第104話 身も心も煤けた中年男
テガイの里で過ごす二日目。
朝食でなく朝餉と呼びたい米の粥は、塩だけの味付けだったが胃に染みるように美味い。添えられた梅干しも塩はゆく、口をすぼめたくなる本物だ。あまりに美味くて、かき込むように食べてしまう。
軽く寝不足だった頭がしっかりしてくる。
なにせ田舎は案外に静かではない。昨夜はフクロウやカラス、セミやカエルの鳴声が耳について寝付けなかったのだ。それで朝も起きそびれてしまい、亘は一人で朝餉を頂くことになった。他の者はとっくに起床し、朝餉をすませて日常生活を開始している。
イブキとイツキは朝の農作業に出かけ、スミレは亘の朝餉を準備すると洗濯に行ってしまう。残った藤源次が忍び道具を手入れをしているぐらいだ。
「ところで異界はいつ行けるんだよ」
「ん、いきなりどうしたのだ」
作業をしながら、顔も上げず藤源次が答える。両刃ナイフのような苦無に軽くヤスリをあて、時折バランスを確認している。本来の用途であるスコップや簡易刃物としてではなく、暗器の手裏剣として使うためだろう。手入れに余念がない。
「そりゃな、不調を改善するために来たからな」
「ふむ。今日の昼過ぎに、里の若衆が異界の修練場に行くでな。それに同行する手筈にしておる」
「異界の修練場か」
亘は目を見張った。そんな便利な場所があるならDP稼ぎに最適だ。雨竜君のいる異界のように、定期的に悪魔が狩れるのだろうか。
「里の守り神、いや守り鬼と言うべき存在がおられる場所だ。かく言う我も若いころには世話になったのう」
「なるほど、狩り場の異界を残しているのか。ついでに定期的にDPを回収は……それはアプリの使用者だけか」
「何を言っておるか。この修行場の異界の主は、役小角大師が従魔の前鬼殿に後鬼殿。お主が言うような狩り場ではない」
「マジか」
驚いたのは前鬼や後鬼との名前だ。それは伝説に語り継がれる存在であり、それが普通の会話の中に登場したことに驚いている。
もっとも、つい最近倒した五尾の狐のタマモも伝説の九尾の狐のなれの果てだ。さらには正月には、お宮の神様にも会った。『デーモンルーラー』に関わって以来、伝説がグッと身近になっている。
「その修行に付き合ってダメならば、また若衆が修行に行く時に同行すれば良い。次となると二日後だがの」
「なんだ毎日行けばいいのに」
「ふふふっ、早く治したいお主の気持ちも分かるが、そう急いてはいかん。そう毎日異界に行く者など居るまいて」
「えっ、そうなのか」
それで話を聞けば、テガイの里では異界に潜るのは普通週一回程度、多い者でも二回だそうだ。毎日のように通っていた亘からすると驚きでしかない。
「毎日行ったりとかしないのか? 修行だぞ修行。毎日やるべきだろ」
「バカを申すでない。異界の地で戦うのだぞ。よほどの阿呆でもない限り、毎日など心が持たぬだろうて」
「……そ、そうだよな。はははっ」
藤源次に言われ、阿呆の亘はがっくりした。何だか自分が異常のように思えてくる気分だ。
そこにスミレが戻ってきた。洗濯は終わったらしい。
「あら、五条殿。おはよう様です。お食事、終わられましたか」
「ごちそうさまです。朝から美味しい食事が頂けて、ありがとうございます」
「あらまあ、お上手を」
「本音ですよ。街では食べられませんから」
パンと牛乳で朝食をすます独身男の意見だ。
「ところで五条殿は、お役人様とお聞きしました。それで、お願いがあるのですけど」
スミレがニッコリ微笑んだ。
◆◆◆
亘とスミレが並んで里の道を歩いていく。踏み固められた土の道は狭く、近い距離で並んで歩くと人妻相手でも、ちょっとドキドキする。いや人妻だからこそかもしれない。
「じゃあスミレさんも悪魔と戦ったりするんですか」
「ええそうですよ。こう見えて、対悪魔の忍びとして強いんですから」
「対悪魔の忍び……ひと文字置きで略すと、ヤバイな」
「?」
「いえ、何でもないです。忘れて下さい。はははっ」
亘は笑って誤魔化し、話題を変える。スミレ相手にイケない想像をしたなどと知れたら、藤源次がどんな反応を示すか考えるだに恐ろしい。
「ところで、さっきのお願いって本気ですか? 本当に自分でいいですか?」
「ええ、もちろんです。五条殿に講師をお願いしたいです」
「先程も言ったように、自分は講師なんて柄でないですし参考になるような話はできませんよ」
「せっかくの機会ですから、里の子らに是非外のことを学ばせたいのです。普通に、日々の暮らしを話して頂くだけで構いません」
「そうですか……じゃあ、好きに話させて貰います」
「お願いします。さあ学舎に到着しましたよ」
目の前に木造平屋の簡素な建物がある。他の住居よりさらに簡単な、けれど頑丈そうなつくりに見える。
「学校があるんですか? 意外だな」
「教員免許を持った者がおりますので、一応義務教育的なことは学ばせております」
その義務教育以外に、異界や悪魔に関する授業、忍者としての知識や伝統の授業、武術の稽古も学ぶということで、里の子供たちの方が外の子供たちより忙しいに違いない。
中に入ると畳の部屋で、文机を前に子供たちが礼儀正しく正座している。十人近い数で、里の規模から考えると随分と多い。それもまだ幼い子供ばかりで、もう少し上の年代がいることを考えれば、どうやらテガイの里に少子化問題はなさそうだ。
部屋の隅には、険しい顔の男が控えているが、よく見れば黒賀鬼妖斎ではないか。忍者ショーのノリの良さはなく、寡黙な雰囲気で正座している。どうやら総髪姿はショー用でなく普段からのようだ。
老人たちから、外の世界に憧れをもたせることは慎むよう注意されている。つまり、黒賀鬼妖斎は監視役ということで間違いないだろう。
案内してきたスミレが皆の前に立つ。
「皆さん、もう知っていると思いますが、こちらが里の外から来られた五条殿です。さあ、元気よく挨拶しましょう。こんにちは」
\こんにちは!/
一斉に唱和する声は純朴で元気いっぱいで、思わず怯んでしまうぐらいだ。
「あ、どうも五条です。こんにちは」
「急遽ではありますが、五条殿から外の世界について、お話をして貰います。皆さんは外の世界について勉強してますね。でも、そこで暮らす人から聞かなければ分からないこともあります。しっかり聞いて、将来のお役目に役立つよう学びましょうね」
\はーい!/
またしても唱和がおきる。
目の前にいるのは、幼いとはいえ小学生ぐらいの年代だ。外の世界のスレた子供たちとは、まるで違う純真さではないか。
そんな子供たちの素直な反応は、身も心も煤けた中年男を怯ませてしまう。だが、嫌な気分ではない。少しワクワクもしている。男というのは基本教えたがりであって、亘もその例にもれないのだ。
軽く咳払いをして話を始める。
「それではよろしくお願いします。えー、特に何を話すか考えてませんでしたので、どう話せばいいのか分かりません。とりあえず、身近なところから話しましょうか」
そして、説明を始めたが……教えることの難しさを、すぐに痛感する。
建物の違いを説明しようとビルについて説明すると、コンクリートが何かを説明せねばならない。道路の違いを説明しようとするとアスファルトを、自動車は車両の概念から説明せねばならない。
同じ知識や概念を共有しない相手に説明するのは、存外難しい。汗をかきながら説明をしていると、元気よく手が挙がり質問が飛んできた。
「五条先生の、お役目はどのようなものですか」
「先生!? あ、うん。先生ね、ははっ」
先生と呼ばれると面映ゆくなり、ちょっと偉くなった気分にさせられる。その呼称に慣れた人間が尊大となるのも無理ないかもしれない。
「仕事内容を説明するのは難しいかな……国家公務員と呼ばれる、国の組織で働いているわけだが、それをどう説明したものかな」
「お役人様ですか!」
「ん? まあ役人呼ばわりされるかな。おお、そうだ昔風に言うなら、幕府の役人みたいなものかな。はははっ」
亘は笑っていたが、ここが時代に取り残された里であることを失念していた。幕府の役人と聞いて子供たちどころか、スミレも黒賀鬼妖斎までも居住まいを正している。
それに気付かないまま、亘は自分の仕事を一生懸命説明していく。だが、話が徐々にズレていった。
勤務先は選べず、場合によって何年も家族と引き離され一人で暮らさねばならない。年々人手が減る一方、仕事量は増加。そのため寝る間も惜しんで働き続けねばならず、夜に自宅へ出かけ、朝は職場に帰ってくる気分となる。ストレスと疲労から来る頭痛や目眩に難聴、そして鬱に耐え頑張らねばならない。『休憩』や『休暇』という言葉を忘れ、仕事以外が考えられない日々。眠くとも病気で辛かろうとも仕事に行き、ふらふらになっても働こうとする。
「――とまあ、そんな毎日が続く訳ですが、それだけ頑張っても世の中どころか上司からも評価されず非難される有り様でして、例えば電話をとった瞬間罵声が――」
「五条殿。五条殿。申し訳ありませんが、その程度でお願いします」
「えっ、まだ時間はあったかと……」
「もうやめて下さい。泣いてる子もいるんですよ」
顔を横に振るスミレが懇願するように拒否してみせる。
それで室内を見ると子供たちは引きつった顔をしており、一番幼い子にいたっては本当に泣いていた。それを年上の子が慰め、非難の顔で睨んでいるではないか。黒賀鬼妖斎などは目を見開き強ばった顔だ。
「まだここからクレーマー襲撃とか過労死、働いた後の熟年離婚の悲哀まで話すつもりでしたが……」
「止めて下さい!」
スミレが必死に止めるので、仕方なく締めの言葉に移る。
「まあ、そんなわけでして、外の世界というのも大変なんですよ。なにせ毎日百人かそこらが、自分で死を選ぶぐらいですからね。はははっ」
「…………」
室内はシーンとして陰鬱な雰囲気だ。その雰囲気を打ち払うように、スミレが取って付けた拍手をしてみせる。
「はいどうも、貴重なお話をありがとうございました。皆さん、五条殿にお礼をいいましょうか」
\ありがとうございます……/
唱和された声は、最初と違ってトーンが弱くなっていた。
後に分かるが、里の長老たちが望んだように子供たちは外の世界への興味や憧れを失った。それはむしろ恐れるぐらいだったそうだ。
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