第281話 貴方は昔から調子にのりやすい子です

「これを君に」

 正中は内ポケットから封筒を取り出した。

 何の変哲も無い無地の茶封筒で、縦長にほっそりとしている。内ポケットに入れていたからだろう、多少シワが寄って端が曲がっていた。

「本当は後で渡そうと思っていたが、今ここで渡しておこう」

「えっと?」

「君のお母上から預かった手紙だよ」

「うっ……」

 ある意味で、それはこの場で出すに最適な代物だったに違いない。なぜならば、亘の中にあった不機嫌や不満は瞬時に霧散したのだから。

「本当は後で渡そうと思ったが、今ここで渡しておこう。私の場合は実家から追放された身の上なのでね、こういうのが羨ましいよ」

「…………」

 亘はその封筒が危険物であるかのように受け取る。

 親からの改まった連絡というだけで何かしら気まずい予感がするものだ。しかもご丁寧に封筒入りでしたためられた手紙となれば、これはもういただけない。

 もちろん今は通信類が大きく制限さた状況のため、連絡するとなれば手紙が一番簡単なのかもしれない。それでも手紙という形あるものでの連絡には、どうにも身構えてしまう。

「実はピヨ助――おっと、すまない失礼。今のは忘れてくれないか。実は一文字のヒヨ殿に頼んでね、君の実家のある地域に支援物資を運んで貰ったのだよ。もちろん特定個人への便宜は褒められた事ではないが、しかし現状で君に報いるにはそれしかないと考えてね」

 何て余計なことを、と言いそうになる言葉を亘は必死に堪えた。

「それは……どうも……」

「喜んでくれたのなら嬉しいよ」

「…………」

 亘は無言のまま手紙を見やた。

 封筒の表には細めのポールペンにて『五条亘さま』と、大人っぽく達筆感のある字で記されていた。

 ふと思うのは、これは本当に母親からの手紙だろうかという事だ。

 母親が『様』と書くところを『さま』と書くことを好むことは知っている。その方が文としてのバランスが良いと、楽しげに語っていた覚えがあった。だが、筆跡で分かる程に文字でのやり取りはしていない。

 こんな時は――亘は自分の足の間で張り付くサキに封筒を近づけた。

「これは、家からのものか?」

 とりあえず匂いぐらいあるだろうと思ったのだ。

「んーっ……んっ。んっ!?」

「なんだその反応は。もしかして違うのか」

 バッと離れたサキに問えば、ふるふると首を振る。その目は大きく見開かれており、何かとんでもない匂いを察知した様子だ。ペットとして天下太平に暮らす狐に、いきなり猛獣の臭いでも嗅がせれば、きっとこうなるに違いない。

 そこはかとない不安を抱きつつ、亘は諦めしぶしぶと中身を確認する。

『亘へ――貴方が皆様のお役に立ち、とても活躍していると聞きまして、母はとてもとても嬉しくて涙が出そうになるほどです。就職活動をしていたあの頃、貴方は目をきらきら輝かせ皆の為になる仕事をしたいと言っておりましたね。その語っていた夢の通りの仕事ができていると知って、母は本当に嬉しく思っております』

 まだ出だし部分にもかかわらず、亘の読む気は大幅減した。

 一緒に覗き込んでいた神楽が小さくもない胸の下で腕を組み、ふむふむと頷いた。

「ボク分かっちゃったもん。これって間違い手紙だね」

「どうしてだ?」

「だってそでしょ、これ絶対にマスターのことじゃないもん」

「……就職活動と書いてあるだろ。面接仕様なんだよ」

「そなの。良かった、マスターがそなこと言ってたら絶対変だもんね」

「こいつ人をなんだと思ってる」

「言ってもいいの?」

「静かにしていろ」

 亘は神楽を放り投げたい気分になったが辛うじて堪えた。

 なにせ周りから注目されているのだ。あまり大人げないことは――今更ではあるが――出来やしない。ここは大人しく耐えておこうと思って手紙に目を落とす。

『街の方では、ますます悪魔が流行っていると聞いております。母一人であれば不安はないのですが、今は家にアマクニちゃんシンソクちゃんがいます。ですから、二人のためにも毎日しっかり戸締まりをするように心がけるようにしております』

 亘は遠い目をした。

「この戸締まりってのは……」

「のは?」

「きっと愚かにも襲ってくる悪魔のために必要だろうな」

「そだね」

 ただし襲って来る悪魔がいたとすればだ。

 そこに強大な存在がいると分かってまで襲うバカはいまい。

 実家を襲うなどという行為は、猛獣の檻に入るとか、火口に飛び込むとか、紐なしバンジーをするとかいったレベルの無謀さだ。絶対にないと言いたいところだが、しかし世の中にはそういった事をする者も存在する。悪魔にも似たような愚か者がいない事を祈るしかなかった。

 さらに――。

『ですが安心して下さい。母の心配を聞いたアマクニちゃんシンソクちゃんが、お友達やお知り合い、それからご家族を呼んでくれました。皆さんとても頼りになりそうな良い方ばかりです。お陰でとても安心できますし、何より賑やかで楽しい日々を過ごしております。ですので貴方は貴方の思うように、どうか世間様のため頑張って下さい』

 あまりの内容に、亘は頭痛さえ感じ額を押さえてしまった。神楽などは亘の頭に手を突き絶望のポーズまでしている。

「あのさボク思うんだけどさ、これってさ」

「やめておこう、何も言わないでくれ」

「でもさ……」

「世の中には、気にしない方が良い事もあると思わないか?」

「うん……確かにそだね」

 自分の家が何かとんでもない魔境、もしくは神境になっている気がする。だが、亘はあえてその考えを無視した。とりあえず物事から目を逸らし、知らないフリをしていれば、少なくともそれに直面するまでは心安らかに生きられる。今ここでどうする事も出来ない事で悩むなど実に馬鹿馬鹿しいではないか。

『貴方は昔から調子にのりやすい子ですので、どうか怪我などせぬよう常に気を引き締めて下さい。追伸、刀の趣味はいいですが、そろそろ貯金をしなさい。追伸の追伸、七海さんと神楽ちゃんの言う事を聞き、それからサキちゃんをよく可愛がってあげなさい。母はエルムさんとイツキちゃんとの同居もOKです。追伸の追伸の追伸、ピヨさんはとても良い子ですね。以上、母より』

 最後の取って付けたような褒め言葉で亘は悟った。

 こんな手紙を送ってくるに至った原因はピヨに違いないと。これは理屈ではなく直感だが、恐らく間違いないという確信があった。

 なんにせよ亘は深々と息を吐く。

「…………」

 しばし逡巡した後に、手紙を丁寧に折り畳み胸ポケットにしまい込んだ。

 その顔は苦虫をダース単位で噛みつぶしたぐらいになっており、おかげで正中は戸惑った様子である。

「ふむ、なにかマズい知らせでもあったかな?」

「いいえ別に。元気なので心配するなという内容ですよ」

「そうか、ならば良かった。心配してくれる家族がいるのは本当に良いことだよ。ああ、すまない余計な事を言って失礼した。さて――」

 正中が両手を叩き合わせると、小気味良い音が会議室に響く。

「さあ、業務に戻ろう」

 辺りの雰囲気がピリッとして変わる。

 近村は救護室へと連れて行かれ、NATS実働部隊は背筋を伸ばし、他の職員たちは持ち場に戻る。悪魔目撃情報が分析されると、鉛筆を舐めながら戦力配置が検討されていく。NATSは悪魔生物災害対策本部として再稼働しだした。


 仕事場といった雰囲気の中で亘は小テーブルに移動した。正中が手ずから飲み物を――ご丁寧なことに神楽とサキの分まで――用意してくれると、恐縮しながらその紙コップを受け取る。

「これはどうも」

「なに、単なる水で申し訳ないがね」

 正中は軽く笑い自分の分をコップに注ぎ、そして一気に飲み干す。続けてお代わりを注ぎ、また飲み干す。よほど喉が渇いていたらしい。

「ふうっ……さてと、実は国の方針として、デーモンルーラー使用者を前面に押し出す形で悪魔対策に取り組むこととなったよ」

「今もそんな感じですけど」

「だからさ。現実に方針が追いついただけと言えるが、これからはデーモンルーラー使用者の地位を国の戦力の一員として数えることになった」

「はあ……それが?」

 亘にはそれに何の意味があるのか分からなかった。戸惑う様子に正中は苦笑している。

「分からんかね。今までは外部協力者という扱いだったデーモンルーラーの使い手も、ようやく国賠の庇護を受けられるということだよ」

「まさか今までは無かった……」

「あまり大きな声では言えないがね」

 国など公共の違法行為によって損害を被った国民は賠償請求が認められているのだが、その際に公務員個人ではなく国や公共が賠償の責を負うと定めたものが、国賠と略される国家賠償法である。

 たとえば近村のように崇高な理念や理想に燃え行動しようとも、これがなければ何か誰かに損害を与えれば個人で賠償の責を負わされ悲惨なことになってしまう。それが世の中というものであり現実なのだ。

 国賠とはいえ万能ではないし、ただでさえ忙しい通常業務に加え気の遠くなるような資料作成を命じられる。それこそ誰がいつどこで何を発言したのか一言一句まで思い出し報告簿を作成せねばならず、それに対する質問回答を行えばさら問いが送られ、対策会議が開かれると徹夜のテープ起こしまで――。

 亘は身を強ばらせ震えだした。最近は少し好き勝手やっていたが、これからは出来るだけ大人しく行動しようと固く固く心に誓うのであった。

 その膝で寛ぐサキは紙コップの縁をカミカミしている。大人しく話が終わるのを待っているのは、もちろん早くお風呂に行きたいと思っているからだ。

 一方で頭上の神楽は寛ぎきって、へちょりと張り付き微睡みだしていた。

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