第295話 だから手強い相手は良い
「それでは作戦タイムだ」
眩しい日射しの下、亘は瓦礫の一つに腰掛けた。
その前では神楽とサキが小踊りするが、注意されると揃って道路に正座した。しかし、キラキラした目を向けてくるのは、これからの戦闘が楽しみだからに違いない。
もちろんそれは、亘も同じなのであった。
「まず、今までのように突っ込んで倒す、という事はよくない」
「けっこう強いのがいっぱいだもんね。でもさ、ボクたちが本気で戦えば大丈夫なんじゃないの?」
「戦いは数だよ、神楽」
昔の偉い人もそう言っていたので間違いない。そして囲まれ集中攻撃を受けたらどうにもならないのは事実だ。NATSの隊員を指導――あくまでも指導――したときに見た状況から、囲まれるとけっこう危険だと見て学んでいた。
「今回は安全マージンを確保しつつ戦わねばならん。で、あるからして。周囲を警戒しつつ一体ずつを狙って確実かつ素早く倒していかねばならんわけだ」
「あのさボクさ思うんだけどさ、話がまわりくどいよ」
「そうか?」
「そだよ。スパッと言おうよ」
神楽は面倒そうに欠伸をしているし、サキに至っては完全に飽きて地面を這うダンゴムシを突いている。どうやら本当に話がまわりくどかったらしい。
反省しつつも、ちょっとだけ哀しい亘であった。
「あっそう。他の悪魔から離れたやつを攻撃、ここまで誘き寄せ、一斉攻撃で倒す。以上だ」
「マスター、もしかして拗ねてる?」
「拗ねてない」
「やっぱし拗ねてた」
「うるさい、拗ねてないと言ったら拗ねてないんだ。とにかくな、まずは様子見をして相手の強さを確認する。最初に誘き寄せた相手に手を出すなよ」
亘は拗ねているが、真面目に考えている。
相手は初めて見る強めの悪魔なのだ。神楽の探知によって、ある程度の強さが分かるとは言え、しかし実際にどれだけの強さなのかは実感しないと分からない。そのためには自分一人で戦ってみるべきと考えていた。
もちろん思いっきり戦いたいという気持ちもあるのだが。
「誘き寄せるのはボクがやるからね」
「ダメ、神楽遅い」
「遅くないもん! ボクのが素早いもん!」
「ふっ」
「んなぁー! いま鼻で笑ったよね、笑ったよね!」
「知らん」
喧々囂々と顔を付き合わせる神楽とサキだが、その間に亘の手が差し込まれた。
「どっちもダメだ」
この囮役はとても難しい。相手を引き連れ引き離さず、適度な距離を保ちつつ目的の場所まで誘導せねばならない。しかしサキであれば相手を置き去りにして走って来かねないし、神楽であれば小さすぎてそもそも気付かれない可能性もある。
つまり、誘き寄せの囮役は最初から決まっているのだ。
◆◆◆
「おお、いるいる」
白面をつけた青肌の男が赤髪を揺らし黄色の腰蓑一つで彷徨いていた。髪の生え際からは二本の細く長めの角が突き出ているが、そんな青鬼がビルの建ち並ぶ交差点を歩いていると、平和な頃ならコスプレにも見えたに違いない。
しかし今はそうでもない。
物陰から様子を伺っていた亘の袖が、ちょいちょいと引かれた。
「けっこう強めだよ。アレにするの?」
「もちろんだが、さて周りはどうだ」
「んーとね、近くに他の悪魔はいないよ。うん、大丈夫だよ」
「よし。では手筈の通り、待ち伏せ場所に移動してくれ」
現実はゲームのように適切な相手が配置されていたり、第三者視点で全てが見通せるわけではない。だから慎重に安全を確保しつつ、神楽の探知を使い適当な相手を探すため一緒に行動していたのである。
しかし神楽は直ぐに動かない。
目の前に飛んで来ると、視界を塞ぎ腕を振り回す。
「ちゃんと気を付けてね。攻撃したら相手が付いてくるかどうかはいいからさ、とにかく直ぐ走るんだよ。でもマスターってば、けっこうドジで抜けてるでしょ。途中で転んじゃうかもだよね。うん、とっても心配。だけどマスターがやるって言うから仕方ないよね。でも心配しないで、ボクちゃんと見ててあげるからさ。危なくなったら直ぐ助けてあげるから」
「…………」
「でも本当に心配。そだよ! ボクやっぱしマスターの側にいてあげる。だってさ、囮だからって別行動する必要ないもんね。そだよサキだけ行かせちゃってさ、ボクはマスターと一緒に居るのがいいよね。うん、そうしようよ」
「……サキ、連れて行け」
無慈悲な宣告によって神楽は連行されていった。
亘は改めて自分の位置を確認する。ビルとビルの間に挟まれた路地になる。後方には一方通行の幅広な一車線が続き、数区画先に戦闘に手頃な公園がある。そこまで誘導すれば他の悪魔を引き寄せる事もないはずだ。
そして目的の悪魔は、反対方向の信号のある大きめ交差点を彷徨いている。
大きなビルがあり幅広の歩道があり、あちこちに駐車場の存在を示すマークが表示され多少の植栽による緑が存在している。
この辺りはそれなりの繁華街であったが、今や悪魔の彷徨く無人の地だ。
「さてと」
亘は歩道に転がっていた自転車を掴み投げつけた。
手前の地面に激突し転がってしまったが、元から当てるつもりはない。青鬼の注意を惹ければ充分で、実際その目論見は成功した。
あとは一目散に走りだす。
角にコンビニのある路地裏の交差点を走り抜け一区画を移動、次の区画のスナックやらマッサージ店の入った雑居ビルの前を通り抜ける。壁には宴会料理のコースや、下着姿の女性たちのパネルが張られているような場所だ。
ふと、亘は後ろを青鬼が付いてきているかどうか不安になった。
一人で走っていれば間抜けであるし、しかも無駄な労力。引き離してもダメであるし、追いつかれそうであってもダメである。走りながら振り返り――転んだ。
まったくもって神楽の心配は正しかった。
「うわっ、とっ。はぁっ! ここで、なんとかぁ!」
体勢が体勢であったので肩から道路に突っ込み、それでも受け身をとってみせた自分が凄いと思っている。歩道に放置された燃えるゴミの残骸に突っ込まなくて幸運だったかもしれない、カラス除けのネットに絡まりでもすれば最悪だったのだから。
だがしかし、転んでいる時点で少しも凄くはないし幸運でもないのだが。
体勢を整えかけた瞬間、白面をつけた青鬼が襲いかかって来た。
「っう!」
背中に生じた激しい痛みと衝撃と勢いに亘は思わず呻き、さらに顔から地面に叩き付けられ転がった。それでも両手を突き素早く起き上がろうとするのだが、目の端に何かが動く。
衝撃、痛み。
跳ね飛ばされ一瞬見えた光景から、自分が逞しい足に蹴られたのだと気付いた。そのまま雑居ビル一階のガラスをぶち破ってしまう。幾つもの破片とともに中へと転がり込み、テーブルやら椅子を盛大に巻き込んだ。
カウンターテーブルに頭をぶつけ止まると、目の前にメニューが落ちてきた。
どうやらここはラーメン屋らしい。
だが、呆けている暇はなかった。
金属とガラスを破砕する音が響き、重厚感ある着地音と共に青鬼が飛び込んできた。割れたガラスを踏みつけ重い足音で接近してくるのは、それだけ余裕があるからなのだろう。そして亘は素早く立ち上がり口から血を吐き出すが、単に鼻血が口に入っただけだ。
「さすがに強い、これは油断できないな」
自分で転んだあげくそこを襲われたのは、油断以外のなにものでもない。
それでも亘は自分に都合の悪いことは気にせず、元気に立ち上がると丸椅子を手に取り襲い掛かった。青鬼に何度も叩き付け蹌踉めいたところで足を蹴り、倒れたところに膝から落ち攻撃を加えるなど容赦がない。
それでも倒しきれず反撃を貰ったが、亘はむしろ嬉しそうに笑った。
「普通の悪魔なら今ので終わりなのにな、だから手強い相手は良いんだ!」
互いに距離を取って睨み合い、どちらからともなく狭い店内から道路へと飛び出した。戦いの中にあって生じる阿吽の呼吸というものである。お互いにダメージを受けた状態であるが戦意は少しも衰えず、次の攻撃への隙を窺う。
この戦いの感覚に亘の目が活き活きとしてきた。
じりじりと隙を窺っているところに、怒ったような声が降ってくる。
「ばかばかばかばかっ! だから言ったじゃないのさ、マスターのばかぁ!」
「あっ、やめろ」
「ばかばか、心配したんだから!」
矢のように飛んで来た神楽は亘の制止にも関わらず、青鬼の顔面に至近距離から光球を放った。どれだけ強かろうと、目や鼻のある場所を攻撃されては堪らない。青鬼は叫びをあげ両手で顔を覆い苦しんだ。
さらにサキが獣のように疾走し飛び違いざまに鋭い爪を一閃。一撃で青鬼の首が斬り跳ばされた。綺麗に着地すると得意そうなポーズを取るが、どうやら褒めて欲しいらしい。
しかし亘は口をへの字にした。
「……なんで邪魔するんだ」
「危なくなったら直ぐ助けるって言ったじゃないのさ」
「手強かったが苦戦はしてなかったぞ」
「そだよね。悪魔より道路のが強敵だったもんね」
「うるさい」
どうやら転んだところを、ばっちりしっかり見られていたらしい。
そうなると亘は何も言えず、バツの悪い顔で空を見上げるしかなくなってしまう。念入りに回復魔法をかけられ血――鼻血――は止まるが、流れ出た血までは消えない。
しかも服を掴んでよじ登ってきたサキに襲われ顔を舐められてしまう。
「やめろ、くすぐったい」
「美味しい」
「だからやめろって、顔を舐めるな」
「やだ」
「くっ、こいつ血の味を覚えた獣の目をしてる」
サキを引き剥がそうと悪戦苦闘する亘を見つつ、神楽はようやく安堵して大きく息を吐いた。路上に散乱したガラス片が無人の街の中で日射しを受け、キラキラと輝きを放っていた。
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