第105話 修行中の若衆
岩を手掘りした岩窟の奥。壁に嵌め込まれたような門があった。樫の門柱に重々しい金具で装飾がなされ、中央には太い閂が渡されている。蝋燭の揺らめく灯りに照らし出されたそれらは、怪しげで不気味な雰囲気があった。
その門前に、忍び装束姿の若衆が膝を突き整列していた。
これから異界に赴くということで、いずれも緊張しきった面持ちをしている。人数は六人であり、その中にイブキとイツキの姿もあった。
同じく忍び装束になったスミレが、皆の前で説明をする。
「それでは、この組み合わせで修練場に行ってもらいます。若衆の精鋭が揃っているとはいえ、くれぐれも油断しないように。それと、今回は要人警護の鍛錬でもあります」
少年たち無言のまま頷く。そうしながらチラリ見てくるので、亘はぺこりと頭を下げた。つまり警護される要人役なのだ。
「五条殿を、しっかりお守りするんですよ。奥まで行ったら終了です。くれぐれも、前鬼様や後鬼様に挑んだりはしないこと。いいですね」
スミレの厳しい口調に、少年たちはしっかりと頷いた。
どうやら藤源次の言った通り、鍛錬場の奥に伝説の鬼がいるのは間違いないらしい。見れるなら見てみたいが、スミレが釘をさすぐらいだ。危険を冒してまで、見たいほどではない。
「それでは門を開けます」
スミレが留め金を外し閂をずらすと、重そうな門に手をかける。
重厚感ある音や、複雑なカラクリ感もなく、あっさりと開く。それを期待していたため拍子抜けだ。もっとも何度も使う施設なので、面倒な仕掛けなどしないのだろう。
門が開いた先は、岩肌がむき出しとなった行き止まりでしかない。しかし、空間の揺らめきがあるため、異界への扉だと分かる。亘が知る異界の扉は、神楽たち従魔が都度開くものだったが、どうやらここは違うらしい。
ふと神楽とサキのことを思いだしてしまう。
一日しか離れてないが、妙な寂しさを感じてしまう。ホームシックではないが、無性に会いたくて堪らない。それだけ両者の存在は、心にしっかり根を張っているのだろう。
「五条殿、いかがされましたか」
「大したことありません。これから異界だと思うと緊張しましてね」
「ぷぷっ、怖じ気づいてやがる」
「マサ君! 失礼なこと言わない!」
小馬鹿にする言葉を口にした少年をスミレが叱責した。だが、少年は肩をすくめてみせただけで、謝ったりもしない。どうやら、どこにでも嫌な奴はいるようだ。
「この子らは里の若衆でも、腕利きばかりですから。安心してくださいね」
「そうですか。テガイの里の次代を担う、優秀な忍びに守られるとは光栄ですな」
これぐらいの世辞は亘だって言えるのだ。
効果は覿面で、皆が嬉しそうな笑顔になる。マサと呼ばれた少年でさえ、嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、行ってらっしゃい」
こうして亘は神楽が居ないまま、異界の地へと足を踏み入れた。
◆◆◆
そこは風変わりな異界だった。今まで経験した中で最も奇妙であり、入る前の光景が欠片もない。周りは白い靄に包まれ、そこに赤い欄干に囲まれた十m四方の台座が存在していた。
その台座の上にいるが、足下の床は木の板で踏めばギシギシと音をさせる心許なさだ。隙間から下が覗けるが、そこも靄に覆われており細かい粒子の流れが見えるだけだった。
同じ作りの架け橋が四方へと伸び、その先にも同じような台座がある。そこからまた架け橋が延びている。
上を見上げると白い霧に隠れ、空があるかさえ分からない。欄干に近寄り、下を覗き込んでみると、やはり一面白い霧に覆われ地面があるかさえ分からない。まるで雲海の中に浮かんでいるようだ。
「これまでの異界とは、随分と違う様相だな」
呟いていると、イツキが近づいてきた。他の若衆は装備の確認をしているのだが、頭の後ろで手を組み呑気な様子だ。目が合うと、ニッと笑ってくる。夕食とその時の会話をしてからは、すっかり打ち解けた態度なのだ。
「なあ、五条の小父さんってば、他の異界に行ったことあんのか」
「まあ、こう見えて幾つかの異界を見てきたな」
「ふーん。お役人様って、そんなことまでするのか」
「……まあな」
そこは言葉を濁すしかない。亘が多くの悪魔を倒し異界の主も倒してきたと言っても、今の状態では信じて貰えないだろう。嘘吐きと思われるだけだ。
「お役人様のってのも、大変だな。あっ、そっから落ちると助かんないかんな。あんま端に近づかないほうがいいぞ」
「そうなのか恐いな」
「でも落ちたヤツを見たことないから、分かんないけどな」
亘が慌てて後退するのとは対照的に、イツキは欄干に手をかけ下を覗き込む。そこには落下を恐れる様子は全くない。
「おいイツキっ、いつまでもサボってないで早く準備をしろ。五条の小父さんも、こちらに来てください」
「分かったよ! さあ、五条の小父さんも行こうぜ」
円陣を組んだ若衆の中からイブキが呼ぶ。慌ててイツキも走り輪に加わる。亘も続くが、輪には加わらない。
「それじゃあ準備を始める。全員、操身之術を使え」
少年らの気配がゾワリと変わる。それを感じた亘も……何も変わらない。簡単に治るとは思わないが、残念な気分だ。
「五条殿中心に陣を組む。イツキとキョウカは後方に位置し、警戒しつつ待機」
「「はっ!」」
「サタロウとウタロウは前方で敵と戦う。マサは五条の小父さんの側に控えているように」
「「「はっ!」」」
「俺は自由に動かせて貰う」
テキパキと指示するイブキは堂々としたもので、同じ年から抜きん出た存在感や、指導力がある。そんな自分より年下の少年が立派に行動する姿を見ていると、からかって口を出したくなってしまう。
「自分は?」
「あー、五条の小父さんは、何もしなくていいです」
「了解」
「あんたは、出来るだけ大人しくしてくれよ」
「へいへい」
マサの言葉には険がある。亘は言われたとおり、大人しくすることにした。こうした手合いには、逆らうよりも従うフリをしておけばいい。そうすれば余計な波風を立てないですむ。
イブキが皆を見回す。
「それでは、俺に続け。ところでイツキは、最奥の鬼屋敷までの道のりは覚えてるか? 言ってみろ」
「簡単だな。ここを起点に北東西西南だろ」
「正解だ。間違えると最初に戻されるからな。しっかり覚えておくように」
どうやら、この異界は転送系ダンジョンらしい。異界というものの奥深さを感じてしまう。
「出発だ」
そして一行は揃って架け橋を渡りだした。足下の木板は朽ちた程ではないが、それなりの古さを感じさせる。踏みしめると嫌な軋みが響き、落ちたら助からないというイツキの言葉もあって嫌な気分だ。
渡り終え、次の台座に移動すると、ホッとした。
「小鬼が出たぞ。雑魚はさっさと片付けよう」
どこからともなく表れた赤銅色の肌をする小さな鬼が、キイキイと耳に障る鳴き声をあげ襲いかかってきた。見たところ、動きも素早く餓鬼よりは強そうだ。
それを雑魚と言ってのけたイブキは、その言葉の通り鎧袖一触で倒してみせた。一撃で小鬼が倒れ伏す。
「はんっ! この程度に時間はかけられない。次だ、次行くぞ」
自らの強さを誇示するように、殊更余裕ぶった仕草のイブキは血振りもそこそこに歩きだす。他の若衆はそれを、さすがイブキと褒め称え後に続く。
そんなやり取りの中に、追従とおべっかを感じ、亘は眉を顰めていた。驕る強者と、それにおもねる弱者の雰囲気がある。
次の台座では、羽毛の衣を纏った鳥顔の鬼が現れる。手こずりこそするものの、それも問題なく倒してしまう。
その次では、金棒を振り回す牛鬼が現れた。当たれば必死は免れない攻撃に、前衛は顔を強ばらせながら相対する。たまに突進してくるため、もちろん後衛も気が抜けない。
台座に振動が響き渡る。振り回された金棒が、激しく床板を打ち据えていた。それを受けた床板は陥没した程度なので、見た目よりは頑丈なのだろう。金棒が埋まった隙にイブキが刃を振るい、左右からサタロウとウタロウが手槍を突き込む。
「よっしゃぁー!」
歓声が響き渡った。
修行中の若衆とはいえ、そこらにいる『デーモンルーラー』の使用者よりも、よほど強いに違いない。守られるだけの亘は余裕をもって、周囲の若衆の動きを観察することができた。
イブキの強さは一行の中で突出している。まだ藤源次には及ばないが、その動きの端々にそれを連想させるものがあった。ただし攻撃一辺倒で、相手の動きをよく見ていない節がある。なにより、周囲の仲間への配慮が見られない自分勝手さがあった。
サタロウとウタロウは名前から分かるように双子だ。動きにもどかしさが残り、ややぎこちない。だが、それを補うのが連携で双子ならではの阿吽の呼吸でフォローし合っている。ただ、それは二人だけの連携であって、他の仲間とまでは連携できていない。
マサは亘の護衛のため、あまり戦う機会はない。だが近づいた悪魔を屠るだけの実力は有していた。ただ、手負いの鳥顔悪魔を嬲るように倒していたので人間的に嫌らしい。
イツキはイブキをこぢんまりとした実力だ。しかし逆に周囲をよく見て仲間の手助けをしたり注意を促したりする。ただし注意散漫なところがあるため、危なっかしさがあった。
最後の一人は紅一点のキョウカだ。大人しく控えめな性格のようで、戦い方もそれと同じものだ。行動する前に指示を仰ぐような躊躇を感じる。黒髪の清純そうな雰囲気と、女の子らしい体つきのせいで、ついつい亘の視線が向いてしまう。
そんな若衆に対する感想は『未熟』だ。
比較対象が藤源次ということもあるが、個々の戦闘能力も低く各自がバラバラに戦うチグハグ感がある。鍛錬としては充分だろうが、実戦では少々心許ないといったところだ。もっとも今の亘は、その足下にも及ばないので偉そうなことは言えないだろうが。
イブキが休憩の指示をする。
「次はいよいよ最後の鬼屋敷だ。その前に少し休憩するぞ。各自、休め」
「はーい」
牛鬼を倒したばかりの台座に各自が思い思いに腰を下ろした。その座る位置関係で人間関係が分かってしまう。
ドッカと中央に座ったイブキにキョウカが近寄り、汗を拭こうとするが邪険にされている。サタロウとウタロウは、そのすぐ隣で並び冗談を言い合って笑っている。
イツキは少し離れた場所に座り、何やかや話しかけてきたマサの相手をしている。しかし面倒そうな様子であり、しばらくすると辟易とした様子で亘の側へやって来た。
「五条の小父さん、異界の中はどうだ。悪魔は恐くないか」
「別に恐くはないな。初めて見る悪魔ばかりだが、どれも鬼とは面白いな」
「へー、他の異界だと、もっと別の悪魔が出るのか」
「まあな、獣人とか竜とか色々だよ」
「竜を見たことあんのか、凄いぜ!」
「どうだか、余所者の言う事なんて信じられないよ」
亘がイツキと話していると、マサが面白くなさそうに口を挟む。そこには、亘に対する警戒と敵意が含まれていた。その拒絶に亘が嫌な気分になると、イツキが目を怒らせる。
「おいマサ、失礼だぞ」
「だって、そいつ弱いだろ。なのに竜を見たとか嘘だね。余所者なんて嘘吐きだよ。そもそも、何で余所者なんかが里に来るんだ。おかしいよ」
マサは尚も言い募るが、亘は何も言い返さない。確かに今の状態は弱っちいものであるし、何か言ったところで余計に拗れるだけだ。その代わりにイツキが腕組みしてマサを睨み付ける。
「五条の小父さんは、トト様が連れてきた客だぞ。お前、『藤源次』がしたことに文句をつける気か!」
「そ、そんなつもりはないよ。ただ余所者なんて信用できないだけで……」
「おいおい、情けないな。文句があるなら堂々と言ったらどうだ」
「そうそう、そんなだから嫁選びも滞るのだ」
「うるさいよっ!」
サタロウとウタロウが囃し立て、マサは顔を真っ赤にする。そんな様子に、イブキが腕組みしつつ口を開く。
「マサの実力だと、嫁選びが許されるか微妙だからな。もう少し強ければ、堂々と好きな女を嫁にできるだろうに」
「そんなの分かってるよ。僕、もう少し強くなってみせるからね」
そんなやり取りに、亘が反応した。嫁とかの言葉には敏感だ。板張りの床にあぐらをかきつつ、さり気なさを装って問うてみる。
「ほう、里では強いと嫁が選べるのか」
「そうです。実力のある強い者が、優先的に子を成せます。だから、弱いと結婚もできないわけです」
「そうそう。だからマサも強くならないと」
「頑張れマサ。今のままじゃ、好きな嫁は難しいぞ」
「五月蠅いな!」
またしても囃し立てられ、マサが顔を赤くして怒鳴る。それをサタロウとウタロウだけでなく、イブキもイツキ、そしてキョウカまでもが笑っている。
それを眺めながら亘は考え込んだ。外見が優先される世界と、強さが優先される世界のどちらがマシだろうか。まあ何にせよ、あぶれる男が存在するのは変わらないだろうが。
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