第102話 忍者凄い

 山間の道を歩いていく。

 足元は一応はアスファルト舗装だが、落ち葉や泥土が積もっており長いこと車の通行がないと分かる。辺りは自然豊かで、むっとするほど木や土の臭いが立ち込めていた。

 ただし不快指数は高い。季節柄の虫が顔の周りを飛び回り、耳周りに寄ってくるので鬱陶しいのだ。手で払っても払いきれず、殺虫剤があれば噴霧したくなる。

「おいおい、行き止まりじゃないか」

 しばらく進んだところで、『この先、行き止まり』と書かれる苔むした看板とともに道が終わっていた。なおこうやって不自然に道が途切れる場所は、県境や市境であることが多い。

「我らがテガイの里は車では行けぬと、言っておいたろう。それに里は隠れ里なのでな。ここからは山道になる」

「……もしかして、そこを行くのか」

 藤源次が指し示した先を見やり、亘がうんざりした声をあげる。

 そこは藪で、よく見れば僅かに途切れているというだけだ。周りから飛び出した枝葉や下草に殆ど隠れており、良くて獣道でしかない。

「その通りだ。さあ、行こうかの」

 頷いた藤源次が、藪を掻き分け軽い足取りで分け入っていく。里へと運ぶ重そうな荷物を背負子で背負っているが、それで平然と進めるのはさすがだ。仕方なく亘も後に続く。

 歩き辛い藪は直ぐに終わる。そこから先は植林され放置された森特有の、太い木々が空を覆いつくした薄暗い空間だ。下草がないので歩きやすいが薄気味悪い。しかも密生した木々が視界を遮り、見通しが良いとは言えない。先導する藤源次の姿でさえ、うっかりすると見失いそうだ。


 どちらも無口な質なので、会話もなく黙々と進んでいく。亘が軽く汗をかきだしたころ、藤源次が思い出したように振り向いた。

「おおそうだ、五条の。ここらは蛭が出るでな、注意しておけよ」

「おい。それを先に行ってくれよ。だったら、せめて長靴にしたのに!」

「なに血を吸われるだけではないか。気にせんでいい」

「普通は気にするんだよ!」

 仕事関係で山中を踏査することもあり、蛭の恐怖は良く知っている。木の上から降ってくると言われるが、経験からすると大半は足元から這い上がってくることの方が多い。ただしボタッと肩などに落ちてくる蛭の恐怖は言葉に言い現わしがたいが。

 最低限の対策としては長靴を履き、服との隙間をガムテープで巻かねばならない。それだけしておいても、気付くと太股辺りで血を吸われていたりするのだが。つまり、今のような軽装のスニーカー姿など、どうぞ吸って下さいと言わんばかりのものだ。

 蛭の存在を知らされると、急に不安になってしまう。

 地面を丹念に見回す。いるとすれば尺取り虫のような蛭が身を起こし、触手のように身体をウネウネさせているはずだ。

 しかし藤源次は平然とした様子だった。

「どうだ、ここらで少し休憩でもしていくかの」

「冗談を言うな。分かってて言ってるだろ、蛭がいるなら、早いとこ先に進もう」

「ふふふっ、そうだ冗談だ……おっと、動くなよ。ぬんっ」

 白刃がいきなり煌めき、亘の太股を斬りつけた。それで真二つになったのは、ズボンを這い上がっていた蛭だ。それだけを斬って、下の服には刃を届かせていない練達の技だ。

 だが、感心するどころではない。尺取り虫のように高速で足をよじ登っていた蛭を見てしまい、亘は震え上がってしまった。生半な悪魔を相手にするより、よっぽど恐ろしい気分だ。

「なんだ、お主は蛭が恐いのか」

「普通は恐いんだよ。くそっ、靴の中に入ってないだろうな。こんな場所では脱ぐに脱げやしない」

 脱げばそこを襲われる可能性がある。さりとて見なければ中で血を吸われているかもしれない。これがジレンマというものだ。血を吸われる以外の実害がないとはいえ、吸血行為は想像するだけで恐ろしい。

「ふむ、そうか。では急いで通り抜けるとしよう」

 それから、谷を越え山を越えテガイの里に向かう。途中から極相に達した原生林となり、さらには踏み固めた道が出現した。

 歩き慣れない山道で思いの外に時間がかかってしまったが、藤源次など里の人間が本気になれば、同じ行程を半分以下の時間で駆け抜けられるそうだ。忍者凄い、というのが感想だった。


◆◆◆


「さあ、ここが我がテガイの里だ」

「……何というかまあ。凄いとこだな」

「古びておるだろう。時代に取り残され、過去に縛られた憐れな地よの」

 藤源次の声は常になく沈鬱だった。思わずその顔を見てしまえば、自分の里を眺めるにしては哀しそうである。亘には分からぬ、色々な思いがあるのだろう。

 改めてテガイの里を見やる。

 山間の斜面に沿って十数件の家が建ち並ぶ。茅葺き屋根と板葺きに石を載せた屋根があるが、壁の方はどれも板壁であり気付いてみればガラス窓が存在しない。

 それこそ時代劇に出そうな建物で、これが今の時代に実用として存在するとは夢にも思わなかった。しかも軒先には、鶏が普通に歩いているではないか。

 低い石垣が筋状に並び、その段々に田や畑がある。その間に続く道は舗装されておらず、土を踏み固めただけのものだ。狭い道幅を考えると自動車は存在しないようで、見回した限り化石燃料を使用する農機具も存在しない。さらに、近場にあった大きな桶からは嫌な臭いが漂っており、つまり下水はなさそうだ

 辺りは草が生え菖蒲が咲き、木陰をつくる樹木はひこばえが青々とする。そんな田舎の風景だった。


「ん?」

 藤源次と並び、腰高の石垣横を歩いていると、目を向けた先でサッと動く影に気付いた。そうして気付いてみると、建物の隙間や茂みの向こうなどから、ジッと見つめてくる姿もあった。

「なあ、藤源次……あれって」

「すまんな。里の人間は外の人間に慣れておらぬのだ」

「今時バカな。もしかして、里から外に出たことがないとか?」

「そうした者もおる」

 小さなコミュニティは互いが監視し合っているようなものだ。そこに住む者は特別目立ったことができない。そのため刺激に飢えており、物珍しいことには鵜の目鷹の目なのだ。きっと明日を待たず、亘の存在を里の全員が知っているに違いない。

「本当に、こんな場所があるとはな……」

「これでも下に忍者の里がオープンしたおかげで、多少改善したのだ。外の世界との繋がりが増えたのでな」

 そんな話をしていると、一軒の茅葺き屋根の前で足を止める。他の家より一回り立派な建物で、外に手押しポンプの井戸もあるぐらいだ。ここが藤源次の家らしく、その井戸水で手を洗い顔を洗う。

「ここが我の暮らす住居になる。さあ上がってくれるかの」

「下の忍者の里みたいな、カラクリ屋敷なのか」

「ふむ、あれは観光用のものだ。普段の生活であれでは、不便だろうが」

「夢がないな」


 古民家然とした中は薄暗い。目が慣れる数瞬の間に、人の家の臭いを感じとる。郷愁を誘う線香と畳、それに味噌系の臭いだ。嫌な臭いではないが、

 なぜか気が滅入る。考えてみると、幼い頃に預けられた祖父母の家の臭いに似ていた。ここは大丈夫だと自分に言い聞かせ、暗順応した目で家屋内を見回す。

 入ってすぐは土間となり、横に煮炊き用の竈がある。室内は板張りの床で囲炉裏があった。その奥は板戸と障子で仕切られているが、部屋が続いている様子だ。本物の古民家で、リフォームされた嘘くさいものではない。

 洗い場の蛇口と天井からぶら下がる笠付きの電灯が、ようやく近代文明の存在を感じさせてくれる。だが、平たい石の上がり台に、普通に存在する草鞋に気づき、文明は中世まで後退した。

「ご到着ですか、お疲れ様でしたね」

「なんだ、スミレさんも里の方だったんですか」

 奥からひょっこり現れたスミレに、亘は驚きの声をあげた。その姿は忍者の里に居た時のような、ピンク色の忍者服ではなく、もっと地味な色合いの麻の作務衣だ。

「そうですよ。藤源次様から何も聞いておられませんでしたか?」

「全く聞いてませんよ。でも出発するときは忍者の里に居ましたね、先を越されるとは……スミレさんも忍者なんですね」

「端くれ程度ですよ」

 うふっとスミレが笑う。

 ちょっと亘は感動した。今の自分は上手いこと女性と話せているではないか。随分と成長したものだ、と自分で自分を褒めてやる。

「ふむ、少し待て。ついでにうちの者を紹介しよう。おおい、出てくると良い」

 藤源次が背負子を降ろし、家の奥へと声をかけた。

 音もなく坊主頭の少年が現れ、続いて前髪の長い年下の少年が足音をさせ現れた。高校生ぐらいと中学生ぐらいに見えるが、どちららも見知らぬ亘に対し緊張した顔をする。しかし、僅かではあるが興味津々といった表情もあった。

「イブキと、イツキだ。二人とも挨拶なさい」

「「……どうも」」

 二人とも揃って言葉少なに頭を下げてみせる。それは、まるっきり田舎の子供が、初めて外国人を見た時のような反応だった。とりあえず不審や嫌悪といったものはなさそうで安心する。

「自分は五条と言います。数日、お邪魔させて貰いますので。よろしく」

「「…………」」

 返事がないが、仕方ないと諦めておく。

「すまぬな、村人以外の相手に慣れておらぬのだ。それと、今更紹介するのもなんだが、これが妻のスミレだ」

 亘は耳が遠くなった気がした。いや、自分の聴覚を疑った。

「……えっ?」

「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。夫がいつもお世話になっております」

「ちょっと待って。スミレさんって、二十歳かそこらでしょう。それが藤源次の妻?」

「あら、五条殿たら、お上手をおっしゃって。私、これでも三十を少し越してますよ」

 スミレが嬉しそうに笑う。若く見られて嬉しいといった様子だが、それにしたって若い。これがDP吸収による、アンチエイジング効果なのかもしれない。

 藤源次に対する腹立たしさを抑えながら、軽く笑う。

「はははっ、そうですか。とてもそうは見えませんな。世辞抜きに、本当に二十ぐらいにしか見えませんよ」

「まあ、お上手を。ふふふ」

「はははっ……ん?」

 亘は急に黙ると、藤源次一家を眺めた。子供は高校生と中学生にしか見えない。スミレの年齢と子供の見た目年齢から逆算してみる。

 その計算を終えると、五十歳そこそこの藤源次に対し怒りが湧いてきた。


 怒りが込み上がると、頭の片隅でチロチロと何かが湧きあがる感覚があった。ちょうどAPスキルが起動するときの感覚にも似ている。

 だが、その感覚は直ぐにスルリと霧散し、どこかに消えてしまう。

「荷物を置いたら少し出るぞ。先に長老衆に挨拶をしておかねばな」

「気が重いな。シッカケの連中みたいに、頭が固くないだろうな」

「なに。あそこまで酷くはない」

 言い置いた藤源次は子供らに向き直る。

「そら、荷物を納戸に運んでくれるか。お前たちへの土産もある。母さんと一緒に開けて確認するといい」

 イブキとイツキは、まだ亘を気にしていたが、お土産の誘惑には逆らえないらしい。嬉しそうな顔で背負子にあった荷物を奥へと運んで行った。それを見送る藤源次は父親の顔をしている。やはり自宅という気の休まる場所のためか、ふふっと笑っているぐらいだ。

 きっと良い父親なのだろう。少し腹が立つ。

「五条は我と同じぐらいの量を食べる。それを念頭に夕飯の準備をたのむぞ」

「かしこまりました。隣組から猪肉を頂いておりますので、猪鍋にしましょう」

「おおそうか、それは楽しみよのう」

 スミレに対する声は、多少ぶっきらぼうながら優しく穏やかなものだ。慈しむような愛情が感じられる。

 きっと良い夫なのだろう。少し苛立たしい。

「すまぬな、さて行くとするかの」

「……そうだな」

 亘は少し素っ気なく答えを返す。忍者の里で幸せな光景を見た時の、嫉妬と羨望の気分が復活していた。

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