閑55話 アクセサリーへと転生している

「五条さんの留守を守るのが私たちの役目なのです」

 七海が可愛らしく手を握って、それにエルムが頷いた。

「うん、そうやんな」

「ですから五条さんを困らせないように行動して、五条さんが帰って来たときに安心できるように頑張らないといけません」

「まったくもって、その通りや」

 NATSの本部を出て、車で一時間程度。時刻は恐らく昼に近いぐらいだった。

 ビルが建ち並ぶオフィス街の、小さな公園にいる。この辺りは人の姿もなく悪魔の巣窟で、たびたび討伐が行われている。しかし悪魔の数は減らず、出現するタイプもコロコロ変わってしまう。

 だから対策が立て難く、相応の実力が求められる場所だった。

「そらそうとして……一番の戦力が沈んどるんが、大丈夫なんか?」

「ええっと、どうなんでしょう?」

「うちは、どー見てもアカンと思うんやけど」

 首を捻る仕草をしたエルムは七海の肩を見やった。

 そこには虚脱しきった様子の小さな姿がある。もちろんそれは神楽で、くの字になってうつ伏せ状態。半分ずり落ちて、七海の胸に引っかかっているだけだ。

 周りに反応も示さず動く様子もなく、物憂げな溜息を時折吐くだけである。

 アルルがそうっと近づき、線のような腕でツンツンッとするが無反応。それどころかエルムが差し出した菓子にすら興味を示さない。

「あかんて、これ重症や」

「五条さんと一緒に行けなかったからですよね」

「サキちゃんと交替なんやら? まあ我慢するしかないんやけどな。ほんでも、これはあかんやら。ナーナ、説得しなれや」

「私がですか」

「ナーナも会えん気持ちを抑えとるんやら。そのコツを教えたってや」

「なるほど」

 七海は頷くと自分の肩、もしくは胸の上で落ち込む小さな姿を見やった。

「よろしいですか、神楽ちゃん。確かに寂しいかもしれません。ですが、このまま何もせず再会すれば、再会の喜びには陰りが差すでしょう。それよりも胸を張って会いたいと思いませんか?」

「…………」

「それに五条さんは、こう言われました――頼むと」

「ぅ……」

 滔々と語る七海の声に神楽が僅かに反応をした。

「五条さんが信じてくれた気持ちを裏切るのですか? そして神楽ちゃんは、五条さんの何なのですか? ただ後を追うだけの子犬ですか? もし誇りを抱いて従う者であれば、何もしないという選択肢はないのではないでしょうか」

「ボクは、ボクはマスターの最初にして一番の従魔――そだね。そうだったよね」

 神楽はゆっくりと顔をあげていく。

 強く鋭い眼差しのまま、七海の胸の上に立ってみせる。

「そだよね、マスターの為に戦わなきゃだよね」

「さあ、ここに棲まう悪魔を倒しましょう。きっと五条さんは喜んでくれるはずですよ。よく頑張ったと、いっぱい褒めてくれるはずです」

 三歩下がったエルムの前で、七海と神楽は多数の悪魔が巣くうオフィス街を見やっている。そこには余人には近寄りがたい雰囲気が漂ってさえいた。

 怯えきったフレンディはエルムの背に張り付き、アルルはアクセサリーに成りきり存在を消していた。


◆◆◆


 上空で何度も光が閃き、尾を引く煙をあげつつ悪魔が落ちていく。さらには光の球が撒き散らされるように地上へ投げかけられ、無数の爆発と共に悪魔が舞い上がる。

「ほんっっっと、凄いんな」

「私たちも、負けないよう頑張りませんと」

「ほどほどにせんと」

 エルムは金属バットを肩に担ぎ、その肩を竦めた。それから自分の友人がDPで出来た小剣を手に近寄っていた悪魔を倒す様子を、呆れた様子で見つめた。

「まあ、うちも頑張らんと……むっ、そこ! 隠れても無駄やんな」

 エルムは金属バットで物陰を指し示した。

 不意を突こうとした悪魔を先に発見したのだ。ただしそれは、従魔のフレンディが教えてくれたおかげである。

 だが現れた姿に構えを解いた。

「なんや、五条はんやないか。こんなとこで、どうしたん?」

「どうした」

「そらこっちの台詞やって」

 物陰から現れた亘は和やかに笑い、軽く手を挙げながらやってくる。

「いきなり来るなんて驚いたわー」

「いきなり驚いたか」

「そうやんな。おっと、そやそや。ナーナを先にせんと後が恐い。おーい、ナーナ。ほら、見てみなれ五条はんが来てくれたんやで」

 エルムが後ろを振り向き友人を呼ぶと、もうとっくに七海は走って来ていた。勢い良く走って――そのまま剣を突きだした。

 その切っ先は、エルムの側まで来ていた亘の肩を深々と突き刺した。

「はあああっ!?」

「大丈夫でしたか」

「いやいや、あんた何やっとんのやって!」

 亘もまさか七海に襲われると思わなかったのだろう。哀れにも地面の上に倒れたまま、刺された肩を押さえ唸り声をあげている。

「ちょっ、神楽ちゃんを呼んで回復。いや、呼んだらあかん。こんなん見たら、どうなるか分からん――」

 神楽が全てにおいて最上に置く相手を傷つけたのだ。そうなれば、どうなるかなど想像に難くない。たとえ友人であったとしても許しはしないだろう。


「どしたのさ」

「わわっとぉ、これはつまり不幸な誤解による事故って事で勘弁したってーな」

「それ倒してないんだね」

 だがしかし、神楽は興味なさげに亘を見るばかりだ。

「神楽ちゃんまで!? ちょっと五条はんが――」

「あのさそれさ、マスターじゃないよ」

「えっ?」

 しかしエルムは、まだ信じられない様子だ。

「姿は同じだけどさ。マスターの気配と違うもん。多分、ドッペルゲンガーかな。エルムちゃんの記憶からマスターの姿を真似たんだよ」

「ああ、あの有名な……しかしなんやな、本当にそっくりや」

 尻餅をついたまま泣いている姿は、どう見ても本人である。だがしかし、神楽が断言したのであれば間違いなくその通りなのだろう。

 納得しつつも、エルムはまだ信じがたい様子だ。

「うん、神楽ちゃんはともかくとしてや。なんでナーナは分かったんや。うちなんて全然これっぽちも分からんかったんに」

「そう言われても……五条さんじゃないのは見れば分かるから」

「いやいや待ってーな。分かるって、ちっとも分からんのやけど」

「そうかな、うーん」

 七海は困った様子で指を頬に当て、小首を傾げた。

「だって今朝の五条さんと靴が違うし、髪の長さも微妙に短いでしょ。それにほら、右側に軽い寝癖があるから」

「そんなん分からんって。普通はそんだけで別人って思わんわ。ナーナは、そんな理由だけで人を剣で刺すんか? 恐いわー」

「でも、でも他も違ってたから」

 七海は慌てた様子で手をパタパタ可愛く振ってみせた。

「五条さんは顔を合わせると、最初は口角を少し上げかけてから柔らかく笑うでしょ。それに視線は顔を見て僅かに視線が下がって胸の辺りを見て、慌てて直ぐ左上にやってから喋るの。手を挙げる時は殆ど左手を使うし、少し掌が見える感じで捻って中指から小指までを軽く曲げる。歩き初めだって膝の力を抜いた感じで上半身は殆どぶれないし、それにほら右足の歩幅が少し広めで――」

「待って待って、もぉええから」

 エルムが親友を見る目は恐怖に満ち、震える一歩手前だ。なお神楽は胸の前で手を組み、遙か高みにいる存在を敬うような眼差しをしている。

「あんたが五条はんが大好きな気持ちは、よーぉ分かった」

「だだだ、大好きって、そんなの……」

「嫌いなんか?」

「そんな事は少しもありません」

 七海はきっぱり言い切った。


 とりあえずドッペルゲンガーを前にエルムは困った。流石に亘の姿をした相手を倒すことは心情的に難しい。もちろんそれは神楽も同じで、不機嫌そうな顔をしつつも睨んでいるだけだ。

「どないしよ、これ。偽物っても、五条はんにそっくりやで倒すのは……」

「そだよね、ボクもマスターの姿をした相手に攻撃するのは、ちょっとさ」

「このまんま放っておくわけにもいかんのやけどな」

「そっくりだもんね」

 腕組みする神楽とエルムの横で、しかし七海は首を捻った。

「そうですか? 五条さんじゃないですよ。でも、五条さんに似た感じは少しありますよね。でも五条さんの真似をするだなんて……許せない」

 七海は無表情無言で亘擬きに近づいた。

 そして呻き助けを求め伸ばされた手を、DPで出来た剣にて軽く打ち払った。

「五条さんは、そんな媚びるような顔をしません。苦しい時だって我慢して助けを求めてくれませんし、人前で泣いたりもしません。いつだって全部自分で背負い込んでしまいますから。安易に真似なんてしないで下さい」

 言いながら手にした小剣を振り上げ、無造作に振り降ろした。

 何度も何度も無慈悲にだ。

 七海からすれば似ている程度だが、他の者からすれば本物そっくりな亘の姿は、瞬く間に見るも無惨なものとなっていく。

「「…………」」

 エルムだけでなく神楽までもが引いている。言わんやフレンディをや。なお、アルルはアクセサリーへと転生している。

 そして七海はひと仕事終えた感じで――しかも、良い仕事をした感じで――汗を拭う仕草をする。

「まったくもう、勝手に五条さんを真似るなんて失礼ですよね」

「ナーナ……恐ろしい子……」

「いえ、別に悪魔を倒しただけですよ」

「そやな、そうなんやろな。あんたの中ではな」

 明るい日射しの中で小首を傾げる七海は、誰がどう見ても可愛らしい姿だ。そこに恐ろしい闇があるとは誰も思うまい。

「あんな、一応は言うておくけど。夫婦喧嘩で刃物はあかんで」

「そんなことしません。そもそも五条さんと喧嘩するとか、ありえません。五条さんに刃物を向けるなんて論外です。つまり前提条件からして間違えてます」

「ああそう……夫婦の部分は否定せんのやな」

 エルムは頭を左右に振った。

「これ、もう手遅れやんな」

「ボクもそう思う」

「どうして、こんなになるまで放っておいたんやら」

「だってマスターはマスターだもん」

「確かにそやな」

 そのままエルムは呟いた。

「そやから、うちも困っとるんやって」

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