第58話 ドナドナ

 そこは装飾磁器の展示室だ。通路の真ん中に展示ケースが置かれ、見事な磁器が鎮座している。それらは異界特有の薄ボンヤリとした明りの中にあっても、存在感は少しも損なわれていない。

 展示ケースの足下にしがみ付く若い男の姿があった。その向こうには女性もいるらしく、スカートと足が見える。けれど、悪魔の姿はない。

 駆けつけた亘は周囲を見回し警戒する。どこかに潜んでいるかもしれないが、それが分かる神楽は懐の中だ。

 とりあえず倒れている男の無事を確認しようと近づく。

「って、岩戸係長じゃないですか。なんでここに!?」

 助けようとした男が職場の同僚と気付いて、亘は思わず驚きの声をあげてしまった。デートのフリをすることになった原因者の登場に亘は嫌な予感を覚える。それでも立たせてやろうと手を貸しておく。

「岩戸係長、ケガはないですか」

「ケガはないが、化け物が出た。どうなってんだ一体……」

「その化け物はどこに?」

「逃げていった」

「そうですか……ところで、どうしてここに居るんです?」

「五条係長が付き合ってるなんて信じられないんで、ずっと後をつけて様子を……なんでもない。放してくれないか」

 手を借りていた岩戸係長は我に返ると、亘の手を払いのけた。

 その仕草にやっぱり嫌な奴だなと、ムッとしてしまう。しかも後をつけたとの言葉もある。何とも陰湿でねちっこい部分を感じて不快に感じてしまう。


 しかし、そんなことを考えられたのも束の間だった。横から素っ頓狂な声があがる。美術館が静かだから大きく感じるとか、そんなこと全く関係ない馬鹿みたいに大きな声だ。

「あらまあまあ、まあ! 五条係長さんじゃないですか。もしかして、アタクシを助けに来てくだすったのね。強子嬉しいですぅ!」

 ぞわっと背筋を粟立たせ、恐いもの見たさの心境で恐る恐る目を向ける。喜色満面といった様相の中年女性が、乙女のような仕草で両手を組み目をしばたかせていた。

 『御大』とのあだ名のある二王強子さんだ。飲み会の場で危うくカップリングされかけたアラフォー女性であった。どうしてこの二人が一緒なのか、答えは考えるまでもない。一緒になって後を付けていたのだろう。

「五条係長ぉさぁん!」

「ひぃっ……!」

 乙女ちっくに手を組み、、過剰で大袈裟な動作で身をくねらせながら接近してくる。その声色は媚びと甘えを含み、喋り口調は中年女性特有の態とらしい甲高いよそ行きのものだ。

 亘は生理的嫌悪を催し、つい悲鳴をあげてしまった。いかな悪魔にも怯まなかったが、今はただ迫りくる恐怖に硬直していた。

「そこまでです」

 救世の女神の如く七海がカットインする。亘は目の前に現れた、自分より頭一つ小さな少女の後ろ姿を眺めやった。頼もしくてありがたくて、感動の面持ちだ。

 一方、御大は咆えた。

「こんの小娘が!アンタ何で邪魔すんのよ!」

「五条さんに近づかないでください。こんなにも怯えてるじゃないですか」

 七海は怯むことなく毅然として言い返す。その言葉に、あれっと思う亘だった。どうにも庇護すべき弱い存在に思われているようだ。

 けれど助かるならそれでもいいと、自分より年下の少女の後ろに隠れて震える情けないわたるだった。

「五条係長さぁん、こんな小娘よりアタクシの方がずっと良くってよぉ。ほら、この小娘が五条係長とアタクシの出会いを邪魔すんじゃないわよ!」

 猫なで声とドスの効いた声を使い分けた御大がのたまう。もっとも猫なで声といっても、それは近所に君臨するボス猫がおめくような声だが。


 御大は自身をずっと良いと評する。だが、四角顔にぼてっとした目蓋、立派な獅子鼻、荒れた肌を隠す厚化粧におてもやんメイク。立てば洋梨座れば寸胴歩く姿はドラム缶なスタイル。香水は近寄るだけで移りそうに強く、目を閉じて後を付いていけるほどだ。着ている服も、おばさん定番の花柄ワンピースに豹柄のレディースシューズである。

 一体どの部分を良いと評しているのかは謎だ。

「邪魔して当然です。だって、私たち付き合ってるんですから」

 宣言した七海は亘にキュッとしがみつくと、ンベッと可愛らしく舌をだして見せる。たちまち御大と岩戸係長が揃って、きぃぃと悔しそうな声をあげた。なかなか息のあった二人だ。

 七海から柔らかさと温もりが伝わり、サラサラの黒髪からは得も言われぬ甘やかで良い香りがする。少し前なら動揺したかもしれないが、今は安堵しながら心癒されていた。

 再起動した脳みそが回転しだし、亘はニヤリと笑った。

「なるほど、これは岩戸係長も策士ですな。いやはや、すっかり利用されてしまいましたよ」

「はぁ? 五条係長……お前、何を企んでいる」

「企んだのはそちらでしょう。ずばり! こっちを出汁にして、二王さんとデートをするのが目的だったわけですね。いやはや、すっかり利用されましたよ」

「んまあ! まあまあ、そうでしたの!」

 御大が音のしそうな勢いで振り向くと、岩戸係長は顔面蒼白となり後ずさった。ドンッと背中がガラスケースの展示台にぶつかり、退路が断たれる。

「はあああああ! 滅茶苦茶なこと言うなっ!」

「二人で一緒に映画を見て、食事して美術館に来たわけだ。それって、もう立派なデートじゃないですか。やだなあ、そんな策を弄しなくても素直に二王さんを誘えばよかったのに。はっはっは」

「あらまあまあ、まあ。岩戸係長ったら、いけずなんだからぁ。そうですよ、そうと言ってくだされば良いのに。強子モテモテで困っちゃいますわぁ」

 そう言いながら、二王強子さんはむんずっと岩戸係長を掴むと引きずり寄せ、おばちゃん特有の照れ隠しでバッシバッシどつきだした。一撃毎にグハッやグエッと悲鳴があがるものの、お構いなしだ。

 亘はにこやかな笑みを浮かべた。飲み会からこっち散々嫌な思いをしたのだ。ざまみろという感じだった。

「ここからは二人きりでどうぞ。一階のエントランスに他の人が避難してますから。そこまで仲良く一緒に移動して下さい。岩戸係長は照れてるだけなので、二王さんがエスコートしてあげたらどうですか」

「あらそうね。ほら岩戸係長さん、強子と腕を組みましょう。うふっ、さぁ二人の未来に向かって行きますことよ」

「嫌だぁぁ組みたくないぃぃ、逝きたくないぃぃ」

 同僚は絶叫を残しドナドナされていった。


 亘は実に良い笑顔で見送った。なお七海も抱き着いたまま、頬を寄せてじっとしている。もぞもぞと出て来た神楽と顔を合わせ、二人してふふっと笑っている。

「はああっ、すっごい声の人間だったね。ボクびっくりしちゃったよ」

「そうですね、強烈なタイプの方ですよね」

「異界を出ると記憶が消えてしまうのが残念だ。このまま御大が岩戸係長に惚れてくれると一安心なんだが……そりゃそうと後をつけていたとはな。七海にデートのフリをして貰って助かったよ」

 安堵する亘を七海が少し頬を膨らませ見上げた。腕に抱きつく力がちょっと強くなっている。

「……フリじゃないですよ。映画を見て食事をして、美術館に来て。それってつまり、立派なデートなんですよね」

「はははっ、あまりからかうなよ……そろそろ離れてもいいぞ」

「あっ、ごめんさい」

 七海が軽く謝りながら離れる。

 それを亘は幾分名残惜しい気分で見送った。自分はなんとズルい人間だろうと己を責めた。謝るべきは自分の方だ。七海はあの二人が同僚と知って、今日の目的のため身体を張ってくれたのだ。その好意に甘え、抱きつかれた心地良い感触を楽しんでいた自分が情けない。

「色々気を使わせてしまって、すまんな」

「とんでもないです。別に私は気なんて使ってませんから」

「せっかく七海がデートのフリで頑張ってくれたのに、あの二人の記憶は残らないんだよな。残念だ」

「えーっと、五条さんの中ではフリはフリのままなんですね……」

 ため息をついた七海が残念そうな顔になり、それを神楽がナナちゃんガンバっと励ましている。

 亘は訳の分からないまま、すっかり癖になっているため息をついた。励ますなら、デートのフリをして貰っている哀れで滑稽なピエロを励ますべきだろう。

 思考の渦に囚われていた亘を余所に神楽がハッとした顔になる。

「マスターDP濃度が低下してるよ! 異界の主の出る前兆だね。注意して!」

「なんだと」

 亘は鋭い声を出し芸術品の並ぶ展示室を眺めやった。ここに主が現れるわけではないが、思わずとった行動だ。その傍らでは七海がアルルを呼び出し主との戦闘に備える。

 緊迫した空気が辺りを包んでいた。

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