第198話 女心は分からんよ

 朝日を浴びる亘には世界の全てが輝いて見えた。太陽も空も雲も風も、森の木々も山々も。そこに存在する全てが尊く美しく素晴らしい。

 昨夜は全く寝付けなかったが、そんなこと問題ない。最高にハイという気分であった。それは藤源次の家の裏庭で変なダンスを踊ってしまう程だ。

「ビバ太陽! ビバ人生!」

 その姿を神楽とサキは口を半開きにして見つめる。

「どしちゃったのさ。なんかさ、いつもより変だよね」

「きっと状態異常」

「そっか、そだよね! それなら『状態異常回復』。マスター大丈夫?」

 しかし亘は華麗なステップにてターンまで披露してみせる。

「はっはっは、君たち。こんな素晴らしい朝に小難しい顔なんかしてしまって、どうしたのかね」

 不審を通り越し恐怖さえある。神楽とサキは顔を見合わせ、そっと後退った。逃げ出さないところに、主従の信頼関係がある……のかもしれない。

「どしよ、マスターが壊れちゃったよ」

「叩けば治るか?」

「こやつめ。もう朝から可愛いやつめ」

 亘は足を叩いてきたサキを抱え上げ、その腕をとって無理矢理踊りだす。迷惑そうな顔なんて関係なく、頭上に掲げ持ち放り投げ回転しながらキャッチまでしてみせる。

「……うん、あれだね。ショック療法しかないよね」

 神楽は深々息をつくと指を突きつけ呟く。すなわち『雷魔法』と。

「ぐあああっ!」

 バチバチとした光の球の一撃を貰い、亘は悲鳴をあげバタリと倒れて悶絶する。

「どなのさ、正気に戻った? なんならさ、もう一回やっとこか」

「いえ戻りましたです、すいません。もう大丈夫ですから、はい」

「ならいいけどさ。で? どしたのさ」

 真面目な顔で謝ったのも束の間で、亘の顔がニンマリとなる。

「おっと知りたい? 知りたいのか? そうかそうか知りたいのかぁ」

 イラッとした神楽が無言で手を上げ魔法発動の準備をしだすが、健気にもサキが庇って促してみせる。

「式主、話す」

「よしよし、教えて進ぜよう」

 しゃがみ込んだ亘の手招きに応じ神楽とサキが近寄る。

「実は昨日の夜にな、七海に言ったんだ……えーと、ほらあれをだ」

「あれ?」

「つまりな、好きだと」

「なんと!!」

 サキは獣耳と尻尾が出てしまう程に驚いた。神楽などは風に流されてしまう程に茫然自失だ。

「それでな、七海の方もな。つまりその、好きだと言ってくれたんだ。いやぁ、参った参った。はははっ」

 我に返った神楽が目元を拭う仕草をしてみせる。

「ううっ。ここまで来るのに、どんだけ苦労したことか。やったよね、サキ」

「んっ、確かに」

「なんでお前らが苦労するんだ」

「分かんなきゃいいよ。どうせ期待なんてしてないしさ。それで? その後はどしたのさ?」

 神楽はワクトキしながら身を乗り出した。

「ああ、いろいろと話をした。これまであった事とかを詳しく語りあったよ」

「うんうん、それでそれで!? 後はどしたのさ」

「すっかり話し込んでしまってな、あまり遅くなると七海が温泉に入れないだろ。だから邪魔にならないように気を遣って戻って来た。いやあ、しかし昨夜は寝付けなくっててな。寝不足だよ、はっはっは」

「「…………」」

 二体の従魔は顔を覆ってしまった。

「あのさボクさ聞きたいんだけどさ。キスぐらいしたよね? したと言ってよね」

「キ、キス!? いやほら、そんなの……恥ずかしいだろ」

「「…………」」

 二体の従魔は泣き崩れてしまった。

「どうした?」

「何やってんのさ! なんでさっさとキスしないのさ! だいたい温泉があったでしょ、せめてお風呂に一緒に入っちゃうとかさ、やることあるじゃないのさ!」

「神楽ってば大胆だな」

「ウガーッ! ウガーッ! ウガーッ!」

「まあまあ」

 キレ気味の神楽であったが、またしてもサキに宥められ、深呼吸を何度か繰り返し荒い息を整えていく。 

「そだね、怒ってもしょうがないね、うん。マスターなんだし、ヘタレなんだし。そだよね、こーゆー人なんだもんね、うん。一歩進んだだけでも喜ぶべきなんだよね、うん。ちゃんと指導しなかったボクがダメだったのさ。我慢我慢」

「なんか失礼な言い草じゃないか……」

「文句あるならさ、せめてデートに誘いなよね」

「分かった……いやまてよ?」

「なにさ? また変なこと言い出したらボク怒るもんね」

 神楽はジロリと睨む。

「そうじゃない。大変な事に気付いてしまった……」

「どしたのさ」

 亘が額に手をやり空を仰ぐ様子に、何だかんだと言いながら神楽とサキは心配そうな顔をする。どう言おうと、応援しているのだ。

「好きと言ったが、付き合ってくれと言ってないんだ。なあ、デートとか誘ったらマズいかな?」

「「…………」」

 二体の従魔はついにキレた。

 朝の静けさの中に何度も爆音と悲鳴が響き渡り、テガイの里の朝はちょっとした騒動により始まったのだった。


◆◆◆


 藤源次家の客間の書院造り風の畳部屋だ。床の間には達筆すぎる掛け軸が飾られ、傍らに生けられた花は最初の日に贈られたものである。

 その前で亘は荷物を鞄へと詰め込んでいく。

「服は畳んで入れた、よし。お泊まりセットの歯ブラシは入れたかな? 確認したいのに神楽のやつめ、どこ行った?」

「いやほら、兄貴ってば神楽ちゃんに頼りすぎっすよ」

 帰りの移動を考え午前中から帰り支度を始めている。二泊三日という日程であったが、あっという間に過ぎ去ってしまう。

 神楽とサキがいないため手間取っている。両者とも七海のところに謝りに行くなどと、わけの分からぬ事を言っているのだ。

 一緒にいるのはチャラ夫だけだ。

「でもどうしたんすか? 兄貴が神楽ちゃんたちに怒られるとか、何をしたんすか?」

「それがさっぱりなんだよな。急に怒りだすとはな、女心は分からんよ」

「それは同感っす。うちの姉ちゃんなんか、急に俺っちに怒ってくるんすよ」

「だよな、神楽も急に文句を言ったり怒ったりするんだよな」

 男二人でぶつくさ文句を言うのだが、もちろん怒られる理由が自分にあるなどと、これっぽっちも思っていないのだった。

「おっと、でも俺っちの綾さんは別なんすよ。まー、最高の人っすよ。天使っす、女神っす」

「…………」

 亘はイラッとして睨むものの、しかし七海との新たな関係を思い自制する。そう、もはや嫉妬などする側でなく嫉妬される側なのだ、多分。

「やあやあ準備は終わったんかな、男衆さん方」

 いきなり障子がすぱーんと勢いよく開かれ、エルムが顔を出す。他人の家だとかいった事はお構いなしだ。

「うぃーっす。俺っちは今完了したとこっすよ。兄貴も完了してるっす」

「今のは驚かされたぞ。もっと丁寧に開けないとダメだろ」

「そら失礼したんな。思ったより滑りが良かったんや」

 全く反省した様子のないエルムは腕組みをして胸を張った。健康的な脚線美が目の前にあり、亘は目を逸らしチャラ夫は注視する。

「そんでお昼なんやけど、ウナギやウナギ! しかもや、このエルムさんが捕まえた天然ウナギ。それを蒲焼きにしてくれるって話で、今から待ちきれんわ」

「マジっすか、やっぱ天然やと味が違うんすかね?」

「どうやろな。五条はんってば、天然の食べたことあるん?」

「ウナギか……そうだな。今が旬でなんで、味は格別だろうな」

「そっすか? 土用の丑じゃないんすか?」

「それ関係ないからな。天然ウナギは今が旬で、下りウナギと呼ぶぐらいで味は格別だったはず。まあ、このままだと二度と食べられなくなりそうだけどな」

 ウナギ資源は激減し、危機的状況が報じられて久しい。

 こうなれば取扱いに免許制度を導入するとか、数年ぐらいは土用の丑を禁止するとか対策をすべきと思うのだが、現実は何もなされない。きっとウナギが絶滅するまで今のままだろう

 そして今ここでも、何匹かの天然ウナギが食べられようとしている。

「パネっす、今か凄い楽しみっすよ」

「そのウナギはどうした?」

「裏の水場に入れといたんな。竹籠に入れとくといいって話やったで、そうしといたんな」

「あいつら陸上でも平気で移動するからな。注意しないと逃げるかもしれないぞ」

「それマズいっす! ちょっと見てくるっす」

 よほどウナギが楽しみなのか、チャラ夫は荷物を放り出すと走りだした。現代住宅のように堅牢なつくりでないため、危ないぐらいに揺れて音が響く。

「チャラ夫ときたら、余所様の家で何やってんだか」

「まったくやんな。ところで――」

 エルムはにんまりすると、しゃがみ込み顔を寄せてきた。いつもの悪戯っぽい、ニシシッと笑いをあげているではないか。

「ナーナと何があったん? ほれほれ白状しなれや」

「ふぇっ!? な、なんの事で?」

「とぼけてまって、このこの。昨日の夜なんて可愛いもんやったで。寝るときにジタバタ身悶えして布団とか叩いとったし。でもって、枕に顔を埋めて足バタバタしとったし。何かあったことなんて、もーバレバレやんな」

 なんだか思い浮かべるだけで凄く可愛い。

 少し顔を緩ませかけた亘であったが、慌てて表情を引き締める。

「いいだろ、プライベートの話なんだ」

「温泉行ったときやろ。そうすると、二人でやることやったんやな」

 エルムは訳知り顔で頷き、勝手な解釈をしている。そうなると、亘は誤解を解くしかないわけで、その過程で全部話さねばならなくなってしまう。

「はっ? そんだけ? ほんに!? 五条はんってば、あんたって人は……」

 事情聴取を終えたエルムの顔に、哀れみと呆れを交ぜたものが浮かぶ。額に手をやり頭を振っては、ポニーテールを揺らしている。

「あんなぁ……まあ、しゃあない。遊園地にでも誘ったりや。前から随分と楽しみにしとったんやから」

「そうなのか?」

「五条はんに連れてって貰えるって、凄い嬉しそうに話しとったんや」

「そういや、前に約束してたな。仕事とかいろいろあって後回しにしてたが……」

 言い訳がましい言葉にエルムは肩を竦めてみせた。

「そういうのって、結構ショックなんやで。ちゃんと約束は守らんとな――さて、この話はここまでや。ほなウナギの様子でも見に行こか」

「おいこら引っ張るなよ」

 エルムは何故だか亘の腕を抱きつくように掴んだ。しかもそのままグイグイと引っ張ってくる。こうなると亘には抵抗なんて出来やしない。荷物を置いて連れられていくしかないのであった。

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