第197話 そうか、そうなのか
「なんつうか、志緒姉ちゃんとか家族のことなんすけど。俺っちのこと、いつまでも子供扱いしてくるんす」
「……それが相談?」
亘はガックリした。もっと凄い大変な内容かと思っていただけに、なんだか肩すかしをされた気分である。
「そっすよ。酷いと思いませんっすか? もっとしっかりしろとか煩いんすよ。俺っちはもう、大人なんすよ。そう扱って欲しいんすよ。どうしたら大人扱いしてくれるんすかね」
「あー無理無理。それ無理だな。だってお前は子供だから」
亘は今度こそ、軽く鼻であしらった。だが、チャラ夫はムキになる。
「そんな事ないっす。俺っちは綾さんと結婚を前提に付き合ってるし、もうすぐ就職もするんすよ。大人として扱って欲しいんす」
苛っとしてチャラ夫を沈めてやろうかと思うのだが、ここは大人として余裕を見せるべきだろう。亘は自分に言い聞かせた。
「自分の事を自分で出来ない内は、まだ子供だろ」
「出来てるっすよ――うわっ」
反論しようとするチャラ夫に湯をかけ黙らせた。子供がやるような、組んだ手の隙間からお湯を飛ばし方だ。全くもって大人げない。
「自分の家でトイレ掃除、風呂掃除はしているか? 食事の買い物に料理、洗濯。そうした事は自分でやってるのか?」
「いや、それは母ちゃんの仕事なんす」
「誰がそう決めた。だいたい衣食住は誰に面倒をみて貰っているんだ?」
「でも、俺っちはまだ子供なんで稼ぎとかないんで――」
語るに落ちたとはこの事で、チャラ夫は黙り込む。
「チャラ夫の気持ちも分かるけどな、そういう事だ。どうせ直ぐに子供扱いされたいって思うようになるさ。子供扱いしてくれるなら、今はそうされてろよ」
亘はもちろん子供扱いされたいと、いつも思っている。
仕事なんて行きたくないし、家事せずにごろごろして気付いたら食事が用意されている生活をしたい。叶うのであれば、ミスや失敗をしても謝れば許され、困った時は親が何とかしてくれた時代に戻りたかった。
夜空を眺め息を吐く。
「良い月だな」
晴れ渡った空に月が眩しすぎるほど輝き、星が見えづらいほどだ。温泉の熱気の中にやや肌寒い山の空気が流れ込み、夜鳥や虫の音など自然のオーケストラもあってなんとも言えず心地良い。
チャラ夫は湯をすくいあげ、顔を思いっきり洗った。
「まあ兄貴の言う通り、もう少し子供扱いされておくっす。湯が熱いんで悪いっすけど、俺っちはもう上がらさせて貰うっす」
「もっと浸かればいいのに。折角のいい湯なんだ」
まったりする亘にチャラ夫がニンマリ笑う。
「歳くうと長湯になるらしいっすね」
「お言葉だな」
「とりあえず、しばらく我慢して子供扱いされとくっす。兄貴も俺っちを子供扱いして甘やかして欲しいっす」
「やなこった」
ジャブジャブと歩きだすチャラ夫姿から目を逸らしながら答える。他意はない。単に男の尻が見たくないだけだ。
「帰り道は熊に気を付けろよ。出るらしいからな」
「ちょっ、縁起でもないことを言わないで欲しいっす」
チャラ夫は着替え終わると、やはり不安になったのかガルムを喚びだし夜道に消えていった。それを見送り、亘はのんびり湯に浸かり続ける。
◆◆◆
「とはいえ、大丈夫かな」
しばらく湯を楽しんでいた亘であったが、急に不安になってしまう。
自分で言った『熊』の言葉が原因だ。
冬眠のために脂肪を蓄える時機であり、活発に行動し餌を求めだす。昨夜の熊鍋を考えれば、つまりそこらで餌を探しているという事だろう。熊を食べたが、熊に食べられるなんて勘弁したい。
こうして湯に浸かる人間なんて、熊からればご馳走の鍋かもしれない。
「…………」
急にここが危険に思えてしまい、湯からあがると急いで着替えだした。
テガイの里の近くなので安全かもしれないが、忍者基準で安全という場合だってある。なんだか、今にも熊に襲われるような気がしてきた。
せめて神楽かサキのどちらかを連れくるべきだだったに違いない。チャラ夫と男同士で風呂に入るため置いてきたのは失敗だったろう。
「さて、戻るか……んっ!」
何かの気配がした。
実際には気配なんてものは存在せず、音や震動など五感が察知した微細な情報を無意識下で統合したものらしい。
何にせよ、何かが近づいてくる。
――熊か!?
対処方法を必死で考える。
死んだふりは全くの無駄であるし、木に登ることも意味が無い。走って逃げるにしても相手の方が速い。武器となりそうなものを探すが、周囲にあるのは岩ばかりで石すらない。
湯の中に潜ることを検討しだしたあたりで、軽めの足音だと気付いた。
「あっ、五条さん。お風呂でしたか」
それは七海であった。手にはタオルがあるので、温泉に入りに来たらしい。
「良かった、七海か。熊が来たかと思ったよ」
「むうっ、熊じゃありませんよ。なんだか酷いです」
「悪い悪い」
冗談めかして可愛らしく口を尖らせた七海の前で頭をかいてみせた。
亘は七海の入浴シーンを想像してしまう。だが、のぞき未遂から昨日の今日だ。邪悪な考えは、頭を振って追い払っておく。
「チャラ夫君が戻ってきたので、もう入れるかと思いまして。すみません」
「あいつめ何も言わなかったのか……ところで一人なのか?」
「エルちゃんとイツキちゃんはウナギ釣りに行きました。神楽ちゃんたちも一緒で、明日は蒲焼きだって張り切ってましたよ」
「あいつらめ……」
どいつもこいつもフリーダムで好き放題やっている。完全にこのテガイの里を堪能しきるつもりらしい。もっとも、かく言う亘も温泉を楽しんでいるのだが。
「それより、アルルは連れてるな」
「ええ、もちろんです。山の中の一人歩きですから」
七海の背中から綿毛の塊がひょっこり現れ、肩の上で軽快に踊ってみせる。どうやら挨拶をしているらしい。なんだか久しぶりに見る気がして、亘は微笑みながら手をあげておく。
「そうか、すぐに行くからゆっくり温泉に入ってくれ――んっ、どうした?」
立ち去りかけた亘だが、七海の手によって引き留められた。
明るいとは言えど、月光なので顔色は分からない。だが下を向むいたまま、わたわたと慌てた様子であった。どこか、自分で自分のした行動に驚いているようだ。
「あのっそのっ、一緒に温せ……いえ、そうではなくって。あのですね、そうです! 空です。一緒に夜空を見ませんか」
「夜空か」
満点の星空を見上げる。
飽きるほど見た後だが、一人では心寂しいばかりであった。しかし七海と一緒に見るのなら、また別である。
「じゃあ、そこの大岩が良さげだな」
こんもりとした岩を示す。上に二畳ほどの平らな部分があって、月を眺めるには打って付けに違いない場所だ。
丸みを帯びた滑らかな岩肌をよじ登ると、さらに七海に手を貸し並んで座り込み夜空を眺める。
濃紺の空に白銀の月が冴え冴えとした光を放ち、少し離れては無数の星々が散りばむ。その下には黒々とした山が広がり、青く黒く色に染められた森となる。
亘は酔っていた。酒は飲んでいないが雰囲気に酔っていた。
人間など比較にならない雄大な自然を前に。七海という少女が隣に。穏やかで静かな時間に。完全に雰囲気に酔いきっていたのだ。
何故か、ぽつりぽつりと昔の事を話しだす。
親しい友人もおらず独りぼっちで、いつも今にも死にそうな気分で下を向いていた。職場とアパートを往復し、楽しいことを考えることすら忘れ、人生と世の中に不満を抱え摩耗した心で生きていた日々。
七海は黙って聞いてくれている。
「でも全部変わった。変えてくれた」
些細な気紛れでダウンロードした『デーモンルーラー』のアプリ。
「神楽と出会ってチャラ夫と出会って、そして七海に出会えた。そうだ、最初に会った時の事を覚えているか?」
「もちろんです。エレベーターの前でしたよね。なんだか大きな声で話す人たちが来たと思っていたら、チャラ夫君が声をかけてきて」
思い出話が続く。
藤源次エルムに志緒にサキにイツキにと次々出会い仲間が増えていった。
「それが今はこうだろ。不思議なもんだ」
「本当にそうですよね」
二人とも黙り込み景色を眺め、この時間を味わい続ける。
しかし、どれだけ楽しい時間だろうと終わりは必ずやって来る事を亘は知っていた。ただ、これまではそれを仕方ないことだと受け入れ、変化に抗うことなく状況に流されながら生きてきた。
拘るだけの理由も物事もなかったのだから。
でも今は違う。
終わって欲しくないと思っている。仮にこの楽しい時間が終わろうとも、また新たな楽しい時間をつくりたいと考えていた。
多分、言わねばならない。
何度も楽しい時間をつくるために必要な言葉を。
「ずっとこうしていたい。七海が好きだから」
これまで何度も言おうとしては呑み込んできた言葉が、するりと口をついていた。
――言ってしまった。
途端に後悔に襲われてしまうが、もう遅い。
訂正したいが、口から出た言葉は取り消せやしない。
全てが台無しになってしまう嫌な予感。心臓がバクバク脈打つ。尻尾を巻いて逃げ出したい。異界で死にかけた時よりも、強敵に遭遇した時よりも、恐くてたまらない。
七海が息を呑んだ気配を感じるが、目を向ける事など出来やしなかった。
「あの……私……」
思考は加速していく。
こうなれば出家するしかないだろう。頭を丸め煩悩を捨て修行の道に入るしかない。いや、それでは神楽とサキが一緒に居られない。ならば旅に出るしかない。
世界を放浪し各地の異界で戦いに明け暮れ、哀しみを忘れるべく――もしくは八つ当たりで――悪魔を滅ぼし続ける。そうしてくれよう。
亘が悪魔狩人もしくは人の修羅になる決意を固めていると、七海の言葉が耳に届いた。小さいがはっきりとした声だ。
「私も五条さんが好きです」
「えっ……」
驚きと共に緊張から解き放たれた。気持ちが一気に楽になり、肩の力が抜けた安心感で今度は頭が真っ白になる。良かった、との思いだけが頭の全てを占めている。
「そうか、そうなのか」
頭を搔きながら笑うと、七海も優しい顔をする。
「そうなんですよ」
「そうだったのか」
「そうだったのですよ」
二人して顔を見合わせ笑い声をあげた。
それから自分がどんな気持ちでいたのか、どんなこと考えていたのかを話し合う。そんな様子を月の光が照らしていた。
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