閑67話 そんなチャラ夫の一日

「マジでしんどいっす」

 チャラ夫は極めて小さな声でぼやいた。

 わけの分からないまま会議室に連れてこられて、上座に座らせられる。後は誰かの説明を聞かされるのだが、その説明内容も手元に配られた資料を読み上げているだけ。

 ふと思い出すのが授業で一番退屈だった朗読の時間だ。違うのは辺りが静かで、誰もが真面目な顔をしている点だろう。これが授業なら私語と笑い声が飛び交っていたところだ。

 軽く欠伸をすれば、隣の席の正中に軽く注意されてしまう。

「チャラ夫君、失礼だよ」

「ういーっす……」

 ぼんやりしていると眠気が酷い。だが、寝る事は許されず席も立てず、ただひたすらに、資料の読み上げを聞かされ続ける。

「以上の観点から、本案件についての了承を頂きたいのですが。ご審議の程、よろしくお願い致します」

 ようやく資料以外の言葉が発せられた。

 そして、ようやく説明の終わりである。

 ようやく終わりにチャラ夫は安堵した。

 だがしかし、どこぞの大学の教授のおっさんが挙手して発言した。

「今の説明の中で、さらっと流されていましたが。人口算出の根拠が不明確じゃないですかね。確か三年前のマニュアル改訂で、そこが変更点だったと記憶してます。そこが古いマニュアルで計算されてないか確認したい」

 その発言を受け、説明者は資料の束を抱えた部下らしき相手に渋面を向け、小声とジェスチャーでやり取りしている。そして潮が引くように部下が去っていくと、和やか笑顔で回答をする。

「ご指摘ありがとうございます。まさに、その点につきましては、先生の仰るとおり三年前に改訂された部分でございます。もちろん、今回の案件では改訂内容に合わせまして、正しい方法にて算出しております。なお、古いマニュアルでも念の為に算出しまして両者の差異を確認していること、申し添えさせて頂きます」

「なるほど。しっかり計算されているなら構いません」

 そんなやり取りを聞きながら、チャラ夫は素朴な疑問を抱いた。今の回答は口で言っただけで、何も示されていないではないか。質問した人が、それで引き下がったことが不思議でならなかった。


 口を出したい気分になるが、そのとき気付いた。ここで余計な事を言えば、この退屈から解放される時間が遅くなってしまう。黙り込んだチャラ夫は、また一つ大人になったのである。

「他に質問のある方はいらっしゃいませんか……では、本案件については本委員会において了承されたという事で、滞りなく進めさせて頂きます」

 ようやくの解放に、チャラ夫は大きな息を吐いた。着慣れぬスーツにネクタイ姿。それで、ただひたすら座っているだけという苦行。ようやく解放されるのだ。

 この後は何をしようか考えていると――。

「では、続きまして第二号案件について移らさせて頂きます。資料を配付いたします間、少々お待ち下さい。その間に説明者の方は前に進み、準備をお願いします」

 そんな言葉にぎょっとした。

 今と同じことがもう一度繰り返されるのだ。

「ちょっ、正中さん。これって、まだあるんすか?」

「勿論だよ。でも、安心しなさい。今回は案件数は絞ってあって、せいぜい五つかそこらだよ」

「五つって言ったら、五回ってことすよね」

「まあ普通は五回は五回だね。御時世だから、説明資料は極力減らしてあるし、説明自体も今みたいに簡便になっている。あと二時間もあれば終わるだろう」

「マジっすか……」

 チャラ夫を両手を投げだし机に突っ伏した。

 ようやく準備が整ったらしく、満を持して新たな説明者が登場すると、また資料の読み上げが始まる。周りの人々は、微かに頭を下げ紙面に目を向け微動だにしない。まるで何かの儀式のようだ、とチャラ夫は虚ろな気分になるのであった。


「もう嫌っすよ、あんな退屈な会議に出るぐらいなら責任者辞めるっす」

 会議終了後にごねだしたチャラ夫に、正中は困惑してしまった。

 無機質な廊下を並んで歩き、途中で出会う人と挨拶を交わしていく。チャラ夫が気さくでフレンドリーなため、誰もが笑顔で気軽に返事をしている。

「そうは言っても名誉なことじゃないか。君は人の上に立って指導して、世の中を動かす立場にあるんだ。会議ぐらいで何を言っているのかね」

「あんなん必要ないっしょ? 資料渡してくれれば、後でじっくり見て返事するっす」

「ほう、ちゃんと読むのかね?」

「……まあ読むかもっす」

 あの資源の無駄を地で行くような分厚い資料を思い出し、チャラ夫は遠い目をした。読む気にもならず、仮に読んでも一頁が限界だろう。会議資料なので仕方がないが、堅苦しい文字ばかりであるし、さっぱり理解できない。

「これでも君の負担を減らすために、細かい会議は除いている。面倒だろうが、会議の一つは付き合いなさい」

「へーい。そんじゃま、次のお仕事に行くっす」

「今日は何だったかな?」

「防衛隊さんから、新作兵器の立ち会い確認をお願いされてるっす。てなわけで、今日は外に出てるんで後は宜しくっす」

「分かった、任されたよ」

 正中は頷いた。

 NATSと防衛隊は協力体制を取っているが、思った以上にスムーズに動けている。それは実務者同士での関係性が良いからで、そこにはチャラ夫の人柄が大きく関係している。だから笑って送り出した。


「目標接近!」

 防衛隊陣地に二本角をした黒馬の群れが接近していた。分隊長は怯むことなく目視し、手を横に伸ばし部下を抑えている。

「射撃班、構え。まだ、まだ、まだ……放てっ!」

 合図と共にスリングショットで石礫が無数に放たれ、その黒馬に次々と命中しダメージを与えた。傷つきながらも突進してくる黒馬は間近まで迫ったが、そこに設置された罠に足を取られ転倒した。

「目標の動き停止を確認。突撃班整列、盾構えー! 突撃ぃ!」

 陣地内からわらわらと出た隊員が一列に整列し、装甲板から削り出された盾を構えると、合図と共に一斉に走り出した。そのまま盾で黒馬のような悪魔を取り囲み、声を張りあげ鉄パイプで滅多打ちにする。

「「「安全第一! ご安全に、ご安全に、ご安全に!」」」

 防衛隊の標準装備が金属バットや鉄パイプという珍妙な事態。

 だが銃弾や燃料の消費は著しく、満足な補給に見通しがあるわけでもなく、そこはなとなく継続戦闘に懸念が示されている。なおかつこんな時でも、武器弾薬の製造に難色を示す国内勢力が存在すれば、そうした方向性になるのは当然だった。

「皆さん、手慣れたっすねー!」

「これもチャラ夫殿に指導して貰ったお陰です」

「まっ、俺っちの考えなんて全部兄貴の受け売りなんすけどね。しっかし、あれっすねぇ。なーんか皆の戦い方が、凄く戦国時代?」

「ははっ、武器弾薬は節約せんといかんですからな。今回の立ち会いも、新作の投石機を試験するものですし。これで有効と確認されれば、各所に展開しようかと」

「うーん、戦国時代つーか。ファンタジー世界っす」

 返事をしながらチャラ夫は外の空気を胸いっぱいに吸って憩った。やっぱり会議室で座っているよりは、こうして動いている方が百倍マシだ。

「出現パターンを解析しますと、小型悪魔を一定数駆逐すれば大型悪魔の出現確率が七十%になり……どうやら出ましたな」

 指し示された方向を見ると、何もなかった場所に滲み出るようにして、空飛ぶ大きなエイが現れた。くすんだ灰色にまだら模様だ。ゆったりと動き長く細い尾を振っている。


「投石機準備は良いか!? 観測開始、照準報告せよ……よし、てぇーっ!」

 唸るような音を響かせ錘が動き、跳ね上がった先からコンクリート塊が投げ出される。幾つも飛んで大型エイの周囲に着弾、その内の二つが命中し地面に叩き付けた。

 大型エイは即座に跳ね上がって浮遊。怒りの咆吼をあげ突撃してきた。

「効果は多少ありですか。あとは着弾精度が課題と……」

「あと、俺っちが倒しちゃっていいっすか?」

「よろしくお願いします」

「うぃーっす! いくっすよ、ガルちゃん!」

 DPで出来た刀擬きを手に、お供の従魔を引き連れチャラ夫が走り出す。まるで飛ぶような勢いに、見守っていた防衛隊から歓声があがる。

 唸る鞭のような尾の攻撃を軽々と躱し、跳び上がったチャラ夫が刀擬きを叩き付ける。続けてガルムが尾の付け根に食らい付いて食い千切る。叫びをあげ墜落した大型エイの脳天にチャラ夫が攻撃を加え――そこで手を止め戻って来た。

「どうされました?」

「結構弱らせたんで、投石機で倒したらどうっすか? ほら、そういう倒した実績とかあった方がいいんすよね」

「ありがたく! 投石機準備! 次石装填急げ!」

 嬉々とした分隊長の声で、隊員たちもわらわらと動きだし準備を始めた。チャラ夫の気遣いに大喜びの様子だ。

「正直助かります」

「いやー、俺っちも最初ん時はね。弱らせた悪魔を兄貴が運んできてくれたんすよ。それを殴って倒せってね。最初の一歩って、ほんと大事っすからね」

「はぁ……」

 それはどうかと思う分隊長であったが、まるで心酔するようなチャラ夫の様子に言葉を濁すしかなかった。

「確か、その兄貴というのは。かの有名な五条殿ですか」

「そっすよ! 俺っちの尊敬するスーパー凄い兄貴なんすよ。絶体絶命って時も、一人で凄い相手を倒すし。海の中から飛び出して、真っ裸で堂々と戦った漢の中の漢。それから――」

 とても面白く興味深い話なのだが、分隊長は職務もあって困ってしまう。それにも気付かずチャラ夫は語っている。会議で退屈な思いをしたが、その後で適度な運動もできて、しかも語りたいことを語っている。夜にはそれを恋人に話せば幸せ気分、そんなチャラ夫の一日であった。

 やがて投石機の準備が整い、放たれたコンクリート塊が大型エイへと降り注いだ。

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