第166話 この時この瞬間だけのもの

 七海に手を引かれ、祭り会場を巡る。幸いなことに恐れていた事――子連れの同級生など――との遭遇はなかった。

 否、もしかすると遭遇していたかもしれない。けれど、少なくとも亘には分からなかったのだ。同級生たちも歳を重ね顔が変わっているだろうし、面影を思い出すには時が経ちすぎている。もしかしてと思う人もいたが、所詮はそれまでだった。

 気は楽だが、今度は自分の人間関係の薄さを再確認してしまう。

 和太鼓演奏が終わり、ハウリング音と共に放送が入った。

「愛好会の皆様、演奏ありがとうございました。会場の皆様、拍手をしてあげて……拍手をお願いいたします」

 慣れないアナウンスに応じ、会場から拍手があがる。祭り気分で浮かれた誰かが、やんやと喝采の声をあげ、指笛を鳴らしている。それは亘には真似できないことだ。

「はい、ありがとうございました。えー、続きまして、フクレシナエ音頭の盆踊りを開始したいと思います。地元商工会のマスコット大百足くんも参加してくれます。ちびっ子の皆さん、一緒に踊りましょう」

 歓声をあげた幼子たちが櫓の周囲に集まると、ゆるキャラ『大百足くん』がスタッフに手を引かれ登場した。

「「…………」」

 亘も七海も無言で、その物体を見つめた。

 デフォルメされた顔に二本の触覚。身体は背がオレンジで腹が白とカラフルだ。両脇に綿の詰まった短い足が幾つも飛び出し、大きな丸足でヨチヨチ歩いている。

 草葉の陰で本物が泣いていそうな姿だ。激闘を繰り広げた身としては、申し訳ないような哀しいような、つまり非常にやるせない気分にさせられる。

「なんだか複雑な気分だな」

「ええっとまあ……でも、ほら皆の人気者ですよ」

 一生懸命フォローしようとして、何がおかしいのか七海がクスクス笑った。賑やかな雰囲気に浮かされ、穏やかさと慎ましさはそのままに、いつもよりはしゃいでいるようだ。

 振り仰いできた七海と目が合い、その微笑みに胸をつかれてしまう。

 ふいに、心の中に熱い思いが込み上げてくる。そう、これは愛おしさだ。滑らかな頬に触れようと、知らず手を伸ばしかけ――呼び声で我に返る。

「おーい、小父さん!」

 人混みの間をすり抜け、イツキが手を振りながら走ってきた。シャツに短パンと何より仕草から中学生の男の子にしか見えない。それでも、以前よりは女の子らしい体つきになってきたのだが。

 目の前で急停止するなり、キラキラした目で見上げてきた。

 ふいに、何か邪魔された気分が込み上げてくる。そう、これは忌々しさだ。頭を掴んでガシガシ揺らしてやった。

「うわっ! 何すんだよ!」

「なんとなくだ……おっと」

 一足遅れでサキがドーンと体当たりするように抱きついてきた。腰に顔を押しつグリグリしてくるのは、撫でろとの合図だ。こちらも金色の髪をかき混ぜるようガシガシ撫でてやった。

「酷いぜ。レデーに対する扱いじゃないぞ」

「レデーじゃなくて、レディーだ。それにだな、そんな言葉は口の端の青海苔をとってからにしろ」

「おっと、恥ずかしいぜ」

 イツキは手の甲で口を拭い、それこそレディーらしからぬ仕草だ。しかし、それが似合って可愛いく見えてしまうのは育ちの良さがあるからだろう。

「それでどうした。さては小遣いが足りなくなったか」

「違うんだぞ……いや、小遣いは欲しいけどな。じゃなくって、ほらこれ美味しいぞ! 凄く冷たくて甘いのを見つけたんだぞ!」

 イツキは透明プラスチックのコップを差し出した。赤いシロップのかき氷だが、それを世界一の宝物のように掲げている。

 パッと輝く顔を見て、亘は気付いた。

 自分があの猥雑で薄暗い祭りに煌めきを垣間見たように、イツキは今まさにその煌めきを垣間見ている最中なのだろう。きっと、この祭り会場のあらゆる全てが輝いているに違いない。羨ましさと微笑ましさで、なんだか心がポカポカしてくる。

 目の前にかき氷とストローが突き出された。

「ほら、凄く美味しいから小父さんに一口やるぜ。間接チッスだぞ、間接チッス」

「いいから気にせず好きなだけ、お食べ」

「へへん、照れてやんの」

 イツキは嬉しそうに氷を掻き込むと、溶けた分まで飲み干してしまう。さあ次だと叫んで、サキを引き連れ次を買いに行ってしまった。神楽が聞いたら泣いて悔しがりそうなものだが、なぜか今日は懐の中に入り込んだまま引っ付いたままだ。よく分からないが好きにさせている。

「全く困ったもんだな」

「そうは言うがね、あの子らしいじゃないか」

「確かにそうかも……ってぇ! なんでここに!」

 横からの声に答えかけ、しかし気付いて亘は大きな声をあげてしまった。

 そこに居たのは、輪にして結った古雅な髪型に桜色した小袖に白い比礼を肩にかけた姿だ。つまりアマクニであった。予想外の登場に度肝を抜かれてしまう。

「そんな大声を出したらいけない。君、注目されているよ」

 アマクニは窘めてくる。

 その言葉の通り周囲からは幾つもの視線が向けられていた。あれ五条さんちの息子さんね、などの声も聞こえている。とりあえず、周囲に軽く頭を下げておく。

 それで気付くが、アマクニの姿は誰の目にも止まっていない。見えているのは亘と七海ぐらいになる。もちろん、戻って来たイツキとサキもだ。

「おっ、アマクニだぞ。なんだ、祭りに来たんだ。なあ、この焼き鳥食べるか?」

「食べてみたいが、今は斎の最中なんだよ。遠慮しておこう」

「そっか」

 イツキは焼き鳥の串にかじりつく。別段驚きもせず、平然としたものだ。案外と大物かもしれない。それに対し、サキなどは亘にしがみつき、恐々としている。案外と小心者かもしれない。

 驚きから立ち直った七海が尋ねた。

「あのう、どうしてアマクニ様がここにいらっしゃるのです?」

「なんだい、何か私がいると問題でもあるのかい?」

「そうは言いませんけど……だって、ちょっと意外すぎですから……」

「私を祭神とした祭りに、その私が来る。ほら、どこも問題なんてないだろう。何を驚くことがあるんだい」

 けれど、この祭りがアマクニを奉ったものなんて、参加者の大部分は知らないに違いない。会場の片隅にある本部テントに、申し訳程度の小さな祭壇と御神酒が供えられている程度なのだから。かくいう亘でさえ忘れていたりする。

「いや普通驚くだろ」

 亘はぶっきらぼうに呟いた。

 こんな風にひょっこり現れるなんて、想像だにしていなかった。しかも、あんなふうに別れた後だけに、とにかく気恥ずかしく気まずい。つまりは照れ隠しだ。

 そんな態度にアマクニは嬉しそうに笑う。崇め敬われるより普通に接されることを好むのだ。

「どうせ周りの人間は、誰も私のことを認識できやしない。かつての君がそうだったようにね。さあ、おいで。良いものを見せてあげよう」

 アマクニが歩きだせば姿は見えないはずだが、自然と人混みが割れていく。誰一人として疑問にすら思わず、祭りを楽しむまま身を引き道を譲っていくのだ。

 そのまま会場を突っ切るとグラウンド端のフェンス際まで行く。そこからは会場を一望できる。周囲に人の姿はない。いや、暗闇でいちゃついていたカップルも数組いたが、やはり自然と立ち去っていった。

「やはり祭りはいいものだね。心がウキウキするよ……さあ、そろそろ頃合いかな。あちらを見てごらん」

 亘は戸惑いながら、祭り会場へと視線をやった。


 スピーカーから流れる祭り囃子にあわせ、人々が櫓の周囲で盆踊りを始めている。参加するのは幼子に両親、祖父母。青年会や商工会のメンバーぐらいの者だ。大半の者は、買い食いしながら騒いでいる。

 格別目を引くものはない。

「そら、君たちにも見せてあげよう。今の君たちなら視る資格があるだろうからね」

 アマクニが軽く袖をひと振りする。

 途端、空中に無数の光の粒子が現れた。踊る人の動きに合わせ、櫓の周囲をゆるやかに回り上昇し、そのまま遙か上空へと光の螺旋になって消えていく。まるで無数の蛍が舞うようであった。

「これが浄化だよ。こうやって年に一度は天へと返し、この地の澱みを払うのだよ」

「うわぁ、綺麗……」

「凄いんだぞ」

 亘は声こそあげないが、同じ思いだ。

 例え残り何十年生きたとしても、これほど心奪われることはないだろう。初めて見る感動はこの時この瞬間だけのものなのだ。

 時を忘れるほどで見入っていたが、盆踊りが終了すると共に光の螺旋も終息していった。完全に消えてしまうと、まるで世界が味気ないものに見えてしまう。それほど美しかった。

「どうだい、良かっただろう」

「ええ……ああ、凄いものを見せて貰った。しまった、神楽にも見せてやれば良かったな」

「それでしたら、また来年一緒に見ましょう。そうだ、今度はエルちゃんやチャラ夫君も誘いましょうよ。いいですか?」

「もちろんだとも、また来年も是非おいで」

 よしっ、と言わんばかりにアマクニが両手を握った。

 それが狙いだったのか、疑いの眼差しで見ているとツイッとそっぽを向かれてしまう。どうやら図星だったらしい。意外に可愛い神様だ。

 亘が苦笑していると、袖がそっと引かれた。イツキが何か言いたげだ。

「小父さん……あのよ」

「どうした。ははあ、そうか藤源次たちも呼びたいか。それもいいな」

「違う……そうじゃなくってよ」

「さては花より団子か。しょうがない、祭りだ好きに食べてくるといい」

「お腹……痛い……」

 イツキは泣きそうな顔でお腹を押さえた。

 光の螺旋の感動も一瞬で吹き飛んでしまう。七海も驚きの顔だ。思わぬ事態にアマクニでさえ目を瞬かせている。

「はあ? なんだって、まさか食中ど……いや待て。お前、ここでどれだけ食べた」

「えっと……焼きそば、たこ焼き、わた飴、かき氷……ううっ、クレープと焼き鳥も。あと……なんだっけ」

「リンゴ飴、ジュース」

 お供をしていたサキが申告する。こちらは、流石に悪魔だけあって平然としたものだ。

 亘と七海は揃って呆れ顔になる。

「それ食べ過ぎですよ」

「お腹を冷やしただろ。仕方ない、トイレまで行くぞ。行けそうか?」

「……うん」

「よしよし。ゆっくり行くぞ」

 恥ずかしげに頷いたイツキに手を貸し、七海との間に挟んで歩きだす。近くに屋外トイレがあったことは何故か記憶に残っている。

「これだから人間は面白い」

 アマクニが苦笑するとサキも同意して頷き、そして祭りの時は終わった。

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