第276話 一日の長ぐらいはある

「近村君。礼を言うならともかく、そういうのは止しなさい。君がどう思おうと、君は助けて貰った身の上なんだ」

 隊員が腕を掴み制止しようとするが、近村と呼ばれた少年はそれを振り払った。頭に血が上った様子で顔は赤く目付きは鋭く、どうやら怒りを抱いているらしい。

 どうして助けた相手に睨まれるのかと亘は軽く不快に思った。

 助けられた礼ぐらい言うべきではないか、と内心では不満に思うのだが二尉たちの手前、そんな様子は欠片も見せない。むしろ外面を取り繕い、鷹揚な大人の態度を見せてしまうぐらいだ。

「構いませんよ。それでそんなとは、どういった意味かな」

「はい! 貴方はとても強いです。僕が思いますに、貴方であればもっと多数の悪魔を倒し人々を救えるのではないでしょうか」

「? 現にこうして動いて活動しているじゃないか」

「ですが、貴方ならもっと凄い事が出来て戦えるはずです」

「……ふうん」

 亘は観察するように相手を見つめる。

 こいつは何を言っているのかと思ったのだ。

「貴方は御存知ないかもしれませんが、世の中にはノブレス・オブリージュといった言葉があります。この言葉の意味はですね、力ある者はその責任を持って義務を果たさねばならないといった西洋に存在する貴族の思想でありまして――」

 そんなことを言いだした近村少年に、亘は感心すら覚えていた。

 ノブレス・オブリージュという言葉ぐらい知っている。

 概ねは近村の言う通りだが、正しくは高貴な者は『その権力と権利の特権が認められる代わり、責任と義務を果たしましょう』といったものだ。ある意味で傲慢さと差別が内在する思想で、さらに努力義務程度しかない。

 しかし近村はそこは気にしていない。気付いても居ない。聞き心地の良い上っ面のみを都合良く取り上げ、さもそれが正しいかのように主張している。

「…………」

 特権はどこへ行ったのか。力を持ったことが特権だとでも言うのか。何度も死にかけ手にした力と強さは、その身を危険に晒さず何もせぬ人々を守らねばならないのか。努力をした者は、努力しない者を助けねばならないのか。

 無性に反感を感じてしまう。

 どうしてもそうとしか考えられない自分は協調性がないのだろうか。器の小さな狭量でケチな人間なのだろうか。否、なぜ自分が悩まされねばならないのか。

 不愉快だ。

「君だって他の人に比べれば充分な力があると思うが」

 普段の亘であれば反論などしない。逃げるか誤魔化すか受け流すかする。

 だが自分より年下の相手に一方的に言われ、黙っていられるほど人間が出来ていないし、なけなしのプライドだってある。

「もちろん僕は粉骨砕身頑張ってます! ですけど、貴方はそうは見えない。もっと頑張って悪魔を倒すべきではないでしょうか」

「なるほど、もっと悪魔を倒すように頑張れと」

「はい、そうです!」

「だったら――それは、どれだけ頑張ればいい? 朝起きた瞬間から戦いに行って食事をしながら移動して戦って休憩の時間もなしに戦って、少しも他のことを考えないまま戦って日が暮れても戦って眠くて動けなくなるまで戦い続けろと?」

「極端なこと言わないで下さい。僕はもっと頑張るべきだと言ってるだけです」

「もっとでは抽象的すぎて分からない。定量的かつ具体的に言って貰わないとね、君の頭の中にある感覚でものを言われても困る」

「貴方は大人なんでしょう。そんな言い方をしないでくださいよ」

「大人だからこそ、目標と数値を明確にしたいんだ。そもそもNATSからの指示があった上で行動しているし、その指示内容はクリアしている。むしろ、君の方が指示をクリア出来てないようだが」

 この区画での悪魔退治を命じられたものの、規定数まで倒せないどころか勝てそうにない悪魔から逃げ出したぐらいなのだから。

 亘の指摘に近村は悔しげに顔をしかめた。

「でも僕は精一杯に頑張っています!」

「頑張ったという言葉は免罪符じゃない。子供ならそれで通用するだろうけど、世の中は結果が出せなきゃ認めてはくれない。しかもね、結果を出せてない君が結果を出している相手に文句を言うのは……大人だ子供だと言う前に、人としてどうかと思うよ」

 少年は顔面蒼白となって歯を噛みしめている。

 痛いところ突かれると直ぐに表情に出し、全人格を否定されたかのように敵意をみせる。まったくもって子供らしい反応だ。

 亘は大した事のない人生をおくってきた。

 だがそれでも近村よりは長く生きて様々なことを見聞きしているし、様々なことに出会っている。社会に出ては様々な人の厳しさや悪意に晒されて生きてもきた。人生経験で言えば近村よりも一日の長ぐらいはある。

 とはいえ、説得できず追い詰めるだけなので少しも威張れた人生経験ではないのだが。

「話はもういい? 理想を持つのは結構だが、まず自分が率先して実行すべきだ。そうすれば自然と他の人もそれに倣うと思うよ。それが出来ないからって、自分の理想を他人に押しつけるのは止めて欲しいな」

 亘はすっきり満足げに言った。同調するのはサキぐらいのもので、その大人げの無さには二尉や防衛隊員たちは言うに及ばず神楽ですら呆れ気味だ。しかし近村を擁護する声はどこからもあがっておらず、総論としては皆が同じ気分なのだろう。

 そして近村は――。

「僕だって貴方みたいな力が欲しいですよ! 僕に力があれば、もっと力があったなら!」

 いきなり泣きだした。

 亘は目を瞬かせ内心動揺をした。

 実は途中からサディスティックな気分になっていて、言葉で相手を追い詰めていくことが楽しくなっていたのだ。自分にそんな面があったのかと意外に思っていたが、こうなると今度はパワハラ発言になっていないかと恐れてしまう。

 取りあえず発言的にパワハラに該当はしないと思うのだが、しかしパワハラかどうかは受け手の感じ方という部分もある。

 非常にマズい。

 ここからどうリカバリーするかを必死考える。いろいろなことを考えに考え続け、ついには証拠隠滅を野良悪魔に任せようかと邪悪なことさえ考え……軽く咳払いをした。

 さらに、真摯に相手を思いやるような顔で近村を見つめる。

「君は力が欲しいか?」

 邪悪な者の誘惑のような言葉だが、言っている本人は大真面目だったりする。

「えっ……?」

「力が欲しいかと聞いている。もっと悪魔を倒し皆を救えるような力が」

「それは、それは欲しいに決まってます! 僕に力があればあいつを……あいつだけじゃなくて、もっと大勢の人を助けられたんです!」

「そうか力が欲しいか、ならば手伝おう」

 亘は力強く宣言した。

 もうこれで大丈夫だ。とりあえず味方をして仲良くなって手伝ってやれば、先程の発言なんて忘れてしまうだろう。

 とても姑息な腹づもりが成功し、よしよしと手を擦り合わせ安堵している。

「なあ神楽や、向こうにまだ悪魔はいるか?」

「マスターってばさ……ううん、何でもないよ」

 神楽は手に取るように亘の考えが分かるため、その大人げなさにすっかり呆れ気味だ。しかし同時に諦め混じりでもあって、そういうものだと受け入れている。むしろ、そういう点も含め自分が受け入れてあげねばと考えているぐらいだ。

「そだね結構いるよ。でもさ、近くにもちょっと集まって来たみたいだよ」

「ちょっとの数ではな。よし集まっている場所に行こうか」

 歩きだそうとした亘を二尉が必死になって止めた。

「すいませんけど、そろそろ戻りたいのですが」

「でも、この近村君を手伝う約束をしましたから。二尉たちは先に戻って頂いても構いませんから」

「我々だけで戻るというのは少々……」

 このまま亘なしで移動するなど、まだまだリスクが高い状況だ。もちろん悪魔と戦い勝てないことはないが、少し強い相手が出れば逃げの一手しかないだろう。誰だってリスクは極力抑えたい。

「そうですか。でも一緒に来る方がリスクが高いでしょうし」

 腕組みする亘の呟きに、近村少年は眉を寄せた。急に不安を感じたらしいが、幸いにして――または不幸にも――その不安が正しいことには気付いていない。

「では、ここで待機していて貰えますか」

「ここでですか? いやそれは寧ろ危険なのでは……」

「もちろん大丈夫です。これに護衛させますので」

 これ扱いをされサキは不満そうだ。

「であれば、戻るまで同行して貰った方がありがたいのですが」

「いいですけど、あまり遠く離れると勝手に戻ってくるかもしれませんけど」

「あっ、ここで待機します」

 日射しは穏やかでアスファルト道路は程良く暖かい。辺りは無人で静かで、鳥の鳴き声も聞こえる。悪魔の脅威さえなければ、実に過ごしやすい環境だろう。

「ここに居る人たちを守っておいてくれ」

「むー」

 サキは面倒そうに顔をしかめ眉をぎゅっと寄せる。

 しかし、亘は手を伸ばし高い高いで持ち上げた。長い金髪を降り注がせる中でサキは驚いた様子で桜色した唇を小さく開けている。

 それに亘は頼むと――自分のパワハラ疑惑を有耶無耶にするために協力してくれと――真面目な顔で頼み込む。

「ここに居る人たちを守ってくれるか?」

「んっ、分かった」

「よしよし、良い子だ。さあ神楽よ案内してくれるか」

 亘は満足して頷いたが、下に降ろされたサキは顔を赤くぼーっとしている。

 そして神楽は出荷される子豚でも見るように近村を見やり、気の毒そうな顔をするばかりだ。

「ボク知ってるよ、これからどうなるのかをさ。可哀想に……」

「変なことを言うな。普通に鍛錬するだけだろ」

「普通のね……そだね、マスターがそー思うならさ。きっとそなんだろね」

「当たり前じゃないか」

 亘と神楽の後ろを近村が希望を胸に宿し追いかけていく。

 そんな様子をサキは見つめ続けるのだが、通りの向こうを曲がって姿が消えるやいなや寂しげに息を吐いた。とことこ移動するとコンクリート塊の上にどっかり腰掛け、後は足をぶらぶらさせぼんやりしている。

 残された二尉たち防衛隊は所在なさげに立ち尽くすばかりであった。

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