第92話 充分すぎるぐらい幸せ

 亘は片眉をあげた奇妙な顔で固まっている。それを見ながら七海は恥ずかしそうにしつつ、モジモジしながら頬を染めてみせた。

「あのう、式主とは五条さんのことですよね。つまり、五条さんの一番大切な人は、私なんでしょうか?」

「ほぐわあっ」

 亘は奇声をあげた。いじらしげな上目遣いで見られてしまったら、そうするしかない。人に言えない自分の思いを、それも本人の前でバラされるなど、一体どんな羞恥プレイだろうか。あまりの恥ずかしさに挙動不審となってしまう。

「ち、違うぞ。それは神楽だ、神楽が言ったんだ」

「マスターってば、いい加減素直になったらどうなのさ。自分でナナちゃんが一番だって、自分で言ってたじゃないのさ」

「んっ、言ってた」

 二体の従魔による連続攻撃により、亘は耳を押さえてしゃがみ込んだ。その横で七海が顔を真っ赤にして嬉しそうにしている。

「とにかくだ、とにかく。サキの服が必要なんだ、ほら見てやってくれないか」

「うふふっ。はーい」

 いつになく上機嫌な七海は相好を崩している。そのまま、サキへと目を向ける……のだが、タートルネック姿をまじまじと見ているうちに、その表情がみるみる冷静なものへと変わっていく。

 亘があれ? と思った時には、どこか怒っているような雰囲気さえ漂っていた。

「サキちゃんの服なんですけど、もしかしてこれだけですか。昨日からずっと?」

「そうだ。昨日からそのタートルを着せてるんだ」

「下着も頼まれたということは、下着もないんですよね」

「お、おう」

「そうですか……そうなんですか……なるほど」

 呟く声には、なんだか気圧されてしまう迫力がある。勝手に潜り込んで来たとはいえ、サキが添い寝していたなど口が裂けても言えない。絶対に知られてはいけないと、本能が囁いている。

「それがね、聞いてよナナちゃん。マスターときたらさ、なんと裸、ムギュッ」

 お喋りな従魔を一瞬で捕獲した。手の中でジタバタするのを強めに握っていると、やがてクタッと力尽きたように大人しくなった。

 新しい従魔が増えたなら、これを機にお喋りな従魔をリコールするのはどうだろうか。検討する必要がある。

「はははっ、それじゃあ着替えさせてやってくれるか。自分がやると拙いものな」

「そうですね。サキちゃん、あっちで着替えましょうか」

 七海は優しげにニッコリ笑うと、サキの背を押し促す。しかし、口をへの字にしたサキは頑として拒否した。その上、亘の足にしがみついてしまう。

「やだ。式主の側居る」

「こら爪をたてるな。手を放して、あっちで着替えてこい。直ぐだから」

「やっ、行きたくない」

 サキはいやいやするように頭を振る。それに合わせ、金色の長い髪がサラサラと揺れ動く。ぎゅっとしがみつく手は、驚くほど強い。しまいには、足まで絡め絶対に離れまいと抵抗しだす。


 ああそうかと、亘は理由に思い当たる。幾ら言おうとも、サキからすれば七海は知らない人間だ。異界の地で僧兵に追い立てられ、滅されかけた身では人間に怯えてしまうのも無理ない。

「仕方ない奴だな」

 軽く息を吐いた亘は握っていた神楽をポイッと放り捨てた。ヘロヘロ飛んで行くのを気にせず、サキの頭に手を載せてやる。しゃがみ込んで緋色の眼に目線を合わせ、優しく言い諭す。

「大丈夫だって、ちょっとの間だけだからな。ほら行っといで」

「だって」

「大丈夫だ、自分はここに居るから。な?」

「でも」

「心配しなくていい。七海は絶対に信用できるからさ」

「うー」

「なにせ一番大切な人なんだ……か……ら……」

 自分が口走ったことに気付き、亘は言葉を途切れさせながら口を閉じた。そっと見上げてみると、顔を赤くした七海が両手で頬を押さえていた。

「あ、そんなつもりでなくてだな。べ、別に変な意味じゃないぞ」

「えへへ、ボク聞いちゃったもんね。一番大、むぎゅっ」

 ニヨニヨしながら飛んできた神楽を、再び電光石火で捕まえる。やはり従魔のリコールが必要かもしれない。


◆◆◆


「お昼だけど、外で食べるのもなんだからな。ここで料理するつもりだが、どうだ。食べていくか?」

「お料理ですか。私、手伝います!」

「お、おう。そうか」

 グッと拳を握りしめた七海の勢いに、ちょっと気圧されてしまう。こんな男の手料理なんて、罰ゲーム扱いかもしれないと思っていたぐらいなので意外すぎる。

「あのね、マスターのご飯ねー。とっても美味しいんだよ」

「美味しいか」

「そだよ。しかも簡単にパパッとつくっちゃうからね、凄いんだよ」

「凄いのか」

「私も食べるのが楽しみになってきました」

 何故か神楽が偉そうに力説し、サキと七海からの期待度が高まっている。ハードルが高まっていく雰囲気がプレッシャーだ。期待されると尻込みしたくなるのは、これまでの人生が人生だからだ。つまり期待されることになれていない。

 亘はどんな料理をするか悩んでしまった。

「言っておくけどな、かなり適当な料理だからな。あまり期待して貰ったら困るぞ」

「大丈夫ですよ。私、楽しみにしてます」

「そう……確かミンチの残りがあったな。お子様も居るしハンバーグにするか」

「やったね! ボクね、ハンバーグ大賛成!」

「ハンバーグ?」

「あのね、ハンバーグはね――」

 ハンバーグの素晴らしさを説きだした神楽の前で、サキがキョトンとしている。七海が持ってきてくれたワンピースに着替えた姿は、タートルネック1枚の時よりも、ずっと子供らしく可愛らしく見えた。


 亘は苦笑しながら料理を始めた。

 神楽が説明するハンバーグの素晴らしさに負けないよう、腕に寄りをかけねばならない。期待はプレッシャーだが、頑張ってみようと思うのだ。それに、七海と並んで台所に立つのが嬉しい。

「ハンバーグのつなぎは、どうしますか」

「食パンと牛乳でいこう」

 手際よくタマネギを微塵切りにし、塩胡椒しながら炒める。よく冷やした後に、冷やしたミンチとつなぎを加え、手の温もりが移らないよう手早く練っていく。

 その慣れた手つきに七海が感心している。

「手際がいいですね。お料理は、よくされるんですか」

「前はあんましなかったけど、最近は多いな。ほら、神楽がいるから」

「ちなみに、どんな料理をされるんですか」

「色々だけどけどな。最近は肉料理が多いかな」

 別に肉好きになったわけではない。肉を焼くと油が出る。そうすると油汚れで換気扇掃除が大変になるわけで、一人で暮らしている時は肉を焼かなかっただけだ。

 しかし、今は神楽という食欲の権化がいるため、色々な料理をせねばならない。必然的に、焼けば美味しい肉料理が多くなるのだ。

「やっぱりさ、食べてくれる相手がいると違うんだよな。自分一人だと、適当に済ませてしまうもんだから」

「うふふ。確かに神楽ちゃん相手だと、つくり甲斐がありますよね」

「しかし七海も手際がいいな。いつも家で料理してるみたいだな」

「お母さんと一緒にですよ。でも、たまに一人ですることだってあるんですよ」

 貸したエプロン姿で七海が胸をはる。自分が使うエプロンを女の子が装着していると、妙な背徳感がある。そしてエプロン姿の女の子というのは、どうしたって魅力的だ。

 亘は機嫌良く話をしながら料理をしていく。

 肉をコネコネ整形しながらオーブン用の鉄板に載せていく。それをオーブンにハンバーグを投入すると、ひと息ついてコタツへ視線を向ける。

 リビングと台所が続きになった小さな部屋だ。そこにあるコタツでは、人形のような神楽を前にサキが大人しく座っている。台所の傍らでは、七海が他の料理を始めている。

 こうしてみると、なんだか家族のようではないか。サキが子供で神楽はペット。そして七海が……。

「五条さん、この材料を使ってもいいですか」

「うん? ああ好きに使ってくれ」

 我に返った亘は微苦笑しながら頭を振り、しょうもない妄想を振り払うと昼食の準備を続けた。


◆◆◆


「すいません。多くなってしまいました」

 配膳しながら七海が申し訳なさそうに謝る。それは、付け合わせのスパゲティをメイン料理があるのにもかかわらず、通常分で茹でてしまったせいだ。

「大丈夫だ。うちの場合は、どんなに料理があっても神楽が居る限りは問題ない」

「むっ、なにさ。なんだか失礼な感じの言い方だね」

「おかわりは、いらないのか」

「いるに決まってるよ」

 料理はお子様ランチ風に盛り付けてある。一口サイズにしたハンバーグ。それにタコさんウィンナーとスパゲティを付ける。椀型に盛ったチキンライスに、爪楊枝の旗を立てたのは七海だ。

 やはりお子様なのか、サキの目が輝いている。亘は、ほっこりして微笑んだ。

「ほら、お食べ」

「食べて良いのか。本当に良いのか」

 こう何度も聞かれるとまるで不憫な子のようだ。いいからお食べと言ってやりたくなる。そして、その横でバクバク食べだしている神楽には、いいから遠慮しろと言ってやりたくなる。

「若干一名、食べてる奴がいるけど。いただきますか」

「いただきます」

 軽く手を合わせ食事の挨拶をする。サキも戸惑いながら真似をすると、不器用にスプーンとフォークを使い食べはじめた。それを七海が優しく世話を焼く。笑顔で手伝ったかと思うと、野菜を残そうとするのを窘めたりもする。なかなかどうして面倒見が良い。きっと良い母親になることだろう。


 ふと、先ほどしていた妄想の続きをしてしまう。七海が……自分の奥さん。あり得ない自分の妄想に、自分で呆れて笑ってしまう。自嘲というものだ。

 七海は美人で可愛い。多くの男から好意を向けられているのは間違いない。そんな中で、自分のような人間がライバルを蹴落とし出し抜き、勝てようものか。

 恋愛は未経験だ。これまでモテたことはなく、好意を向けられたことはない。思い切って好きだと告げた相手もいたが、小バカにされて鼻で笑われただけだ。

 これまで彼女が欲しい、女の子と付き合いたいと願ってきた。けれどそれは、人格を持たない空想の女性をイメージするだけで、極端な言い方をすれば女性でなく女体を望んでいただけだ。もしくは二次元に登場する都合の良い女性像に懸想していた。

 本物の女性を相手に恋愛という、感情をぶつけ合う事象に挑戦するには、亘は既に年と重ねすぎている。失敗と挫折が受け入れられないプライドが形成されてしまっているのだ。

「……五条さん? どうしたんですか。ぼうっとしてますけど?」

「なんでもない。賑やかな食事なんて久しぶりでな、嬉しくてボンヤリしただけだ。それにしても七海のスパゲティは美味しいな。はははっ、いい味だ」

 慌てて誤魔化すと、七海作のスパゲティを食べる。それは本当に美味しいもので、情けなく臆病な亘には泣きそうになるぐらい美味しかった。

 誉められた七海は、えへへと照れている。

「ありがとうございます。サキちゃんは、どれが好きですか」

「ハンバグ」

「そうですか、良かったですね。それじゃあまた五条さんにハンバーグをつくって貰いましょうか」

「「うん!」」

 その言葉にサキのみならず神楽までも大きく頷いてみせた。

「その時は、私も手伝いますから呼んで下さい」

「ナナちゃんってばさ、なんだかさり気に次に繋げようとするよね」

「そ、そんなつもりは……いえ別に変な下心なんてなくてですね……」

「へー、ふーん。そうなんだ、呼ばなくいいんだ」

「呼んで下さい」

 神楽と七海が賑やかにお喋りし、サキも嬉しそうにしている。仲良い団欒といった雰囲気だ。

 亘はボンヤリと考える。

 これを食べ終えたらキセノン社に行きサキのことを相談する。でも、サキと別れるという選択肢はない。自分の従魔として引き取るつもりだ。

 神楽とサキはずっと一緒にいてくれるだろう。従魔の存在を知らない連中から見れば、独身男の侘びしい生活に見えるだろうが、そんなこと別に構いやしない。神楽とサキがいてくれれば、きっと楽しい人生になるだろう。


 失敗を恐れ挑戦をせず、傷つくことを恐れ前に進まない。確実に手に入れられる存在で平穏を享受し、安穏と暮らす。そうとしか生きられない者が何かを手に入れることはないだろう。

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