第199話 古い別れの挨拶

 少し早い昼食で天然ウナギの蒲焼きを頂き、軽く食休みをしたところで里に別れを告げる。

――面倒だな。

 長老をはじめとした人々から逐一挨拶を受けるのだが、そこまで大袈裟にされると逆に困ってしまうのだ。とはいえど、そつにされるのも嫌なのものである。きっと、一番面倒くさいのは亘という人間だろう。

「栗に胡桃と山の幸になります。どうぞ、お持ち下され」

「ありがとうございます」

 ホクホク顔で受け取る亘だが、ずっしりした重さに山中の移動を思いやり大弱りとなってしまった。しかし、それは一緒に来てくれた藤源次とスミレが運んでくれるため何の問題もない。

 途中の蛭が出る箇所は神楽とサキの誘導によって難なく通過でき、あっさりと忍者の里の駐車場へと到着する。来る時は長くても、帰るときはあっという間だ。

「よかった、何ともない」

 亘は最後に見た時と同じ場所に同じ様に駐まっている車の姿に安堵した。

 いくら施設側で許可を貰い定期的に確認して貰っていたとはいえど、知らない場所で車を置いておけば不安を抱いてしまう。盗難、悪戯。ありえないとは言えど、可能性は常に皆無ではない。

「ふむ、五条の。お主は意外と心配性だのう」

「意外ってのは失礼だな。用心深いから異界でも生き延びられるってもんだろ。勇敢に突っ込むよりは、慎重に様子を窺うべきじゃないか」

「ふふふっ、確かにその通りだのう」

 笑う藤源次から荷物を受け取る。

 やはり重い。これを背負って山中を踏破する忍者の凄さを改めて感じてしまう。

 亘は車のトランクへと土産の袋をしまい込む。

「これで栗ご飯にしてみよう。いや栗きんとんか、栗粉餅に挑戦してみるのも良いかもな。だが、上等な栗だから蒸しただけでも美味そうだよな」

「お主は芸達者だのう」

「そりゃそうだ、なにせ食べるのが大好きな従魔がいるのでな」

 亘と藤源次が揃って視線をおろせば、背伸びして車のトランクに顔を突っ込むサキの姿がある。もちろん、頭には神楽がのって今にも食べたそうな様子であった。

「それより、イツキの方はいいのか? ほら行ってやれよ」

「むっ、そうさせて貰おう」

 亘が山の幸を守る行動を開始すると藤源次は苦笑しながら移動していく。

 故郷に一度戻ったことで里心が付いたのだろうか、イツキは少し泣いている様子でもあった。藤源次とスミレに抱きつき親子三人が揃って別れを惜しみだす。

 亘は父親が愛情のあるタイプでなかったため、藤源次がイツキに優しくする姿が不思議で奇妙に感じられてならない。しかし、同時に憧憬をもって眺めてしまう。

「さて荷物を積むかな」

 だが、あまり見ては悪かろうと視線を逸らし、荷物を積み込むことに集中しだす。チャラ夫やエルムの荷物を積み込み、七海の荷物を受け取る。

 そこで少し手が触れあってしまう。

「「あっ……」」

 揃って声をあげた。

 実を言えば朝から全く言葉を交わしていなかったのだ。喧嘩しているとか、余所余所しいとかではなく、お互いに気恥ずかしく上手く言葉が交わせないのである。互いに微笑み合うだけで分かり合える気分であるので、何の問題もないのだが。

「ええ雰囲気やんな」

 つつっと寄って来たエルムがニヨニヨと笑う。

「そなんだよね。なんかさ、雰囲気だけは良いんだよね。でもさ、ボク思うにまだまだ道のりは遠いんだよね」

「んっ、確かに」

 神楽とサキは困った顔で笑い、揃って息をつく。

「どうしちゃったんすか? もしかしてお腹でも空いてるんすか?」

「……チャラ夫ってばさ幸せだよね」

「同感」

「?」

 訳の分からぬチャラ夫だけが目を瞬かせていると、イツキが跳ねるようにやってきた。軽く目の端をごしごし擦るが、笑顔は明るい。

「待たせてごめんだぜ。さあ出発しよう」

「いいのか? もう少しゆっくりでも時間に余裕はあるが」

「大丈夫なんだぞ。それに、あまり居ると……余計に寂しくなるかんな」

「それもそうか。じゃあ車に乗ってくれ」

「おうっ! と言いたいけどドン狐とチビ悪魔は戻さなくていいのか?」

 サキと神楽はムッとした顔をする。

 変な渾名もだが、自分たちの行動を指図され機嫌を損ねたようだ。睨まれたイツキはギクリとして亘の後ろに隠れてしまう。そして、そこから顔だけ出している。

「なにさ、それ。ボクたちが邪魔だって言うの?」

「そうだ」

「だってよ、完璧に座る場所ないぞ。チビ悪魔はいいにしても、ドン狐はどうすんだ。あっ、それともトランクにでも入れるのか?」

「ぬっ!」

 荷物扱いされたサキが眉を吊り上げた。

「もうっ、落ち着いて下さい。大丈夫ですよ、サキちゃんは私の膝に載せていきますから」

「それやったらウチもサキちゃんを抱っこしたいんな」

「だったら俺っちも……」

「ダメだ許さん」

 声をあげたチャラ夫に亘は冷たい目を向ける。娘を持つ父親の気分で、誰が許そうと絶対に許さない気分だ。

「とにかく出発だ。さあ車に乗った乗った」

 亘が手を振ると全員が車に乗り込みだすが、行きと同じようにチャラ夫を助手席として残りは後ろだ。本音を言えば七海を隣にしたい気分だが、それはこれから幾らでもチャンスがあるに違いないと我慢する。気を急くことなく、ゆっくりとだ。

「では藤源次にスミレさん、お世話になりました。里の皆によろしく」

 亘はエンジンをかけると窓を開け挨拶をする。

「ありがとうございました」

「またよろしくっす」

「ありがとさんやで。鬼妖斎さんによろしゅうな」

 別れの声に対し藤源次とスミレは静かに頷き、手を握って開いて――それは古い別れの挨拶なのだろうか――を繰り返す。

 車が動き出せばイツキは身を乗り出すようにして一生懸命手を振る。車はゆっくりと、慎重なまでにゆっくりと駐車場を進み、道路に出たところで少しずつ加速していった。


◆◆◆


 帰りは下り坂が主となる。

 そうなるとやはり速度を出し過ぎぬようにと、亘は注意しながら運転をしていた。途中で事故でもしたらせっかくの旅行が台無しだ。

「ウナギ最高に美味かったっす」

「そだね、ボクまた食べたいや。ねえマスター、どっか近くで獲れないの」

「昔は実家の川で獲れたと聞くが、今はどうだろう無理だろうな。河川改修とかされてしまったからな」

「河川改修ってなにさ」

 神楽の疑問にチャラ夫が偉そうにしながら答える。

「物知りな俺っちが教えたげるっす。川をコンクリートで覆って自然破壊することなんすよ」

「あのな……確かにそれはそうだが、子供みたいな一元的な物の言い方はやめろよな。自分の家が川沿いにあったとしたらどうだ。自然を守りたいから、災害で被害を受けても構わないって言えるのか」

「うっ、そらそうっすけど……」

「それにだ、あまり他の場所でその手の話題は止めておけよ。相手によっては炎上する話題だからな」

「マジっすか?」

「マジマジ、政治と宗教の話ぐらいヤバイぞ。なんなら帰ってから志緒にでも聞いてみるんだな」

 喋りながら亘は穏やかな運転をしている。同乗者に負担をかけぬよう速度変化を抑え調整しつつ、連続するカーブを滑らかに曲がっていく。

 やはり不思議なもので、行きより帰りの方が道が短い気がするのだ。気付けば山中を脱しており、左右にはチラホラ民家や古びた商店が現れだした。

 電柱や自動販売機や郵便ポスト、神社やコンビニ、郵便局に診療所。決して都会とは言えないが、ようやく人里に降りてきたといった光景であった。

「式主、いいか」

 座席の間からサキが身を乗り出してきた。運転中にも関わらず袖を引いてくる。ちょっと危ない行為に眉をひそめてしまう。

「なんだトイレか? トイレならもう少し行くとコンビニがある。そこまで我慢してくれよ」

「違う」

 デリカシーの欠片もない言葉に、勘違いされたことも含めサキはぷくっと頬を膨らませた。

「車、止める」

「車酔いか? 悪魔でも車酔いするのか。仕方ないな」

「違う」

「ふむ……何かあるのか」

 亘はバスの停留所へと車を駐めた。ちらりと見えた時刻表は隙間が一杯で、一時間に一本とかぐらいのようだ。とりあえずバスが来る心配はない。

「これでいいのか? 一体どうしたってんだ」

「戻る」

「なんだよ、ドン狐ってば忘れ物したのか。なんだったら、トト様に頼んで持って来て貰うんだぞ。そりゃ直ぐにってわけにはいかないけどよ」

「違う」

 サキの口調はもどかしそうなものを含みだす。それで七海が優しく背中を撫でてやりながら声をかける。

「サキちゃん、忘れ物でないってことですか?」

「んっ、そう」

「じゃあ、戻るのはテガイの里ではないのですね」

「んっ、そう」

「今来た道で気になる場所があったのですか」

「神社」

 流石は七海で、手慣れた様子で一つずつ確認して答えを引き出してしまう。ただし戻る理由については、行けば分かるを繰り返すばかりであった。

「どうする? 戻るのは構わないが」

「ウチはええけど。直ぐそこやろ、迷っとる間に行けばいいやん」

「俺も構わないぞ」

「ちょうど休憩にもなりますし、いいのではないですか」

 全面的に賛成らしい。

「そっすね。それよか、サキちゃんが興味惹かれるってなんすかね。もしかして、お揚げの匂いでもしたんすかね。たははっ、んなわけないっすよね」

「チャラ夫ってばさ、酷いや。それ失礼だよ」

「食うぞ」

 大笑いしたチャラ夫に批難の声が上がっている。口は災いの元と言うが、まさにそうだろう。同じ感想を持っていた亘は言わなくて良かったと安堵した。

「それじゃあ少し戻るか」

 亘は車を反転させるため、バックミラーとサイドミラーで確認をする。

 片側一車線のアスファルト道路は見渡す限り車の姿がないため、気兼ねなく幅狭な道路で数度切り返す事ができた。

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