第57話 誰こいつ

 エントランスに集まった人々は不安そうに身を寄せ合っている。

 人数はおよそ三十人前後。場所が場所だけに中高年夫婦が大半で、あとは美術館のスタッフだ。

 その少数の美術館スタッフを取り囲み、大声で騒ぎ責め立てる連中がいた。


「こんな化け物が出るなんて聞いてないぞ!」「どうして外に出られないんだ! 他に出口はないのか!」「俺は芸術を見に来たんだ、なんで化け物が出るんだ」「銭返せ」「あなた方は我々の安全確保の為に適切な対応をすべきです」「ここが本当に安全と言えるのか。もっと適切な場所に誘導すべきじゃないかね」「我々は年寄りなんだ、安全に休める場所に案内しろ!」「そうだ! 化け物が出たら若いあんたらが何とかしろ」「早くここから出してくれ!」


 それは客という立場を最大限に利用した自称弱者の中高年や高齢者だ。居丈高に叫んで、自分の子や孫ぐらいの年齢のスタッフへと詰め寄っている。それは単に自分の不安や不満を八つ当たり的に発散しているだけだ。

 おかげで美術館スタッフは何か対応しようにも、まずその相手をするだけで精一杯になる。何とかしろと騒ぐ客の対応で何もできない。よくあるバカバカしい光景だ。

「すいません、現在原因を調べておりますので。どうぞ落ち着いてお待ち下さい。直ぐに救助が来るはずです」

 スタッフの一人は『避難誘導マニュアル』と記された冊子を手にしている。どうやらそれに従って入館者を避難させるつもりらしい。ただ、さすがに異界発生時の対応は載っていないのだろう。どうすることもできず困り果てている。


 相手が弱っているとなると、騒ぎ立てる連中はますます強気になり、興奮の度合いを強め今にも掴みかからんばかりだ。

「直ぐってのは、いつなんだ! お前らの言う直ぐってのは、どんだけだ! いつ助けが来て、いつここから出られるのか今すぐ教えろ!」

「ですから、助けが来るまで待機をお願いします。大きな声を出すと化け物に気付かれます。お静かに願います」

 必死に宥めようとするスタッフの努力を余所に、騒ぎ立てる集団は鎮まる気配はない。自分の言葉でヒートアップしだし、口から泡を吹いて叫ぶ老人の姿もある。

 対するスタッフはオロオロと狼狽え、女性スタッフは今にも泣きだしそうだ。自分自身も不安だろうに、それでも皆を落ち着かせようとする男性スタッフの姿もある。

「……腹が立つな」

 亘は一部始終を眺めながらムカムカしてきた。

 自分では何もせず不満と要求だけを喚き散らす者。弱者を装って主張する者。反論できない立場の相手にここぞとばかり主張する連中。そのなんと醜いことか。

 湧き上がる苛立ちのまま、横の防火扉を横手で殴りつける。

――ドオンッ!!

 金属を打ち鳴らす轟音が、場を一瞬で静まり返らせた。

 鋼鉄製の防火扉は大きく凹んでいる。レベルアップとAPスキルで強化された一撃は常人の域を軽く超えているのだ。

 猛っていた中高年たちは言葉もなく凹んだ防火扉と、それを成した者とを眺めやる。

 黙ってそれを睥睨しながら亘は口を開く。

「言いたい放題だな」

 怒りを込め睨みつけると、騒乱者していた者たちは怯えたように視線を逸らす。

 殴った拳が痛いので亘が黙っていると、シンッとして誰も喋ろうとしない。少しして痛みが治まると、静寂の中で言葉を続ける。

「今までに化け物を見たことがある奴がいるか? 化け物が出ると思ってた奴がいるか? そんなこと考えてたやつはいないだろ。それなのに、どうして何とかしろと文句を言えるんだ。自分より若い人間を取り囲んで騒ぐ自分の姿を家族が見てどう思う?」

 スタッフに詰め寄っていた連中が気まずそうに下を向き、そっと離れていった。


 亘が言うのは今回に限った話ではない。世の中には『自分では何もせず、それでいて責任だけ他人に押し付ける』そんな連中が大勢いる。

 例えば災害時、自分の命を他人任せにして避難すらしない者が大勢いる。それでいて、災害後になると被災した苛立ちのまま、行政対応が悪いと八つ当たりするのだ。

「非常時だったら、全員で協力すべきだ。自分の身は自分で守って当然だろ。それとも何とかしろと文句を言えば助かるのか。自分や家族の身が危険に晒されて、何もしないつもりか!」

「五条さん、そこまで。後は私が」

 志緒の手が肩に置かれ、熱くなっていた亘は冷静さを取り戻した。

 我に返ると怒った自分が気まずくなり、そっぽを向いてしまう。熱くなるのが恥ずかしいと感じてしまう性格なのだ。

 志緒が前に出て皆の視線を集める。それまでのおどおどした態度はなりを潜め、堂々と胸を張り自信に満ち溢れた様子だ。そして身分証を持った手を掲げ、凛とした声をはりあげる。

「皆さん。私は公安警察所属の長谷部と申します。職務に従って、皆さんをお守りします。ですが、今は非常時です。この彼が言ったように、皆さんも皆さん自身で最低限身を守っていただかねばなりません」

 その姿は最初に合った時のようにドラマのヒロインを務められそうな雰囲気で、まるで出来る女のようだ。先程までのダメっぷりを知る亘には、誰こいつという感じが拭えなかった。

 けれど何も知らない人々がコロッと騙されだすのが分かる。

「男性の方は椅子でも何でも構いません。武器になりそうなものを持って下さい。皆で戦えば恐れることはありません。さあっ! 皆で力を合わせ、この難局を乗り越えましょう!」

 おーっ、という歓声が沸いた。


◆◆◆


「意外だが、あの公安の志緒もやるものだな。少しだが見直したよ」

「そうですね。少し見直しました」

 志緒はなかなかのアジテーターで、エントランスに居る人々は手に手に武器を持ち気勢をあげている始末だった。

 これなら放っておいても大丈夫そうだと亘は判断し、まだ館内に居るかもしれない人の捜索と、目についた悪魔を退治することにしている。それで七海と一緒に美術館の中を移動中だ。

「ボクは敵が出たらさ、きっと化けの皮が剥がれると思うね」

 フワフワと傍らを飛ぶ神楽の言葉は辛らつだ。もう志緒に対する怒りはないようだが、評価はダメっぷり状態で固定されている。

 見直したと言ったものの、実は亘も同じだ。見直すつもりはない。

「確かにな。悪魔の一匹でも出たら、泣きだしそうな感じではあるな」

「ええっと、でも意外に土壇場で実力を発揮するタイプかもしれませんよ」

 なんだかんだ言って、七海がフォローらしきことを口にする。覚悟完了してとどめ刺すのも厭わない様子だったのが、今はそれだ。女って怖いなと思ったのは内緒だ。


 異界化した美術館に展示される絵や芸術品は、全てDPによる模造品になる。どれも本物と寸分違わぬもので、現実では到底許されないことまで出来てしまう。

「おお、思ったより軽いな。このガラスの器なんて凄い貴重品なんだろ」

「そうですね。うわーっ、器の底の部分なんて初めて見ました。本物も同じなんですよね、凄い体験ですよ」

「ねえねえ、パリーンッてやっていい?」

「いくら偽物でも止めておけよ」

 そんな感じでワイワイと話しているが、神楽の探知は万全だ。馬型悪魔の存在を感知するや、すぐ知らせてくる。それを亘が棒で叩き伏せDPに変換していく。

「さっきの新藤社長の電話でチラッと出ていたが、前にキセノン社で発生した異界な。あれも人為的かもしれないと言ってた」

「えっ!? でも確かにそうですよね。あの時も急に発生したのですよね……人為的ということは、誰か犯人がいるってことですよね」

「だよな。誰が何の意図でそんなことをするのか。異界を発生させるメリットか……テロには最適かもしれないな」

 ふとそんな考えが浮かんだ。例えば標的とした人間を異界に引きずり込めば、簡単に捕らえることができる。さらに閉鎖空間の中で襲うことも自由自在で死体は残らない。逃げられたとしても記憶は残らない。完全犯罪には打ってつけだろう。

 だがDP研究で最先端を行くキセノン社ですら人為的な異界化は研究段階であって、設備を整えた一室を異界に変えられる程度だ。

 それを先んじた何者かがいる。その情報だけでも価値あるものだろう。報酬を期待した亘が密かに笑みを浮かべると、神楽がひらりと宙返りをした。 

「んー。人の気配発見、二人いるよ」

「場所は?」

「あっちの方。それに悪魔が人間に近づいてるね」

 そう神楽が言った瞬間だった。

――ギヨェエエエエエ!

 怪鳥の鳴き声、もしくは帆布を裂くような響きだ。悲鳴に聞こえないこともないが、悪魔の雄たけびに聞こえなくもない。

 亘と七海は顔を見合わせ頷き、急いで走りだした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る