第91話 いとかわい
ピンク色した夢に登場するのは、顔見知りの少女だ。そのブラジャーに収まりきらない胸を鷲づかみにすれば、手の平にも収まりきらず溢れてしまう。夢特有の唐突さでシーンが切り替わると、実際には体験したことのないことを、これまた夢特有の曖昧さの中でしている自分がいる。
これは夢だと分かると同時に覚醒した。
「ううっ……しまった、やらかしてしまった……」
見知った天井を見上げ、布団の中で激しい後悔と罪悪感に苛まれる。
レベルアップによって身体が活性化しているせいか、まるで思春期の少年のような状態なのだ。そのせいか、パンツを汚してしまうことが時々ある。
特に七海に会ったり、電話で耳元に声を聞いてしまうと翌朝に惨事が発生する確率が跳ね上がる。神楽にバレぬよう、こっそりパンツを洗わねばならないのだが、その時の情けなさといったら言葉にならない。
「ん?」
だが、今回はいつものような、パンツの中の気持ち悪さがなかった。どうやらセーフだったらしい。しかし妙にリアルな夢だった。特に滑らかな肌触りは夢とはいえ、本当に触れているようだった。
夢の余韻に浸りながら寝返りをうとうとすると、腕の中に何かの感触がある。寝ぼけた頭の中で、とうの昔に別れた猫を思い出す。いつのまにか布団の中に入ってくるのだ。毛並みに沿って撫でてやると、ゴロゴロと喉をならし……手触りはスベスベだ。まるで夢の続きのように滑らかな感触だった。
不審を覚えた亘が布団をはね除ける。
寄り添うように寝る黄金色の髪をした少女がいた。その長い髪が身体に纏わり付く以外は、真っ白な裸身を隠すものはない。布団の暖かさを失ったせいか、モゾモゾ動き寒そうに手足を縮めている。
この少女が何者か思い出すまで、数瞬を要した。昨日の出来事を思い出し納得するが、今度はどうして布団の中にいるのか、なんで裸なのかが理解できなかった。
硬直したまま見つめていると、パチリと目が開かれ紅い瞳と目が合った。暖かさを求めた手が伸ばされ、しがみついてくる。
「ほわたぁ!」
亘は意味不明の叫びをあげ、飛び退くように布団の上で後ずさってみせた。その急な動きに煽られた少女は仰向けにコテンと倒れてしまう。とっさに目を走らせてしまうのは悲しい男の性だろう。
その騒ぎに、枕元で寝ていた神楽がムクッと起きた。
「んもーっ。マスターってばさ、朝から騒がないでよね!」
「あ、悪い」
「まったくもう……あのさマスター、なにするつもりなのさ」
布団の上に真っ裸で倒れるサキと、前のめりに膝立ちする亘。多分誰がどう見ても思うことは一つだろう。神楽の目が剣呑な色を帯びた。
「待て、誤解だ……多分誤解だ」
「へー、あーそー」
「バチバチはやめ――」
「『雷魔法』!」
キレた神楽の光球を浴びるのは久しぶりだった。
◆◆◆
「酷いよ。ボクだけ除け者にして、二人でこっそりイケナイことしようだなんて、酷いや」
「だから誤解だってば。ほうら、お菓子だぞ」
「いらないやい」
いつもはお菓子をちらつかせれば、簡単に直る機嫌が直らない。そっぽを向いて拗ねたままだ。これはかなり深刻だろう。
「だいたいさ、最初のボクに対する扱いと違うよ。無視されて、部屋から閉め出されたのに! なんでサキと一緒に寝てんのさ!」
「あの時は、ほら……幻覚と勘違いしてただろ。仕方ないよ、な?」
「むーっ」
「ほらほら機嫌を直してくれよ」
頬を膨らませ唸る神楽をひょいっと捕まえ、手の中で揉みくちゃにしてやる。もちろん乱暴にではなく、撫でてやるような感じでだ。頭を撫で、胴も腰も全部を手の中でやさしく触れていく。
「もーっ! そんなことしたってさ、ボク誤魔化されないんだからね」
「まあまあ。そう言わずに」
しかし、神楽の機嫌が次第に良くなっているのは間違いない。そもそも、もし本気で怒っていたなら、最初に捕まえることからして出来やしないだろう。つまり拗ねていただけだ。
そんな様子に今度はサキが羨ましそうな顔をする。クイクイッと袖が引かれた。
「サキも撫でて」
「ダーメッ。それより早く服を着なよ。だいたいさ、なんで服を脱いでんのさ」
「邪魔だから」
「マスターからもきつく言ってやってよ」
「そうだな、服はちゃんと着ないとダメだ」
その言いながら、亘はサキの方をチラチラと見ている。いくらお子様とはいえ、これまで女の子と縁がなかった者としては、どうしたって気になってしまう。
サキが仕方なさそうに脱ぎ捨てられていたタートルを取りに行く。身を屈めお尻が突き出される。桃のようなお尻が無防備にさらけ出されると、流石に亘も顔を赤くして視線を逸らした。
「ねえ、ナナちゃん来るんだよね。部屋の中をさ、片付けて掃除しなきゃ」
満足した神楽が立ち上がった。亘の両の手の平で足を踏みしめ、腰に手をやりキリッとする。そこには、ふて腐れていた様子など欠片もない。
「おっとそうだな。午前中と言ってたが、途中で買ってくることを考えると、昼に近いだろうな」
頼み事をしておいて玄関先で受け取り、ありがとさようならでは済まない。もちろん亘だって、それで済ますつもりはない。
「じゃあさ、分かってるよね」
「ああ、分かってるって。そうだな……お礼がてら、どこかで食事をするか。いや、サキも居るしな。ここで食べてもいいかもな」
「うんうん、マスターも分かってきたじゃない。ナナちゃんに手料理をご馳走とかさ。これを機に、ナナちゃんを餌付けしちゃおう!」
「何言っとるか。餌付けとか、お前じゃあるまいに」
亘が皮肉げに笑うと、神楽がムッとして飛び上がりポカスカ手を振り回う攻撃をしてきた。それに応戦しつつ、じゃれて遊んでいる。
タートルネックからスポッと頭を出し、サキが不思議そうな顔をした。
「七海、誰?」
「マスターの一番大切な人だよ。あっ、ちなみに一番大切な従魔はボクだかんね。そこんとこ、分かってるよね」
「んっ、もちろん」
「あのな、七海のことは大事な仲間だと思ってるけどな。一番大切とか、そのなあ……」
「えーっ、違うの? 大切じゃないの? またまたご冗談を」
ヘラヘラ笑う神楽に言われ、亘は頭を掻いてしまう。まあ一番大切と言われれば、そうかもしれない。なにせ会話してくれる、貴重な女の子なのだから。
「まあなんだな、確かに一番大切かもな。はははっ」
「とまあ、こんな感じなの。サキも分かった?」
「把握した」
神楽がサキのところに飛んでいき、何やら吹き込んでいる。あること無いこと言っている様子だが、しかし止めるべき亘は腕組しながら考え込んでいた。
もちろん七海のことは大事な仲間だ。話しかけると返事もしてくれるし、向こうからも話しかけてくれる。好きか嫌いかで言えば、好きである。一番かと問われると、一番大切なのは間違いない。
七海からも時折好意かと思うものを感じる。ただ、それを確認することが恐かった。確認して勘違いだったら目も当てられない。そして、これまでの人生を顧みると勘違いという結末の可能性が高かった。
「ねえねえ」
目の前に飛んできた神楽が小袖を振ってみせた。それでも、亘がウダウダ煮え切らない考え事をしていると、耳を引っ張ってくる。
「ボクお腹すいた。片付けの前にさ、朝ご飯にしようよ」
「同じく。お腹すいた」
「そうだな。ご飯にするか……なんだか、大食いコンビになりそうな気がするな」
「なんか言ったかな」
「式主、大層失礼」
少なくとも従魔同士のコンビネーションは良さそうだ。
◆◆◆
布団を片付け掃除機をかけ片付け、出迎えの準備だ。もちろん窓を開け、充分に換気をしておく。部屋の臭いは住んでる者には分からなくても、訪れた者にはよく分かるのだ。
コタツの上に茶菓子を置けば出迎え準備は完了で、あとは茶菓子を狙う悪魔どもを見張りながら、ソワソワして待つだけだ。
「スキル表示が『いろいろ』って、どんなのがあるんだ」
「いろいろ」
「ほらさ、サキも攻撃の方法とか言って売り込まないとさ。マスターに削除されちゃうよ」
神楽が茶菓子を狙いつつ、とんでもないフォローを入れる。最初の時に削除されかけたことを、まだ根に持っているのかもしれない。真に受けたサキが目を大きく見開くと、慌てて説明しだす。
「火で攻撃できる。やる?」
「アパート内は火気厳禁だからダメだ」
「しょんぼり。削除?」
口で言いながらサキが落ち込んでみせる。チラッと様子を窺ってくるが、その仕草はいじらしいものだ。
亘は微苦笑した。
「削除とか、神楽の冗談だから心配するな。そんなに恐がらなくたって大丈夫さ」
「だって、『獣の天敵』ある。恐い」
「……ああ、あの称号のことか。そういやあったな。で? それがあると恐いとは、どういうことだ」
「サキ、獣属性」
「獣に恐れられるか……」
「やっぱり称号って何か効果があるんだね」
思い起こせばガルムには妙に恐れられている気が――別に理由があるかもしれないが――する。そして通勤途中に良く吠える犬がいるが、亘が通りかかるとピタリと鳴き止む。公園で弁当を食べていると、野良猫が腹を見せたり獲物を置いて去っていくこともある。
それら全てが恐れられてのことだろう。ただし、猫が獲物を置いていったのは、ショボショボ弁当を食べる姿を憐れまれただけかもしれない。
「あっ、この感じナナちゃんだね。来たみたいだよ」
探知能力のある神楽が声をあげる。アパートの外の人間の動きも丸分かりで、慣れ親しんだ相手の気配を察するぐらいは容易いようだ。
亘はイソイソと立ち上がって出迎えに行きかけ、しかしグッと我慢して立ち止まった。わざわざ出迎えに行くと、いかにも待ち侘びていたように思われかねない。実際にはそうだが、そう思われるのは面映ゆい。
そんな微妙な男心で葛藤していると、玄関のチャイムが鳴る。それでウキウキした足取りで出迎えに行く姿を、神楽が声を殺して笑っていた。
ドアを開けると、胸の前に紙袋を抱えた七海の姿があった。
「おはようございます」
「おはよう。来て貰ってすまなかったな」
「いえいえ、とんでもないですよ」
七海は何か良いことでもあったのか、ニッコニコの笑顔だ。淡い水色シャツに灰色のカーデガンを羽織り、下はジーンズ姿。そんなラフでシンプルな格好だ。少し大きめの伊達眼鏡が似合っている。
「それじゃあ、あがってくれるか」
「はい、お邪魔します」
亘はそのまま七海を招き入れる。以前なら誘っていいものか、断られやしないかと心配しただろうが、今はそんな素振りもない。一方の七海も最初からそのつもりだったように、アパートへとあがる。
そこには男の独り暮らしに足を踏み入れる警戒は欠片もない。亘をとても信頼してくれているのだろう。
紙袋が差し出され、それを受け取ると七海が靴を脱ぎながら話し出す。
「どうぞ、頼まれた子供用の服と下着です。私の趣味で適当に見繕っちゃいましたけど、良かったですか」
「七海の趣味なら問題ないさ、幾らだった?」
「レシートでしたら中に入れてあります。でも、どうしてこんなものが必要なんです?」
「まあ……説明するより、見た方が早いな」
肩を竦めてみせた亘に続き、七海がリビングに足を踏み入れる。そして、輝く金の髪に白く美しい肌、愛くるしい顔立ちの少女を目にして驚きと感嘆の声をあげた。
「うわあ、とっても綺麗な子ですね。まるでお人形さんみたい」
「こいつはサキと言うんだが、着せる物がなくってな。困ってたんだ」
「この子、五条さんの姪っ子さんとか……まさか、その……お子さんじゃないですよね。違いますよね」
七海に念押しされ、亘はガックリうな垂れた。自分に子供が居る可能性を、そうも否定しないで欲しい。泣きたくなるではないか。
「どっちも違う。サキは異界で拾った悪魔なんだ」
「えっ……この子、悪魔なんですか……そうですか、良かった」
「ん? 良かった?」
「いえ何でもありません。拾ったのですか?」
「野良悪魔か何かでな、退治されかけたところを、つい助けて連れてきたのさ」
「確かに。こんな子が退治されそうなら、助けちゃいますよね」
七海がウンウンと頷く。とりあえず美少女悪魔だから助けたとか、変な誤解はされていないらしい。
「それで、なんだかんだで契約して従魔になったが……この通り、今まで遭遇した悪魔と全然違うだろ。新藤社長に、相談した方がいいかなと思うんだ」
サキは頭上で交わされる会話に置いてけぼり状態だ。あまり感情を露わにしていないが、初対面となる七海を見あげ不思議そうな顔をする。
「あっ、ごめんね。自己紹介が遅れちゃいましたね。私は五条さんの仲間で、舞草七海ですよ。七海と呼んでくださいね」
「サキはサキ」
ぺこりとサキが頭を下げると黄金の髪がサラサラと流れ動く。そんな、いとかわいい様子に亘はほっこりしていた。次の言葉を聞くまでは。
「七海知ってる。式主の一番大切な人」
サキが無邪気な笑顔でとんでもないことを言うせいで、亘は冷や汗をかいた。
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