閑31話 母親の気持ち
山際に古びた和風木造家屋が何軒か建ち並ぶ。その中にあって、一軒だけ真新しく和モダンな佇まいがある。それが五条家だ。
家の前には田舎ならではの広いスペースがあり、柿の木が一本と小さな菜園、納屋兼用の井戸小屋があって、それでもなお余裕がある。
敷地内は砂利が敷かれ雑草対策がしてあるが、それでも草の侵略を完全には防ぐことはできていない。土地を管理するには、常に草を抜き続けねばならないのだ。
七海は地面にしゃがみ込み草を抜いていく。
指先が汚れるのも構わず、細かな草もひとつずつ丁寧に根まで除いている。しゃがんだ姿勢で少しずつ進み、次を、また次をと根気よく草を抜いていくのだ。
単純作業だが退屈ではない。
一緒に作業している女性との会話が弾んでいるのだ。祖母ほど年の離れた相手だが、妙にフィーリングが合う。
「手伝って貰っちゃって悪いねえ」
「いえそんな」
「学生さんでしょ。休みの日なんて遊びに行きたいでしょ、こんな田舎で草抜きなんて申し訳ないわ」
「そんなことありませんよ。こうやって草を抜くのも、お喋りも楽しいです。それに五条さん、いえ亘さんのお手伝いができますから」
数週間前に予定を確認した際に、田舎の実家に戻って草刈り作業があると耳にした。それで手伝いを申し出て、イツキと一緒にやって来たところである。他にも何か用事があるようだが、まだ教えて貰っていない。
残念なことに、草刈り作業自体はイツキが行ってしまったことだ。
本当は一緒に行動したかった。
けれど、母親の相手を頼むとお願いされ、それはそれで良いかなと思う。なぜって、それは当然のことだ。今後のために仲良くなることは必須なのだから。
そんなわけで一緒に作業を始めると、直ぐに話が合うことが分かった。互いの話が新鮮で話題が尽きぬぐらいだ。
祖母と孫ぐらい年齢差があるが、歳の離れた友人的な雰囲気であった。
「でも、ごめんなさいねえ。あの子のために、こんなことまで付き合わせちゃってねえ」
「とんでもないです。草抜きとか結構得意なんですよ、私」
謝られたことに、七海はクスッと笑った。よく似ている。ちょっとしたことに謝ったり、申し訳なさそうにするところなんてそっくりだ。
そんなことを考えていたので――不意を突かれた。
「あの子に頼まれてるんでしょ、付き合ってることにしてくれって」
「え?」
「どうせ親に心配かけたくないからとでも言ったのでしょうね。それで、彼女のフリをお願いしちゃったのよね。本当に申し訳ないわ」
背を向けたまま草を抜く相手の表情は見て取れない。七海は思わず動きを止めてしまった。
「別にそんなことないですけど」
「あの子はねえ、嘘つく前に軽く下唇を噛む癖があるのよね」
それは重要な情報……ではなく、今はそれよりもっと大事な話の最中だ。七海は気を引き締める。直感として、下手な嘘はつかない方が良いと判断し取り繕うこともなく素直に応えることにした。
「そうですね。付き合っているというのは嘘ですよ。でもですね、私は亘さんのことが……その……本当に好きなんです」
「あらそうなのかい」
「でも、なかなか受け入れて貰えなくって……だからそのう。応援して貰えると嬉しいです」
素直に話すと、少し沈黙があった。
「……やめておきなさい。あなた、まだ若いしとっても可愛いでしょ。あの子なんかよりずっとずっと、良い人に出会えるわよ。何も、あんな子なんて相手にする必要なんて、ないわよ」
帰ってきた言葉は、感情を抑えた声だった。
相手の草を抜くペースは全く変わらない。横に置いたプラスチックバケツの中に次々と細かな草が入れられていく。
「え?」
七海には言われた意味がすぐ理解出来ず、思わず相手を見つめてしまった。
地面の上を少しずつ移動する相手はしゃがみ込むからだけでなく、何故だかとても小さく見えた。
「あの子って、引っ込み思案で受け身でしょ。自分に自信が持てないからね、誰に対しても他人行儀なのよ。相手を受け入れる勇気がないのよ。だからやめておきなさい」
「それは……遠回しに、私ではダメという意味でしょうか?」
「あら違うわ、そうじゃないのよ……あなたに不幸になって欲しくないのよ……あたしの経験から言わせて貰えばね。年齢だろうが性格だろうが、あまりに違いすぎる相手だと後で苦しむのよ。あたしみたいにね」
「…………」
「そうなったら、結局苦しむのは、あの子なのよ。だから変なこと言うみたいだけどね、これが母親の気持ちってものね」
「…………」
そして亘の母親は黙々と草抜きをしだす。草を追いながら少しずつ遠ざかっていく姿を見ながら七海は考え込んでしまった。
だが、えいやと立ち上がると横に並んで草抜きを開始する。
二本三本と素早く草を抜き取り、土を払ってプラスチックのバケツへと放り込む。根からしっかり抜き取り、緑色した侵略者たちを撃退していく。
「それでも私は好きなんです。それにですね、仮に万一そうなったとして、それは自分たちの選択なんです」
「でもねえ……」
「大人の人はいつだってそうです。自分の失敗を子供に経験させまいとします。でも、同じことになるなんて分らないじゃないですか。それに成功も失敗も全部大切な人生なんです。これは私の、私たちの人生なんです」
亘の母親は虚をつかれ振り向いた。そこには未来を見つめた輝く笑顔がある。年老いて過去ばかりをみる者とは全く違う。
ふいに気付く。大人がすべきことは子供に道を示すことではなく、傍で見守り失敗後の被害を最小限にしてやるべきなのだろう。子供離れができなかっただけなのか。だから先回りして自分のコントロール下に置こうとしていたのか。
深々と息をつく。それは親子でそっくりな仕草だ。
「ごめんなさいねえ、変なこと言ってしまって。それにありがとうね、あの子を好きになってくれて。本当にありがとうね」
「あのう、良かったら教えて下さい。亘さんのこと、色々と」
家の敷地は広く、草は日々抜いても絶えることなく生え続ける。普段は一人で暮らしで、こうして誰かと――長い付き合いになりそうな相手と――和気藹々喋りながら草を抜くことは久しぶりで、嬉しくなってしまう。
自分の知り得ない時代の純真な亘少年の話に、七海はクスクス声をあげ笑った。なにせ、母親という存在は子供の失敗談を事のほか良く覚えており、しかもそれを何の悪意すらなく話してしまうのだ。
「亘さんって、結構ドジなんですね。それに、思っていたより面倒臭がりなんですか」
「そうなのよ。でも、あの子のアパート行ったら凄く片付いてたんでびっくりしたわよ。そうそう、あれも七海さんのお陰ね。ありがとうね」
「いえ、あれはその……」
実際には世話焼きピクシーな神楽の指導によるものだ。しかし、神楽の存在は説明できない。心中でごめんねと手を合わせるしかなかった。
「さてと。はあ、どっこいしょ」
亘の母親が立ち上がり、ずっと曲げていた腰をトントンしだした。七海は軽やかに立ち上がるが、こちらは軽く伸びをするだけだ。それが年齢の違いってものだろう。
「あらまあ、思ったより時間が経ってるわね。それじゃあ、使って悪いのだけどね。あの子たちに飲み物を持っていってくれるかしら。冷蔵庫にペットボトルの飲み物が……確か水だったわね。まあいいでしょう、それを持っていって頂戴な」
「分かりました、ちょっと行ってきます」
「玄関の自転車使っていいから。それで七海さんも一緒に飲んできなさいな」
「はーい」
明るい声で返事をした七海が家の中へと小走りで入っていく。まるで娘のようで、亘の母親は嬉しそうに目を細めた。
少々年代物の自転車が田舎道を軽やかに進んでいく。前カゴにはペットボトルが三本入っている。ペダルを漕ぐ少女の髪は風に流れ、降り注ぐ日射し中でも涼やかだ。
山羊のいる家で右に曲がり、真っ直ぐ進んでお地蔵様で左。あとは真っ直ぐ進んで三本杉を目指す。
そんな凄くローカルな説明のとおりに、進んでいく。途中、サイクリング中の親子と挨拶をしてすれ違う。
腰をあげ立ちこぎする姿は加速する様子そのままに、未来への希望に満ちていた。
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