第6話 気付けば笑い声

 乱れた息を整えていると、ジワジワと喜びが湧いてくる。

 勝利の感慨などではない。たった数分で千五百円円を獲得した喜びだ。

 今の戦闘からすると、餓鬼は金属バットでも充分に倒せる。いざとなれば魔法で援護してくれる神楽も居る。

 これはいけるのではなかろうか。ニンマリとした笑みがこぼれる。

「今ぐらいの戦闘だったら大丈夫だな」

「ボク、マスターに戦って欲しくないんだけど」

「そう言うなよ。それより餓鬼はまだいそうなのか」

「んーとね、異界の中だと探知範囲が狭くなっちゃうな……あっちに反応があるよ」

 神楽が指差す方向へと進んでいく。

 そこはコンビニ駐車場を横切った先で、毎日の通勤経路でもある。けれど異界化しているせいで、雰囲気が全く違った。

 時間を問わず通行のあった歩道に人影はなく、往来の激しかった車道は放置されたように停まった車が数台あるだけだ。傍らのコンビニには客も店員もいない。

 どこもかしこも無人だ。そのせいか、見知らぬ場所にも思えてしまう。もしくは、SF小説にでも出てきそうな、ある瞬間から全ての人間が消滅した街のようだ。


 改めて異質な光景に、亘がごくりと唾を呑んでいると、その耳元で神楽が囁く。

(あの黒い大きな車の向こう、餓鬼がいるからね。注意してよ)

(よし、まかせろ)

(えっ、ちょっと。だからマスターが戦ったら……ああ、もう!)

 亘は慎重に黒のワンボックスへと近づいていく。途中からワザと足音をさせると、車の陰から餓鬼が飛び出してきた。


 ノタノタとした緩慢な足取りだが、知らず襲われていたら不意をつかれ危なかったかもしれない。しかし、事前に知っていた亘は充分に身構えができている。

 気味の悪い姿も二度目ともなれば驚くこともなく、金属バットを突きだし突進する。そのまま肋骨の浮き出る胸へと突き込んだ。

 勢いと体重差によって、小柄な餓鬼は突き飛ばされる。その脳天に一撃を加え、倒れたところをまたしても滅多討ちする。

「っしゃあ!」

「ああっ、またボクの出番が……」

「うらうらうら、うらぁ!」

 神楽は両手で口元を押さえ、鈍い音が響く凶行を出番もなく眺めているだけだ。

 一方、亘は旺盛な意欲でもって金属バットを振るっていく。その胸中には戦闘以外のことが去来していた。


 一日中パソコンに向かい、仕事ばかりで自由時間もない。上司の嫌味や無茶ぶりに心を圧し殺し我慢する。後輩のイチャエロ話を聞かされる。同期は次々と結婚し、飲み会では独身をネタに弄られる。モテたいと頑張ったのに、なんの成果もない。


 これまで胸の奥底に圧し殺してきた嫉妬と怨嗟と不満。それら全てを込め金属バットを打ち振るい続ければ、それが一振り毎に昇華されていく。

「くっくくく、あはははははっ!」

 気付けば笑い声さえあげ、餓鬼を殴っていた。

 腹の底から思いっきり笑うなど何か月、いや何年ぶりだろうか。おまけにスマホに回収されたDPを確認すれば、なおのこと笑顔になる。

 ふと見れば、神楽が何か恐ろしいものでも見るような顔をしていた。

「はははっ。これはたまらんなあ、おい」

「マスターってばさ……ううん、そうじゃなくってて。いーい、次はボクが戦うからね。マスターは戦ったらダメだからね」

「へいへい」

 どうやら神楽は自分の出番がないことが不満らしい。文句を言われても、亘は生返事するだけで聞いてはいなかった。

 その後も凶行は続く。ストレス解消と副収入を前にした亘を止めるものは何もなかった。


 亘を戦わせたくなければ、神楽は餓鬼の位置を教えなければいいだろう。しかし従魔として、命令されれば教えざるをえない。そうなると、注意しようが文句を言おうが亘は止まらない。

 神楽は、金属バットを手に突撃した亘が嬉々として餓鬼を撲殺するのを見ているしかなかった。おかげで神楽はすっかりふて腐れている。

「いいもん、いいもん。どうせボクなんて……でも、次こそはボクが倒すんだからね!」

「む、もう二十三時に近いな、そろそろ帰らないとダメだな」

 気炎をあげる神楽の傍らで亘はスマホを確認し呟く。小さな少女の顔がショックで歪む。よよよっ、と顔に縋り付いてくる。

「えぇっ! そんなこと言わないでよ。もっと戦おうよ、次こそボクが活躍するんだから」

「ダメだ。遅くなると、明日の仕事に差し障るだろ。さっさと帰ろう」

「うー、ボクだって戦えるのに。マスターが戦ったらボクの存在意義がないよう」

 神楽がぶつぶつ不満を漏らすが、亘は聞いてはいない

「次に来たら、ボクが戦うんだからね。分かったよね、絶対だからね」

「その件につきましては前向きに検討させて頂きます。それよか、一時間で八体倒して24DPか。これを換金すると一万二千円か。これを時給と考えると凄い稼ぎだな」

「えーっ、マスターってばDPを全部お金にしちゃうの? DPでボクの装備とか買えるんだからさ、そういうのも買って欲しいな」

「ほお、そういうのも有るのか」

「そーだよ、色んな機能があるんだよ。マスターってば、ちゃんと確認しなきゃ駄目だよ」

「自分説明書を読まないタイプなんだよ」

 言い訳しつつ亘はアプリを起動する。

 メニュー画面からショップへと移動してみる。しかし『準備中』と表示されてしまった。

 ダウンロードしてから此方、まともにアプリを起動していなかったため気付くのが遅れたが、メニュー画面には、『ステータス』『スキル』『アイテム』などがある。

 DP換金で頭がいっぱいになり、気にもしていなかったとは、とてもではないが言えない。

 バツの悪い気分を咳払いで誤魔化しながらステータスをタップしてみる。

…………………………………………………………………………

名前:五条亘 種族:人間

レベル:2 経験値:24 所有DP:24

…………………………………………………………………………

No.1

名前:神楽 種族:ピクシー

レベル:2 経験値:24 スキルポイント:2

HP:6/7  MP:2/15

スキル:探知、雷魔法(初級)

…………………………………………………………………………

 ずらずら文字と数値が表示される。しかし神楽の方が内容が多く、おまけに小さな可愛らしいデフォルメ姿まで表示されている。

「ほお、レベルにスキルポイントまであるのか。おっ、神楽って種族がピクシーなんだな」

「そうだよ、ピクシーなんだよ。ああっ、ボクのレベルが2になってら、やったね!」

 亘の腕に立ってスマホを覗きこんだ神楽が、レベル表示に喜びの声をあげる。

 その近しい距離感に亘は思わずドキリとなってしまう。

 二次元の経験しかないが、それは仲良くなった女の子が思いがけず近くにきて、戸惑う青春の一コマのようではないか。

 亘が嬉し恥ずかしな感覚に戸惑っていると、神楽が笑顔で振り仰ぐ。そして自分に視線が向けられていると気づいて小首をかしげる。

「どしたのさ、マスター?」

「な、なんでもない」

「ふーん、そっか。それよかさ、時間はよかったの?」

「そうだな。うん帰るとしようか」

 亘は慌ててスマホをしまい込むと、異界へと侵入してきた場所へと向かう。

 入った時と同様に、神楽が同じ場所の何もない空間をノックするように叩く。またしても、その場所の空間が揺らめく。

「じゃあ帰ろっか」

「そうだな……待てよ。もし元の世界に戻って、誰かと鉢合わせしたら大変じゃないのか。いきなり人の姿が現れたりしたら大騒ぎ間違いなしだろ」

「大丈夫だよ。異界の存在を知らない人は、そこを出入りする人の姿は見えても見えてないから」

「意味がさっぱり分からんな……いや、待てよ……そうか」

 亘は眉をひそめるが、あることを思いだす。それは、人間は認識したこと以外は認識できないという話だ。

 幕末の黒船来航時、江戸の人々は目の前に浮かぶ黒船が見えていなかったという。黒船という未知の存在に対する概念が全くないため、その存在を認識できなかったというものである。

 嘘か本当か分からない話だが、脳科学的には充分ありえるらしい。


 それを例に考えると、異界という存在を知らない者にとっては、異界の出入りを見ても認識できないのかもしれない。

 もっと別に理由があるのかもしれないが、取りあえずそう納得しておく。どうせ異界だのDPだの、分からないことだらけなのだ。今さら認識がどうこうで悩んでも仕方ない。

「認識阻害が働くってことなのかな」

「まーねー。異界から出てもしばらくは気付かれないはずだよ」

 神楽の言葉に頷き、一緒に揺らめく空間を通り抜ける。

 今度は目を開けて通ってみたが、透明な薄い膜を通過したように一瞬だけ景色がぼやけただけだ。次の瞬間には夜の闇が急に戻ってくる。暗順応するまでの間、全くの暗闇だ。

 変りに音が押し寄せてきた。

 車の走行音に喧噪、エアコンの室外機の音、どこかの家から聞こえるテレビの音や笑い声。そんな何気ない日常の音を耳にすると、無事戻って来られたという実感が湧いてきた。


 目も慣れ、ひと息ついていると、間近を歩く男の姿に気づいた。

 隠れようにも隠れられない近さだ。亘は手にしていた金属バットを慌てて後ろ手に隠した。

「あっ、どうも、こんばんは。こんな姿ですが怪しい者ではありませんよ」

 人気のない路地の暗がりでヘルメットを被り、金属バットを持った男の存在など、悲鳴をあげて逃げ出すレベルだろう。通報されたら新聞沙汰で、無職への道をまっしぐらだ。

「えっと、あれ?」

 しかし、相手の男は全くの無反応のまま、スタスタと歩みを変えない。まるで道端の石のように、こちらを気にした様子がなかった。

 神楽の言うように、亘の姿に気づいてない。これが認識が阻害された状態ということだろう。

「本当だな、全然気付いた様子がない」

「でしょー、分かったら帰ろうよ」

「そうだな。これもいつまでも続くか分からないからな」

 認識阻害が働いていると理解すると、亘は歩き出した。

 初めての異界探索を終え、興奮冷めやらぬ胸を抑えつつアパートへと、そして普段の生活へと戻っていった。

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