第279話 乗り越え! 打ち勝ち! 未来を掴む!

 側溝は土砂や瓦礫で閉塞され、そこから溢れた水が小さな流れを生じている。

 そこに行って手を洗った亘は水を振って払い、さらには乾いた砂を使って擦りながら落とす。衛生的とは言えないが、田舎育ちなのでそんなものだ。

「しかし神楽の治癒は凄いな。これなら、まだまだ戦えるな」

「そだね、でも腕ならくっつくけどさ。首がとれちゃったらダメかもだよ」

「首が斬られても数秒は意識があるとかどうとか聞いた覚えが……」

「そなの!?」

「いや、本当かどうかは知らないけどな」

「じゃあさ、きっと分かると思うよ」

 地面に座り込んだままの近村は、ぞっとする会話を聞きながら自分の腕を確認する。袖がなくなり露出した腕は血に濡れているが、指先まで間違いなく動く。微かに薄い線が腕を一周している以外は元通りに見える。

 だがなんにせよ、激痛の記憶が残っているせいか頭が痛い。その朦朧とする意識で、ここに居てはいけないと考え這って逃げようとした。

 気付いた亘が引き起こす。

 もちろん本人は親切心で手を貸したつもりだろうが、近村からすれば捕まえられた気分でしかない。

「もう油断したらダメだぞ」

「油断って油断って……油断とかそういう問題じゃないでしょ!」

「とにかく悪魔は待ってはくれない。さあ次は頑張って戦ってみよう」

「嘘だ、こんなの嘘だ」

「大丈夫だ、すぐに慣れてくるから」

 亘は取りなすように近村の背中を払ってやった。

 向こうにいるカマイタチが様子を伺い立ち止まっている。もしこれが近村一人であれば、とっくに襲ってきていたに違いない。

 近村がカマイタチに差し出される寸前、しかし神楽が亘の前に飛びだした。白い小袖を振り小さな手で亘の鼻の頭を叩き主張する。

「あのさボクさ思うんだけどさ、ちょっと酷いんじゃないの」

 近村は女神が現れたと思った。

「どこが酷いんだ?」

「だってさ武器もないじゃないのさ。そんなのって可哀想じゃないのさ」

「いや素手の方が感覚が掴みやすい……」

「マスターがそー思っても、他の人もそーとは思わないの」

「なるほど、確かにそれは一理ある」

「まったくもー、マスターってば本当気が利かないんだからさ。

 近村は救いなどなかったと思った。

 そしてスマホを操作した亘は灰色の棒を取り出すと近村に渡した。

 似たような装備は少し普及しているので、近村はそれがDPで出来た武器だと知っている。大抵は剣や刀といったもので棒は珍しい。だが、なんにせよ武器を使って積極的に悪魔と戦う者は、もっと珍しい。近村が知る範囲では、この目の前の男とチャラ夫ぐらいのはずだ。

「このDPで出来た棒を貸すから、遠慮無く使って構わない」

「えっ、でも……こんなので……」

「最初からこんな武器が使えるのは恵まれてる。最初の頃なんて金属バットを使って戦ったが、よく曲がって買い直しだったな。あれは地味に出費が痛かったが、おっと余計な話だったな。さあ、頑張ってくるんだ」

「ちょっと押さないで下さい、押さないで下さいよっ! フリじゃなくって、本当に押さないで下さい!」

「問題ない、君ならできると信じている」

 もちろん亘は本心で信じて言っているわけではない。ただ指導のコミュニケーションとして、そう言った方がいいと思った程度の浅い考えだ。

「押すなあああっ、やめろおおおっ!」

「やっていれば何事も様になっていくものだ、うん。さっきので分かったように、死ぬ前には助ける。それにどんな傷でも神楽がいるから大丈夫だ。でも、即死はしないように」

 亘は少しも安心できないことを言って力強く頷いた。

 その顔はどこまでも真面目で思いやりに満ち悪意の欠片も無い。心の底から近村を強くしてやろうと、協力しようという表情だ。

 近村は唐突に思い出した――それは、地獄への道は善意で舗装されているという言葉だ。

 これからが本当の地獄だと予感し身を震わせるのだが、もちろんその予感は正しくその通りであったのだ。


◆◆◆


 何体目かの悪魔との戦い。

 とにかく苦しくて辛くて、近村の目から自然と涙が流れ落ちる。だが、その一瞬の視界の歪みが原因で襲ってくるカマイタチへの反応が遅れてしまう。

 何とか避けるが脇腹に鎌が刺さり貫通、そのまま斬られバッと血が飛び出す。

「うぎゃああああああっ!」

 灼熱の痛みに絶叫する。

「た、助け――」

「よしチャンスだ。相手の動きが止まった今が攻撃のチャンスだぞ」

「ああああっ、悪魔めえええっ!! お前こそ悪魔だっ!」

 近村は握りしめていた棒でカマイタチを殴りつけた。ここで戦わなければ痛みは続くのだ、とにかく倒さねば楽にはならない。死ぬほど苦しい思いから逃れんがため、その戦いぶりは必死という言葉が相応しい。

 殴って殴って叩き付け、踏んで突いてを繰り返す。

 鬼気迫る近村の戦いに亘は感心した。

「ようやく様になってきたかな。でも、怒鳴りながら攻撃するとかアニメとかの見過ぎじゃないのか。あれだと体力を消費するだけだろうに」

「たぶんだけどさ。マスターが考えてるのと違うって、ボク思うよ」

「気合いでも入るってのか?」

「さーね。きっとさ、頭の中で誰かを思い浮かべて戦ってるかもだよ」

「もしかしてだが、それは……たとえば恋人とかか?」

「どーして、そー思うかな。ボク分かんないや」

 心優しき神楽は憐憫の眼差しを向けるにとどめた。

「でもさ、そかもしんないね」

「そうか恋人か、あの歳でか……なるほどそうか……追加の悪魔を集めてくるか」

「あのさぁマスターってば、も少し何て言うかさ。ううん何でも無いや。探しに行くなら、そだね。右の通りに三体いるよ」

「分かった」

 亘は走りだした。

 物陰から様子を伺っていたカマイタチたちを見つける。一気に迫ると逃げ遅れたカマイタチは目を見開き悲鳴をあげ、腰を抜かしたのか這って逃げようとする。その首根っこを掴んで捕らえると、引きずって戻り放り投げた。

「うわあああっ!」

 近村とカマイタチは顔を合わせ揃って悲鳴をあげた。それで両者の心が通じ合うこともなく、即座に生き残りをかけた闘争が始まる。しかし亘は満足せず、次のカマイタチを探しに走っていた。

 同じように捕まえては引きずって、近村の前にカマイタチを放り出していく。

 逃げる間もなく戦わされる近村の意識は朦朧としだしていた。

「なんでこんな目に……」

 力が欲しいと、自分で招いた愚か。圧倒的、圧倒的な危機。生きるか死ぬか、その瀬戸際。痛い、苦しい、辛い、逃げたい。だが駄目、逃げられない。ノブレスオブリージュ? 力ある者の責務、義務? どうして義務があるのか。これだけ辛く苦しみ、しかし助ける相手は食べ寝て遊んでいる。力など持たぬ方が楽、間違いなく楽。

「分からない……分からない分からない分からない」

 極限まで追い詰められた血流が強まり、耳の奥がどくどくしだす。

「それでも、それでも助けたいんだ! 理由なんてどうだっていい! あいつらの為にも助けなきゃいけないんだ! 力を手に入れて皆を助けなきゃいけないんだ!」

 迷うな、迷うと生きられなくなる。この危機を乗り越えることが目的。たとえどれだけ辛かろうと苦しかろうと、乗り越える。自分で選んだのなら逃げてはいけない。やるしかない。

「乗り越え! 打ち勝ち! 未来を掴む!」

 近村は叫び、渾身の力でカマイタチを打ち倒した。

 倒れたところを何度も棒で叩く、容赦などせず頭を狙って繰り返し叩き蹴りつける。

 そのカマイタチが動かなくなると荒い息を繰り返し、血走った目をギョロギョロさせ周囲を見やる。用心深く念のため、もう一度見回す。さらに物陰も念入りに見る。

 カマイタチの姿はどこにもない。

「終わったんだ……」

 近村は安堵のあまり膝の力が抜けそうになった。だが、それでも棒を支えに立つ。そのまま空を見上げれば、青く澄んだ空はどこまでも高く美しかった。

「ああ、そうなんだ。そうなんだよ」

 力ある者の義務なんて発想は、何もしない者の言い訳。力の有無など関係ない。やるかやらないか、義務は自分が自分に課すもの。やりたい者がやっていくもの。何者にも強要されるものではないし指示されるものでもない。

 そして人助けは助けようとした時点で、助けてやるという上から目線の自己満足。どんな言葉で飾ろうと、そこにあるのは助けた満足で自分が気持ち良くなりたいというエゴイズム。

 ならば助けたいから助け、自分が満足したいから助けるで良いのだ。

「それ以上でもそれ以下でもないんだ……」

 他人に義務や責務として戦いを強要するなど、どれだけ嫌らしいことをしていたのか。気付かされた近村は反省と後悔と共に空を見上げる。

 失礼を言った相手に謝らねばならない。そう思った矢先に、鼻歌交じりの足音が近づいてきた。謝罪しようと振り向き――近村は見た。

「えっ……なにそれ」

 笑顔の亘の手は、どう見ても巨大な獣足を掴んでいる。

 しかも、後ろでは何かが激しくのたうっている。

 しかもしかも、獰猛な怒りの唸り声が聞こえる。

 近村はぞっとして後退った。

 無意識に首を横に振っているが、そんなことは無意味だ。亘が引きずってきた悪魔を投げ出す。どすんと地面に叩き付けられ響いた音は今までより遙かに大きい。

 むくりと身を起こしたそれは、通常のカマイタチの三倍はあろうかという巨体。その目は紅く鋭く底なしの悪意を宿しているし、白い体毛は発光しているかのように眩い。

 近村は後退るが、その肩を亘が何かを差し出す。

「これで最後の戦いになる。さあ使うといい」

「スマホ!?」

「今こそ自分の従魔と力を合わせ戦ってみるんだ」

 近村は限界まで目を見開いた。

 怒りに燃える巨大な悪魔を一人で倒せと言うのか。自分で取り上げた物を渡すだけのくせに、感謝される要素は皆無なのに、しかしこの悪魔はさも良い事をしているような顔をしている。最悪だ。

「そうか悪魔は人の心の中にいたんだ……」

「何を言っている、悪魔は目の前にいるだろ。さあ戦おうか」

「本当の悪魔は目の前にいるんだ……」

「そうそう目の前だからな。頑張るんだぞ」

 離れている亘を呆然と見送る近村であったが、のろのろと白カマイタチに目をやった。どうやら勝てる勝てないではなく、戦うしかないらしい。それ以上でもなく、それ以下でもないようだ。

 白カマイタチは両腕を振り上げ、不気味な笑い声にも似た叫びをあげる。他人に戦いを強要することの残酷さを改めて痛感し、スマホを操作する近村であった。

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