第148話 最近の若い者
「バカな……」
アーネストが目を見開き呟くが、それ以上は言葉にすらならない。適わぬ相手に怯まず懸命に戦っていたチュパーブラが、奇怪な悲鳴をあげ自らの契約者であるアーネストの元へ戻ってしまうほどであった。
NATSメンバーもまた亘から放たれる気に当てられていた。これまでは強くとも、自分たちと同じ延長線上に位置すると思っていた存在が全く違う、隔絶した化け物だと悟っていた。
正中は極限まで目を見開き、口元を細かく震わせ浅い息を繰り返している。
「なんだこれは……本当に人間なのか」
大自然の脅威を前にしたように腰が引け、恐れおののき部下にしようなどという思いは微塵に打ち砕かれていた。
驚きと恐怖の視線を集め亘は悠然と歩を進めていく。胸にあるのは怒りだ。今の短刀は切っ掛けでしかない。研修扱いとはいえ押しつけられた仕事に、NATSでの扱い。色々と不満が溜まっていた。
「DPが勿体ないんでな、すぐ終わらせてやるさ」
苛立ちを怒りに昇華させ、踏みしめた床を踏み割って飛び出す。
瞬時にリッチへと間合いを詰め、DPアンカーの棒を振りおろす。呻りをあげる見事な一撃だが、リッチは素早く避けてみせる。こちらとてただ者ではない。
代わりに背後にあった南蛮胴甲冑が兜ごと圧し潰される。DPによる複製と知らない学芸員は、破壊された重要文化財の姿に卒倒した。
逃げたリッチへと光球と火球が迫る。しかし、リッチは闇色の渦を盾として迎撃してみせた。空中で爆発と衝撃波が巻き起こり、むしろ亘の行動を阻害する方向に働いてしまう。気付いた神楽とサキは慌てて魔法を止める。
「空が飛べるってのは、本当に厄介だな」
呟いた亘は軽いバックステップで、リッチの放つ闇色の渦を避けてみせた。どんな攻撃かは分からぬが、色からしてヤバげで食らいたいとは欠片も思わない。
「だったら!」
亘は素早く視線を転じ、ニヤニヤと観戦していた老人へと襲いかかる。床を飛ぶように駆け抜け、脇構えから棒を振り抜き打ちかかった。鋭い気合いの声。しかし、棒は虚しく空を過ぎる。驚くべき反応で左文教授が飛び退いたのだ。
見た目通りの老人ではないということだろう。
「年寄りを攻撃するとは何を考えとるか」
「こういう時は、まず召喚者を倒すのがセオリーだろ!」
幼少時の体験から、老人に対しては憎しみさえある。それがなかったとしても、仕事で年寄りには苦労させられてきた。人の話は聞かず短気で偏屈で我が儘、すぐ癇癪を起こし暴言を吐く。
亘は怒りにまかせ、手加減抜きの攻撃を放つ。今度は左文教授も避けもせず、手にした杖で一合二合と打ち合っていく。だがDPで出来た棒に対し、杖は徐々にひび割れていく。
「何をしておる! 早う儂を助けぬか!」
堪えきれず左文教授が大きく飛び退き怒鳴る。もちろんリッチとて自分の契約者を守ろうと天井から滑空し駆けつけようとはしていた。神楽の援護魔法で遅れていただけだ。
今もまた光球が迫り、それを回避し左文教授の元へと向かおうとしている。
「そこだ!」
亘は思い切り跳び上がると、壁を蹴り上がりながら空中のリッチへと襲いかかる。気分は立体機動で、そのまま手にした棒を薙ぎ払う。
だが、空振りした。やはり空飛ぶ相手に空中戦を挑むのが間違いだろう。アニメの格好いい主人公のように必殺の一撃が命中することもなく、難なく避けられてしまった。
それどころか――。
「ぐふっ」
リッチが放つ闇色の渦を背に受けてしまう。突き飛ばされるように弾き飛ばされ、展示ケースへと墜落する。身体が強化されてなお、目も眩む威力で背がジリジリと痛む。
格好悪く床に叩き付けられ、モタモタ立ち上がろうとするところに、また魔法が叩き込まれ弾き飛ばされる。さらに別の展示ケースへと突っ込み、その展示品と一緒に転がった。
身体の痛みもあるが、不意打ちが失敗し格好悪さの方が痛かった。
「まったく、年寄りに対する敬意というものが足りんて。やってしまえ」
「そんなことさせないよ! 『雷魔法』だ」
「援護」
神楽とサキが魔法を再開するが、リッチの魔法に相殺されてしまう。それでも、相手を釘付けにするため、二体の従魔は魔法攻撃を続ける。狭い空間で威力は抑えられているが、空中で生じた爆発は振動となって、周囲をビリビリと振るわせる。
パラパラと落ちる瓦礫を払いながら亘が身を起こした。状況を見て取ると、鋭く声を発する。
「サキ、おいで!」
「んっ!」
金色の髪をした少女は自分を呼ぶ召喚者に応え、まっしぐらに駆けた。
誇りとやる気を胸に宙に浮くリッチへと対峙し、自らを呼び寄せた式の主を守護せんと立ちはだかってみせる。神楽でなく自分が選ばれたことへ密かに胸躍らせ――だが、その襟元がむんずと掴まれた。
「え?」
戸惑うサキを亘は力いっぱい投げ、ギョッとしたリッチに激突させた。全ては一瞬のことで呼吸にして、吸って吐くほどの間もない。
投擲したまま止まっていた亘の前に、両者が落ちてきた。サキはヒラリと身を捻り着地してみせるが、リッチは頭から落ち床の上を転がり不自然に手足を曲げた体勢で止まった。
戦闘経験の差で、サキが瞬時に反応し攻撃を放っていたのだ。その一撃がリッチの胸を貫き致命傷を与えたというわけだった。リッチの身体が徐々に薄れ、DP化していく。
「酷い」
鼻の頭に皺を寄せたサキは駆けてくるなり亘に飛びつく。そのままよじ登っていくと、唸り声をあげ肩や腕やと噛み付きだす。
「酷い! 今の酷い!」
神楽も凄い勢いで飛んできて、跳び蹴りを放つ。
「そだよマスターってばさ、幾ら何でも酷いよ! サキが可哀想だよ」
「ちょっ、痛い。お前ら結構本気だろ、痛いってば!」
あまりにバカげた結末で、左文教授は口を半開きにし眺めていたが我に返る。
「先程儂を襲った攻撃といい、儂の従魔を片付けた方法といい。お主、なかなかやるではないか。少し感心したぞい」
「だから痛いだろ。そこ噛むな痛い。本当に痛いんだ」
「こうなっては仕方あるまい。あれを異界の主に設定しておったのでな、異界が消滅する前に儂はお暇させて――」
「髪を引っ張るな! ぎゃーす! 今抜けただろ、前髪抜いただろ!」
「たかが一本だけでしょ、何を怒るのさ」
「世の中にはやって良いことと悪いことがあるんだ。前髪を抜くのは極悪の所行――」
「喝ぁっ! 人の話を聞かんかッ!」
無視された左文教授が怒鳴るが、喧々諤々と騒ぐ亘に無視される。相手にされないとみると、忌々しげに床に杖を突きつけた。そして踵を返し歩きだす。
「なんとまあ呆れた男じゃろうか。これだから最近の若い者ときたら……」
「教授、お達者でー。あ、そうだ。昔のアドレス残ってますからメールして下さいよー」
法成寺の声に振り返ることなく手をあげ、老いた教授は展示室の奥へと姿を消していった。
安全になったところでNATSメンバーが姿を現した。恐る恐るとした隊員の中で、志緒だけが足音も荒く亘の側に近寄っていく。
「ちょっと、犯人に逃げられるじゃないの。後を追いなさいよ!」
「なんで危険を冒して追わねばならないんだ。痛っ! 文句があるなら、自分で追えばいいだろ」
「だって。この場だと、あなたが一番強いじゃないの」
「強い弱いは関係ない。追う意思があるのなら、まず自分でやれよ――分かった悪かったから勘弁してくれ――とにかく、人に責任を押しつけるな」
合間に神楽とサキへ謝りつつ、亘は志緒に返事をする。
「今回の目的はコンポトン大使の安全が第一だろ。追いかけている最中にリッチが復活して襲ってきたらどうする?」
「ぐぬぬ、それ今思いついた屁理屈でしょ!」
「でも、そうならないとも言い切れないだろ」
あの左文教授は亘が放った打ち込みに耐えた相手だ。見た目通りの老人でないことは間違いない。まだどんな隠し球をまだ持っているかも分からなかった。
平然と答える亘の言葉に志緒は歯噛みしつつ、反論できず黙り込んだ。
そこへ制服ブレザー姿のイツキがスカートをなびかせ走ってきた。胸の前で両の手を握りしめ、キラキラとした尊敬の目で亘を見上げる。
「小父さん凄いぞ! あんな悪魔を倒すなんてよ、やっぱ凄いぜ」
「ほんまやで。でも最初っから本気で戦って欲しかったんな」
「でしょ、もっと言ってやってよ。マスターってばさ、ほんっとにダメなんだから」
頭の上の神楽は小言を言う程度に怒りのトーンを抑え、肩に載ったサキも甘噛みよりちょっと痛いまでになっている。風向きが変わった好機とみて、亘はその機を逃さず素直に謝った。
「すまんな、反省している」
「ほんと、もう。マスターときたらさ、ボクがどんだけ苦労したか分かってんの」
「おっと、そろそろ異界が崩壊しだしたか。やあ仕事は終わりで帰るだけだな」
異界崩壊の兆候をこれ幸いと、亘は露骨に話題を逸らそうとする。それで神楽は口をへの字にして睨み、しかし結局は呆れたように息をつくだけだった。
襲撃してきた老人は退却し大使は守り抜かれた。これで元の世界に戻れば研修扱いの仕事は終了だ。後は本当に帰るだけだ。
横で黙り込んでいた志緒が口をだす。
「仕方ないわね。帰るなら、行きと同じく私が送って……」
「「「結構です!」」」
その言葉をみなまで言わさず、三人分の声が一つに揃った。
そんな光景を法成寺がジッと見つめている。
おどけた巫女マニアとしてではなく、冷徹な科学者の目で嘗め回すような目だ。口元に浮かぶ微笑だが、どこか狂気を帯びさえしている。
「ああ、五条さんの力は凄いなあ。ちょっと解剖してみたくなるなあ」
聞き咎めたチャラ夫が大袈裟な身振りで法成寺の前に立ちはだかってみせた。自分の仲間であり大切な人を守ろうと目を怒らせている。
「ちょっ! 法成寺主任、そんなことは俺っちが許さないっすよ」
「うそうそ冗談だよー、やだなー。神楽ちゃんが怒るようなことしないよー」
法成寺はヘラヘラと笑ってみせる。しかしその目は、亘をひたと見つめていたのだった。
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