第106話 夢を穢す者

「よっし、休憩は終わりだ。次は前鬼様と戦うぞ。今日こそ一本取る」

「「「おおっ」」」

「おい、カカ様……じゃなくてスミレ様に言われただろ、前鬼様と戦ったらダメなんだぞ」

「そうよ。止めましょうよ」

 イツキとキョウカが止めるが、残りの連中は止める気などサラサラない。

「お前らは引っ込んでろ。これは俺たちの戦いだ」

「後で叱られたって知んないからな。大体な、絶対勝てるわけないだろ。トト様だって無理なんだぜ」

 イツキはバカバカしそうに手の平を上に向け首を竦めた。キョウカもい小さく頷いて同意している。しかしイブキたちは、一斉に架け橋を走り歓声をあげながら突撃してしまった。そこにはマサも含まれており、任された護衛任務などそっちのけ状態だ。

 きっと、キョウカにでも良い所を見せたいのだろうが、本来すべきことをせずにして勝手な行動をすれば、むしろ逆効果だろう。

「五条の小父さん、ごめんな。代わりに俺が護衛してやるからよ。安心してくれ」

「こりゃどうも」

 ひょいっと横に並んできたイツキと共に、亘も架け橋を渡った。

 渡り終え、次の台座に足を踏み入れた途端に、周囲の風景が変わる。転送系ダンジョンの真骨頂といったところだ。


 気付けば、広く大きな岩窟の中だった。

 古くから存在する異界だからか、それともここが特別なのか。これまでの異界とは、勝手が全く違う。もしかすると、ここは異界の中でも下層なのかもしれない。

 奥に屋敷めいた建物があり、手前には朱塗りの木塀と冠木門がある。薄明るく薄暗い空間の中で、現実と虚構が入り交じったような光景でであった。

「前鬼様ー! 出てこーい! 勝負、勝負!」

 イブキが屋敷の方へと大きな声で叫ぶ。他の者も同じように、勝負の言葉を繰り返している。戦いを挑むにしては、どこか友達の家に呼びかけるような感じだ。

「来たぞ」

 イツキの呟きが、隣の亘にしっかり届いた。その視線を追って眺めると、朱塗りの門が内側から開きだしていた。

 その門を開けたのは筋骨逞しい大男で、逆立つようなざんばら髪だ。見せつけるように上半身は裸で、赤銅色した身体は誇張されたような筋肉で覆われている。大胸筋は固く腹筋も割れたものだ。肩も腕も太く、膝丈のくくり袴から伸びた足も頑丈そうだった。

 無論のこと人間ではない。髪の間から太く鋭い一本角が生え、眼は朱色をしている。歩けばノッシノッシと音がしそうな、威風堂々とした重厚感だ。どうやら、これが前鬼に違いない。

「前鬼様、勝負! 勝負!」

「キおったな小僧ども。今日は少しは、楽しませてくれ」

「もちろんだ! 今日こそ絶対に、俺の実力を認めさせてやるからな!」

「ソの意気だ。ダがその前に」

 紅い瞳がジロリと亘を睨む。人外の眼差しは射貫くような鋭さである。厳めしい顔は、取って食われそうな恐ろしさだ。しかし、それを受けた亘は恐れるでもなく、興味津々で見返す。伝説の存在を前に、むしろ少し興奮さえしている。

「ナんだあ、コイツは。里の人間じゃナさそうだな。モしかして、供物で連れてきたのか。ダったら喰っちまって、イいのかい」

「前鬼様ダメだぞ。この人はな、『藤源次』が里に招いた客人なんだぜ」

「当代が招いた客人!? コんな弱いのを客人だと。フざけるな!」

 ゴウッと前鬼が咆える。イツキの言葉に腹を立てたらしい。

 その腹に響く声に、イブキを含めた里の若衆は気圧され身を竦めてしまう。だが、亘だけは相変わらず興味津々のままだ。

 確かに恐ろしくはある。

 しかし、これまで大悪魔の新藤社長や、五尾の狐のタマモ、その他にも多くの異界の主と出会ってきたのだ。少々恐怖への感覚が麻痺しているのかもしれない。

 そんな様子に前鬼は、ごしごしと顎を触ってみせる。

「フむ。肝は据わっておるか」

「こんにちは、お邪魔させて貰ってます」

「吾に嘗めた口をきくたぁ、オもしろい。だが、吾をコけにするつもりなら、許サぬぞ」

「心得てますよ。自分はただの観客ですから、どうぞイブキ君たちと戦って下さいな」

「……キに入らねえな」

 前鬼は睨め付けるように、顔を近づけてきた。チンピラなどがよくやる感じのものだ。伝説の存在のくせに、やることは案外ショボい。生臭く生暖かい息を感じながら、亘は失望し間近になった悪魔を無感動に眺めた。

 ややあって、前鬼が飽きたように身を離す。

「マあいい。当代の客人ナラ仕方ない。好きにしろ。サあ、戦うぞ。イつまで怯えているつもりだ、次代の」

「怯えてなんてない! やるぞ皆!」

 イブキが声をあげ仲間を叱咤する。そして前鬼へと襲い掛かった。間近にいた亘は慌ててその場を離れるハメになった。


 結果から言えば――イブキたちの惨敗だ。

 前鬼は意外に素早く、そして固く何よりも力強い。イブキたちの攻撃は分厚い筋肉を前に跳ね返され、逆に撫でるような反撃で弾き飛ばされる。

 あっという間に、少年たちはボコボコにされる。逃げようとしたマサも一瞬で追いつかれ、その根性が気に入らぬと叩き伏せられてしまう。全員が手酷く痛めつけられたが、誰も死にもしないし、後に残る大きな傷も受けてない。鍛錬ということで、手加減されたようだ。

「修業が足らん。里へ帰るんだな、オ前にも家族が……」

「降参だ、俺ら帰るから」

 イツキが声をあげると、前鬼はすぐに構えを解いてみせた。戦おうとしない相手に攻撃するつもりはなく、脅していただけらしい。

「ガハハッ、サあ帰るがいい。帰って怒られてこい」

 豪快に笑う前鬼は、動けないイブキたちをまとめて抱え、出口へと放り込んだ。亘たちも、それに続く。そうしてボロボロになって戻った少年たちだが、待っていたスミレにコッテリ叱られたのだった。


◆◆◆


 日は暮れて。

 亘はイブキと一緒に、露天の温泉に浸かっていた。テガイの里の奥地にある、岩場の間に湯が溜ったような温泉で、脱衣所どころか塀すらない本物の露天風呂だ。これぞ本物の秘湯だろう。

「くーっ、かーっ。堪らん」

「五条の小父さん、年寄りのような声ですね」

「ちょっと熱めでいい湯だな。こんな湯に入れるなんて最高だ」

 亘は湯に濡らした熱いタオルで顔を拭く。

 辺りは街灯なんてものは一つもない。あるのは天に輝く満月のみだ。しかし煌々と照る月は、そのまま本でも読めそうな光量だ。

 絶好の月光浴日和で、その光に照らされた自然を眺めながら熱い湯に浸かる。天を幕とし地を席とする、そんな大らかな気分であった。

 これだけでも来た甲斐があるに違いない。もちろん不調の治療こそが第一の目的ではあるが。

「この湯は疲労回復の効能がありますし、打ち身や打撲にも効きますよ」

「そうか、一緒に行った連中も入ればいいのにな。あの双子やマサ少年も、けっこうやられていただろ」

「ここは『藤源次』の湯ですから。あいつらは別の湯場に行ってますよ」

「ああ……なるほど」

 それを聞いて、亘はそれ以上追及しないことにした。

 田舎社会には強いヒエラルキーがある。特にこんな閉鎖された場所では、家格の上下には厳しいに違いない。つまりこの温泉は、誰でも入れるものではないということだ。


 藤源次に感謝しながら月夜を眺めていると、土を踏みしめる音が聞こえた。幾ら月光が明るいとはいえ、光の届かない場所は闇だ。

「うん? 何か来たな」

「猿が入ることがありますから、これは猿でしょう。きっと騒々しい猿です」

「誰が猿だよ! 兄ぃ気付いて言ってるだろ!」

「なんだイツキ君か」

 亘は少しがっかりした。湯の中で足を伸ばして沈み込み、首まで浸かっておく。

 ここが藤源次の湯なら、スミレでも来ないかと少しは期待していたのだ。人妻属性はないが混浴は別だ。もっとも、実際にそうなれば身を硬直させ、顔を真っ赤にするのだが。

「長老衆の手伝いは終わったのか。お前が自分から手伝うなんて、どういった風の吹き回しだ」

 イブキは湯冷ましに岩の上に座る。男の身体に興味はないが、ちらと見ると実戦的に引き締まった身体だ。男同士で前を隠す様子もなく、一瞥して勝ったと思う亘であった。

「そりゃーな、アマテラス本部から使者が来てたからな」

「お前また……長老の側で客人の話を聞いてきただろ。あまり目立つことをすると、そのうち疎まれるぞ」

 イブキが怒るのもムリはない。田舎では画一性が強く求められる。目立つことをすると、『ああは、なるな』と後ろ指をさされ孤立し、その悪評は生涯ついて回るのだ。しかしイツキの方はどこ吹く風だ。

「いいじゃないか。兄ぃだって、いつも俺の情報を聞いてるくせに」

「そりゃそうだがな。それで? 今回は何か面白い話が聞けたか」

「何かな、トト様に聞きたいことが、あったらしいぜ。なんかな、本部も大変らしいぞ」

 そんな話をしつつ、イツキも風呂に入りだすが亘はあっけに取られた。

 帯を解き全部脱ぎ捨てた姿が月光に晒されるが、その身体は全体的に丸みを帯びた柔らかなつくりのものだった。胸が少し膨らんでおり、しゃがんで服を畳みだした股の間は何もなく視線が通る。

 イツキは女の子だった。


 上機嫌のイツキは鼻歌を歌い、こちらを向いて掛け湯をする。その様子は、相変わらず亘の目など気にもしていない。前を隠す素振りもなく、無頓着に足を上げ石を跨いで湯に入る。やはり女の子で間違いない。

「本部から来た中に、ピヨさんはいたか?」

「残念だけど別の人だぜ。でもよ、本人の前でピヨさんって呼ぶと怒られっかんな」

「あの人は、からかうと面白いからいいのさ」

「だよなー。兄ぃってば、ピヨさんからかうの好きだな」

 イブキもイツキも裸を気にした様子はない。そしてやはり混浴になると、亘は顔を赤らめて視線を逸らし、ちらちらと見るしかできない。

「本部が来た内容は何だ」

「あのなー、知りたい? どうしよっかな、教えよっかな」

「さっさと教えろよ」

 思わせぶりな言葉をしたイツキと、腹を立てたイブキとの間で、子供っぽい湯の掛け合いが始まる。亘が巻き添えになったところで、それは終了した。

「五条の小父さん申し訳ありません。ほら、イツキも謝れよな」

「ごめんなー」

「ったく、ちゃんと謝れよ。それで? 何があったんだ」

「うん。あのな、玉藻御前が倒されたらしいぞ」

 亘はビクッとした。玉藻御前といえば、思い当たる節がありすぎるのだ。

「そうか! それは凄いじゃないか! どこの里が仕留めたんだ!?」

「違う。外の人間が倒したってよ。しかも一人でらしいぞ」

「はあ? ぶぁーか、嘘つくな。シッカケ一族が仕留めきれず、逃げられた相手だろ。そんなの外の人間に倒せっこないだろ」

「長老も同じこと言ってたけどな、トト様が本当だって断言してたぞ。なんか事情を知ってるみたいだけど、今は言えないって」

「本当か! くそっ、トトのやつめ。そんなことを黙ってるなんて!」


 そんな兄妹の会話を聞きながら、亘は思案した。明らかに自分の話題だ。藤源次が黙っているのは自分に配慮してだろう。もし自分がタマモを倒したと、里の連中が知ったらどうなるか。

 タオルで顔を拭うふりして様子を窺うが、二人ともタマモを倒したのが亘とは夢にも思っていない様子だ。それも当然だろう。

「それで? お前が上機嫌な理由は、玉藻御前が倒されたからってわけじゃないだろ。何か企んでいるだろ」

「だってな。外の世界に出る方法を思いついたんだぜ」

「またかよ。無理だって、どうせ大人が許しちゃくれない」

「ふっふっふ。今度は完璧なんだな」

 イツキは素っ裸で胸を張っている。いくら兄相手とはいえ、それはないだろう。ちらっと見て視線を逸らしながら、そんなことを思う。

「出たな、イツキの完璧……お前の完璧は、そうだった例しがない」

「違うって、今度のは完璧の完璧なんだぜ」

「じゃあ言ってみろよ」

「つまりな、俺がその人の嫁になるってわけだ。どうだ、完璧だぜ」

 イツキは益々、胸を張っている。ツンとした部分が上を向くぐらいだが、亘はそれを見るどころではない。顎近くまで湯に浸っていたため、危うく息の代わりに湯を呑みそうになって悶えていた。

「そりゃイツキにしては、いい考えだ。そんな強いヤツと子が出来れば、きっと凄い忍びになるに違いない」

「ついでに、俺も外の世界に出られるんだぜ。ああ、どんな人かな。すげー格好良い人かな。会ってみたいな」

 それは自分です。ここにいます。などとは、とても言えやしない。仮に不調で無かったとしても言えなかっただろう。格好良さなんて欠片もないのだから。

「日本武尊みたいな凛々しい感じかもしれん。いや、前鬼様みたいなゴツイ感じかも」

「うわ、兄ぃってば酷いぜ。乙女の夢を穢さないでくれよ」

「お前こそ酷いな。それ前鬼様の前で言えるのか」

 軽い口喧嘩をする兄妹の横で、ますます何も言えなくなってしまう。凛々しくもないし、前鬼ほどゴツくもない。乙女の夢を穢す者でしかないのだから。

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