第94話 ガッカリなのはガッカリ
こんな時の対応は、慌てや怯えを見せないことだ。そんなことすれば、相手を調子づかせるだけでしかない。
警察に通報はしているし、先程逃げていったセレブな人々も警備員を呼ぶぐらいはしてくれる。つまり、警察や警備員が来るまで時間を稼げば良いのだ。
そう自分に言い聞かせ、内心の焦りを隠しながら僧兵どもを睨みつける。だが、相手の方もまた余裕の表情だ。
「バカめ、官憲を呼んだところで無駄だ。アマテラスの上層部から、ひと言連絡を入れさえすれば、それまでのこと。官憲なぞ、所詮は犬」
「その通り。ちょっと待っておれ、公衆電話は……おお、あそこか。ところで誰が小銭を持っておらんか」
「このテレホンカードを持っていけ。便利ぞよ」
僧兵の一人が小走りで電話をかけに行く。どうやら携帯だのスマホは、持っていないらしい。
亘はどうしたものか大弱りだ。今の言葉が本当ならば、警察はアテにできない。明言できぬ圧力の存在は、公務員である亘は理解している。同じようなものがアマテラスと警察の間にあっても不思議ではない。
そこに数人の男が走って来た。僧兵の仲間ではなく、キセノンヒルズの警備員だ。
「お客様どうされましたか」
「すみません、この連中に脅されてまして」
「申し訳ありませんが、建物内で騒がれては困ります。他のお客様のご迷惑になりますので、建物の外に移動して頂けますか」
かけつけた警備員は仲裁するどころか、亘と僧兵どもをビルの外に追い出そうとする。この警備員の行動を、絶対に新藤社長に告げ口してやるべきだろう。
「さあ、外の方に」
「喧しい。ケガしたくなければ、引っ込んでおれ」
「しかしですね……」
僧兵の反応に警備員たちは互いに顔を見合わせ困り顔をする。実のところ、警備員には何の権限もないのだ。もし相手を抑えようと手を出せば、逆に暴行罪や傷害罪に問われることだってある。
相手が引かなければ、遠巻きにして眺めるしかできない。
「なんだ、こいつらは。我らの邪魔をするなら、排除してくれる!」
電話から戻った僧兵が警備員の一人を殴りつける。どう見ても荒事と縁がなさそうな警備員はあっさりと気絶してしまった。しかも、それを見て残った警備員は逃げ出してしまう始末だ。
「まあ仕方ないのは分かるんだよな……分かるんだけどな……」
それを見送り、亘はポツリと呟いた。
警備員だからケガしてでも警備しろ、などと言う気はない。自分だって、仕事だから死ぬ気で働けと言われても働かない。それと同じで、他人にムリを求める気はないのだ。それでもガッカリなのはガッカリであった。
「何をブツブツ言っておる! 気味悪い男だ」
「さあ、その悪魔を引き渡してもらおうか」
「早うすれば、痛い目を合わずにすむぞ」
勝手なことを言う僧兵を無視して、亘はスマホを取り出す。こうなったら実力行使だ。幸いにして周囲の人は逃げ去り、残っているのは受付カウンターの向こうに隠れた受付嬢ぐらいだ。
「神楽出て来い」
「はいはーい。あれま、いいのこんな場所で出ちゃってさ」
スマホ画面から出てきた神楽だが、異界でもないのに堂々と喚び出され戸惑い気味だ。亘を見上げ、キョトンとしている。
そんな小さな巫女の登場に、覚えのある僧兵たちが後ずさった。この外ハネショート髪の悪魔により、異界でさんざん爆撃まがいの攻撃をされたのだ。怯みもするだろう。
目論見通りと亘はほくそ笑む。これで僧兵どもが怯んでくれれば、それでいい。
ここはキセノン社のお膝元だ。騒ぎになれば新藤社長が来てくれるだろう。そうなればなんとかなる。つまり、それまでの時間を稼げればいいのだ。
しかし神楽は僧兵たちを指差し、声を張り上げる。
「あー! この人たちマスターをバカにした連中だよ! 異界じゃないとヘタレで弱っちくて何もできないマスターをイジメる気だね!」
「おい」
思わず憮然として呟いた亘を無視し、神楽は凶悪な笑みを浮かべている。この頼りない契約者を守護らんと、すでにやる気満々だ。指示もしていないのに、バチバチと音を立てる光球を勝手に生じさてしまう。
「ちょっ、待て」
それが、大きく成長していく様に僧兵どもが顔を青ざめさせる。
だが、それは亘も同じだ。キセノン社の中で施設はゴージャスな黒大理石の床や、近未来的デザインの座椅子など明らかに高級品である。それらを破壊した場合の損害賠償金を想像し、顔を青ざめさせる。
膨大な借金を背負う事態は、しかし一人の少女の登場によって回避された。
「あれ? 神楽ちゃん、どうして魔法を? どうしたんですか?」
「あっ、ナナちゃん。そこ危ないよ。退かないとさ、巻き込まれちゃうんだよ」
そんなやり取りを耳にした僧兵がニヤリとする。
「ほう。どうやら貴様の仲間か」
「えっ? あのっ? ええっ? 何ですか?」
逃げろと言う間もなく、七海は僧形の男達に取り囲まれてしまった。戸惑う七海が僧形の間に紛れてしまったため、神楽は歯噛みしながら光球を霧散させる。さすがに七海ごと攻撃するつもりはないらしい。
「ちょっと、あなた方。舞草さんに、何をなさるのですか」
「むう、新藤の腰巾着ではないか。我らの邪魔をするでない。あっちへ行っておれ」
一足遅れで藤島秘書が駆けつけ、僧兵たちへ詰め寄ったが、すげなく追い払われてしまった。歯噛みをした藤島秘書は受付へと走り、電話を引っ掴んでコールしている。
「おい!」
亘は一歩前に出た。腰にはサキがしがみついたままだ。
「人質を取るとか、仏の道にある者がやっていいことなのか。こう自分の胸に手をあて、考えてみるといい」
「黙れ。その悪魔を渡せと言いたいが、新藤の奴を呼んでいるようだな……ようし、お前はその悪魔を連れ、あの異界へと一人で来い。さすれば娘を返してやろう」
「勝手に決めるな!」
「さあ娘よ、我らと来て貰うぞ。大人しくしておれば、手荒な真似はせぬ。安心めされよ」
「えっ、ちょっと。そんな」
僧兵に囲まれた七海はなすすべもなく連れ去られていく。亘と神楽にサキ、そして戻ってきた藤島秘書は、悔しい思いで見送るしかなかった。
◆◆◆
新藤社長が駆けつけたのは、それからすぐだった。
エレベータが到着すると、開き書ける扉に当りながら飛び出してくる。スーツの裾をはためかせ、小走りで駆け寄って来た。それで受付の女性が立ち上がり、慌てて礼をするが無視される。
「状況は!? アマテラスの彼らはどうしましたか!」
「七海……舞草さんのことですが、彼女を攫って行きましたよ」
亘がムスッと応える。別に新藤社長に対し怒っているのではない。自分自身のバカさ加減が招いたことに腹を立てているだけだ。
だが新藤社長は、そうは取らなかったらしい。申し訳なさそうに、頭を下げた。
「出遅れましたか、申し訳ない」
「ああ、すいません誤解させました。社長のせいじゃないです。こんなとこで、吞気にしていた自分が悪いのですよ。むしろ、お騒がせして申し訳ない」
亘は自分の非を認め、素直に頭を下げる。そして、聞きたいことがあった。
「社長。あいつらは逃した悪魔の件で来ていたのですよね。実は、この娘がそうです」
「その子ですか。うん、見たところ世界に定着した悪魔のようですね。少し変わった感じがして、確かに狙われるだけの力がありそうだ」
「あいつらは、どう言ってきましたか」
「追い詰めた悪魔を仕留めようとして邪魔されたと。その該当者を探し出し引き渡せと、凄い剣幕でしたよ。なんとしても調伏し、滅するつもりですね」
「……そうですか」
「マスター?」
七海が攫われた非常時に社長が恐いとも言っていられず、神楽も側に控えている。亘の呟きに反応すると、何かを言いかける。
しかしそれを押しとどめ、亘は新藤社長にさらに問いかける。
「あいつらは、アマテラス系列の僧兵と聞きましたが、どんな奴らです」
「悪魔関係の封印と討伐を生業とした、シッカケ一族です」
「シッカケ……」
「数十年前に壊滅しかけ弱体化しましたが、それから強硬路線で復活したそうです。おかげでアマテラス内部でも手を焼く有様で、方々から煙たがられてますね」
「七海が攫われたわけですが……その、彼女に危害を加えるようなことは……」
「ああ、それは大丈夫ですよ。むしろそこらの連中よりは、よっぽど礼儀正しいじゃないですかね。悪魔関係になると強硬で思い込みが激しいでしょうが」
「そう……ですか……」
亘は少しホッとした様子だが、その手は硬く握られたままだ。それを神楽とサキがじっと見つめている。
「サキ行く。七海助ける」
「ボクだってやるもん。ナナちゃんを助けるんだもん! 行こうよマスター!」
「当然だ。責任は自分にあるからな。ちゃんと助けてやるさ」
「五条君、お待ちなさい」
歩き出そうとした亘を新藤社長が引き留めた。
「我が社からも人員を出しましょう。少し手配に時間をいただきますが、お待たせはしません」
「いいえ。お気持ちは嬉しいですが、あいつらに一人でと言われましたので一人で行きますよ」
「しかしですね……」
「異界ならAPスキルの効果もあります。そう簡単にはやられたりはしませんよ。あいつらに……誰を敵に回したか思い知らせてやる」
そして亘の浮かべた黒い笑みは、新藤社長を押しとどめるほどの迫力があった。
「そこまで仰るなら、こちらは手は出さないでおきましょう。ですが、何か必要なことがあれば何でも仰って下さい。最善の協力をしますよ」
新藤社長のありがたい言葉に亘はニヤリと笑う。
「でしたら、後始末をお願いしていいですか。連中とは完全に敵対してきますから」
「いいでしょう。それなら、アマテラス全体を敵にしないよう手を打ちましょう。もちろん、最悪アマテラスと敵対したとして一向に構いません。遠慮なくやって下さいよ」
「ありがとうございます」
礼を言って亘が歩き出すと、その頭に神楽が飛び乗った。そしてサキも何かを決意し、横に並んで歩き出す。
そのまま堂々とエントランスを後にした。七海を助けるために。
「さて」
その姿を見送った新藤は人差し指で眼鏡を押し上げる。素早く思考し、自分のすべきことを導き出す。第一には盟友を手助けすることだが、同時にこれは大きなチャンスなのだ。
上手くすれば、旧態然として扱いに困るアマテラスから、大きなアドバンテージを得られる。
「本気でいきますよ、藤島くん」
「承知しました。一週間分の予定は、全てキャンセルしておきます」
「五条君の言葉ではありませんが、誰を敵に回したか思い知らせてあげましょう」
まるで悪役のような笑みを浮かべ、新藤が颯爽と歩き出す。その後ろに藤島秘書が影のように従う。
日本の通信業界を僅か十年で牛耳った怪物が、本気になって動きだした。
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