第355話 つじつまが合えば問題ない
「眠いです」
七海は軽く目元を押さえ呟いた。
昨夜も女子会をしたとかで、エルムとイツキも同じく眠そうな顔をしていた。二日連続での半徹だが、その程度ですんでいるのは若いが故に違いない。それに比べヒヨは、目を開けているのも辛そうだった。
元気一杯で平気そうにしているのはアマクニ様だけだ。
「やれやれ情けないね」
何故だか今日は、袖の短い白シャツ一枚に黒のカーゴパンツで、腰元に上着を巻いている。曰く、ナウでヤングなトレンディとの事だが、実年齢から考えれば、数十年程度のズレは致し方ないのだろう。
亘が納得して頷いていると、じろっと睨まれた。
「君は何か失礼なことを考えているね」
「そんなことありません」
「返事が早いのが気に入らない」
軽くふて腐れたアマクニ様は、手を伸ばして亘の頬を摘まんだ。ふいっと身を寄せてくると、どこか桜のような爽やかで優しい香りを感じる。間近かに迫った目が、少しも瞬かず見つめてくるので、亘は戸惑った。
「えっと……何か?」
「ああ、すまない。なかなか楽しいのでね」
言って身を離すと、アマクニ様は口元を押さえながら笑った。先程までのふて腐れ気味はどこへやら、それは慎ましく穏やかで上品な仕草だ。
「君たちと一緒にいて、賑やかにするのも良いけれど、あんまり長居もよくない」
「別に遠慮なんてしなくてもいいですけど」
「居候している連中が、好き勝手やりそうだからね」
「それは困りますね」
「全く困ったものだよ。まっ、家の護りは任せておきなさい。君がいつ帰って来ても良いようにしておこう。だから待っているよ。いつでも帰っておいで」
嬉しい言葉に亘は頷いた。
帰れる場所があるのは、そして待っていてくれる人がいるのは、とても嬉しいことだ。誰も居ない暗い部屋に帰るといった、一人暮らしが長かっただけに、そのありがたみを心から感じている。
「お待たせ、お待たせ。遅れてごめんなさいね、ちょっと話し込んじゃったわ」
目を向けると、母親が小走りでやって来た。その肩には神楽がのって声をあげ急かし、手を引っぱり先導しているのはサキだ。
やっぱりな、と亘は苦笑した。
この母は昔から出かける直前になると、いろんなことに気を回し思いつき、急に追加で探したり準備をするので、予定時間のぎりぎりか少し遅れるぐらいに出てくる。
「問題ないよ。少し時間を早めに伝えてあったから」
「あらまっ、そうなの? なんで、そんな嘘みたいな事をするのよ。それだったら食堂の皆さんに、お礼の一つも言っておいたのに」
「はいはい、代わりに言っておくよ」
「ちゃんと言えるかしらね。いいこと? うちの母親がお世話になりましたと言っておりました、と言って頭を下げておくのよ。それから――」
「分かったってば、いいから出発の時間になる。こっちは何年社会人生活やってると思ってるわけかな。それぐらいは、ちゃんと言えるって」
親にとって子は、いつまで経っても子供のままなのだろう。
以前ならそれに苛ついただろうが、今は子供扱いが嬉しかったりする。当たり前かもしれないが、世の中では大人扱いされるばかりで、誰もこんな甘やかすような事はしてくれないのだから。
何にせよ、母親も身内ばかりなので言っているのだろう。周りではアマクニ様や他の気心知れた仲間たちが、ほんわか微笑ましそうにしていた。
「ほら、ぼちぼち時間になるし。行く準備をした方がいい」
「追い払うみたいな扱いは酷いわねぇ」
「そんなつもりはないって」
母の背を押し車に向かわせる。ふと、胸をつかれた。ずっと大きな存在に思っていた母が、こんなにも小さな人――肉体的にではなく精神的な存在として――だったのかと感じたからだ。
とは言え、振り向いた母親は軽く叱るような顔で言い募る。
「とにかく、何でも頑張んなさいよ。あんたってば真面目なフリして、だらしないんだから。直ぐ楽な方に逃げて、言い訳しながら手を抜くでしょ」
まだまだ大きな人だ、と亘は苦笑し安堵した。
皆の前で叱られるのは困りものだが、とにかく心配で世話したくて注意したくなるのだろう。そんな親の気持ちも分からんでもない。逆に考えてみれば、むしろ人前で変に褒められ、過保護な親バカ発言されるよりは百万倍マシだ。
「あんたには、しっかりした子が側にいないと駄目なのよ。だから皆さん、見捨てないでやって下さいね。よろしく頼みますから」
七海とエルム、イツキとヒヨにと何度も頭を下げてみせる母の姿が恥ずかしすぎる。流石にそれは困りもので、亘は片眉をあげた。
「大丈ー夫、ボクにお任せなのさ。ボクがしっかり側で見張っちゃうからさ。マスターを真面目に頑張れる感じにって、頼まれちゃってるからさ」
神楽が両手を腰に当て小さいが小さくもない胸を張るため、亘は鼻で笑った。
「一番不安なのに言われてもな」
「ちょっと何さそれ。ボクしっかりしてるもん」
「朝は寝こけて起きられない。言い訳しながらつまみ食いして、お菓子は我慢できないで食べ尽くす。夜は一人だと寝れないとか言いながらぐーすか寝てるし」
「ぐーすかなんて寝てないもん」
「夜中につつくと面白いぞ。寝言でぴゃあぴゃあ言いながら、しがみついてくる」
「むきゃー!」
怒った神楽に乱打され、亘は声には出さず大いに笑った。だが、その背中に母の一撃が叩き込まれた途端に震え上がっている。
「神楽ちゃんに失礼なことを言いなさんな。こんなにも、あんたのこと心配して想ってくれてるってのに。それに言ってはなんだけど、あんたの小さい頃にそっくりよ」
「そんなことは……」
「あるわよ」
母の断言は全てに勝る。
お陰で神楽は大いばりで、亘が右を向けば右に左を向けば左に、目の前で腕を組んで大きく何度も頷いている。今はどうすることもできず、覚えていろと小さく呟くだけだ。
「あんたの良いところは、人に気を使えるところなんだから。そこは大事になさい」
「……時間だ。運転の人も準備万端みたいで、エンジンも暖まってる。それにほら、見送りの人も来た」
向こうからぞろぞろと人を連れ、正中と数人が来ていた。その他で顔が分かるのはアマテラスの雲林院だけで、後は全く分からない。向こうにお付きらしい面々が待機しているので、偉い人たちである事は間違いなかった。
だが、見送りの人々は一定以上は近づかない。
遠慮しているというよりは、儀礼上やって来たといった感じだ。一様にして恐れを顔に浮かべているため、余計な事はしないよう肝に銘じているらしい。
アマクニ様がいるので仕方ないと思った亘だが、その半分とは言わないでも、理由の結構な部分が自分だとは夢にも思っていない。あの式典の惨事が広く噂され、式典クラッシャーやクラッシャー五条などと一部で恐れられているのだ。
「まあまあ、皆さんお忙しいのに申し訳ありませんね。それでは、お邪魔してはなんですから。急いで行くとしましょうか、失礼致しますわ」
言いながら母親が何度も頭を下げれば、それに合わせ見送りの人々も下げる。滑稽さすらある光景だが、この人物相手に失礼は出来ないと皆が思っているのは間違いなかった。 そしてアマクニ様は見送りに来た者たちを一顧だにせず、すたすた車に乗り込んだ。ふと気付くが、あれだけ助手席ではしゃいでいたのに、今は後部座席に座っている。その理由を考えていると、母に腕を叩かれた。
「一段落ついたら帰っといで。あんたの好きなジャガイモの煮っ転がし、たーんと準備しておくから。分かった?」
「分かったよ」
ドアを閉めてやると窓が開き、そこから顔を出した母親が手を振ってくれる。亘は手を挙げかけ、しかし流石に振るのは気恥ずかしくなって、中途半端なまま手を挙げるにとどめた。
なお、助手席からオオムカデ君の姿があって運転者の困ったような顔が見えていた。
そして車は心なしかゆっくり、遠ざかっていった。
「さて、今日は何をするかな」
「確かだけどさ、マスターってば頑張って世の中なんとかするって言ってたよね。本当は何が目的だか分かんないけどさ」
「世の中ってのはな、結果でつじつまが合えば問題ないんだよ」
「あーそー」
心底呆れた神楽だったが、それ以上の追求をしない優しさと気遣いがあった。そんな神楽を頭に載せ、歩きだした亘の周りに仲間が集まってくる。周りは姦しく賑やかで、心の中に少しあった寂しさは、それに掻き消されてしまう。
サキは名残惜しげに車を眺めて見送っていたが、しばらく眺めた後で振り向き、小走りして亘の背中に飛びつきしがみついた。
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