第十八章

第269話 惚れたが負けという

 その日、わたるは午前中のパトロールで、目についた悪魔を片付け避難所に戻った。運転してくれた防衛官に礼を言って車を降り、敷地内を歩きだすと幾つものテントが並ぶ光景を見やる。

 そこには、少しだけ感心した様子があった。

 以前はテントが並ぶだけであったものが、資材や廃材を使った建築物が登場しだし簡単なバリケードまでがでつくられ、空いた場所で耕作まで始められつつある。

 このところ避難所も少し様変わりしつつあるのだ。

 有志による見廻組が結成され、棒の先に尖った金属をつけ極めて簡易な槍を持ち独自に治安維持と防衛体制を固めるなど、本当の意味で自治が生まれだしている。もちろんそれは行政側の指導もあるが、自然と発生したものだ。

 特に最近避難してきた集団が檄を飛ばし率先して行動したため、それに多くの人が感化された結果と聞いている。

「うん?」

 歩きつつ亘はふと隣に目をやった。

 そこに”人”の姿はない……が、しかし浮遊する小さな姿はある。白い小袖に紅いスカートで元気良さそうな、そして上機嫌な女の子だ。自分に向けられた視線に気付くなり、嬉しげな顔をさらに輝かせてくる。

「どしたのさ?」

「いや、いま魔法を使っただろ。どうしたのかと思ってな」

 つい今しがた神楽が回復魔法を使い、しかしそれは自分に対してではない。そうなると誰に対し使ったのかと気になったのだ。ただし、急にクシャミをした相手を気にする程度の何気なさでしかないのだが。

 なお、通常の従魔は指示なく勝手に魔法を使わないようだが、神楽は気の向くまま勝手に使う。なお、以前にそれに気付いた法成寺ほうじょうじは呆然とし、一文字ヒヨは青ざめていたので、きっと珍しいことなのだろう。

「んーんっ、別に何でもないんだよ。ほらさ、あそこの子。ちょっと怪我してたっぽいから治してあげたの」

 防衛隊の敷地境を示すフェンス向こうの避難所側。

 そこでは小学生ぐらいの子供が戸惑い、そして恐る恐る包帯の巻かれた自分の足に触り、次いでそれを凄い勢いで取り去って笑いながら跳びはねている。

「そうか良い事をしたな」

「とーぜんなのさ」

 神楽は得意そうに胸を張りつつ、さり気なく目の前に漂ってくる。つまりそれは存在のアピールで、褒めて欲しいと主張しているのだった。

「よしよし、神楽は偉いなぁ」

 亘が人差し指で手荒にガシガシ撫でれば、神楽はアウアウ言いながら頭をガクガク上下させることになるのだが、そんな扱いを甘んじて――むしろ喜んで――受け入れている。

 明らかに人ではない悪魔と分かる小さな姿が衆目に触れているものの、それを驚愕する人はかなり減っていた。

 物珍しそうに見る人はまだ多いが、そこには興味や好感が多く、羨ましそうな視線すらある。

 少し前に張り出されたポスターや、あちこちで悪魔を使った救助活動を積極的に行っているため、このところ悪魔は敵ばかりでなく味方もいると認知が急速に高まっているのだ。

 とはいえ、悪魔が受け入れられつつある一番の理由は、元からして人々に悪魔を受け入れる素養があったからだった。

 この地に住まう者は古来から悪神さえ信仰し味方にし、神も仏もごっちゃにしながらそれを身近な存在とし、あらゆる宗教や思想を独自解釈して受け入れてきた。

 昔話で妖怪変化は身近であり、そこには恐ろしい話ばかりでなく滑稽なものや泣かせる話もある。あげく近年はポップカルチャーに妖怪や悪魔を取り入れ、仲間や仲魔として頼りになる存在として落とし込んできたのだ。

 そうやって醸成された何とはなしに悪魔を受け入れる素養に、味方の悪魔が登場すれば、あっさり受け入れられて当然だった。

「でも回復魔法は気付かれないようにやってくれよ。目立つと厄介だ」

「むぅっ、ボクだって気を付けてるもん」

「そりゃ失礼」

「分かればよろしい」

 小銃を所持し哨戒中の防衛隊がやって来た。

 避難所周辺を哨戒しており、歩調を合わせ整然として巡回をしている。対悪魔という名目で行っているが、しかし実際には治安維持と民心安定の側面が強い。

 この地点まで悪魔が来る前に幾つかの防衛ラインがあり、さらに戦闘班も展開して警戒している。それを突破してくる悪魔であれば、もう小銃では時間稼ぎ程度のことだろう。

 哨戒中の一団は亘に気付いた。あげく、音の出るような敬礼をしてみせる。

「あっ、どうも……」

 亘は困って愛想笑いを浮かべ、そそくさと早足ですれ違った。

 敬礼されるような人間ではないし、ぶらぶら歩いている事が後ろめたい。もちろん、つい今しがたまでパトロールに出て悪魔退治を行ってきた。だが、それはそれとして他の人が働く中でのんびりできない性分なのだ。

「参ったな……」

「なんでマスターはそんななのさ?」

 しかしそれは神楽には不満らしい。亘の耳を引っ張ってまで抗議する。

「もっと堂々とすればいいじゃないのさ」

「そういうの嫌なんだよ。昇進したとたん威張りだして上から目線になった同期とか見てきてるからな、そういうのって傍からみれば恥ずかしいだろ」

「そりゃさボクだってマスターが威張りん坊になったら嫌だよ。でもさ、ボクが言いたいのは堂々なのさ、威張るのとは違うの」

「堂々ね……」

 自身に自信がないだけに、なかなか難しいものがある。

 とはいえ、亘とてそろそろ堂々とせねばならないと自分でも思っている。なにせ七海の横に立つのであれば、それに相応しい人間であらねばならないと――向こうから疾走してくる姿に気付いた。

「そんな息せき切らせんでもいいのに……」

「マスターってば素直じゃないよね」

「うるさい」

 ぼやく亘をめがけ凄い勢いでやって来るのは、金色の髪に数房だけ黒の交じった少女だ。白のワンピース姿は可愛いが、獣耳と尻尾の存在を見れば悪魔の類だとひと目で判るだろう。走る姿もどこか獣めいた躍動感がある。

 一直線に走ってきたかと思うとジャンプ、頭から飛びついてきた。やっている事は可愛いが、コンクリートの壁すらぶち抜く体当たりだ。

 しかし亘はそれを真正面から受け止め、あげくに片手で雑に吊り下げた。

「どうしたどうした危ないだろ」

 傍目から見れば幼気いたいけな女の子にしか見えないサキを手荒に扱っているように見える。だが、そのサキは嬉しげに目を細め両手を差し出し甘えるような仕草だ。近くで車両を整備していた防衛官二人組が血涙を流しそうな形相をしていた。

 亘はサキを担ぎ直し歩きだすと、サキは肩にしがみつきワンピースのスカートから出た尻尾をバタバタさせた。

「ん、呼んでる」

「そうか。で、誰が?」

「人間」

「それだと分からんのだが……もしかして正中さんか」

「そっ!」

 分かってくれたとサキは目を大きくして大喜びだ。

 しかし、言った亘は当てずっぽうだ。わざわざサキを使って伝言を頼むような相手で、サキが名前を覚える価値を見いだしていない相手の中から順番にあげようとして、最初が当たっただけだった。

 知らぬが仏である。

 一方で神楽はふて腐れている。頬を膨らませ目付きは険しく、つまり嫉妬に駆られているらしい。

「なんで分かるのさ」

「以心伝心」

「……あのさ言っておくけどさ、ボクの方がマスターとの付き合いは長いんだからね。しかもさ、いつだってマスターはボクを頼りにしてくれるでしょ。だからボクがマスターの一番なんだからさ、ちゃんと分かってよね?」

「知らん」

 サキは平然と、べったりと張り付いてみせた。そのまま獣耳がクキクキと折れるようようにして何度も頭を擦り付け甘えてだす。完全に煽っている。

「こら、くすぐったいじゃないか」

「尻尾」

「はいはい、撫でればいいんだろ。ふむ、やっぱり毛並みがいいな」

「きゅうっ」

 襟巻きにしたら良さげだと思う亘の心も知らずサキは満足げだ。

 そして神楽は嫉妬に心を逆なでされてしまい、まなじりを吊り上げ下唇を噛んでいる。歩く亘の後を追いつつ周りを飛び回り、サキを引き剥がそうと試みるのだが、しかし尻尾の一撃で吹っ飛ばされた。

 神楽はくるくる回って茂みに頭を突っ込んでしまう。

「おい、なに遊んでるんだ?」

 あげく亘からは無慈悲な言葉。

 もはや神楽の心は複雑骨折でひび割れシクシク泣いている。

「マスターってば酷い……そんな言い方ってないじゃないのさ。いいもんいいもん……ボク、もういいもん!」

「もんもん騒ぐなよ」

「もんもんなんて言ってないもん!」

 神楽は拗ねた。

 拗ねた……が、しかしやっぱり亘の元に飛んでくる。

 サキと反対の肩に衝突するように降り立ちながら腰掛けると、そのままズリズリと横移動。そっぽを向きつつ、軽くもたれ掛かるようにしている。

 惚れたが負けという言葉があるが、この場合はまさにそれだ。

 どう言われようと扱われようと、結局は亘の周りに居るのが神楽なのである。まさに駄目男に引っかかった残念な女の子そのものだろう。

「ほらさ、正中さんが呼んでるでしょ! 早く行かなきゃダメじゃないのさ!」

 神楽はつんけんしながら、それでも指示している。

「ああ、そうだった」

「忘れてたの? ほんっと、マスターってばボクが居なきゃ駄目なんだからさ」

「そりゃまあ、そういうもんだろ。神楽がいないと始まらない」

「マスター……あっ、そうだった。つーんだっ!」

 神楽は嬉しそうに笑いかけ、しかし自分が拗ねている事を思い出し慌ててそっぽを向く。まだ怒って拗ねているのだが、何にせよ時間の問題でしかないのだ。

 そして亘は正中を探しNATSの本部に向かう。

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