第354話 俄然やる気が湧いてくる

 空はいかにも夕方といった赤らみ具合で、空に浮かぶ雲の影と合わせ、赤と黒の段駄羅縞の模様となっている。そんな空の景色が美しい。

 NATS本部の玄関口に一台の車両が、ややブレーキを急気味にして止まった。

「到着しました」

 運転席のヒヨが疲れた声で言った。

 最初は張り切って運転を申し出た時は、隣に亘が座るとばかり考えていたのだが、実際にはアマクニ様が当たり前のように座ってしまったのだ。慣れたとは言えど、ヒヨにとっては畏れ多い存在である。

 あげくに嬉しそうな様子で、速度を上げるよう命じられたり、もっと揺らすよう頼まれたりしたせいで、すっかり気疲れしてしまったのだ。後ろから亘がフォローしていなければ、どうなっていたか分からない。

「お疲れ様」

 そう労って亘は車高のある車から、ひょいっと着地するように降りる。そのまま一歩進みかけ、しかし気付いて戻って手を差し伸べた。同乗者に対する気遣いであった。

「ありがとうございます」

 七海は微笑みながら、手を借りて身軽に車から降りた。その軽やかな仕草を診ていると、亘は気持ちが暖かで幸せになってきた。それに気付いたのか、七海がもう一度微笑んでくれた。

 反対側から降りようとしていたエルムがドアを閉め直し、身を屈めて車内を移動してくる。よっ、と声をあげ窓の上にあるアシストグリップを掴んで身を乗り出した。明るく陽気そうな顔が、いつもに増して楽しそうだ。

「そういう気遣いができるんは、とーってもポイント高いって、うちは思うんな。おおっと、手と足と体が滑ってしまったわ。あーれー」

 賑やかしい声をあげると、エルムは一段高いドアから両手を挙げ身を投げ出した。まるで落ちるような動きに亘は驚いて、あたふたしながら受け止める。だが首に手を回され耳に息を吹きかけられると、余計にあたふたしてしまった。

 悪戯に成功したエルムは笑いさざめくが、七海チョップを頭に貰って怒られて回収されていった。亘は安堵した様子で、出てもいない額の汗を拭う真似をして息を吐いた。


「やれやれ、ん?」

 車に目をやって心配顔になる。そこには顔色も悪く目付きも虚ろで、げっそりとしたイツキが緩慢な動きで出て来た。元から車に弱いのだが、ありがたくもアマクニ様の我が儘で、激しく車が運転された結果であった。

「辛そうだが大丈夫か? いや大丈夫じゃないな」

「ぎぼぢばるい」

「よしよし、こういう時は外の空気を吸えば楽になるからな。ほら、ゆっくりと降りるんだ。足元に気を付けてな」

「うーっ、もう駄目かもしんない」

「分かった。それなら降ろしてやるぞ」

 優しい手つきで両脇を支え持ち上げれば、体全体が柔らかく温かな感触だ。車外へと運びだして、軽く抱えブロック塀の上に座らせてやる。イツキは外の空気を吸って、ちょっぴり気分が良くなったのか、のろのろ顔をあげ微笑んでみせた。

「あんがと。あと雨竜くんもお願いだぜ」

「雨竜くんって、まさかの車酔いか? そうか竜も車酔いするのか」

 呆れた亘が車に戻ると、後部座席の奥の足元に突っ伏す雨竜くんの姿を見つけた。これが竜かと疑いたくなるぐらいの様子だ。声をかけると、だらんと伸びている尻尾の先が僅かに動いて反応する。それ以上動く気力はないらしい。

「やれやれ」

 尻尾を掴んでたぐり寄せ、くてっと力が抜けた首根っこを持って運ぶ。まるで生魚でも掴んだような、ぐんにゃりした感触だ。

 興味をひかれたアマクニ様が顔を向けた。

「おや、どうしたのかな」

「アマクニ様の我が儘のせいですよ。あんなに走らせるから」

「私は悪くない」

「いや、悪いでしょう」

 気軽に話しつつ、亘は雨竜くんもブロック塀の上に置いて寝かせてやっていると、不意に辺りに聞き慣れた声が響いた。振り向くと神楽とサキの姿があって、どちらも避けようのない位置にまですっ飛んで来ていた。

「おっ帰りぃーっ!」

 そんな声と同時に突っ込まれ、顔面と腹部に連続攻撃を受けた。サキは蝉のようにしがみついて頭をぐりぐり押し付けてくるが、神楽は亘の鼻先で元気な声をあげる。

「お帰りなさい。寂しかった? 寂しかったよね。でも、ボクが来たから大丈夫だよね。そうそう、お夕飯をボクがつくったの。もちろんマスターのお母さんと一緒にだよ。いっぱい味見したけど、とーっても美味しいからね。皆と一緒に食べようね。分かった? 分かったら返事ぐらいしたらどうなのさ」

「あのな――」

「うん、いいよ。別に感謝なんていいからさ。もちろんマスターが、ボクに感謝したくなる気持ちは分かるけど。そういうの気にしなくていいんだよ」

「全く気にしてないから、少し静かにしろ」

 言われた神楽は空中で地団駄を踏んだあげく、亘の鼻に噛みついて、ひと暴れ。ふて腐れてしまった。だが、頭に張り付いたまま離れようとはしない。

 サキはサキで体をよじ登って背中に回り、後ろからしがみついて肩に顎を載せたまま動かない。ちらりと見ると、目を細めまったり憩いきった顔をしていた。

 どっちも寂しかったらしい。もちろんそれは亘も同じだったが口には出さなかった。


「ふふふっ、なかなか賑やかしいものだね」

「うちの神楽が騒々しくてすいません」

「なに、構わないさ。こういうのも楽しく、そして羨ましい。さて、それではもう一つの用件を伝えるとしようか」

 アマクニ様は夕日を背景に振り向いた。その表情は残光の陰となって見えないが、何か厳かな雰囲気が漂っていた。

「遙か遠い昔の時代のこと。魔素は、いや君はDPと呼んでいたかな。それが世界に満たされていた」

「えっと?」

「今また、再び世界はDPに満たされた。しかし、それは均衡を取ったまま保たれている。本来であれば増えたり減ったりするのだから。つまり誰かが調整を取っているのだよ」

 どうやら飽和と思っていた状態は、単なる飽和ではなかったらしい。

「そうした目で眺めてみると魔素には、ああDPと言うのだった。そのDPの動きには、奇妙な動きが見える。君も見てみるといい」

 アマクニ様が軽く手を叩くと、景色の光景が一変した。

 辺りには光の粒子が漂い、亘は自分が強く濃い光に包まれていると分かった。七海やエルムやイツキは、もう少し薄い光だ。そしてアマクニ様は凝縮された光の塊であった。

「これは……?」

「魔素、ああDPだった。面倒だね」

「面倒なら言い直さなくても構いませんよ」

「それは助かる。魔素が見えるようにしたのさ。ほら、空を見てみなさい」

 言われて見上げると、赤い空に無数の細かな光跡が不規則に動いていた。美しいが恐ろしさのある光景だ。しばらく見つめていると、その光跡は全体として同一方向へゆったりと、押し流されるように動いていることに気付いた。

「ここは近いから分かるだろう。ほら、あちらだ」

 アマクニ様は腕をあげ、桜色をした爪の細い指を指し示した。荒れ果てた街並みの立ち並ぶ建物の影があり、さらに遠くの向こうに一つ突き出した建物に向けられている。

 蠢く光跡は渦巻きつつも、そこへと落ち込んで行っていた。

「あれはキセノンヒルズ……?」

 ぱっと見て分かるような距離でもなく、また地理にも明るくない亘ではあったが、状況と感覚と直感で、それがキセノンヒルズだと確信した。


「世界から魔素が無理矢理に引き出され、あそこから別界へと魔素が流されている。このまま放っておけば、この大八州おほやしまのみならず人界から魔素は消えてなくなるだろう。それは分かるかな」

「まあ、なんとなく」

 亘はアパートの風呂を想像しながら頷いた。

 満たされた湯船に湯が注がれ続け、一方で栓が抜けていれば、常に一定状態にあるように見える。しかし水道代は大変なことになってしまうし、ガス代だって大変だ。

 アマクニ様は世界を憂いながら頷いた。

「今すぐに何かが起きるわけではない。しかし放っておけば、大変な事になってしまう。もし君たちが解決出来ないのであれば、我々は我々の身を守る為に行動するだろう。しかし、そうなると大八州全域に被害が出てしまう。君は、それを是とするかな?」

「…………」

 亘は腕組みして考え込んだ。

 正直に言えば、どうでもいい。それは確かに多少は気になって、被害を受けた人たちを気の毒に思うかもしれない。だが世の中の大多数の人の考えと同じように、放っておけば誰かが解決してくれるという気持ちが強い。放っておけば、知らぬ間に誰かが解決してくれる事を期待して、態々行動を起こしたいという気は起きない。

「……あっ」

 そもそも何とかしてDPを換金可能にせねばいけないのだと思い出した。

 ついでに、光の柱のようになって落ち込んでいくDPを見て気付くが、あれを少しでも得られたとしたら、今回で大幅に消費したDPを補填できるだけでなく、もっと大量に得られるかもしれない。

 俄然やる気が湧いてくる。

「そうですね、これはいけませんね。ちょっと頑張ってみます」

「ああ、嬉しいね。あのやしろで泣いてた子が、こんなにも立派になっただなんて。本当に嬉しい。来て良かったよ、こんなにも素晴らしい君に会えて」

 アマクニ様は嬉しそうだ。神楽は気遣いが出来る子なので何も言わず、亘の頭の上で肩を竦めるに留めている。気付けば七海が横に来て、両手を後ろで組んで、軽く空を見上げ微笑んでいた。

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