れる。

 神楽の怒りはまだ収まらない。サキにしても鼻の頭に皺を寄せ、今にも飛び出しそうな気配だ。しかし亘は踵を返し歩きだす。

「行こうか、もうここに居場所はない」

「本当にご免なさい。私が勝手なことをしたばっかりに……」

「別に気にしなくていい。どのみち、ここを出るつもりだったろ。さあ、行こうか」

「……はい」

 感謝されたくて助けたわけではない。しかしだからといって、助けた相手に恐怖されたかったわけでもない。人の明確な憎悪と敵意を突きつけられることに慣れていない七海は悄気きっている。

 亘は気落ちした少女の頭にポンッと優しく手を載せ、軽く髪をかき混ぜる。

「人助けして偉かったな。どれ、褒めてやろうか、我が娘よ」

「もうっダメですよう。髪がクシャクシャですよ、お父さん」

 殊更に冗談めかしたやり取りをしながら、二人寄り添うよう立ち去って行く。

 その横を漂っていた神楽がつと振り向き公民館を見やる。気付いたサキが不思議そうな顔をした。

「どうした?」

「んー、えっとね……」

 神楽は探知能力で多数の悪魔の気配を捉えていた。きっとDPに飢えているのだろう。

 しかもこの場所は悪魔が倒されたことで撒き餌のようにDP濃度が高まり、さらには人間も大勢いる。何が起こるかは想像するに難くない。

「えっとね……ううん、なんでもないや」

 頭を振った神楽は亘を追って飛び去った。

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