第196話 あれはそういった男

 七海とエルムの講義が開始されて数時間。

 一般常識を話す以外にも学校生活の話や、歌ってみせたり踊って見せたりと楽しげに講義は続いていた。途中でお昼を挟んで一緒に食事を取ったこともあり、学舎に集った幼子たちもすっかり打ち解けている。

 天真爛漫な笑いをあげる子供たちに、お返しに合唱して貰ったりと和やかでのどかなムードであった。これには後ろで見守るスミレもにっこりだ。

 途中から黒賀鬼妖斎が現れムッツリ顔で監視を始めたのだが、感激したエルムに褒め称えられ、さらには子供たちに尊敬の眼差しを受け、満更でもない顔で穏やかな笑みをみせていた。

「そろそろ時間も遅いので、お二人の講義を終わりたいと思います。さあ、みんなでお礼をいいましょうね。せーのっ」

\ありがとうございまーす!/

 唱和された声は大きく元気のよいものであった。


「これです。私が望んでいた講義は、こんな感じなのです。誰も絶望したり泣いたりしない講義。なんて素晴らしいのかしら」

 子供たちが手を振りながら解散する様子にスミレは感激していた。

「五条はんてば、ほんに何を話したのやろ」

「きっと一生懸命説明したのですよ。ただちょっと……ええと、ちょっと……何でしょうか? 方向性の違いがあったのではないかと」

「あのよ、ナナゴンも無理に言葉を探さなくたっていんじゃないの?」

「ウチもそー思う」

 学舎を出ると空は僅かに赤味を帯びだしており、太陽は山の向こうへと姿を隠しつつあった。山間の里ならではの早い夕方で、そよぐ風には炭火を熾した匂いが混じっている。

 そして――広場では、ちょっとした騒ぎが起きていた。

「遅い、遅すぎる。幾ら何でも遅すぎるのではないか!」

「いやそれはそうだが、修練場で不測の事態が起こるとも思えぬであろ。任せた以上は待つべきではないか」

「おい、藤源次よ。本当に大丈夫なのだな」

 数人の男衆を前に、腕を組み瞑目していた藤源次がゆっくりと目を開く。

「然り。あやつであれば大丈夫だ。大方、異界の中で時間を忘れて鍛錬をしておるのであろうて」

「時間を忘れとな? そんな筈はあるまい」

 修練場といえど異界は死と隣り合わせの場所。ある程度滞在すれば、その危険さに耐えきれなくなるのが普通であった。時間を忘れるなどありえないことだ。

 説明のしようがないため、藤源次は肩をすくめるしかない。

「そういった男なのだ」

 なんとなく雲行きのみえた三人の少女は顔を見合わせ、そろって息をついてしまう。とても申し訳ないといった顔になる。

 イツキが小走りで駆けていく。

「トト様どうしたんだぞ。でも何となく分かって聞いてんだけどよ」

「むっ、講義は終わったか。なに、大したことではない。鍛錬に行った者たちが誰も戻らぬのでな。皆が少々心配になってきただけなのだ」

「やっぱしだよな。でも心配する必要なんてないんだぞ」

 外の世界に出て五条の元へ嫁いだ――ことになっている――イツキへと里人の視線が集まる。

 イツキは説明するように指を立て、真面目な顔をしながら口を開く。

「五条の小父さんはな、それこそ朝から晩まで異界を彷徨くんだぞ。下手すると一日に何箇所も回るぐらいなんだ。腹が減ったら帰ってくるはずだぜ」

 だが里人は胡散臭そうな顔をする。

「そんなバカな」

「腹が減ったらなどと、遊びに出た子供でもあるまいに」

 藤源次はまたしても肩をすくめ、先程の言葉を繰り返す。

「いや、あれはそういった男なのだ」

 他になんとも言い様がないのであった。


◆◆◆


「帰って来たぞー。修練場から帰って来たぞー」

 誰かが大きな声で触れ回る。まるで戦に出た者が帰還したような扱いだが、修練場へと続く岩窟から現れた者たちの姿は、あながち間違ってもいなかった。

 最初に姿を現したのはサタロウとウタロウで、互いに肩を貸し合い喘ぐような足取りでよろめき出てきた。忍び装束は血に汚れ、破れボロボロである。広場に辿り着くなり、倒れ込むようにへたり込んでしまう。後から現れた者たちも似たようなもので、誰もが敗残兵のような身なりであった。

「里だ、里に帰ってこられた」「助かった、のか……」「帰って来た、帰って来れた」「甘かったのだ」「生きてるって素晴らしい」

 ゾンビの方がまだ生気のある声が辺りに漂う。なかには安堵のあまりむせび泣く者までいる。

 その有り様に、親が我が子の名を叫びながら次々と駆け寄っていく。

「あー、やっぱりこうなったんやな」

「まあ当然ってもんだぜ」

「えーっと、五条さんが頑張ったのですね」

 修練場から戻った者たちは、誰もが死にそうにグッタリしているが死にかけてはいない。極度の疲労――身体的、且つ精神的なもの――によって動く気力すらないだけであった。

「あっ、五条さん。お帰りなさい。どうでしたか?」

「実に充実した訓練だった。素晴らしい。さすがはテガイの若者だ、叩けば叩くほど……鍛えれば鍛えるだけ応えてくれる。実にやり甲斐があった」

「兄貴は鬼っすよ……」

 何とか自力で動けているといった状態で現れたチャラ夫が呟いた。

「何を言う。鬼ってのは、前鬼と後鬼の方だろ」

「あーれーは種族としての鬼っす。兄貴は心が鬼なんす。というか、鬼に帰れと言われる何て信じられないっすよ」

「その点は否定できないって、ボク思うよ」

「同意」

「失敬な奴らだ」

 亘は入った時とさして変わらない元気な様子で、肩に神楽を載せ足下にはサキを従えている。その顔は人の役に立つ良いことをした、といった誇らしげな様子さえあった。

「五条の、お主ときたら……」

 藤源次の軽い呆れの混じった言葉にも自信満々で胸を張る。

「問題はない。ケガはうちの神楽が完全に治してるからな」

「もちろんなのさ。ボクが魔法で全部治したもんね!」

「そっすね確かにケガは治ったっす。ケガは……とにかく俺っちは疲れたっす……体力配分を考えてなかったらヤバかったっすよ……」

 膝を曲げ屈み込んだチャラ夫は項垂れるように頭を下げてしまった。

「チャラ夫が元気だったのが意外だったな」

「そだね」

「元気じゃないっす。死にそっす。なんすかあれは、聞いてた以上に酷いじゃないっすか。なんで次々悪魔が襲ってくるんすか。しかも落ちれば死ぬとか、ハードどころじゃないっす。ベリーハードのルナティック状態じゃないっすか!」

 顔を上げたチャラ夫が激しく文句を言いつのるが、亘は困惑顔だ。

「ちゃんとフォローしたじゃないか」

 だが、チャラ夫は何度も地面を踏みしめる。

「あれはフォローなんかじゃないっすよ。逃げればサキちゃんに襲われるし。前鬼さんと後鬼さんも呆れてたじゃないっすか」

 広場に集った里の衆は修練場で何があったのかの大体を知り言葉を失っている。そして鍛錬に参加できなかった者たちは、自分たちのくじ運の良さに感謝するばかりであった。


◆◆◆


「まったく兄貴は酷いっすよ」

 湯の中から顔だけ出したチャラ夫が呟いた。

「別に普通の鍛錬だし。元はといえばのぞき未遂の罰だったじゃないか」

「うぐっ、そりゃそうっすけど」

「こんな気持ちの良い湯を邪魔されたらどうだ。嫌なもんだろ。あの程度なんて罰のうちにもならないはずだ」

 言って亘は湯で顔を洗った。

 もちろんここは『藤源次の湯』であるが、藤源次本人は修練場の後始末とかで忙しく来ていない。各方面に謝りに行くとか言っていたが、何故そんな事をするのか亘は首を捻るばかりだ。

 何にせよ男同士で入る予定であったため、神楽もサキも来ていない。

「しかし……くーっかーっ。いい湯だな、この広々とした景色に満点の空。なんと素晴らしいことか。こんなの体験、お金を払っても無理だぞ」

「確かにそうっすよね。くあーっ、堪んないっすよ」

 二人してオッサン臭い声をあげる。

 亘は首まで湯に浸かり、アパートの風呂ではできない足を伸ばしながら満点の空を見上げる。チャラ夫が水中で大の字になっているため見苦しいものが見えそうなので、尚のこと空を見上げている。

「ところで相談っちゅうか、まあ悩みがあるんすけど聞いて貰っていいっすか?」

 だが亘は聞こえないふりをする。

「ふー、いい湯だな。心が洗われる」

「ちょっ! 聞いて欲しいんすけど」

「だってあれだろ、悩み相談でアドバイスが欲しいとかって話なんだろ」

「そうなんすよ。聞いて欲しいっす」

「嫌だ」

 即座に却下されてしまい、チャラ夫が喚く。

「酷す!」

「あのな自分の人生でも精一杯なのに、他人の人生まで面倒みてられるか」

 どうせ下らない相談に違いない。恋人との悩みなど打ち明けられでもしたら、そのまま湯の中に沈めてやりたいぐらいの気分だ。

 そんな亘に対しチャラ夫は湯の中で座り直す。

「いやマジ悩んでるんすけど」

「あのな、ちゃんとしたアドバイスってのは、本気で相手を理解しないと出来やしない。最終的にどうするか決めるのは自分自身だし、他人に相談したって責任を押しつけた気分になるだけだぞ」

 自分の人生は自分で決めるしかない。むしろ他人に対し好き好んでアドバイスする人間なんて、信用してはいけないぐらいだ。

「でも本気で困ってるんす。それに兄貴のことは他人なんて思ってないっす。だから聞くだけ聞いて欲しいんすけど。お願いなんすよ」

「……そうか」

 不覚にもちょっと感動してしまった。

 今だかつて、これほどまで信用された事があっただろうか。ここまで思われた事があっただろうか。伊達にこの歳まで友人なしの人生は送っていない。

「分かった、聞くだけならな」

 わざとらしく音をたてながら顔を洗う亘だが、実はちょっとだけだが、友達同士の相談というものに憧れていたのだ。

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