閑32話 そんな日に一文字ヒヨ

「イズモから、資料要請が来ております」

 部下の言葉に、室長席に座る女性が素っ頓狂な声をあげた。

「ふぇぇっ!? 西域の守護から? なんで!? どうして?」

「知りませんがな。それよかメールを印刷しますんで、ご自分で確認して下さいよ」

 部下はそれだけ告げ、パソコン作業を再開してしまった。

 アマテラス総本宮の社務所の一角にある事務室。そんな伝統ある場所でも、書類仕事に精を出す光景は普通の会社と大差ない。

 打ち放しコンクリートの壁にはカレンダーが張られ、予定表ボードにはマグネットシールの名前が並ぶ。古びたスチールデスクが島状に固められているが、それぞれにパソコンが置かれ紙束の山が鎮座している。

 静かな室内にはカタカタとキーを打つ音が響いていたが、ややあって部屋の端でプリンターの作動音が響きだした。

 黙々と仕事を続ける事務員たちの間を抜け、小柄で華奢な背格好の事務服姿の女性がちょこまかした足取りで、部屋の端にある業務用プリンターへと向かう。

「ふむふむ……ああっ、また五条亘の関連ですか。はぁ……どこから嗅ぎ付けてきたのかしら」

 文面に目を通し、さめざめと泣きそうな顔でため息をつくのは、アマテラスにその者ありと謳われる名を継いだ一文字ヒヨだ。この事務室の室長であり、可愛らしい童顔で子供っぽく見えても、二十代で四捨五入されると不機嫌になる年齢であった。

 コピー機にもたれかかり、排熱で手を暖めている。そうした仕草が子供っぽさを助長していた。

 近くの席に座る部下が訳知り顔で頷いてみせた。

「ああ、それですか。噂によると、桜の姫神があちこちの御柱に自慢しているそうです。自分とこの人間が凄いって、それが原因でしょう」

「ううっ、余計なことを……近所のおばちゃんみたいなことしないで欲しいですよ。はうっ、何か悪寒が!」

 慌てて呪い避けの呪いを行う。それは簡単な仕草ではあったが、普通の術者であれば何十年と修行せねばならない術でもあった。それを目の前で何気なく行使され、部下は可愛らしい上司をこっそり賞賛と憧れの目で見やる。

 そんな様子も気付かず、ヒヨは口をへの字にした。

「まったくもう。桜の姫神ときたら、気軽に人を呪うんですから。酷いですよ……ああ、それよりイズモの件でした。どうしましょう……」

「別に情報を渡すぐらい問題ないのでは?」

「五条亘の扱いはですね、アマテラス内でもまだ決まってないんですよ。そこにイズモが絡んだら厄介なんですよ」

 おのれっとヒヨは拳を握りしめ虚空を睨む。もちろん怒りの矛先は五条亘だ。すぐにがっくり項垂れ、さめざめと泣きそうな顔に戻ってしまう。

 ころころと変化する表情を部下たちが愛でていると気付きもしない。

「でもイズモと、うちは微妙な関係ですもの。無下に断っても、それはそれで面倒事。つまり政治ってやつです、政治。こうなったら私が取るべきことは……雲林院様にメールを転送しましょう」

 十数人いる事務員たちは全員が顔をあげ、上司がそのまた上司に仕事をぶん投げると決めたことに呆れている。

「それって、大丈夫です?」

「いいの、いいのよ。だって部下の手に負えない仕事をするのが、上司の役割ってものなんですよ」

「確かに正論ですな。では、私どもの手に負えない仕事はピヨ様にお願いしましょう」

「そんな無理無理!」

 ヒヨは大慌てとなり、しかし部下たちのニヤニヤした顔でからかわれていると気付いて頬を膨らませて拗ねてしまう。

「もうっ! とにかくです。この件は雲林院様にお任せなんです」

「了解です。それではメールを転送しておきましょう」

「一件落着ね」

 大きく頷くヒヨだが、すぐに顔を暗くさせる。

 前から忙しいのは確かだった。しかし、最近はそれに輪をかけて忙しいのだ。何があるかと言えば、例えば五条亘の近況調査、五条亘の後始末、五条亘に関する問い合わせ対応、五条亘について上層部への報告……つまり原因は一つということだ。

 まだ会ったことはないが、目を閉じれば姿が浮かぶぐらい毎日写真を見ている。最近は夢にまで出るぐらいだ。でも、伝聞や情報だけでしか知らない。

 会ってみたいような、そうでないような。なんにせよ、仕事を増やしてくれる極悪人なのは間違いない。

 と、またしても部下から報告の声があがる。

「ピヨ様、宮内庁からメールが入ってますけど」

「だから私はヒヨなの、って宮内庁から……それ、雲林院様に転送で」

「内容は確認されないので?」

「見たくないもの。嫌、そんなメールなんて絶対に見たくないもの」

 駄々っ子のような主張にヒヨに部下たちは困り顔だ。しかし、次の瞬間さっと表情を引き締め、真面目に仕事をしだす。なぜなら、ヒヨの背後に作務衣姿の男が現れたからだった。

「そんなメールなんて雲林院様にお任せですよ」

「お任せかね」

「そうそう、お任せ……ふぇっ、雲林院様!」

「そんなに驚かなくてもいいではないか。で、宮内庁のメールねえ、内容は?」

 雲林院と呼ばれた壮年の男が問うと、すぐさま印刷されたコピー用紙が届けられた。自分に対する態度との違いに、ヒヨは部下たちを睨む。けれど誰からも気にされてなかったりする。

「ふむふむ、なるほどね」

「なんですか、面倒な内容はもう嫌ですよ。もうメールは雲林院様に転送しちゃったんですから」

「いえまだです」

 部下の指摘にヒヨはむくれた。そんな様子を軽く一瞥し、苦笑しながら雲林院はメールに目を通していった。何度か頷いている。

「なるほど。やんごとない方が五条亘の話を聞きたいそうだ。これは困ったな」

「また五条亘! 私の仕事を増やす諸悪の根源!」

 ヒヨは両手を握りしめ、ぐぬぬっと呻り声をあげている。周囲の呆れ顔など気付きもしない。おの横で雲林院がニヤリと人の悪い顔をする。

「そんなピヨ君に、やんごとない方への説明をお願いするか」

「ええええっ! 嫌ですよ、あんな堅苦しい場所なんてもう行きたくありませんよ。出てくるお茶菓子は、それはもう最高ですけど。でも奥まで行くのに面倒な手続きが何回必要か知ってます?」

「知ってる」

「だったら雲林院様が行って下さいよ!」

「嫌だ」

 ピヨと呼ばれたことを指摘することも忘れ、ヒヨは大きな声を張り上げる。しかし雲林院はシレッとした顔であしらうのみだ。

「私は指定された日に用事があるからね、替わってはあげることは出来やしない。それとも、他の役員方に頭を下げて頼んでみるかい?」

「それ、もっと嫌です。どうせ、『一文字たる者はかくあるべし』って、長話でお説教されて、それで嫌みを言われるだけですから」

「そうなると、ピヨ君が行くしかない。よし、決定」

「ううっ、お腹痛い……」

 このところの緊張とストレスで胃がきりきりするのだ。

 さめざめと涙する様子は憐れなもので、部下たちも気遣わしげだ。雲林院は飴と鞭を使い分け優しく声をかける。

「ほら元気だすといい。服とか必要なものがあれば、経費で落としてあげるから」

「ふぇっ、それ本当ですか!? どんな服でもいいですか!? ついでにコスメとか、あとあとエステとか! お菓子とか!」

「お、おう。好きになさい。ほら、後はやっておくから。買い物があるなら、今から準備するといい」

 経費で落ちそうにないものも含まれていたが、ヒヨの勢いに気圧された雲林院はつい承諾してしまった。

「ありがとうございます。じゃあ高いの買ってきまーす」

 その言葉に、ヒヨはスキップしそうな足取りで廊下に向かう。扉の前でくるりとターンすると、皆に行儀良くお辞儀をする。それを事務室の全員がほんわかしながら見送った。

 なお、後で領収書を見た雲林院は予想を遙かに超える額に目を剥くことになる。


「ところで雲林院様。宮内庁からのメールには、日の指定はありませぬが……」

「そうだな。ある政治屋が一文字を名指しで呼びつけてきた」

「それは、いったい?」

「キセノン社に対し尻尾を振りたい連中だ。我が組織に対し圧力と吊し上げを行い、点数稼ぎでもする気なのだろう。バカげたことだ」

「一文字を継いだヒヨ様を与しやすいとみたわけですね。くそっ! ヒヨ様をなめやがって」

 もうそこには、ヒヨがいた時のような和やかさは欠片もない。事務室内で部下たちが次々と怒りの声をあげていた。殺気立ってさえいる。

 なにせいずれも次男次女など、本来なら跡取りのスペアか使い潰しにされる運命だった者たちばかりだ。引き立ててくれたヒヨに対する忠誠心は極めて高い。

「通常であれば断ることも面倒だ。しかし、そんな日に一文字ヒヨはやんごとない方に呼びだされたならどうだ。別の役員が代理出席したとして、連中も文句は言えまい」

「雲林院様……」

 喜ばしげに見つめられ、雲林院は柄にもなく照れた様子となった。さりげなく視線を逸らし、腕組みなどしてみせる。

「まあそういうことだ。皆もよろしく頼むぞ。まあ、言う必要もないだろうが」

 はいっと力強い返事が一斉に返ってきた。

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