第290話 主を見つけた侍の目

 ダム天端てんばから下流を見やれば高所からの絶景が広がり、上流を見やれば湖と山の風光明媚な景色が広がる。こうして異なる景色を交互に見られる点がダムの醍醐味というものだ。

「きついっす……」

「つかれた……」

 チャラ夫とイツキはぐったりと座り込んでいる。ペース配分も考えず階段を疾走するというバカな事をした報いというものだ。一緒に競争したサキだけが無邪気に走りまわっている。

「さて竜退治をするが、流石にここはマズいから移動するか」

「そっすよね、下手したらダムから墜落っすもんね」

「いやダムが傷つくからだ」

「兄貴ってば、ダム好きなんすね」

「勘違いするな。ダムは嫌いだ」

 不機嫌そうに言いながら亘は歩きだした。疲れ切ったチャラ夫とイツキがのろのろ続くが、防衛隊の隊員二名も似たような状態だ。

 歩きながら、かなり下にある水面を見やる。

 そこには様々なゴミが浮いている。大半は流木や枝葉の塵芥などだが、そこに細かな発泡スチロールやボールなどのゴミも浮いていた。

「おかしいな、大型ゴミが少ない」

「大型?」

「不法投棄のタイヤとか冷蔵庫とかな、仏壇とかマットレスが浮いてるのが普通なんだ。それにしては妙に大型ゴミがないだろ」

「ここの竜が片付けたんじゃないっすか?」

「そんな事をする竜がいるとは思えないがな」

 右岸の袖まで来て亘は鋭い目でダム湖を見渡した。するとダム湖に浮かぶ流木に混じって蠢く、何か黒く長いものに気づいた。

「ふむ……」

 山裾にあった大きめの石を運んでくると、それを両手で持ち上げ思い切り投げつける。

 只人の投げたものではなく、悪魔を素手で倒せる力で投げられた石だ。まるで砲弾のように飛翔し水面に激突。

 白い水飛沫が激しく立ち上る。

 同時に水中から竜が跳びだした。

 格好良く飛翔ではなく、まるで寝ていた猫が驚いて跳び上がるような慌てぶりだ。落下すると水面でバタバタもがいて狼狽えるが、どう見ても溺れているような感じであった。

「…………」

 亘はその姿を無言で見つめた。

 チャラ夫も無言で見つめた。

 イツキも無言で見つめた。

 サキはカメムシを見つけた。

 しばらくして落ち着きを取り戻した竜は辺りを見回し、犯人とおぼしき人間を岸辺に見つけ……カクンと顎を落とした。

 その口を半開きにした間抜けな顔で目を何度も瞬かせ固まっている。

 亘も顎に手をやり考え込む。

「なんだか見覚えのあると思ったら雨竜くんか。久しぶり」

 何気に行った亘に防衛隊員は驚愕の面持ちだ。確かに普通は竜に知り合いなど居ないのだから当然だ。

 しかし竜は首を左右に振った。

 まるで必死に否定しているかのようだ。

「竜違いだったか。知り合いでないなら――倒してしまっていいな」

 とたんに竜はガタガタ震え水面を波立たせた。


 海や湖には先住竜が存在し縄張りを持つため、適度な水場が欲しければ争うしかない。だが、とある人間に酷い目に遭わされた雨竜は戦う事の虚しさを知って各地を放浪。そして、ついに先住竜の居ない穴場の水場を見つけたのだ。

 普通の竜にとって人間のこしらえた水場など恥ずかしくて住めないが、雨竜は大喜びであった。のびのびひろびろ大自然のなかに癒やされ、辛い目に遭った過去を忘れ、この新天地で心機一転清々しく過ごしていたところに――諸悪の根源が現れたのだ。

 誰だって怯える、間違いない。


「そっすか? 俺っちにゃ、あの雨竜くんだって思うんすけど。ほら、頷いてるじゃないっすか」

「さっきは違うと否定していたじゃないか」

「きっと、照れ屋さんなんすよ」

「まあどっちでも構わんよな。と言うか、知り合いじゃない方が好都合だろ。ここに居る竜を倒せって依頼なんだからな」

 亘は平然と言った。

 その隣でイツキは天端の手摺りに組んだ腕を載せ眺めやる。

「やっぱ倒すのか? 倒すの可愛そうって俺は思うぞ」

「安全のためには、そうもいかんだろ。ほら、あの獰猛な目を見てみろ」

「どう見ても怯えてるぞ」

「牙まで打ち鳴らして威嚇している」

「震えてるだけじゃないのか?」

「こちらの隙を窺って動いてるようだな」

「逃げる隙を探してるだけだぜ」

 ざざざっ、と波をたてゆっくり後退した雨竜はダムの堤体に激突。そこに張り付き、イヤイヤする子供のように頭を振っている。現実に現れた悪夢を認めたくないらしい。

 その有り様はあまりにも気の毒で哀れであり、竜退治に死の覚悟すらしていた隊員たちが銃口を降ろしてしまうほどだ。

「で、どーするっすか?」

「知り合いじゃないって自分で否定したんだ。倒すしかないだろ」

 亘は不機嫌そうに言った。顔見知りの相手に挨拶をしたところ、知らんぷりをされたトラウマを思いだしているのだ。

 その足下では迂闊にカメムシに触ったサキがシクシク泣いている。


 雨竜は堤体沿いにそろそろと動き、鋼製ゲートに手をついた。銅鑼でも叩いたように、ゴーンと鈍い金属音が響くと亘のまなじりがつり上がった。

「そこ気を付ける! 戸当り部の水密確認とかな、その辺りの点検もかなり大変なんだ。そのゲートは戦艦を造る技術があったから可能だっただけで、現代の技術だと再現困難なんだ」

 怒られた雨竜は震えあがり、どこも壊れてないと主張したげに短い前足でゲートをなでなでした。そろそろ防衛隊員たちの眼差しは非難のものへと変わり、しかもそれは亘へと向けられつつある。

 全てを横目で見ながらチャラ夫は呆れた。

「やっぱりダムが好きなんっすね」

「うるさい。点検費用が一千万もするから注意しただけだ」

「あーそーなんすねー」

 亘は堤体の上を歩いて雨竜の居る辺りへと近づいていく。倒すか倒さないかの考えは、倒す方向に傾いている。ついには服を濡らさぬように倒すにはどうすべきか、そんな事まで考えだした。

 そんな殺気を敏感に感じ取った雨竜は震えあがり、もう逃げる事も諦め絶望し身動きも出来ず固まっている。

 だが――。

「こいつ可愛いんだぞ。だから助けてやってくれよ」

「可愛い? これがか?」

「俺のために悪魔用意してくれるって言ってただろ。こいつがいい」

「それは良く考えた方が……」

 悩む亘にチャラ夫が笑った。

「イツキちゃんが良いって言ってるんで、良いんじゃないっすか?」

「どうせなら最高の悪魔をプレゼントしてやりたいんだ」

「兄貴って、そういうとこ拘るっすよね。でも俺っちに言わせればプレゼントってのは、受け取る側の事を考えるのが大事なんすよ。相手を思う心こそがプレゼントなんすよ」

「そ、そうなのか」

 チャラ夫の意見は参考になる。なぜならば――腹立たしい事に――深い仲の恋人がいるのだから。少なくとも、そうした経験のない亘の考えなどより遙かに正しいのである。

 イツキは目を輝かせダム天端の手すりから身を乗り出し、手を振っている。


「仕方がない。それなら上手い事やって従魔に――」

 その時であった、サキがダムの上から雨竜に飛び掛かったのは。

 驚きに目を見開いた愛嬌ある雨竜の眉間に手刀を叩き込んでいる。ずぶずぶと腕が潜り込んでいき、中をグチャグチャと掻き回す。白眼を剥いた雨竜は舌を出し痙攣しながら声にならない声を短くあげている。

 ついでに亘も気持ち悪さに襲われ蹌踉めいた。これは経験がある気持ち悪さで、案の定と言うべきか戻ってきたサキは得意そうに宣言する。

「んっ、繋げた」

 ダム湖の雨竜はコンクリートの堤体に手をつき、吐くような素振りをみせていた。それはまるで、夜の駅周辺にいるオッサンのような素振りだ。

「いきなり勝手な事をするなよ」

「んっ、違ったか?」

「まあいいけどな……スマホにデータが出ているな」

 画面をタップし帰還を命じる。

 これが神楽やサキであれば――無視するのか効果がないのか――戻らないのだが、雨竜は驚きの顔のまま光の粒となってスマホの中へと吸い込まれた。もう完全に亘の従魔となっているらしい。

 そして改めて呼び出してみると、ダム天端の上に現れた姿は随分と小さくなっていた。ちょっとした大型犬程度のサイズでしかない。

「なんでだ?」

「あれっすよ、あれ。味方になると弱体化するキャラなんすよ」

「ふむ……削除するか?」

 亘に見つめられ、雨竜はガタガタ震えつぶらな瞳で訴えかけている。

「小父さん、そんな酷い事を言うなよ。こいつ俺が面倒みる、だから消したりとかしたら駄目だからな」

 雨竜は、まるで神様を見るような目でイツキを見つめた。

「やっぱり止めた方がいいと思うが」

 雨竜は、まるで悪魔を見るような目で亘を見つめた。

「こいつじゃなきゃ嫌だ!」

 雨竜は、忠義をつくすべき主を見つけた侍の目になった。

「分かった、ちゃんと面倒見て世話するように」

「いよっしゃあ、だったら名前を決めないとな。えーと……」

「名前は雨竜くんだ、そこは譲れない」

「分かった、雨竜くんだな。んー、ん? なあ、くんの部分も名前なのか?」

「そうだな。しかし雨竜くんさんとは呼ばず、雨竜くんで呼ぶように」

「小父さんのこだわりは分かんないけど、分かったぜ!」

 イツキは大喜びで駆け寄ると、雨竜くんの頭を撫でてやっている。

「ところでなんすけど、ダムの竜を倒すって依頼はどうなるんすかね。これで倒したと言って大丈夫なんすか?」

「問題ない。ここに居る全員が倒したと証言すればいいんだ」

「それいいんすか?」

「逆に聞くけど何が問題なんだ。ダム湖に竜がいないのは事実だし、倒したかどうかは自己申告で確かめようがない。それとも、この雨竜くんを今から爆殺しろとでも言うのか?」

 怯える子犬のような目をした雨竜くんをイツキが背後にかばっている。防衛隊の隊員たちはあらぬ方を見やり、自分たちは何も見てないと言いたげだ。

「お前が納得すれば、誰一人不幸にならないな」

「了解っす。ああもう、竜退治はもう飽きたっす……」

 チャラ夫は肩を竦めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る