第145話 お前丸かじり
「それと……」
正中は近寄ってきた亘へと視線を転じた。その背後でNATSメンバーは顔を引きつらせ、背筋を伸ばし気を付けの姿勢を取っていたりする。
「どうも。自分たちは、勝手に動いて悪魔を倒そうと思いますがいいです?」
「ああ、よろしく頼めるか……」
正中は戸惑っていた。
何故なら五条亘に対する印象は、風采の上がらぬパッとしない人物というものだ。その程度と言っては申し訳ないが、特別感のない十把一絡げでしかない。デーモンルーラーのレベルで驚きこそしたものの、印象は変わりはしなかった。
しかし、目の前に現れた姿はまるで違うものだ。別人かと思えるほど堂々としており、体つきが一回りは大きくなったようにさえ感じる。思わず目を向け注目せざるをえない存在感があった。
従える悪魔は報告にあった通りだ。
手乗り文鳥のような少女は巫女装束の袖を振り、緋袴をばたつかせまるで子供のように明るい声をあげている。
そして黄金色の長い髪をした幼さのある女の子。こちらが九尾の狐の一部だろう。その伝説の存在へと目をやると、容姿は整いすぎるほど整っており神秘的でさえある。色白な肌に可愛らしいワンピース。
どちらも強い力を秘めていることは分かる。しかし、その力がどの程度か正中には分からない。例えるならば、テストで百点を取った者が、二百点を取れるのか百一点を取れるのか実力を見抜けないようなものだ。
しかも見た目が可愛らしすぎる。
「本当にこれで――」
大丈夫なのか――正中はそう口にしかける。
だが、金色の髪の下で美しく整った顔がニイッと歪み、緋色をした瞳が正中を射竦めた。そしてキヒヒッとした笑い声が響く。
「ん、お前丸かじり」
その言葉は捕食者のものであり、人間などただの非捕食者でしかないと思い知らせるものであった。その捕食者である少女の頭へと――拳骨が落とされる。
「こらっ! お前は何を言っているんだ」
「ぎゃんっ!」
射竦められていた正中はようやく視線から解放された。我に返るのだが、今度は恐ろしい力を持った悪魔が子供扱いされた事実に恐怖していた。
そうとは知らぬまま亘は申し訳なさげに、ペコペコする。
「いやどうも、うちのサキが失礼しました。すいません」
「式主、酷い」
「酷くない! まったくもう、正中課長さんに失礼だろうが」
「あ、ああ。気にしないでくれ」
ウーウーと唸りをあげ頭を押さえた姿は年相応で、あどけない仕草だ。しかし、もはや見た目に騙されることはなかった。これは恐るべき力を持った悪魔だと認識している。
正中は改めて五条亘を眺めた。
従魔の行動を謝罪し、誤魔化し笑いを浮かべ頭を下げる姿は情けない。だが、強力な悪魔を意のままに扱う『デーモンルーラー』の使用者――すなわち悪魔使いなのだ。
ゴクリと唾を飲む。
――なんとしても、NATSの一員に加えねばならない。
これだけの力を持つ人物を仲間にすれば戦力増強は計り知れない。キセノン社の後塵を拝する必要もなくなり、政治屋どもに役立たずと嫌味を言われることもなくなる。
何よりアマテラスに対する圧力になる。それはNATSの組織としてだけでなく、個人的な意趣返しにもなる。
同じ公務員なのだから人事院に掛け合えば、出向扱いでNATSに配属させることが可能だろう。そんな算段を正中が立てていると、いきなり亘が大声をあげた。
「あああっ、そうか! そうだった!」
全員が心底驚いた。特に訓練されたNATSのメンバーの驚き具合ときたら魂消るほどであり、志緒など小さな胸を押さえ息を荒げてしまった。
各所から非難の眼差しが向けられるが、その全てを無視し亘は走る。その向かった先は――刀剣類の展示場であった。
そこにある展示品は全てDPで複製されたものであり、『写し』と呼ばれる鍛冶師が銘作を模倣するものとは次元が違う完璧な複製品だ。本物と寸分違わぬ状態であるならば、即わち本物と同じだろう。
亘が展示ケースの硝子に張り付くと、追いかけてきた神楽が呆れた声を出す。
「あのさ、マスターってばさ。今の状況を分かってんの? 人工異界の中なんだよ、敵が襲って来てるのに何やってんのさ」
しかし亘はそんな言葉は無視した。展示品を指差し、まるで玩具をねだる子供のような懇願する顔をしている。
「なあ、これ持って帰れないかな」
「あのさ……無理だよ。前にも言ったでしょ、異界を出た時点で消えちゃうってば。それよかさ、敵がいるんだよ。マスターも戦わなきゃダメじゃないのさ」
「うん? ああ敵か、それは任せるよ。時にはデーモンルーラーの契約者らしく、従魔に戦いを任せるべきだと思うんだよな。というわけで、神楽の活躍を期待している」
「もおっ! 本当に呆れたマスターだよね……でも仕方ないんだから」
神楽はぶつぶつ言うが、けれども声に嬉しさが含まれる。従魔にとって契約者から頼りにされることは無上の喜びとなる。そのままウキウキと飛んでいくと、ちょうど現れたインプに嬉々として光球を放ち一瞬で倒している。
諸事雑事を人任せにした亘は顔を緩ませ、手を揉むように擦り合わせる。顔は嬉しげに緩みさえしていた。
「じゃあ、ゆっくりと。ふふふっ」
ノックするように手を振るい、硬い展示ケースを容易く打ち破る。その砕けたガラスを躊躇なく払いのけ、展示されていた短刀を手に取った。ガラス片でケガをしたが、それは即座に回復魔法が飛んできて一瞬で癒やされている。以心伝心の、素晴らしい従魔のお陰だ。
けれどそんな亘の暴挙に気付き、学芸員が状況も忘れ血相を変え詰め寄る。
「ちょっと貴男、展示品をどうする気ですか! すぐに止めなさい! 警察を呼びますよ!」
「うるさい黙れ」
邪魔された亘はひと睨みした。それはDPを暴走させ、力を増大させてまでの威圧だ。まともに直視した普通人など、どうしようもない。
「あああぁぁ……」
学芸員は腰を抜かし床にへたり込んでしまった。微かにアンモニア臭を感じ、亘は煩わしげに眉を顰める。だが、すぐに興味を失い手にした短刀へと視線を落とし相好を崩す。
享保名物帳――それは徳川吉宗が編纂させた、名刀類の所有者や伝来などを記した資料だ。つまり、その当時に選定された国宝のリストと言える。
展示品の短刀はその享保名物帳に掲載された名品中の名品だ。ちなみに享保名物帳に掲載された品が市場に出かけた場面に偶然遭遇したが、お値段四千万円でしかも電話一本で誰かが購入を決定していた。
その時に手に取った品と勝るとも劣らぬ出来に、それがDPによる複製とは言え、亘は陶然として眺め――その背へとインプが襲い掛かった。
「邪魔するな」
手の一振り。
たったそれだけで、烏の嘴をした顔が一瞬で弾けて消滅する。頭を失った胴体がバタリと落ち、痙攣しながらDP化しだした。だが、それを成した亘は目さえ向けていない。
一部始終を目にした者は震え上がった。
「今の攻撃……悪魔か人間か確認してなかったよな……」
「うん。やばい、あそこ近寄るとマジやばい」
「大丈夫よ。人間には攻撃しないはずだから……多分」
「あちらは放っておきましょう。我々は大使をお守りするのよ。NATSの、いえ日本の面子にかけて戦いましょう!」
そう声を掛け合うNATSの前にインプがワラワラと沸いてきた。さらには、より大型のガーゴイルも出現しだす。しかし数日前の絶望的な訓練に比べれば大したことはないと、戦意を衰えさせることはなかった。
「いいわね。撃破数が少ない人は、五条さんに鍛え直して貰うわよ」
それどころか志緒の号令によって、NATSの戦闘力が一気に向上する始末だ。
ほぼ同時に突っ込んできたガーゴイルも、落ち着いた銃撃で撃ち落とされる。そこに死に物狂いとなった隊員が襲いかかりトドメを刺さす。鬼気迫る動きだ。
きっと訓練の賜物だろう。
ガーゴイルどもの断末魔があがり、血と得体の知れない液体が飛び散る。たまたまそれが、館長の足に降りかかった。
「うわわわぁ! なんじゃこれはっ!」
「待ちなさい、離れてはダメよ!」
パニックとなった館長は制止を振りきり走りだす。その背にインプが飛びかかり、引き倒してしまう。背を斬り裂こうと、鋭い爪が振り上げられる。
「間に合って!」
志緒がとっさに自分の従魔を投げつけた。リネアは空中で不定形な身体を触手のように伸ばし、今にも館長を引き裂こうとするインプへと襲い掛かる。次の瞬間、透明な身体が一瞬で赤く染まり、インプは干涸らびた乾物となった。えげつない吸血スキルだ。
志緒が館長を乱暴に引き起こし胸ぐらを掴み上げる。
「あなた、死にたいの! こんな時に一人で行動して! 人の上に立つ立場なら、落ち着いて構えてなさい! 分かったの!」
「は、はい……」
「長谷部係長、上ぇ!」
その声を聞くなり、志緒はとっさに館長を突き飛ばした。そして自分は逃げ切れないと一瞬で判断して頭を庇う。落下するように新手のガーゴイルが襲いかかってきていた。
だが、それは小さな爆発によって吹き飛ばされた。そして志緒も倒れ込む。
神楽の魔法による援護だ。かなり威力を抑えているが、それでも爆風による衝撃波は志緒を叩き伏せ、倒されたガーゴイルの肉片が辺りへと飛び散った。
「ひぃぃ目玉ぁ! 誰か取って、取ってぇ!」
髪に付着する肉片に情けない悲鳴をあげ、志緒はせっかくの活躍を台無しにしていた。
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