第282話 人の上に立つ者として当然の事
正中は大判封筒から資料を取り出すと、亘の前に置いた。
おざなりにパラパラ捲ってみると、それだけで風がおきるぐらいの厚さがある。独特の紙の匂いを感じつつ掻い摘まんで読んでみると、如何にもお役所好みなまとめ方がされていた。
つまり検討を行う理由と課題があって、対する検討内容がパターン毎に列挙されそれぞれに結論が付され、今後の課題と問題点となって各検討で使用した参考資料と補足資料が付く。そして結論ありきの内容のためか、資料としての最終結論は途中に紛れて見つからない。
紛れもない役所の資料だ。
理解するにはしっかり読解せねばならず、亘は早々に諦め顔を上げた。
「ええと内容は?」
「デーモンルーラー使用者を活用する悪魔対策の検討資料だよ」
「それはタイトルで分かりますけど、やる事は決まっているのに、こんな資料は必要あるのかなと……すいません」
「対策にあたって一番揉めたのは、どの年齢までを対策に組み込むかでね。この資料は若年層まで活用して対策せねば、悪魔に対抗しきれないという内容だ」
「別に検討しなくても、現実を見れば分かることだと思いますけど……そもそも検討と言っても、適当な係数をかけて増分値を調整しているだけでしょう」
「適当な係数ではなく、専門家が検討した係数だよ。そして我々が欲しいのは、専門家が検討した上で出した結論というお墨付きだからね」
「なるほど」
それもそうかと亘は納得した。
この非常事態においても自己を主張し、ここぞとばかりに不協和音を奏でる者は必ず存在する。皆が同じ方向を目指し突っ走る事は危険だが、しかし時にはそれをせねばならない時も存在する。
自分が正しいと信じ切って状況に適応できず揚げ足を取り続けるような者たち。それを黙らせるため、専門家が検討したというお墨付きが必要なのだ。結局は組織にとって最大の敵は、悪魔ではなく人間に違いない。
亘は納得したが馬鹿馬鹿しい気持ちで、手にしていた資料で顔を扇ぐ。紙独特の匂いが温い風にのって漂ってきた。
頭の上の神楽がついに、ぐーすか寝入ってしまう。そっと優しい手つきでポケットに入れてやると少しもぞもぞ動いたが、またすぐに大人しくなる。どうやら安心しきって寝ているようだ。
正中はテーブルに肘をつき鼻の下をこすった。薄く伸びた無精ひげをじゃりじゃり響かせ、軽く鼻を鳴らすのは苦笑のようだ。
「しかし文句を言う連中の気持ちも理解は出来る。それを権力闘争に利用するのはともかく、誰だって若年層を戦いに駆り立てたくはないのだからね」
「でも今はそれをせねば生き残れないと思いますけど」
亘としては凄く疑問だ。動ける者が動き、戦える者が戦う。そうせねば生き残れないのなら、そうするしかないではないか。
「だから仕方ないのでは?」
「仕方ない、確かに仕方がない。心情的に納得するしかないが、それとは別にだ。もし世が平穏を取り戻したとすれば、その時に吊し上げられ戦犯にされるのは目に見えているじゃないか。だから誰もそれにゴーサインは出したがらんよ」
「そりゃそうですね」
「だから誰かがその責を一身に引き受けるしかなかった」
「まさか正中さんが、引き受けたとか……?」
「そのつもりでいたのだがね、その前に雲重大臣が腹をくくってくれたよ」
「あの人が?」
意外な人物の意外な対応に軽く驚いてしまう。
大臣ならず議員などというものは、本来は自ら責任を引き受けねばならない立場である。だが、しかし実際には知らぬ存ぜぬ秘書がやったと言って絶対に責任を取らない。それが覚悟を決めたとなると少し感動的だ。
ただし考えてみれば、人の上に立つ者として当然の事をしただけかもしれない。つまりこれは、雨の日に子犬を拾う不良効果のような気もする。もちろん、その大臣の下した覚悟については素直に賞賛せねばならないが。
亘はサキの脇の下に手を差し入れ腕組みをした。全体的にまろみを帯び、くんにゃりした身体は暖かくて柔らかで触り心地が良い。
「でも子供を使うならガツンと抑えられる人間がいないとダメですね」
「その通りだ。だから、よろしく頼むよ」
「はっ?」
亘はまず自分の耳を疑った。
訝しげに眉間に皺をよせ見やれば、正中は応えて静かに頷いた。
「今回の件では君を統括責任者に据えようと考えている」
「えっ……」
「君のこれまでの実績を考えれば、ちょうど良いと思う。君が役職ポストがいらないと言っていたが、それは実績がないことを気にしていたわけだろう? もう実績は充分だと思うよ」
穏やかに笑う正中の前で、亘はゾッとした。思わず腕に力が入るものの、それでもサキは健気に我慢している。いや、むしろ苦しいのが嬉しいのかもしれない。
――まだ諦めていなかった!?
変なポストを付けられることを回避したつもりが、次なる一手が襲って来ようとは誰が思うだろうか。統括責任者ということは、すなわち管理職的な立場となって多数の部下を持つということに他ならない。部下なんてものは暴れ馬と同じで、心を砕いて時間を割き指導したところで耳を貸さず、あげく何をしでかすかわからない。
しかもしかも、そこに無鉄砲な子供どもが含まれるのだ。
亘の脳裏には、多数のフラッシュに晒され汗をかきつつ謝罪会見をする自分の姿が浮かぶ。欠片も自分が悪くもないのに、たまたまその立場に居たからと糾弾され吊し上げられてしまうのだ。
まさに最悪。
最悪中の最悪。
考えるだけで胃が痛く気が重くなってくる。
ひょっとしてこれは嫌がらせではないかと疑いたくなる。
「今日までの実績と功績に相応しい立場として辣腕を――」
「ちょっと待ちましょう」
亘は必死さを押し殺し、冷静さを取り繕った。
これまでの経験上、慌てた時に慌てた様子を見せればむしろ逆効果と学んでいる。誰も慌てた相手の言葉などまともに取り合ってくれないのだ。
大きく息をすって鼻で吐けば、サキの可愛いつむじを直撃している。
「そんな総括なんて立場は相応しくありません」
「何を言うか。レベルを考えても、これは君以外に任せられないことだよ」
「レベルはともかくですね……」
嫌だからやりたくない、とは言えない。そんな言葉は大人の間では通用しないわけで、やりたくないのであれば明確な理由と根拠を述べつつ相手を説得し納得させねばならない。
それを言うには、話の方向性を間違えたと気付く。
亘は必死に頭を巡らせる。
誰が好き好んで苦労を背負いたいだろうか。考えるだけで胃が痛く気が重くなってくるではないか。どうすれば――追い詰められた亘の思考が加速し、言い訳の言葉と理由を高速で検討し、的確にして最適な回答を導き出そうとする。
そして、閃いた。
まず結論として誰かに押しつけるべきだ。
押しつけるに最適な相手は存在する。派手好き目立ちたがりで、しかし面倒見が良くて人を率いるに相応しいムードメーカー。チャラチャラした見た目に反し、結構真面目なところのある奴だ。代表には最も相応しいのは間違いない。
答えを見つけたならば、後はそこに話を持って行くための理由を補強するだけだ。ある意味で、あのお役所好みな資料のまとめかたと同じ手順の思考である。
亘は目を閉じ頷くと思考と話に区切りを付けた。
「つまり……ここで一番の問題となるのは感情なんです」
「む?」
唐突にして一見して話と関係のない話題に正中は戸惑い、話のつかみとしては最高だろう。亘は目を大きく開き自信たっぷり堂々と頷く。
「これまでチャラ夫の奴が皆を率いて頑張ってきたわけですよ。それは知っていますよね」
「当然だ。彼なくして今はないとも思っている」
「そうです。ですから、それを押しのけ別の者が代表になれば皆はどう思うでしょう。反感が高まり、まとまるものもまとまりません。ですから、ここはチャラ夫を代表とすべきなんです」
「しかしね、確かに彼は頑張ってくれてきたが幾らなんでも若すぎる」
「その頑張りはNATSも防衛隊の皆も、多くの人が認めています。大勢の者が確実に不満を持ちます。その目に見えぬ不満は士気の低下に繋がってしまうわけですよ」
「多少の不満はあるかもしれない。だが、これからは君が新しい代表として頑張ればいいのではないか。君だって異動で上司が替われば最初はともかく、少しずつ慣れていっただろう?」
「その考えは大人の考えです」
亘は断言した。
必死となった今は頭は冴え渡り、喋る言葉も力強く勢いが出てくる。サキが惚れ惚れとした様子で見上げうっとりとしているぐらいだ。
「よろしいですか、デーモンルーラーを使う大半は子供です。子供の頃を思い出して下さい、その頃は理屈より感情が優先していたじゃありませんか」
「そうかな? 別に私はそんな事はなかったが」
これだから頭の良い人は、と亘は内心罵りつつ表情は変えない。
「それは正中さんのような方だけです。普通は好き嫌いとかの感情に振り回されるものですよ。いいですか、子供たちにとってチャラ夫はヒーローなんですよ。そのヒーローが隅に追いやられたらどう思うのか、考えるまでもないでしょう」
「しかし、幾らなんでもね。トップを子供に任せるのは無茶すぎる」
たとえキャリアでも二十代後半でようやく小さな事務所の課長なのだ。その点で言えば、亘をトップに据えようとしただけでも相当に思い切ったことにちがいない。
だが亘は真摯な顔で頷く。
これが嫌な事を引き受けたくない一心とは誰も思うまい。
「もちろんフォローはします」
「君がトップでチャラ夫くんが補佐役ならともかく……」
「今は非常事態です」
非常事態という言葉はとても便利だ。これさえ付ければ全てが罷り通ってしまう。もし反論でもすれば、非常事態において危機感の足りぬ者という烙印さえ押されかねない。こんな時でも不協和音を奏でられる者は相当な剛の者だろう。
さらに――。
「大臣だって腹をくくっているじゃありませんか。この非常事態に正中さんが腹をくくらずどうするのですか」
「それはそうだが、しかしね」
「ここはチャラ夫をたてて尊重してやらねばならんのです。あいつの頑張りを踏みにじりたくないし、それに何より思うのです――あいつは必ず大物になると」
亘は瞑目しながら深々と頷いた。
それは己よりも他人を素晴らしいと認め、さらには周囲の心情に配慮し身を引こうとする謙虚な者のようだった。
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