第343話 本気でぶつかってくれる相手

「ここでやるんすか、ちょうどいいっすね」

 広々としたグラウンドに、チャラ夫の嬉しそうな声があがる。

 かつてはスポーツクラブの子供たちが、一生懸命に走り回っていた場所だが、今は利用する者もおらず、土の地面には短い草がびっしりと生えていた。NATSの本部からほど近く、それでいて悪魔が出るので誰も近づかない場所だ。

 これからすることには丁度いい。

「ここなら、兄貴と二人で踊るのにうってつけっす」

「お前は何を言ってる? そんな踊るなんてこと、するわけなかろうが」

「えっ!? これから兄貴と、ゴーゴーダンスのハウトゥーするんじゃ……?」

「誰だ、そんなことを言ったのは」

「エルムちゃんっすよ」

「…………」

 ちらりと視線を向けた先で、今の会話が聞こえていたのだろう、エルムがVサインなんぞをして胸を張っている。してやったり、といった声が聞こえそうな良い笑顔だ。

「兄貴とダンスユニット組むための練習するって。それで俺っちは、急いで来たんっすよ。でもまっ、いいっす。そんなら改めて踊るっす。きゃー、兄貴と二人でダンスなんて。照れちゃうっすね」

「やるわけないだろ」

 亘は素っ気なく言った。これから踊るのは、間違いなくチャラ夫だけだ。

「ここに連れてきたのは、ちょっとした訓練のためだ」

「誰の?」

「チャラ夫の」

 途端に茶髪の頭を両手で押さえ、口を大きく開け目を戦慄わななかせている。亘という人間の言う訓練がどんなものなのか、それを良く知っているからだ。実際少し前には、悪魔の群れに蹴り出されて酷い目に遭ったりしている。

「なんで、どうして!? 俺っち、何か悪い事したっすか!?」

「そうだな、お前は少しも悪いと思ってないよな」

「当たり前っす! いやいや、そもそも何したって言うんす!」

「分からないのが、チャラ夫の良いところであり悪いところでもあるな。まあ、気にするな。これは勝手な憂さ晴らし、ちょっとした八つ当たりみたいなものだ」

「意味が分かんないっすよー!」

 グラウンドを囲む土手は、本来であれば付き添いの親が声援をあげる場所なのだが、今は老人たちが胡座をかいて座り込んでいる。大宮や簀戸もいて、木屋の膝には老犬が顎を載せ寛ぎ状態。近村は身を乗り出し拳を握り興奮気味だった。

 七海やエルムにイツキとヒヨの女性たちは、レジャーシートを敷いて、持って来たお茶などを楽しんでいる。これから始まる出来事を、楽しく観戦するつもりだった。


 グラウンドにぽつねんと、一人佇むチャラ夫は震える手でスマホを操作し、ガルムを呼び出した。きりっとした顔で出現したガルムは、特に倒すべき悪魔を見つけられず、戸惑い顔で辺りを見回す。そして少し離れた場所で浮かぶ小さな姿に気付いた。

 外ハネした短い髪に、白の小袖に緋袴姿。光り輝く透明な羽で浮かぶ姿は、間違いなく神楽だ。しかも敵意とは言わないが、向けられているのは明らかに戦意だ。

 ガルムは驚愕の面もちで、チャラ夫を見上げた。

「ガルちゃん、ごめんっす!」

 途端に全てを悟ったガルムは口を大きく開け目を戦慄かせた。

「じゃあ、準備はいいよね。そんじゃあさ、やっちゃうから。ちゃんと避けてね」

 神楽の幾つもの光が生じ、それは光球となって煌めいた。口を半開きにし見上げていたチャラ夫とガルムへと、斜めに降り注ぐ。一つ一つは小さいが、地面に当たって爆発。砂や小石が飛散し土煙となっている。

 跳んで跳ねて捻って伸びて縮んで、一人と一匹は爆発の中を逃げ回った。

「避けた、避けたっす。俺っち凄い! 天才っす! 自分で自分を褒めたいっす! ガルちゃんも天才っす、スーパー凄いっす!」

 それが収まると、砂まみれのチャラ夫は両手を握ってポーズを取った。しかし、賢いガルムはそんな様子もなく不安げな顔をしている。

「なんだ、当たってないじゃないか」

「だってこんな避けるなんて、ボク思ってなかったもん。いいもん、いいもん。もちょっと密度あげて攻撃するからさ」

「もっと狙っていけよ」

 無慈悲な会話にチャラ夫は青ざめた。ガルムは、言わんこっちゃないと項垂れた。辺りに濃密な爆発音と共に悲鳴があがった。


「じゃあ、次はサキだな」

「んっ、やる!」

「そうか、やる気か。サキは偉いなぁ」

 サキは跳びはね、長い金髪を揺らした。薄ピンクのワンピース姿に素足で、無邪気な様子だ。少なくとも亘に頭を撫でて貰って、額から鼻までをくすぐられ目を細め悶える様子は、素直で純真無垢だった。

「ちょっと兄貴。それ違うっすよ、ちょっと何か嫌な予感がするっす」

「大丈夫だろ」

「やめて、マジやめてっす。サキちゃんは本当に洒落にならないっす。絶対に分かってないっす! つまりその手加減とか常識とか、機微っていうの? そういう何か大事なものが何か違うんっすよ!」

「サキに対して失礼な奴だな」

 亘の言葉に、サキは首を上下に頷いた。そして亘を見上げて、うっとり嬉しげに目を細めている。その顔に手を載せられても、まるで抵抗する素振りすらなかった。まるで心の底から懐いている犬か猫のようだが、実際には狐なのであながち間違いでもない。

「じゃあ、やってくれ」

「んっ!」

 サキの目が細まり緋色をした瞳が炯々と輝く。それは亘に甘えていた時とは全く違うもので、まさしく獲物を狩る目付きだ。爪先に力が込められ、そして地を蹴った。跳ぶように加速して突っ込めば、流れた髪が金色の流線のように見える。

「ひいぃっ!」

 チャラ夫とガルムが身を投げ出すと、寸前まで背後にあったコンクリート壁に、長く大きな爪痕が深々と刻まれた。まだ地面に転がったばかりの相手に対し、緋色の眼がギロッと後を追う。

 地面を転がりながら這ったチャラ夫をガルムが蹴った。これで両者が左右に分かれた中央に、飛び込んできたサキが可愛らしい拳を猛然と振り下ろしている。地響きのするような音がして地面が弾けた。

「ちょっとぉ、これ本気すぎぃ! る気っす!」

「サキめ、やんちゃしおって」

「違う、違うっす! そういうレベルじゃないっす! ぎゃああああっ!」

 上から落ちてきた火球が地面の上で溶けるように広がり、それが渦を巻いて焔となって、チャラ夫は悲鳴をあげて走り回った。


「死ぬ、死ぬかと思ったっす……」

 チャラ夫とガルムはゲッソリした顔で項垂れ、肩で息をしている。

 仕留め損なって不満げなサキは、鬱屈した不満を晴らすためか、勝手にその辺りを彷徨いている。きっと手頃な悪魔でも見つけて襲う気なのだろう。誰も何も言わないのは、目の前で思う存分振るわれた攻撃を見たからだった。

 亘はゆっくりと歩いた。

「上手いこと避けていたようだし、余裕にみえたが」

「神楽ちゃんの治癒魔法がなかったら、絶対に間違いなく死んでたっす!」

「大袈裟なやつだな」

「マジっす! ほんと酷いっすよ」

「次で終わりだ」

 亘が言うとチャラ夫は胡乱な目をした。そして、手合わせの相手が亘と気付いて顔を輝かせた。何だかんだ言いつつ、相手をして貰えて喜んでいるのだ。

「いやぁ、良かったっす。これで七海ちゃんやら、エルムちゃんやらとも戦えって言われたら、どーしようかと思ったっすよ」

「そういった希望もあったが……」

「あったんすか!?」

 声をあげるチャラ夫に、亘はぼそっと呟いた。

「お前が反撃する光景を想像したらな。それだけで腹が立ったから、なしにした」

「ちょっ! 兄貴目が恐いっす!」

 のけぞったチャラ夫だが、そのまま距離を取ると、笑顔で意気込んだ。

「じゃあ、やるっす!」

「よし」

 亘は短く言った。

 二人は息の合った様子で身構えた。どちらも真面目な顔で、重みとでも言う佇まいがある。気を利かせたガルムは、グラウンドの端に行って大人しく座った。

 亘は僅かに足を前にやった。

「とりゃあああっ!」

 叫び声をあげたチャラ夫が、草と土を蹴散らし突進。勢いをのせたパンチを放つが、まさしく矢のような速度と破壊鎚のような威力がある。亘は軽く横にどいて、チャラ夫の腕を掴んで放り投げた。

「はらー!」

 変な悲鳴をあげたチャラ夫が宙を舞い、しかし獣のような四つん這いで着地し、またそこから突進してくる。重いタックルが亘に激突し大きな音が響き、見ていた者たちは思わず身を乗り出した。だが直ぐに、微動だにしない亘の姿に驚かされている。

 亘はチャラ夫を引き剥がし、軽く突き離すと足を踏み出し、掌の一撃を放つ。

「ぎゃばー!」

 チャラ夫は、また変な悲鳴をあげ地面の上を転がっていった。やり過ぎたか、と思った亘だが淡い緑色の光がチャラ夫を包む様子に安堵する。なんだかんだ言っても仲間には甘いのだ。

 かなりの痛みはあったはずだが、チャラ夫はむくっと起き上がった。

「兄貴と手合わせ! 久しぶりで嬉しいっす!」

 ヤケクソ気味にチャラ夫が叫ぶ。しかも笑顔になって腕を振り回し、楽しそうだ。

「こうなったら俺っち全力で行くっすよ! 俺っちの持てる全てを、兄貴に受け止めて欲しいっす! どれだけ強くなったか知って欲しいっす!」

「なるほど」

 亘は温かい気持ちで、小さな笑みをみせた。

 これほど自分に対し向き合ってくれて、本気でぶつかってくれる相手など一人もいなかった。それを自身が避けた生き方をしてきたのは事実だが、それでも存在しなかったのもまた事実だ。

「じゃあ、来てくれ」

 二人は思いっきりぶつかり。それは大迫力でアニメの戦闘シーンのような凄さで、武道や武術というものが全く意味をなさない力と力の激突だ。しかも片方の力はあまりにも大きい。お年寄りたちは、最高の見世物に手を叩いて大喜びをしている。

 そしてチャラ夫は思いっきり戦った。これまでの戦闘で一番攻撃を繰り出した。全力で渾身の一撃を何度も放った。必死だったのは最初の内で、全ての攻撃が受け止められ返されるうちに、胸の奥から熱い感情が込み上げてきた。

 自分の全力でも敵わない相手に挑むことが、最高に楽しかった。

 それは観戦していた者たちも同じだった。

 物見遊山の雰囲気は消え、目を凝らし心奪われ見つめ続ける。楽しそうな二人の様子に言葉もなく、ただただ憧れ、魅入られたように見つめ続けるばかりであった。

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