第280話 口は災いの元と言っても可哀想

 悪魔生物災害対策本部といった名称の、通常は単に災害対策本部と呼ばれるものが各省各庁各県各市各部各局各事務所各校各社それぞれに存在している。

 災害対策本部の壁にある幾つもの大型モニターから各地の情報が報告され、防災服を着用した幹部たちがパソコンを前に真剣な顔で議論を交わし、指示を受けた職員たちが機敏に反応し行動をする。

 だが、所詮それはドラマのイメージでしかない。

 たとえば現状において最も活躍し活動するNATSの対策本部であれば、幾つか島状に配置されたテーブルに大きな紙が広げられ、そこに食べかけの食糧があったりヤカンと湯飲みがあったりする。床には縦置き横置きに書類が並びまたは散乱し、それをまたぎながらよれよれの服を着た職員が眉間に皺を寄せ動き回っている。

 唯一ドラマと同じであるのは、その表情の真剣さぐらいのものだ。

 彼らが黙々と行うのは悪魔に関する情報の整理や公表、出現率や出現傾向の把握計算推測。その結果を基として、各部署からの要請や要求に応じ戦力配置を考慮しながら派遣準備を行う。さらには戦力となる人員の不平不満や諍いへの対応や、こんな時でも頻繁に求められる上層部への報告書の用意、予算の管理や折衝まである。

 NATSを率いる正中は、最大の敵は悪魔ではなく人間ではないかと疑うぐらいだが、今はただ言葉を失って呆然と立ち尽くしていた。

「…………」

 ただしそれは、防衛隊からの連絡で稲荷の狐たち相手に慰労会を開くという話が原因ではない。確かに企画されているのが豆腐お揚げ漫談トークという意味の分からないものではあるが、狐たちが揚げを好むと知っているので、まだ理解の範疇にある。

 もちろん、あの法成寺が怪しげな会――神楽ちゃんを崇めて眺めて楽しむ会――を設立したからでもなければ、あのチャラ夫が大臣に失礼な事を言って最後は肩を組んで辺りを練り歩いたからでもなければ、あのピヨに再度派遣した五条亘の実家について話を聞くと泣きそうな顔で動揺し逃げられたからでもない。

 原因は目の前にいる五条亘だ。


 頭にはどう考えてもピクシーとは思えぬ実力を持つ悪魔の神楽を載せ、足元にはどう考えても尻尾が九つある狐に連なるとしか思えぬ悪魔のサキが纏わり付いている。

 そして同じ地区に派遣していた近村奉と共に報告の最中だ。

「――という感じで、所定範囲での規定数の悪魔を倒してきました。いやまあ、倒した所であまり意味ないですね。結局は悪魔が集まってくるだけですので」

「ああ。それはいいが……」

「異界の主級の悪魔は倒せば一応は出現率は低下しますね。ですが神楽とサキの話だと、まあ所詮は時間でまた別の悪魔が来るだけだそうですが」

「なるほど分かった、それは分かったが……何があったのかね?」

 正中は亘の横に並ぶ近村に目をやり言った。実を言えばNATSのメンバーも先程から気になって、ちらちらと見ている。

 皆、気になって仕方が無い近村は虚脱しきっており、目付きがどこにあるか分からないぐらいだ。しかも時々涙を流したかと思えば薄く笑ってみたり、そうかと思えば僅かな物音に過敏に反応し怯えからくる怒りを見せ、明らかに様子がおかしかった。

 なお、近村の服は一日着たとは思えないほど綺麗だが、顔や髪には乾いた血が付着している。明らかに取り急ぎ新しい服に着替えたものだと分かった。

「何があったかとは……何がでしょうか?」

「では言い方を変えよう。君は彼に何をしたのかな」

「何をしたかと言われましても、別に何も大したことはないかと」

 亘は不満そうに口を尖らせる。

 しかし正中の冷たい視線に晒されると目を逸らす。手の高さにあるサキの頭を撫でるのだが、明らかにその場しのぎの誤魔化しによって生じる仕草だ。

 ただし亘自身には本当に疚しいところはない。

 単に上司に睨まれると居心地が悪くなってしまうといった、長い仕事生活によって身につかされた哀しい習性なのだ。ついでに言えば頭上の神楽が、これ見よがしに溜息を吐いたせいもある。

「さあ何をしたのか言ってみなさい」

「いえ、本当に何でもないですよ。ちょっとだけ一緒に悪魔との戦い方を教えようと、訓練をしただけですから」

 途端――ガタガタガタタッと会議室に激しい音が響いた。


「ん?」

 そちらを見やれば、NATSの実働部隊の隊員たちが床の上で頭を抱えていた。

 何とも滑稽さを誘う仕草ではあるが誰も笑いもせず、それどころか慰めに駆け寄っているぐらいだ。とりあえず亘は唇を噛むことで表情を一定に保っておいた。

「君のした訓練の内容は?」

「別に大したことありませんよ、普通です普通」

「言いなさい」

「まあ、ちょっとだけ厳しめだったかとは思いますけど。そう大したことでは……」

「怒らないから言いなさい」

 亘が口を尖らせ渋々と説明をすれば、正中の顔がみるみる青ざめていく。床にうずくまる隊員はさらに怯え竦み震え声もないが、耳をそばだて聞いていた職員たちの間からは酷いといった呟きや呪詛が聞こえてくる。

「どうしてそんなことを!」

「本人たっての希望です」

「馬鹿な!?」

 亘の弁明に、正中は信じられないといった顔で近村を見やる。だが、絶望の淵を覗き込んだような虚ろな顔を見て全てを悟ったらしい。額に手をやり苦々しげに深々とした息を吐く。

「なんて愚かなことを。口は災いの元と言っても可哀想にすぎる……」

「大丈夫ですよ。怪我なんて少しもしてませんので。ところでですけど、もし致命的な傷を受けたとして。もちろん、これは例え話ですよ。致命的な傷を受けたとしても、その後で分からないぐらいに元通りなら問題ありませんよね」

「……法的責任はないが、道義的責任はあるのではないかね」

「そうですか、良かった」

「良くはない! 道義的責任があると言ったじゃないか!」

「すいません。いえ、別に今のはたとえ話ですから。本当に何も問題ないですから」

 もごもごと言い訳する亘に、正中は疑いの目を向けた。

 そして亘の頭上で神楽が平身低頭する様子に大方の事情を悟り、たとえ話がたとえではないと確信した。とはいえ、気付いて理解しても大人として口にしないのだが。

 NATS職員たちが近村に駆け寄った。

 その腕を強く掴んで引っ張り、亘の傍から引き離す。それはまるで、加害者から被害者を保護するような仕草のようであって、亘は少し不満を感じた。

 近村はNATS実働部隊の連中に囲まれる。

「お前もアレをやられたのか……そうか、そうかい」

「辛かっただろう苦しかっただろう。分かるぞ、俺たちには分かるぞ」

「悪魔の存在。悪魔って奴は、姿形をとらないものだ」

「その通り。辺りを彷徨くような悪魔は悪魔じゃない。真の悪魔ってのは笑顔で人を地獄に突き落とす奴なんだ」

 その言葉に近村はハッとなる。

「まさか……皆さんも……?」

「ああ、その通りだ。終わる事のない悪夢、次々押し寄せる悪魔。後ろで笑う真の悪魔。逃げる事もできず、ひたすら戦い続けるしかない最悪の状況。君もそうだったのだろ?」

「……はい」

 深々と頷いた近村の目から涙が一つ二つとこぼれ落ちたかと思うと、わっと泣きだした。それをNATSの隊員たちは、肩に手をやり頭を抱き背を撫で全員で一つの塊になって慰めだした。

 会議室に静かな嗚咽と穏やかに宥める声が響く。


「この労り合いを見て、君は何とも思わないかな」

「はあ、まあ……労り合っているみたいで」

 友情ごっことか傷の舐め合いという感想を抱く亘ではあるが、それを口にしない程度の良識擬きはあった。そうとはいえ何を考えているかは口調でばればれなのだが。

 正中は苦々しい顔をするが、ややあって小さく頷き気持ちを整えた。

「君が本当によく他人に配慮していることは分かっている。だが、それによる行動は相手のことをおもんばかってではなく、自分が相手からどう見られるかを気にして行っていないかな。そうなってしまうのは、恐らく君が自分に自信がないからだ」

「…………」

 人という者は痛いところを突かれると不機嫌になるが、亘も同様だ。僅かに眉を寄せ黙り込んでしまい、下から見上げてくるサキを無意識の仕草で撫でてやっている。

 そして神楽が驚きと感心と僅かな感謝の眼差しを向ける中で正中は続けた。

「私は君が立派で頼れる人だと思っている。だから君が他人に悪く思われては欲しくない。だからこそ、君にはもっと自分に自信を持って貰って、相手のことを主に考えて行動できる人になって貰いたい」

 正中は真摯だ。

 この公明正大にして世を憂い人を想いやることの出来る男は、部下であり仲間と思う五条亘のことも心配し親身になって道理を説いているのだ。

 しかし場所が悪かった。

 もしこれが周りに誰も居ない状況であったなら、亘とて素直に聞いたかも知れない。だがしかし、周りにはNATSの職員が大勢居た。さらには年下の近村だっている。

 そんな状況で教え諭されたところで、自分に自信のない亘は周りからどう見えてしまうかが気になってしまい、結果として恥辱に近い感情しか生じなかった。

「金言痛み入ります」

「気を悪くしたかな」

「いえ別に全く少しもそんな事はありませんよ」

 口ではそう言ってみせるが、亘は誰もいない部屋の隅に視線を向け、足先を細かく上下させる。それは明らかに不機嫌で拗ねた様子だ。

 正中はようやく自分の失敗に気付いた。

 だがしかし失敗の理由までは気付いていない。なにせ正中は自信のある男なので、結局のところ自信のない者がどのように考えるかまでは分からないのだから。

 どうしたものかと考える正中であったが、自分の懐にある物を思い出した。

 後で亘に渡すつもりでいたが、それを今ここで渡せばきっと機嫌が良くなるに違いないと思った。少なくとも正中は、そう思ったのだ。

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