第274話 かくして従魔の忠誠心を試される
アマテラスという組織は歴史の影に連綿と続いてきたが、これに対し朝廷や将軍家や大名家といった時の権力者たちは様々な品を奉納している。それらの品々は社蔵宝物類として大切に管理保管されてきたため、往時の姿を殆ど変えないまま、世に出ることもなく今に伝わっていた。
本紫色の袋に収められた品もその一つであるが、そんな貴重な神宝を亘が貰うのは、これが賠償金代わりだった。
とは言え、賠償金代わりだからと言って、亘は貰って当然とは思っていない。
アマテラス側に立って考えれば、勝手に暴走し大失態をおかした部下の尻ぬぐいで上層部まで含め必死に頭を下げざるを得ず、あげく貴重な資産まで分捕られた状況なのである。
大人として他人の立場に立って物事は考えられるのだし、そもそも自分も仕事で苦労を重ねている。扱いに困る部下が少なからず存在することは身を以て知っており、だから部下の監督不行届をそこまで責める気はない。
むしろ心情的にはアマテラスに対し同情込みで友好気味な部分すらある。
よって貰える物は貰うが、その辺りを気にしないフリをしながら細かい事は追求せず曖昧な和やかムードを演出するといった大人の対応を決め込んでいた。
その辺りは藤源次も同じらしい。
お役目の一つを終えると肩の力を抜き、友人として立場に切り替えてくる。
「ところでの、それを抜いてみぬのか」
「そうしたいが無意味に鞘から抜くと危ないだろ、つまり銃刀法違反としてだが」
「お主は何を言っておる。周りを見てみよ、この状況ではないか」
「……それもそうか、今更か」
今までの常識に囚われていた亘はしみじみ頷く。
横には実弾を装填した銃を装備する防衛隊員が普通に歩いているし、忍び軍団にしても忍刀や背負い太刀を身に付けている。今更ここで白刃が加わったところで文句を言うようなバカは――多少はいるかもしれないが問題ないだろう。
「さあ確認のためにも抜いてみるといい」
「それは自分が観たいだけだな」
「ふむ、ばれてしもうたか」
亘はそんな藤源次に苦笑しつつ、本紫色の袋に目を落とす。
袋は上で一度折り返され、同じ素材と色をした幅広紐にて本体を四度ほど巻き締めてある。長さは1mはあって重量はずしっとしたものだ。何か香が焚き込まれているらしく、仄かに良い匂いが漂ってくる。
「なら期待には応えないとな」
袋を完全に外せば、傍に控えていた七海が自然に受け取った。出遅れた神楽がショックを受けたような顔で悔しがっていたりする。
白鞘は穏やかな飴色に落ち着き、滑らかで優しい手触りをしていた。横腹は永い年月の手入れで削られ平らになっている。
「うん、やっぱり良い鞘だ」
「そうよのう、手入れで時代を経た肉取りはやはり違う。昨今の職人ときたら最初から横を掻いて削ってしまう者も多いでのう」
「うんうん、コンクールで賞狙う奴とかそうだよな。しかし、この材は凄いな。今どき、もうこんな良い朴は取れないだろ」
「然り然り、こればかりは金でどうなる代物でないからのう」
楽しげに言って声に出して笑いあうのだが……しかしマニアック過ぎる話に誰も付いていけず、周りの者はキョトンとするばかりだ。
亘は白鞘を両手で軽く掲げ一礼した。
鯉口をきって引き抜けば、ぬろぬろぬろっと重厚かつ滑らかな感触だ。切っ先が抜け出る瞬間に一度止め、引き抜いた瞬間の重量変化に備えつつ鞘から抜きだす。
陽光が燦然と輝く。
亘は言葉もなく手にした太刀を垂直に立て腕を伸ばし眺めやった。
「…………」
その姿は手元付近に深い反りがあり、先に向かって細まりつつ反りは抑えられ鋒は小さめ。重ねもまた手元が厚く先に行くほど薄くなり、これが反りや身幅の形状変化と合わさって均整のとれた姿をつくりだしている。
小板目鍛えは梨子地状に肌が立ち、複雑に描かれた模様に地沸がしんしんと舞う粉雪のようにつき一種異様なまでの美しさが醸し出されている。美しい小沸仕立ての刃文は直刃に湾れ調となって小さな乱れや丁子が存在し、刃の中を泳ぐような金色の筋が煌めき先では僅かに掃き掛けながら小さな丸に返っていた。
その全てが清々として上品で優しく美しく、一種異様なまでの美しさが存在している。
思わず溜息が出てしまうほどで、慌てて自分の息がかからぬよう刀身の位置を動かさねばならなかった。
「良いな」
「良いのう」
「最初に見つけた時も良いと思ったが……」
「うむ、こうして見るとますます良いのう」
「見るほどに良く思えていく気がする」
「然り然り」
アマテラスの宝物庫を漁り、これを見つけ出した時の驚愕と感嘆を思い出し亘は微笑した。改めて見ても、その感情は色褪せない。
この品には、横で見物していた者たちも感心したように息を吐くぐらいだ。
「なんかええやん」
エルムも興味を示し感心するように眺めだし、なにやら腕組みしながら片手を顎に当てつつ唸りだす。
「ううむ、あれやな。こん刀は全体が引き締まって静かな中に、なんとも言えない底知れぬパゥワァを秘めとる感じやんな。きっと凄い刀なんやろな」
「いや、それは違うぞ」
「凄くないんか?」
「これは、最高に凄いんだ」
「あっそーですか」
エルムは呆れたように呟いた。余計な事に首を突っ込んでしまったと、引き気味の逃げ腰となっている。助けを求めるような目線を七海に向けるが、しかし七海はそれとは関係なく興味津々であった。
「最高に凄いのは感じられますけど、これはどんな刀なんですか?」
「そうか知りたいか。よしよし、じゃあ教えてやろうかな」
「お願いします、楽しみです」
「だが、その前にまず刀と言うのが間違いだな。これは太刀に分類されてな、刀ってのは元々は太刀の差し添えに使われた短い打刀が、太刀にとって代わる中で長くなったもので、そもそも発生からして違うものであって――」
活き活きと話し出す亘の前で七海は両手を合わせ微笑む。エルムは自分の親友を心底尊敬するが、しかし七海が嬉しそうに見ている対象が嬉しそうに話す亘そのものだということまでは気付いてない。
気付いたのは神楽とサキぐらいで、気付くなり身を強ばらせ震えている。
「まあ細かい話はさておき、この太刀のどこが凄いか説明しよう」
たっぷり語った後に、亘はようやく本題に移る。
まともに聞いているのは藤源次と七海ぐらいで、他の者は辟易としながらしかし立ち去るわけにもいかず我慢している状況だ。可哀想なのは忍びの軍団で、神楽とサキという超の付く強大な力を持つ存在の前で身を強ばらせるばかりだった。
「まあ、これを見れば一発だな」
亘は慣れた手つきで柄を外した。現れた茎は先が細まり栗尻となって鑢目は浅い勝手下がりとなっているのだが、目釘穴の上に十六葉の菊花紋が存在した。
「どうだこれが有名な御所焼で、菊御作とも言う。つまり後鳥羽上皇の作ったとされる太刀だ。普通はハバキ下に御紋があるが、これは少し下めになるな」
「後鳥羽上皇ですか、そうすると承久の変ですね。日本史Bの授業に出てました」
「まあ……そうだな……よく覚えてるな」
「ええ、そうなんですよ。承久の乱が日本史に与えた影響を述べよと出題されたので覚えてます。もちろんちゃんと回答しまして、よく考察できてると褒められましたから」
「そうか偉いな」
褒めて欲しそうに嬉しげな七海とは対照的に、亘のテンションは微妙に下がり気味だ。高校の授業など遙か遠く記憶の彼方で、目の前にいる相手との年齢差を改めて認識させられ何とも言えぬ物悲しさを覚えたのである。
とはいえ、その辺りの事情の分からぬ七海は不思議そうな顔をするばかりだ。
「その後鳥羽上皇が太刀を作られていたのです?」
「ん、ああ。作ったというのは少し語弊があるな。承久記には、君御手づから焼かせ給ひとあるから全工程ではなくって焼入れだけを行って、つまり現代風に言えば後鳥羽上皇が刀をプロデュースして最後の仕上げに焼入れを行った感じだな。どうだ、少し持ってみるか」
「いいんですか?」
「構わんさ」
亘は七海に太刀を渡すと、殆どの者が巻き込まれて可哀想にといった視線を向けた。しかし――神楽とサキは身をのけぞらせ目を見開いている。
それはかつてない事で、藤源次のような趣味仲間ならともかく、その他の者に亘が刀剣を渡すなど考えられないことなのだ。それだけ七海という存在が特別なのだと改めて認識し恐れ入っていた。
何も知らぬ七海は渡された太刀を――多少のおっかなびっくりはあれど――手にして、しみじみと眺めている。
「とっても綺麗で奥行きみたいなものがありますね」
「間違いなく粟田口の鍛冶を呼び寄せてつくった系統だな。そうなると四月か六月に鍛えて焼入れをしたってことになるだろうな」
「きっと後鳥羽上皇も五条さんみたいに日本刀が好きな方だったんですね」
「比較されても到底及ばない身の上だけどな。でもまあ、この太刀の出来が良いのは間違いないが、本当に上皇が作刀に関わったかは疑問な部分もある」
「なるほど、そうなんですか」
七海が頷いてくれると――凄く心地いい。
もちろん相手が七海だからということもあるが、自分の話を聞いてくれて興味を示し反応し感心してくれる。たったそれだけのことが心地よくて堪らない。きっと承認欲求が満たされるからなのだろうと思える。
類例にしたくないが、きっとキャバクラに通う男も同じような気分に違いない。
横で静かに見守っていた藤源次が、ずいっと前に出てくる。
「お主、主上を疑うとは。なんと畏れ多いこと言うのか」
「いや待ってくれ藤源次。畏れ多いと言うのなら、真実か分からない事柄を決めつける方が畏れ多いだろ。そもそも承久記なんて現代風に言えばラノベじゃないか」
「ラノベとはなんだ?」
「創作要素を含んだ、おとぎ話みたいなものだな。とにかくだ、鎌倉側の歴史書と言っても吾妻鏡に記載がないのはおかしいだろ。同じ時代の貴族だって日記に残してないしな。過去からの定説だって、根拠を求めて疑う必要はあるはずだ」
「根拠であれば正和銘尽に載っておろうが」
「観智院文書のことか、あれを根拠ってのはどうかと思うぞ。あれなんて上皇の時代から百年後に誰かが書いた資料を、さらに百年後に書写したものじゃないか。それが正確かどうかなんて――」
「待て待て増鏡には記載があるでないか、剣など御覧じ知ることさえと――」
「でも御所焼自体には触れてない――」
喧々囂々と、しかし楽しげに意見を交わす亘と藤源次。
志緒とヒヨは早々に、エルムとイツキは顔を見合わせそそくさと逃げだし、正中は躊躇いつつ仕事に戻る。
手掻の忍び軍団はヒヨが逃げる前に合図をしたがため、膝を突いたまま統制の取れた動きでジリジリ後退。蜘蛛の子を散らすように姿を消した。
神楽とサキはどうするか散々悩んだあげく待機を選んでしまい、かくして従魔の忠誠心を試されることになってしまう。
ただ七海だけは――きっと伝家の宝刀のつもりの――太刀を手にしたまま、最高の笑顔で横に控えている。もちろん熱弁を振るう亘を最高の笑顔で見つめ続けながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます