第275話 憐れな悪魔たちを襲っている
亘は郊外を歩いていた。
さらに正確かつ詳細に言えば、郊外だった場所を機嫌良く歩いていた。
フェンスに囲まれた児童公園は避難した人でもいたのか、ブルーシートの仮設テントがある。だが、今は誰の気配も無く散乱した焚き火の跡に、鍋やフライパンが転がったままだ。
この辺りは殆ど廃墟となっているが、人々は神社や寺の周辺に寄り集まって暮らしているという。そのため地域の安全確保としてパトロールがてら悪魔の駆除をしているのだ。
「かなり悪魔を倒されましたね」
迷彩服姿の二尉が辺りを見回しつつ隣りに来た。
実際にその言葉の通りで、亘は固まっていた悪魔の一群を散々に蹴散らしたところなのだ。お陰で二尉は感心とも安心ともつかない顔をしており、やはり同行する隊員たちも同じような様子だった。
亘は機嫌良く精力的な活動をしている。
もちろんそれは貰う物を貰ったからで、鼻歌のような雰囲気で息をしてしまうほど機嫌が良い。
「五条殿から見て、この辺りはもう大丈夫そうでしょうか」
「さあ、どうか分かりませんね。神楽かサキが戻れば分かると思いますけど」
その神楽とサキは各自別行動で戦っている。
互いに数を張り合って悪魔を倒しに行ってしまったのだ。今頃は隠れん坊の鬼のごとく、憐れな悪魔たちを襲っているに違いない。
「なんにせよですね、数は減っても居なくなりはしませんから」
「そうなのですか!?」
「あれっ聞いてませんか、普通にそこらで発生しますよ。もう普通に存在するものとして共存していく必要があると思いますよ」
「難儀なものですな」
二尉は自分が首を突っ込む情報ではないと判断し、後で上司に報告――別名で丸投げ――することにしたらしい。それ以上は追及しなかった。
「しかし五条殿がいて下されば、もう安心ですよ」
「さあどうですかね」
亘は否定気味に首を横に振る。自分が強くなったとは思っても、だからと言って油断する気はない。世の中というものは上には上がいるものである。
そんな様子に二尉は不安を覚えたらしい。向こうから銃声が聞こえてくると過剰なまでに反応し身を縮めてさえいる。
「まだ悪魔が!?」
「そのようで」
目の前の通りは少し先で二叉に分かれ、銃声はその右のようだ。
空が曇ってきていた。
その中を亘はほどほどの早さで走った。本気ではないが、他の者を置き去りにするぐらいには早い。レベルアップによるものとアプリによる強化の両方の効果だ。
前から逃げてくる数名が見えた。
デーモンルーラーを使う少年と、それに同行する防衛隊員が走って来る。後方には追いかけてくる大型の悪魔が数体。恐らくは異界の主級と思われ、確かに普通では手に余るだろう。
まだ近郊にこれだけの存在がいるとは思わず、やはり油断はできないということで――亘は戦いを前に笑顔となった。大きく跳躍し逃げてくる者たちの頭上を飛び越える。
この動きは流石に予想外だったのだろう、少年などは走りながら目を真ん丸にしている。それで転びかけたところを防衛隊員に支えられ、何とか態勢を立て直していた。
「まずは一体っ!」
亘は体当たりするような蹴りを大型悪魔の一体に叩き込んだ。
押しつぶされるように倒れた悪魔には見向きもせず、次の悪魔へと襲いかかる。
ようやく駆けつけた二尉は仲間を直ぐさま保護しつつ、その先で繰り広げられる戦いに驚き半分呆れ半分だ。
これまで亘の戦いを見ているだけに、さもありなんという感想である。
しかし保護された者たちはそうでもない。
巨大悪魔の一撃を回避し、または受け止める様子に呆然となっている。あげくに相手の背中に跳び乗り、どこからともなく取り出した棒で殴りつける様子を目にすれば何とも言えない顔になってしまう。
「なにあれ」
「悪魔が襲われてる」
「援護はどうする」
「いや意味ないだろ」
「むしろ邪魔か」
少し前の自分と同じ驚愕を味わい囁き合っている同僚たちに対し、二尉とその部下は何故か笑っている。それは既に自分たちが通った道だと思っているのだ。
だが、その戦闘とは別方向の近くで爆発が生じると全員がすくみ上がった。
「あのさボク思うんだけどさ、油断したらダメなんだよ」
「神楽さん!」
「そっちから悪魔が来てたからさ、襲われるとこだったから」
空から舞い降りてきた小さな姿に皆が驚きの顔をする。ただし、驚きは驚きでも目の前に憧れの存在が突如現れたといった種類の驚きだった。
神楽は既に防衛隊の隊員たちの間では女神の如く崇め奉られている。
それは当然というもので、その魔法によって多数の悪魔を撃破し大勢を救っているし――本人が隠しているつもりらしいのでオフレコになっているが――回復魔法で死の淵にあった者たちを次々救っている。何より可愛い、これで崇められない方がおかしいだろう。
「やっちゃえ、マスター」
元気よく声援を送る神楽の前で亘は戦う。
気合い声もなく拳を突き込めば、大型悪魔の腹が陥没し背中側が弾けて中身が飛び散った。咆えた残り一体の攻撃を躱しざま、相手の足元へと素早く滑るように接近。逃げようと地を蹴ったところを、同じ動きで追随していく。
腕を掴んだ悪魔へ亘が棒を振るった。頭が陥没すれば身体が硬直し、そのまま前のめりに倒れ伏してしまう。
神楽が即座に飛んでいった。
それで防衛隊員たちは戦闘が終わったことを知った。なにせ全員が見ていたのは、目をキラキラさせ応援する神楽の姿だったのだから。
「マスターってばさ、今の戦い凄いね。格好良かったんだよ」
「そうか?」
「うんうん、そだよ。普段からそんな感じで、シャンとしてれば格好いいのにさ」
「つまりそれは普段の様子が良くないと言いたいわけか。そうか、神楽はそう思っているのか」
「んもうっ、拗ねくれすぎだよ。素直に褒め言葉と思わなきゃだよ」
神楽は両手を腰にあて、呆れきって頭を振った。しかし直ぐに亘を身嗜みを整えてやろうと纏わり付き、髪の毛を撫でつけたり服の襟を直したりと世話を焼きだした。
それをされている亘は面倒そうな様子ですらあるが、お構いなしだ。
既に大型悪魔の姿は消えている。
「この辺りはこれで終わりか?」
「そだね、んーとね。向こうでサキが悪魔を追いかけて遊んでるのと。あっちの方でそこそこ居る感じかな」
「だそうですよ」
亘は振り向きながら言った。
「えっ? あっ、はい!」
それで二尉はハッとしている。今の今まで神楽を見ていたわけだが、憧れの存在が目の前にいるのだから、そうなっても仕方がない。
「ぼうっとしてました、失礼。それでは一度戻るべきかと思います」
「別に問題なく戦えますけど」
「いえ、他の者が……」
二尉は言いにくそうに、合流した班の者を見やった。
少年や隊員に怪我などはない。だがしかし悪魔に追われ死にかけたのだ。普通はそんな目に遭って戦い続けられるほどメンタルは強くはない。
そこに思い至らない亘は不思議そうにするばかりだが、しかし方針として決められれば反対もせず素直に従う。社会人生活ですっかり、それが染みついているのである。
亘は心持ち視線をあげた。
「サキ、おいで」
その声は大きくもなく小さくもなく、軽く空に向かって呟いたぐらいのものだ。
直後――立ち並ぶ家々の向こうで激しく物が壊れる音が連続した。それが響く度に屋根の向こうに煙のようなものがあがった。
とりわけ大きな音が響いたかと思うと、一番手前にあった家の窓から白い粉塵が噴きだしたかと思えば中から弾けるように家の壁が壊れた。
まっしぐらに駆けてくるのは金色の髪をした少女だ。
整った顔に浮かべた笑顔に姿形は可愛らしいものの、今まで連続した音の正体はどうやらこの少女が家々を突破してくるものだったらしい。防衛隊員たちは跳ね飛ばされた車が飛んでいく様子を黙って目で追っている。
サキは亘の前でピタッと止まり、キラキラした目で見上げている。
「せっかく綺麗な髪が埃まみれじゃないか。帰ったら洗ってやるかな」
「んっ!」
サキはもう子猫のような無邪気な笑みで、見る者全てが幸せを感じてしまいそうなぐらいだ。亘が癒しを感じていると、その耳が軽くツンツンと引っ張られた。
「あのさボクもさ、埃がついちゃってるんだけどさ」
神楽は後ろで手を組みもじもじしながら言った。その短い外ハネした髪や白い小袖に少しばかり土埃が付いている。わざわざ地面に行って、でんぐり返りまでしてきた成果だ。
一瞥した亘は軽く頷いた。
「そうか、だったらしっかり払っておけよ」
「ちょっとさ、それって何なのさ! なんでサキは洗って、ボクはそれなのさ!」
「うるさい奴だな、分かった分かった」
亘は言って神楽を鷲づかみにした。さらに携帯していた水筒を取り出し、器用に片手で蓋を開けているではないか。
「マスター、それ何さ?」
「水筒だ」
「そなこと分かってるの、何する気かってボクは言いたいの」
「もちろん洗うんだが」
「それで?」
「安心しろ中身は水だから」
「マスターのバカァッ!」
閃光が幾つか迸り亘は引っ繰り返り、今度は自分が汚れてしまっている。空中にある神楽は頬を膨らませ極めて不機嫌な顔だ。
一部始終を見ていた二尉を始めとする防衛隊員たちが亘を見る目は批難に満ちている。もちろん嫉妬も含まれていた。
そして――。
「どうしてですか」
「ん?」
「僕たちのような力を持つ者は、人々を救う使命があると思うのです。でもどうして貴方は、それだけの力があるのに、そんななのですか? 」
そう言葉を投げかけたのは、先程助けたデーモンルーラー使いの少年であった。
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