第90話 それはありがたい

 酷い内容だった。種族とか、レベルとか、その他諸々が突っ込みどころ満載すぎて、何も言う気も湧かない。元々、亘はボケだの突っ込みだのする人間ではない。それでも言わずにいられなかった。

「名前は……スキニーヨンデーと呼べばいいのか」

「嫌。ちゃんとつけて」

 すぐに文句が返って来た。

「それなら、最初からそう言えよ。名前ねぇ……」

「ちょっとマスターってば! 本当にこの子を従魔にする気なの!? ボク反対だよ、なんだか厄介事に巻き込まれそうな気がするもん!」

「もうなってる」

「そっちには聞いてないの! 黙っててよ!」

「カリカリだめ。良くない」

「誰のせいだと思ってるのさ。あーもー! マスターも何とか言ってよ!」

 お怒り気味の神楽に対し、少女は淡々としている。亘は両者を眺め、深々とため息をついた。

「もうスマホに登録されたなら、どうにもならんだろ。明日キセノン社に行って、社長に相談するまでだ。今日のとこは我慢しとけよ」

「うー、そうだね我慢する。でも明日は早く行こうね、それで押し付けちゃおうよ」

 それでも神楽は気に入らない様子でむくれ顔だ。

「さて名前か……完全に名無しなのか?」

「前はお先。呼ばれてた」

「お先ねぇ……それなら、サキでいいか」

「安易。でも分かった」

 ひと言多い少女だ。サキだけに、先が思いやられる。下らないことを考えた亘だが、あることに気付いた。神楽とサキが同時に存在しているではないか。


 前に神楽から教えられたが、亘と従魔の間には見えない経路が存在しており、それがスマホを介して繋がっている。その経路に繋がることが出来るのは一度に一体で、同時に従魔を使うことはできない。

 つまり、同時に居られるはずがない。

「なあ神楽や。どうして、同時に召喚して使役した状態なんだ。この状況はどういうことだ」

「そーいえば、そだね。どうしてだろ?」

「直接繋いだ。神楽も繋いだ」

「えっ!? そんなこと出来るはずがないよ」

「した」

 しれっとした答えに唖然とする神楽だったが、我に返るとスマホの中に飛び込んでいった。確認しに行ったらしい。

 すぐ飛び出してくるが、その顔はニコニコと笑顔だった。

「ホントだったよ。ボクとマスターはさ、直接繋がって完全に契約されてたよ。えへへっ、ありがとね」

「どういたしまして」

「完全に契約されると、何か変わるのか」

「別に大したことないよ。でもね、もしスマホが壊れてもボクまで消えたりしないし、削除だってできないんだよ。これで安心してられるよ」

 ほう、と亘は呻った。もし万一スマホが壊れても、神楽が消えないというのは大きい。なにせ、そのために陰陽師の技を習おうと画策していたぐらいである。嬉しい出来事だ。

「あと式主も弄った」

「式主って自分のことか、変な呼び方だな。というか、弄ったってなんだよ。変なことしてないだろうな」

「魔素沢山。使いこなしてない。経路広げた」

「それって、藤源次に教わったDPを全身に巡らせる技と同じことだな。そいつはありがたいが……相変わらず使い方が分からんな」

 頭に指を突っ込んだ相手に、弄ったと言われるのは非常に気になる。しかし眩暈が収まっても異常はないので、大丈夫だと思いたい。ただまあ、異常が異常と認識できない可能性もあるが、それは無視しておく。


「目を閉じ、眉間に意識を集中し、そこから全身にDPが循環するイメージを……」

 さっそく藤源次に教えられた方法で、眉間に手を当て集中してみせる。本人は格好良いポーズのつもりだが、端から見ると悩んでいるようにしか見えない。

「……だめだな、上手くいかない」

「んーっ、今のけっこういい感じだったよ。DPが動きそうな感じがしたね」

「そうか神楽はDPの動きが見えるんだな。なるほど、あと少しか」

「そだね、頑張ってよ」

 神楽に応援されると、なんだか上手くいきそうな気になるので不思議だ。出会ってからこっち、何かにつけて励まされ応援され、そして助けられたからだろう。

 サキが腕組みして頷く。そうすると、長い金の髪がサラサラと揺れる。

「精進あるのみ。礼いらない」

「偉そうだが、まあいいか。でも明日になったらキセノン社に連れていくからな。新藤社長も悪魔だから、安心するといい」

「そんなの、やだ」

「そうは言ってもな……」

「ここ置いて。何でもするから」

 亘はため息をついた。

「はあ……とにかく、あの僧侶共の件があるんだ。事情を説明しておかないと拙いんだ。契約については前向きに考えておく。だから文句を言うな」

「…………」

「だが、このままだと外には連れていけないな。さて、そうなると……」

「着る物が必要だね」

「んっ、このままでもいい」

 契約されたなら、スマホの中に入ることもできるだろう。移動だけなら問題ないが、新藤社長に説明する時は外に出さねばならない。その時に、少女がタートルネック一枚の姿だと藤島秘書の反応が恐ろしい。

「そうもいくまい。そうだ、DPで購入はできないかな」

「無理。対応してない」

「……つまりそれは、DP関係で装備が購入できないってことか。参ったな」

「装備不要。サキ強い」

「服は必要だろう。買いに行こうにも、買いに行く服がないか……」

 タートルネック一枚の少女と買い物に来た男に対し、店員がどういった行動をとるかは、想像するまでもない。それは却下だ。そして、一人で女の子の服を買いに来た男に対し、店員がどういった行動をとるかは、やっぱり想像するまでもない。それも却下だ。

「…………」

 思案した亘は軽くため息をつき、スマホを手に取る。こんなことで頼める相手は一人しか思い当たらなかった。


◆◆◆


「はーい。十分休憩にしましょうね。七海ちゃん、笑顔が硬いから。スマイルスマイル。自然なスマイルお願いだよ」

「はい、すいません」

 スタジオ撮影が休憩になり、七海はほっと息をついた。元々優しげな顔立ちで穏やかな笑みを浮かべる少女だが、撮影用の明るい笑顔というのは苦手なのだ。


 無理な笑顔を浮かべ続けたせいで頬が痛い。両手でもみもみとマッサージをして解しておく。笑顔が硬い、ぎこちないと何度も注意されているのだ。

 でもカメラを向けられると、どうしても緊張してしまう。普段は普通に笑えるのに、撮影となると、途端に顔が強張ってしまうのが不思議だ。

 慣れない衣装を着ているせいもある。白を基調としたドレスのような衣装で、羽根のような飾りや、ドレープの効いた短いスカート。モデル仲間の女の子はアイドルみたいと喜んでいるが、七海からすると子供っぽくて好きでない衣装だ。

 でも水着よりはマシだろう。

 水着は撮影自体が恥ずかしいが、その後がもっと恥ずかしい。前回の写真集のサブタイトルが『七海ちゃんのわがまま豊満ボディ』と知った時は、学校を三日も休んでしまった。親友のエルムが迎えに来てくれなければ、もっと休んだに違いない。

 だから、水着のような心配がないのだけはありがたい。ちょっとスカートが短すぎるとか、胸が強調されすぎといった不満はあるが、水着よりはマシだ。水着よりは。

――♪

 そんなことを考えていると、スマホがメロディを奏でだした。設定してある曲で相手に気付くや、七海は顔を輝かせる。撮影用の笑顔ではない、自然な柔らかい笑みで、心から嬉しそうな顔だ。

 おやっ? と周りが目を見張るのも構わず、サッと電話に出る。

「はい、七海です」

『もしもし。七海か、今どうしてる。電話しても大丈夫かな?』

「スタジオで撮影ですけど、休憩中ですから大丈夫ですよ。どうかしましたか。あっ、別に用事がなくて、声が聞きたいとかでも全然問題ありませんよ」

『はははっ、気を使ってくれてありがとな。実は頼みがあるんだ』

「はいっ!」

 頼みと聞いて七海の顔がさらに輝く。

 まるで指示を待つ子犬のように、ワクトキしながら言葉を待っている。命じられれば、すぐにでも駆け出す、そんな雰囲気だ。しかし、頼みの内容を聞いて、流石にキョトンと首を傾げた。


 十歳ぐらいの女の子用の服を下着も含めて用意して欲しい。そう聞こえた。念の為に確認してみるが、間違いはなかった。さっぱり理由が分からないが承諾する。用意すれば会えるのだから。

「分かりました。じゃあ用意して伺いますね」

 アパートまで持って来て欲しいと言われれば、何をおいても行くしかない。本当は理由がなくても遊びに行きたいぐらいなのところを、心証を損なわないよう控えているのだから。

 休憩時間めいっぱい雑談をすると、名残惜しく通話を終了する七海だった。

「いいねいいねー、その笑顔いいねー」

 撮影が再開されると、七海は休憩前と打って変わって、にこにこと自然な笑みを浮かべていた。大絶賛されるまま、撮影は完了した。


 その時撮影された写真はどれも抜群の出来となり、特に『休憩中』と題された電話しながら微笑む写真が雑誌に掲載されるや大きな反響をよび、人気がワンランク上昇した。

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