第103話 ここのルール

 案内されたのは他より立派な屋敷だ。里の中心付近にあり、前には小さいながら広場があり半鐘の櫓もある。

 少し武家屋敷っぽさを感じる玄関をくぐり、茅葺き屋根の屋敷へと邪魔する。入って直ぐの座敷に案内されると、和装の老人たちが待ち構えていた。中央の上座と左右の下座に一人ずつで、まるで時代劇の謁見シーンのようである。

 亘は気分をお仕事モードにして、促されるまま座布団に正座した。

「よういらした、五条殿ですな。話は藤源次より聞いておりますゆえ、しばしの間、ゆるりと我らが里に逗留されるとよろしい」

「ありがたいお言葉、感謝致します。外よりまかり越したため、色々と至らぬ点や風習の違いによる間違いをしでかすかもしれません。どうか、ご容赦願います」

 大河ドラマの侍の台詞を思いだしつつ挨拶をし、頭を下げてみせる。きちんと床に手をついてみせると老人たちが驚きの顔をした。

「これは驚きましたな。外から来た人間が、こうも礼儀正しいとは」

「不作法者なれば、大したことありません」

「宮内庁の人間はいいとして、酷いのはNATSやキセノンとか申す者たち。若い癖に高飛車で、無礼な輩が多くて困りまする」

「さようですか」

 その無礼な輩は、蛭が出る山中を歩かされ大いに機嫌を損ねたに違いない。亘だって、麓からここまでアスファルト舗装を敷き詰めてやりたい気分なのだ。ただ、そうした不機嫌を相手に見せないだけである。

 そうとは知らぬ老人たちは穏やかに笑っていた。

「さて、五条殿に申しておくことがあり申す。里に滞在するにあたってだが、若い者が外の世界に興味を持たぬよう、言動に注意をお願いしたい」

「左様、我らは定められたお役目を果たさねばならぬ」

「若い者は兎角流されやすい。浮ついた目先のことに流され、修業が疎かになっては困りまするのう」

 老人たちが述べるのは、随分と古臭い考えだ。若者に情報を与えず自由を奪い、定められた役目のため目を閉ざし生きさせようとしている。それには反感を覚えてしまう。

 だが、亘は頷いてみせた。

 ドラマの主人公のように、自分が正しいと信じるルールを相手に押し付けることはしない。ここはここのルールで生きている世界だ。それを土足で踏みにじらない程度の分別はある。

「分かりました。外の世界もそんなに良いものではありませんからね」

 当たり障りなく言っておく。

 現代社会も、若者に自由がないことは似たようなものだ。職業選択の自由があるように見えて、実はそんなに選択の幅はない。生まれ育った環境で将来の粗方は決まってしまい、それを変えるには大変な努力が必要となる。


 自由に見える不自由の中で迷いながら生きるのと、決められた将来に向け努力するのと、果たしてどちらが良いのだろうか。亘が考え込んでいると、それまで黙っていた藤源次が口を開く。

「そのような考え、我は古いと思うのだ。これからは外を知り学んで、先に進まねばならん。それこそが、お役目のためとなるのではないか」

「藤源次! お主は何を申す!」

「だが、里の人間は年々減っておる。抜け忍となり、里を去った者もおるではないか」

 横で座していた藤源次が不満そうな声をあげ、それに対し長老たちが気色ばんでいる。そんな緊迫した空気の中、不謹慎な亘は『抜け忍』という言葉にワクワクしていた。やはり追っ手を放つのだろうかと、バカなことを考えている。

「我らは変わらねばならん。そのためには……」

「黙れ! 『十四代目藤源次』の名を受け継いだ者が何を申すか!」

 長老の一人と藤源次が激しく言い争っている。やがて上座の長老が渋い顔で仲裁に入った。

「双方ともいいかげんにせぬか、客人の前であろうが」

「……五条の、すまぬ。失礼した」

「とにかく、先に申したことは厳守していただきたい。よろしいな」

 念押しされて挨拶は終わり、その場を辞した。


◆◆◆


 思ったより時間は過ぎており、日は山の向こうへと沈んでいた。それでも急峻な山に囲まれた空は明るく、歩くことに困りはしない。そんな薄明の状況は光と闇が混在しており、異界の中を少し連想させた。

 スタスタと歩く藤源次は、すれ違う里人と軽く挨拶を交わしていく。どうやら里の中における藤源次の地位は高いようで、皆から丁寧なお辞儀を受けていた。

「悪いけどゆっくり歩いてくれないか。こっちは慣れてないんだ」

「おお、すまなんだ……ところで先のは見苦しいところを見せたな」

「気にしなくていいさ。それより『藤源次』の名は襲名なのか」

「まあな。『藤源次』は我で十四代目になるのう。我が祖先は後からテガイに移住した新参者でな。何かと風当たりが強いのだ」

 藤源次は軽く肩をすくめてみせると、宵闇の中を歩きながら語りだす。

 十四代目ともなれば、軽く見積もっても二百年ぐらい歴史がありそうだが、それでも新参者扱いなのだろうか。田舎恐るべしだ。

「昔な、我は平三郎と名乗っておった。名前で分かろうが、兄者が二人おった。だがのう、一人が里を抜けようとして、もう一人が止めようとして諍いになり……それで我がお役目を継ぐことになったのだ」

 言葉が濁されたが、何があったかは想像がつく。亘は何とも言えない気分で、黙って聞くことにした。どうせ藤源次も返事を求めてやしない。

 どこからか漂う味噌汁の臭いが鼻腔をくすぐり、こうした営みは変わらないのだと妙なことで感心してしまう。

「実はの、我も外の世界に憧れがあった。兄者らのことがあって、それを忘れようとお役目に励んだものよ。我らでなくては異界の地で悪魔を倒すことはできぬと、自分に言い聞かせてな……だが、お主のような、『デーモンルーラー』を使って異界の地で戦う者たちが現れた」

「…………」

「我は羨ましかった。外の世界に暮らし、同時にお役目も果たすお主らが羨ましかった。最初にお主に会った頃はのう、実は嫉妬しておったわい」

「そんなに自由に暮らしてるわけでもないけどな」

「ふむ、お主からすれば、そう思えるかもしれぬな。だが、我から見れば実に自由だ。好きな場所に住み、好きなことができ、好きな者と子をなせる」

「藤源次、お前まさか……」

「おっと勘違いするなよ。別に妻に不満があるわけではない。小娘が我のような者に嫁がされてな。我の腕の中で震えておったあやつが気の毒でならなんだ」

 途端に亘はイラッとなった。これは惚気の部類ではないだろうか。

 しんみり同情しかけた気分は、一瞬で吹き飛んだ。独身からすれば、決められた結婚でも羨ましい。しかもスミレのような相手で、しかも小娘と呼べる年齢ならば、なおのことだ。

「できれば、我が子らには自由に生きて貰いたいと思うのだがのう」

「あっそ。家族の間で良く話し合ってくれ」

「そうよのう」

 それから互いに黙ったまま歩き、藤源次の家へと到着した。


 板戸がガラゴロと開けられると、炭の燃える臭いと美味そうな臭いが一気に押し寄せてきた。

「帰ったぞ」

「遅いぞ。俺はお腹が減ったぞ! あっ……」

 大喜びでイツキが駆けて来たが、亘をみるなりバツが悪そうに顔を赤らめる。まだ存在に慣れてないらしい。

 藤源次はそのイツキの頭を優しく撫でてやる。

「待たせてしまったのう。すぐ食べるでな、カカの手伝いをしておくれ」

「わかった」

「さあ五条の、今日はお主が来た祝いで御馳走ぞ。楽しみにしておれ」

「確か猪とか言っていたな。普段はあまり食べないのか」

「うむ、獲物次第だ。熊や鹿もとれるが、やはりお勧めは猪だのう。お主は運が良い」

「随分とワイルドな話だな」

 囲炉裏に吊された鍋が良い香りの元で、それが猪鍋に違いない。その肉は、場所が場所だけに狩猟で得たものだろう。フゴフゴ言いながら山中を駆け回っていた猪だ。さぞかし美味いことだろう。なお、自分が肉に限らず他の命を得て生きていると自覚しているので、気の毒に思いこそ可哀想とは思わない。

 家の主人である藤源次が奥へと座り、亘はその右手横に座る。板場に直にではなく、藁を編んだ丸い敷物が尻の下にある。

「ほら。えーっと、どぞ」

 顔を赤くしたイツキが押しつけるように、ご飯が山盛りの茶碗を置いていく。まるで昔話に出てくるような、見事な山盛りご飯だ。冗談かと思いきや、藤源次の前にも同じような形状のご飯が置かれていた。


 真向かいにスミレが座り、続いてイブキとイツキが玄関を背に座ると食事が始まる。天上から伸びる自在鉤の先に吊された鍋の蓋が取られると、やはり猪肉の鍋だった。牡丹鍋という奴だろうが、実に良い匂いがする。

「頂きます」

「さあ、まずは五条の。お主から食べるとよい」

 藤源次自らよそってくれた肉を食べる。それは普段食べている豚肉と違い、噛めば噛むほど味があり旨味が溢れる。少し期待するように藤源次が見てくるのは、どうやら感想を待っているらしい。

「美味いな。こんなに味のある肉は初めてだ。普段食べてる豚肉とは、まるで違う。本当に美味い。この鍋の中で進化したぐらい素晴らしい味だ」

 世辞抜きの素直な感想を述べると、藤源次が嬉しそうに笑う。

「うむうむ。さあ、お主たちも食べると良い」

「俺は腹減って倒れそうだぞ。頂きぃ」

「お客人の前なんだ。もっと大人しくしろよ」

「兄ぃ、うるさいよ。じゃあ、肉貰いっと」

「ちょっ、お前。俺を差し置いて!」

 囲炉裏を囲んでの賑やかな食事だ。

 亘も次々よそわれる鍋を食べるが、肉だけでなく野菜も味が濃厚で旨味がある。ただし肥料のことは考えないようにせねばならない。火は通してあるので大丈夫だろう。

 そして米が凄かった。

 本物の釜戸炊きで炊かれた米は、それだけで御馳走という味だ。外食の米なんて舌に載せただけで崩れるような代物だが、口の中で米が立つぐらいしっかりして弾力がある。そして、これぞ米という味がある。これなら山盛りご飯でも全く問題なく食べてしまう。自分が稲作文明に生まれたことを感謝しながらかき込む。

「美味いっ。これは本当に美味しい。米の甘みが出て実に美味い」

「まあ五条殿たら、大げさですね」

「いやいや本当ですよ。こんな美味い米を食べたのは初めてだ」

 バクバクと食べる亘の姿に藤源次は満足そうに笑い、スミレも嬉しそうにする。そうすると横から遠慮がちにイツキが尋ねてきた。

「なあ外じゃ、ご飯が美味しくないのか?」

「こらイツキ失礼だぞ」

「うーっ」

 イブキに窘められ、イツキが不満そうに下を向く。どうやら外からの客に物を訪ねるのは遠慮すべきことらしい。

 亘がチラッと藤源次をみやる。それだけで意を介してくれた。

「なに構わぬて。五条のは、悪い人間でない。聞きたいことがあれば、聞けば良い」

「本当か!? じゃあ外のことを聞いてもいいか」

「外の見聞を深めるのは良いことぞ」

「えっと、それじゃあなあ……」

「待て、俺が先だ。なあ、五条の小父さん。外だと、どんなのを食べてるんだ」

「あーっ! 兄ぃずるいぞ。俺が先に聞くつもりだったのに」

 ワイワイと騒ぐ兄妹の横で亘は黄昏れていた。自分でおっさんを自称することもある。だが、他人から小父さんと言われるのは、かなり精神的にくるものがある。

 確かに2人の母親であるスミレより年上であり、そう呼ばれても間違ってはない。

「外の食事は、色々あって説明しきれないな。自分が最近料理したものでなら、焼きそばにカレーにハンバーグ。あとはキツネうどんに、稲荷寿司だな。なにせお揚げが大好物な同居人がいるので」

「あら、五条殿も随分と料理をされるのですね」

「アパートに大食漢が二人も居ますから。味はともかく色々と料理をしますよ」

「うふふっ、うちと同じですね」

 亘の話したメニューが分からずキョトンとする二人に、それがどんなものかを説明する。たちまち目を輝かせ興味津々だ。

「おおっ、そんな食べ物があるんだ。外は凄いものだな」

「いーな、俺も食べてみたいぜ」

「だけどスミレさんの料理の方が、断然美味しいと思うな。今まで色々と食べてきたけど、こんなに美味しいご飯は初めてだから」

 長老衆との約束を思い出し、あまり外を持ち上げないようにする。ここに来た本来の目的は、APスキルや操身之術の機能不全を解消するためだ。その前に追い出されることは避けねばならない。

 もちろんスミレの料理が美味しいのは事実だが。

「ふーん。そっか、カカの料理がねえ。そうなのか」

「だから我がいつも言うておるだろ、カカの料理が日本一だとな」

「あら、あなたったら。うふふっ」

「トトとカカも相変わらずだな、まったく。おいイツキよ見るといい、これが熱々かっぷるというやつだぞ」

「兄ぃは物知りだな」

 藤源次一家はワイワイと楽しそうだ。おかげで亘まで楽しく過ごせて……いない。楽しい家族の中に紛れ込んだ、異分子状態だ。一人でいるより、なお強い疎外感に胸の奥をざわつかせていた。

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