第7話 契約は続行とする
翌日。
出勤した亘が鼻歌交じりで席に座ると、水田が隣から身をのりだしてきた。
「なんだか今日の先輩はご機嫌ですね。あーっ、さては何か良いことあったんですね」
「別にそんなんじゃないって。昨日早く帰っただろ、それで一時間ぐらいバット振って運動したんだ。ちょうどいいストレス発散になったのさ」
「バッティングセンターですか、あれ? この辺にありましたっけ。あーでも、やっぱ運動ですよね。僕もそろそろ運動しないと。学生の頃から体重増えたし、ジョギングとかどうですかね?」
「いいんじゃないの。おっと、仕事仕事」
下原課長のわざとらしい咳払を合図に、仕事を開始する。始業時間前だろうが、席に着いた以上は仕事しろということだ。
亘はパソコンを操作しながら、昨夜のことを少し思いだしていた。
アパートに戻たところで気力が尽きてしまい、激しい疲労と眠気に襲われてしまった。なんとかシャワーを浴びると、布団に倒れ込むようにして寝てしまった。
そして気づけば朝、しかも爆睡。神楽に叩き起こされなければ、危うく寝過し遅刻するところだった。
運動によるストレス発散と、しっかりとした睡眠のおかげで、今日の亘は誰が見てもエネルギッシュだ。バリバリと仕事をこなしている。
◆◆◆
今日も二十一時と、早めの帰宅だ。
体調管理の為ではなく、神楽と話をするため早めに仕事をきりあげてきた。
二日連続で早めに帰宅するが、それに対し同僚たちは気にした様子もない。転勤の多い職場のため、職員同士の交友関係は薄い。自分に影響しなければ何も言わないドライな職場環境なのかもしれない。
もちろん管理職はとっくに帰宅している。
亘が借りるアパートは、台所とリビングが一体化している。そこにはコタツが置かれており、コタツ布団を着脱するだけで一年中出しっぱなしだ。
その雑然と物が放置されていた卓上も、今は綺麗に片付けられ分厚い辞書が一冊置かれているだけとなっている。
それは神楽の椅子替わりに置いたものだが、さっそく神楽が腰かけ小さな足をぶらぶらさせる。
「さて今日は、幾つか話したいことがある。いいかな」
「うん」
「まずDP回収だが、昨日の感じからすると戦闘も問題ないし、上手くやれそうだと思う。よって、契約は続行とする」
「やったぁ! じゃあ、ボク消されないんだね。これからもよろしくね!」
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
ピョンと立ち上がった神楽が手を伸ばしてくるので、亘は人差し指を差し出す。
それを両手で掴む神楽は満面の笑顔だ。腕を上下させると、小袖の袂がまるで旗でも振っているように動く。
「さてステータスだが、二人ともレベル2って表示されてるだろ。最初に確認しなかったが、当然最初はレベル1だろうから、レベルアップしたってことだな」
亘はスマホを取り出しステータスを表示させた。
「そだよ。一定のDPを獲得するとレベルが上がるんだよ。あのね、レベルってのは存在の位階を表してるの。レベルが高いほど生物としての格が高いし、もちろん強いんだよ」
「成る程な。RPGのレベルと同じってことだな」
誰しも子供の頃にレベルアップで強くなれたらいいのに、と考えただろう。しかし現実世界にそんなものはなく、あってもシビアな熟練度制だ。
それがまさか三十過ぎて、レベルアップできるようになるとは思いもしなかった。
「神楽のステータスのスキルポイントは何だ? 大体想像はつくけどな」
「スキルはね、技とか魔法とかのことだよ。でね、スキルポイントを使うと、新しいスキルが習得できるんだよ。あっ、習得できるスキルは、ステータス画面から確認してよね」
「やっぱり想像通りだな」
頷いた亘はさらに気になることを確認する。
「自分はスキルを修得できないのかな?」
「マスターは人間だから無理だよ」
「そうか、それは残念だ……じゃあステータス表示が違うのはなんでだ。人間の方も細かく表示できないのか」
「うーん、ボクら従魔は概念的なんちゃら存在だし、スマホの中に入れるでしょ。それでデータが細かく分かると思うけど、マスターは入れないよね。だから無理なんじゃないの。細かいこと、ボクわかんないけどさ」
「まあ確かにそうだよな」
亘は納得して頷いた。
仮に自分のステータスが細かく表示されたとしたら、何かの手段で身体をスキャニングされていることになる。そんなの気持ち悪いではないか。
さっそく神楽のステータス画面から、取得可能スキルが確認できるページへと移動する。ズラズラッと幾つかのスキル名と、習得に必要なポイントが表示された。
そのひとつをクリックすると、『『習得しますか?』とYES/NOが表示される。それだけの表示で、スキルの内容に対する説明は一切ない。
スキル名から推測するしかないということだ。
少し不親切だと思いつつ、ポイント順にソートして確認してみる。
「ふむ、自爆1P……自爆!? いきなり物騒なスキルだな。あとは、突撃2P、羽ばたき2P、補助2P、治癒3P、剣技3P、格闘技3P、万魔法4P、性技5P……」
「…………」
「ふむ……最初から1Pあったとすると、1レベル上昇で1P加算。それなら5P獲得には、最低でも5レベルにならないとダメってことだな」
「…………」
「なーんてな、安心するといい。神楽をそんな対象には思ってない。大切な仲間だからな」
「マスター……」
感激の眼差しで見上げる神楽に優しく亘が頷く。
なお、三十五歳で独身の亘であるが男色の気はない。神楽に対してセクハラ行為をしたように、女体への興味はしっかりある。ただ、この小さな人形サイズでそんな技を覚えさせても意味がないと思うだけだ。
もっとも、そんなことを頼む勇気がないヘタレということが一番の理由だろう。
神楽のことは、DPを稼ぐための大切な仲間と思っている。
「まだ伏せ字なスキルがあるが……なるほど、これはレベル10で解放されるのか。そうなるとポイントの温存も考えないとダメだよな」
「どうして? ボクは色んなスキルを覚えたいな」
「この伏せ字スキルが良いものだったする。で、その時に必要ポイントが足りなかったら習得できないだろ。大抵、一定レベルで解放されるようなスキルは強いって相場が決まってる。これはまあ、ゲームの話だけどな」
「なるほど、マスターの言うとおりだね」
「でも、だからといって、スキルポイントを温存しても意味ないよな……レベル10までに10Pとしたら、その半分を使う感じでいこうか」
「5P……のスキルかな?」
「それは忘れろ。そうすると習得できる中で、接近戦系っぽい名前のはパスだな」
神楽が武装したとすると、その小さな身体に見合った武器サイズになる。そうすると、よほど上手く攻撃しなければ敵を倒すことは叶わない。それこそ毒針で急所を一撃とかだ。
さらに、神楽のステータスはHPよりMPが多い。
そこからすると、物理系タイプより魔法系タイプに違いない。だったら、わざわざ得意分野以外のスキルを取得する必要はないではないか。
「万魔法は名前に魔法ってあるし、明らかに魔法系スキルだな。攻撃系魔法だろうと思うが、違うかもしれないし……貴重なスキルポイントを使うなら、まずは治癒と補助の取得が妥当だろうな」
「マスター凄いや、よく考えてるんだね」
「はははっ、大したことじゃないさ」
実際大したことを言ってないのに大仰に感心されてしまい、亘は照れて笑い声をあげた。誰かから褒められたり称賛されることに慣れてないのだ。
少し休憩にしてコーヒーを用意し、ポテチを皿に開ける。神楽には、お猪口のコーヒーと小さく割ったポテチを供した。
「あっ、これ美味しっ」
神楽は卓上にペタンと女の子座りすると、ポテチを一口囓る。そして感激の声をあげや、パリパクパリパクと猛烈な勢いで食べだした。
あっという間に自分の分を食べてしまうが、ジッと残りのポテチを睨んでいるではないか。
その姿に亘は苦笑する。
「はいはい。もう少し足してやるよ」
「えへへ、やったね。あっ、細かく割らなくてもいいよ。それより、いっぱい頂戴」
「面倒だな、残りを好きなだけ食べるといいさ」
自分の分を取ると、もうそのまま袋ごと渡すことにした。大喜びで食べる神楽を横目にスマホでニュースに目を通しだす。
この時期に気になるのは、国会の補正予算関係の審議だ。この動きしだいで忙しさが違う。細かい内容は興味ないので、タイトルだけみていく。
「取りあえず予算通過はしてないな。良かった」
安堵して他のニュースを見ていく。振込め詐欺や、自宅で猛獣に襲われ死亡した事件、通り魔と暗いニュースが多い。そうかと思えばエンタメ系では、芸能人の誰が不倫したとか病気になったとかだ。そして大人気グラビアアイドル降臨なんてものもある。
「女子高生グラビアアイドルね。水田が騒いでた写真集のことか?」
大人気特集とあるが興味はない。いや興味はあるが、興味を示したくないのが正しい。どうせ触れるわけでも、会えるわけでもない。下手に見て恋い焦がれて苦しくなるのは勘弁だ。
それより、小さいとはいえど側にいて触れる神楽の存在の方が嬉しい。もちろんセクハラをするつもりはないが。もっと従魔が増えれば賑やかで楽しいに違いない。
「そういや、神楽のステータスにNO.1とあったよな。そうすると、まだ従魔が増やせるのか」
「そだよ。でも、仲間が増えたって、ボクがマスターの一番だからね」
「そうだな神楽が一番だ」
亘は頬杖ついてスマホを見ているだけだ。だが神楽は、えへへっと嬉しそうな笑みを浮かべていた。
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