第307話 本人の行動を見ないと分からない

「君のお陰で大幅に仕事がやりやすくなった、ありがとう」

「何もしてませんよ。チャラ夫と一文字さんに感謝して下さいよ」

「そうだったね、君は何もしていない。本当にありがとう」

 NATSを指揮する立場の正中は笑い、面映ゆそうな亘の前でA4サイズの書類を広げた。机上のそれは厚手の紙質で左上にはマル秘の赤文字、右上にはクリップで上半身写真が留められている。

 住所氏名に学歴や資格の記入欄があって健康状況や家族構成などが書かれ、ちらりと見える範囲でも老若男女さまざま。十代前半らしい子供から、六十代と思しき大人まである。筆跡からすると各自本人が記入したもののようだ。

「これは身上書しんじょうしょみたいですね」

 亘の言う身上書とは公務員が年に一度か二度、異動の希望をしたため人事に提出するものだ。効果は神社で貰うお守り程度のもので、つまり効果があるのかないのか分からない。

「似たようなものだよ。第一期で採用予定の新規デーモンルーラー使いの経歴書で、この中から選抜し研修を行う。もちろん君の意見を参考にして、研修期間の初日以外は全部実地研修だよ」

「ああ、そうですか。教える側は大変そうですね」

「他人事のように言うが、君も講師の一人だよ」

「……教えるより、好きに戦わせて貰った方が遙かに効率的と思いますけど」

「そうかもしれないがね」

 言いながら正中は書類を手早く仕分けしている。一瞥しただけで迷いなく分別しているが、どうやら単に年齢別だけで分けているわけではなさそうだ。

「確かに君は強い、今回の件でも大量の悪魔を軽々と倒してみせた。だが、アニメに登場する英雄でもあるまい。北から南に東から西にまであらゆる方角に、全て一人で対応できはしないだろう」

「まあ頑張れば……」

「夜中に呼び出されても?」

「人員は必要ですね」

 即答するのは、意外に公務員はそれが多く労しているからだ。

「ですが、講師をやってる暇はないですよ」

「教えるのは大変かもしれないが、後で自分が楽をするためと思って欲しいね」

「…………」

 亘は憮然とした。

 この台詞は耳にたこができるほど聞かされているものだ。つまり、職場で新人などの指導を押し付けられる際によく言われるのである。しかし人員の減った今の時代に昔と同じような指導方法をさせるため、実際には大量に抱える教える側の負担が大きくなるばかりだ。

「せめて初日の講師役は複数でお願いしますよ」

「人員に余裕はないのだよ」

「では初日の講義だけでも構いません、誰かにやらせて下さいよ」

 そこは必死だが、一応は必死さを隠して言った。

 皆の前で喋ることが苦手なため、少しでもそうした事は減らしたいのだ。実地での研修なら適当に戦わせ半放置ができるものの、講義ではそうもいかない。しかも初日となると挨拶に始まって細かなルールなどの説明をせねばならないはずだ。

 つまり、やりたくない。

 しかし正中は軽く眉を寄せただけで書類を捲る手は止めない。どうやら亘の意見に耳を貸すつもりはなさそうだった。

 こうした手合い――つまり自分の考えをしっかり持った頭の良い人――を説得するには根拠や理由を示さねばならない。特に正中のようなキャリア官僚の方々は、根本的に自分の考えこそが正しいと、無意識に思っている特徴がある。


 だからアプローチを変えた。

「一応理由がありますから、そこは是非にお願いしたいですね」

「おや、そうなのか」

「そうなんです」

 言いながら亘は素早く考え、机上の書類に目を留めた。

「今のこれは書類審査といったところですよね」

「そうだね、半分ぐらい手伝ってくれると嬉しいな」

「書類仕事なら手伝いますよ。それで理由なんですけど、まさにこの書類審査と同じことですよ。ここである程度の選別はできるでしょうが、どんな人間かは本人を前にしないと分からない。だから初日の講義中に観察をしておきたいのですよ」

「その意味はあるのかな」

「ありますよ」

 言いながら、さらに考えている。

 最近は鈍り気味だったが、思考はお仕事モードに切り替わっていた。こうなると嫌な事を逃れるための言い訳がすらすら出てくる。言い訳という表現は悪いが、しかし何も言わずに黙っていれば次々仕事を押し付けられるのが現実。

 生き物は生き残るためのスキルが磨かれていくのだ。

「その人が真面目か、集中力があるか。それは本人の行動を見ないと分からない。たとえば正中さんであれば……その確認した後の書類を見て下さい、丁寧に揃ってますね。つまり生真面目さと相手に対する敬意と礼儀を持っていると分かります」

 半分は口から出任せで、残り半分もただの感想だが、それなりの根拠があるように感じられるだろう。しかも、さり気なく褒めて相手を持ち上げる高等テクニックを織り込めば、いかな正中と言えども気分がよくなっているはずだ。

 実際、表情には意外な事を聞かされたという困惑と僅かな嬉しさが見て取れた。

「そこから正中さんが戦闘に出た場合が想像出来ます。つまり、真面目に戦い仲間を最後まで見捨てず助けようとするはずだと」

「いや、そこまでは……」

「分かりますよ、そういう人のはずです。話が逸れましたけど、つまり相手がどんな人間かを知っておかねばならない。その観察するための時間を、初日の講義の間に持ちたいわけです。人の命が懸かった大切な事に関わる事項ですからね、そこはしっかりとやっておきたいのですよ」

 言っている間に、亘は自分でもそんな気がしてきた。

 つまり自分で自分を説得してしまったのだ。こうなると嘘を見抜くのは容易ではない。嘘が嘘と見抜けるのは、相手の仕草や表情からであって言葉そのものではない。本人が心からそう思っている事を嘘と見抜くことは至難なのだ。

 もちろん相手の内面の奥底を深く深く理解していれば話は別だが、残念ながら今この場に亘を深く理解している者はいなかった。片や食堂でオヤツ集めに忙しく、片や友人と一緒にパトロール中なのだ。

「なるほど。それであったら手配しておこう。うん、長谷部君にでも頼んでおくか」

「それなら安心ですよ。助かります」

 ほっ、とした亘は書類の一部を引き受けた。


 書類選考の条件は不問のため、年齢などは選考基準ではない。そうとは言えど、流石に年齢が一桁代であったり九十代に突入しているものは除外。戦闘に耐えられそうにない健康状態や、一家における最後の一人なども除外。意気込みや自分の目指す未来など自由欄に記された内容を読み、明らかに思想的にアウトな者を除外する。

 簡単なようで、これがなかなかに辛い。

 癖のありすぎる文字や達筆すぎる文字もあって解読が大変だ。また自由欄の記載内容が、明らかに精神的に病んでいたりすると、それを読むのもキツいのだ。

 紙の捲られる音だけ響いていたが、正中がぽつりと言った。

「そういえばピヨ介が君を手伝いたいと言っていたかな」

「ピヨ介……ですか?」

「ああ、つい昔の呼び方が出てしまった。前にも言ったかもしれんが、私もアマテラスの元一族。一文字家の端くれだったのでね。その頃の呼び方がどうにも抜けなくてね、君もそういう相手がいるだろう」

「あると言えばあるかもでしょうがね」

 亘は言葉を濁しておいた。

 父親系等の親族は最悪で関わり合いを断っている状況であるし、母親系等の親族もなんだかんだと付き合いがなく十年単位で会っていないぐらいだ。

「一族からは除外されたが、私にとっては可愛い妹分。その辺りの気持ちを分かって、どうかあの子をよろしく頼むよ」

「そうですね。意外に話してみると、なかなか面白い人ですよ」

「……まさか不埒な真似はしてないだろうね」

 正中の手が止まり、向けられた視線は鋭い。生真面目な顔に強さが滲み出し、なかなかの迫力だ。それも亘が思わず身じろぎしてしまうほどに。

「あの子は純真純朴、やや思い込みの激しいところがある。あげくに夢見る乙女のような世間知らずでもある。だからね、それを良い事にあの子を泣かせるような真似をしたとしたら。そう、如何に君だろうと絶対に許すつもりはない」

「はあ……」

「小さい頃はピヨピヨ言いながら後ろを付いてきてね。あの頃の私は苛ついて尖っていたが、それでもめげずに懐いてくれた。お陰で随分と癒やされたよ」

「ピヨピヨですか……」

「ああ笑えるだろう。面白かったのは自己紹介でね、こんな感じだ。私はピヨッ名前はヒヨッ。とまあ、あちこちで名乗りを上げていたのさ。友と二人でからかって遊んだが、あの頃は良かったな。あんな平和な時代があったとは、今の状況からは到底思えないよ」

 言いながらも正中は書類のチェックを怠らない。流石にキャリアでマルチタスクはお手の物という事なのだが、それでも周囲への注意は疎かになっていた。


「小さい頃はお結びころりんと言って、祭礼に使う品にしこたまお握りを詰め込んでね。それが祭礼に使われて大騒ぎさ、あの時は盟主様が大笑いして許されたので良かったわけだが――」

「酷い」

 怒りを抑えた声によって、正中は自分の後ろに立つヒヨにようやく気付いた。それで軽く顔を強張らせてしまうのは、ヒヨが両手を腰に当て不穏な顔をしているからに違いない。

「どーして、吉兄ちゃんはそんな昔の頃の話をしているんですか!」

「いや、気にしないでおくれ。これはピヨ介の可愛いさを伝えんがための話だよ」

「ピヨじゃありません、ヒヨですヒヨなんです。もう吉兄ちゃんなんて知りません、ヒヨは今から吉兄ちゃんと口を聞きません」

「そんな子供みたいな事を言わんでくれよ、ピヨ介」

「あぁっ、また言いましたね。もう本当に知りませんから、どうせ私は子供ですよ。だいたい五条さんに子供の頃の恥ずかしい話をするなんて!」

「いやいや、こういう子供の頃の話は普通だよ。五条君だって、可愛いと思うだろ」

 正中は助けを求め目配せをした。

 二人のやり取りを仲の良い兄妹の雰囲気で眺めていた亘は、羨ましさと同時に微笑ましさを感じていた。書類選考の資料を手にしつつ、素直に肯いてみせる。

「そうですね、言われる通り可愛いと思いますよ」

「か、可愛いですか!? 私が!?」

 それでヒヨは素っ頓狂な声をあげた。

 亘はぴよぴよ言う子供の姿を思い浮かべ頷いた。

「はぁ、まあ。そう思いますが」

 途端にヒヨは顔を真っ赤にしたあげく、ドアに突進した。しかも途中の机にぶつかり扉にぶつかり、室内から駆け去った後で廊下から盛大に何かが引っ繰り返る音まで聞こえてきたぐらいだ。

「ふむ……」

 正中は呟くと、ヒヨが姿を消した扉と亘とを交互に見やった。

「ふむ……ふむ……なるほど」

「あの何か?」

「いや何でもない。改めてピヨ介の事を頼むよ。あれは私の可愛い妹分なのでね」

「はあ?」

「こんな時代だからね、本当にあの子を頼むよ。そうそう、さっきの講義の件だがね。長谷部君だけでなくピヨ介も追加しておくよ」

 正中は書類審査に戻るのだが、紙を捲る仕草もどこか楽しげなものになっている。何が何だか分からない亘は、少し首を捻りつつ書類仕事に集中する事にした。

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