第95話 徹底的に思い知らせ

 指定された異界に到着する。牧歌的にも見える見慣れた地は、変わらず薄明るくも薄暗い。しかし気分のせいか、今はどんよりと見えてしまう。

「うん、沢山いるね。ナナちゃんもいるね。あっちだよ」

「やはり数を揃えてきたか」

 神楽の広域探知が僧兵たちの集団を捉えている。頷いた亘はDPアンカーを起動させ、そこから棒を取り出す。それで肩を落ち着かなげに叩きながら、不機嫌な顔をする。

 前日よりは多いだろうと予想していたが、それが当たっても嬉しくもない。

 少し後ろにいるワンピース姿のサキだが、時折何かを言おうとしては口を閉ざす。それをしばらく繰り返し、ようやく意を決したように口を開いた。

「サキは楽しかった。ありがとう」

 驚いて振り向く亘に対し、サキがぺこりと頭を下げる。

「なんのつもりだ」

「七海と引き替え。なる」

 その言葉に亘はそっぽを向いた。そして視線を向けることなくうそぶく。

「自分は欲張りなんだ。自分の従魔をそう簡単に手放すつもりはない。これからたっぷり扱き使ってやるんだからな」

「でも、七海助ける」

「もちろん助けるに決まってる。あんな坊主どもなんか、簡単に蹴散らしてみせるさ」

「…………」

「いいか、まだこれから楽しいことが沢山あるんだ。美味いものだって、たっぷり食べさせてやる。だから調伏なんてさせやしない」

 空気を読んで黙っていた神楽だったが、耐えきれなくなって口を挟む。

「ボクだってさ、サキと一緒に美味しいものを沢山食べるつもりだもん。だからあんな奴ら、やっつけちゃおうよ」

「式主、神楽……ありがと」

 そっぽを向いたままの亘にはサキの顔が見えない。でも泣きそうな声なのは確かだった。

 七海も救いたいしサキも手放したくない。亘は自分で言うとおり欲張りなのだ。どちらかだけ、なんて選べるはずがない。


◆◆◆


「やーれやれ。本当に数を揃えてるな」

 軽口を叩きながら近づいていくが、待ち構える僧兵は軽く四十人かそこらはいる。

 法衣を纏い錫杖を携えた僧兵集団は、怪しい宗教団体にしか見えない。統制のとれた動きで身構える光景もあって、余計そう感じてしまう。

 見える範囲だけでそれだ。神楽によると、他にも何人かが遠巻きに取り囲んでいるらしい。それだけ亘、もしくは神楽を危険視しているのだろう。

 その中に所在なさげな七海の姿を見つけた。特に縛られたり拘束された様子もなく、手荒な扱いを受けていないことにホッとする。

 亘の姿を認めると、七海は申し訳なさそうな顔で声をあげかけた。しかし、それを制するように、そして牽制するように錫杖が打ち鳴らされる。

「逃げもせず、よう来たな。それは褒めてやろう」

「そりゃ、どうも」

「さあ、その悪魔をこちらに渡してもらおうか」

 初老の僧兵が前に出てくると、手で合図してみせる。だが、亘はそれを冷たく見返した。

「その前に約束を守ったんだ。まずは、その子を解放してもらおうか」

「ダメだ。その悪魔を渡すのが先だ」

「バカ言うな。確かこう言ったよな、『その悪魔を連れてあの異界に一人で来い。そうすれば娘を渡してやる』とな。どうだ?」

 あの場にいた見覚えのある顔に向け問いかけると、渋々とだが頷いてみせた。

「確かに言った」

 それで我が意を得たとばかり亘は笑顔を浮かべる。ただし、人の悪い顔にしか見えない。

「こっちは言われた通り行動した。次はそちらが約束を守る番だ」

「しかしそれは言い方というものであって……」

「ほう、約束を反故にするつもりか。無抵抗の者を攫ったあげく、嘘までつくのか。ずいぶんと見下げ果てた奴らだな」

 亘の詰問口調に晒され、僧兵たちがバツの悪い顔をする。

 相手の言動の非をついて責め立てる。課長の真似だが、やってみるとなかなかの効果だ。しかも暗い方向で気分が良くなる。癖になりそうだ。

「とにかくだ、その悪魔を引き渡せばこの娘は解放してやる。我らの目的はその悪魔のみ。嘘は言わぬ」

「既に嘘を言っている奴が何を言うのやら」

 責めすぎたのか、控えていた僧兵の一人が怒鳴りだした。

「ええいまどろっこしい! いいか、こちらには人質がいるのだ。大人しくそいつを渡せ。早くせねば、この娘がどうなっても知らぬぞ!」

 ガラの悪い顔は見覚えがあって、確か警備員を殴りつけたヤツだ。短気で粗暴なのだろう。

「やれやれ、それ見たことか。本性を現したな」

「黙れ!」

 錫杖の先が七海の首へと突き付けられた。脅しだと思うが、顔を真っ赤にする僧兵の短気さからすると、安心はできない。

 どうしたものかと迷うが、七海は気丈な様子で口を一文字に引き締めている。その姿に亘は腹を括った。

「悪いが怪我するかもしれない。だけど必ず助ける。少しだけ我慢してくれるか」

「はい」

 七海が信頼しきった顔で答え、亘も頷き返す。何か心が通じ合ったようで、メラメラと戦いに臨む気力が湧いてくる。

 これに対し僧兵は錫杖を打ち鳴らし、怒鳴り声をあげる。多分嫉妬ではないはずだ。

「よいか、これは脅しなどではないぞ! 渡さねば、本当にこの娘を傷つけるぞ!」

「言っておくが、その娘に怪我一つでもさせてみろ――手加減なしに叩き潰してやる!」

 ドンっ!と棒で地面を突けば、小さくない陥没ができあがる。

 僧兵の何人かが、リーダーらしき者の顔色を窺う。それは亘の動作に怯んだというよりは、本当に七海を傷つける気なのかと躊躇っている様子だ。


「これから派手にやるからな。少し我慢してくれよ」

 その隙に亘は荷物から袋を取り出す。赤白の粉が入った袋を目にした七海がギョッとして慌ててギュっと目をつぶる。それが何か、熟知しているのだ。

「そうれ!」

 赤白の粉が盛大にぶちまけられる。

 あっけに取られた僧兵たちは、思わずそれを見上げてしまい――そして降りかかった。

「ぎゃああああっ!」

「目が、目があー!」

 目潰しを浴びた僧兵が泣きわめき、無事な僧兵がそれを介添えしようとしている。阿鼻叫喚の中で、七海の拘束がなくなった。

「よし、そのまま真っすぐおいで!」

「はい!」

 七海がダッと駆けだした。目を閉じて走るのは、実は相当勇気のいることだ。しかし七海に躊躇いはなかった。たとえ転んだところで、助けてくれると信じきっているのだろう。

 その信用を裏切らず、サッと前に出て声をかけながら受け止めた。

 暖かく柔らかな身体を抱きかかえると、邪な考えなど関係なく、嬉しさのあまり思わず抱きしめてしまう。何故かクタッと力尽きた七海を抱え、そのまま後方へと大きく跳んで距離を開ける。

「神楽頼む」

「はいはい、水だよ。あれ、ナナちゃん気絶してら。ま、いっか」

 ペットボトルを抱えた神楽が遠慮なしに水を振りまく。さらに準備しておいたウェットティッシュとタオルで顔を拭いていると、七海が目を覚ました。何やら顔が赤い。

「あ、すみません。私ってば」

「恐い思いをさせたみたいだな、すまん」

「ええ、まあ。その」

 きっと安堵のあまり気を失ったのだろうと慰めるが、七海は恥ずかしそうに足をモジモジさせるだけだ。


 そんな二人の前では、粉を浴びた僧兵たちが目を押え泣き叫んでいる。その惨状は目潰しを浴びていない僧兵たちをも怯ませ、動きを止めさせていた。

 すぐには襲ってこず、遠巻きに武器を構えだす。

「こ、こんなことしおって! ただで済むと思っているのか!」

「思ってないさ。そら、次はこれだ」

 亘は腰の鞄から平たい円盤型の金属塊を幾つか取り出した。

 それを見た神楽が両手を頬にあて、声にならない悲鳴をあげてしまう。七海もギョッとする。キョトンとするのはサキだけだ。

「マスターそれってさ、それってまさかさ……」

「投げたら魔法で上手く破壊しろよ。近くでは絶対にやるなよ」

「当然だよ!」

「なにそれ」

「サキちゃんは知らない方がいいですよ。ええ、本当に知らない方がいいですよ」

 説明する七海の声には、半ば自分自身に言い聞かせるようなものが含まれている。思い出すだけで、顔色が青くなるほどの強烈な体験だったのだ。

 そんな様子にお構いなく亘が金属塊を放り投げる。僧兵たちは何度も同じ手をくらうものかと、手をかざして目を庇う。だが、無意味だ。

「少しだけ同情したげるよ、『雷魔法』の軽め!」

 空中で光球が命中した金属塊が次々爆発する。そしてその中身が撒き散らされ、真下の僧兵たちへと、ボタボタと慈雨のごとく降り注ぐ。

 惨劇の始まりだ。

「オゲエエエッ!」「臭い臭い臭い!」「…………」「ガハッガハッ、ガハッ!」

 世界一臭い缶詰を浴び、僧兵たちは阿鼻叫喚となる。人狼のように死には至らないが、まともな行動ができなくなってしまう。無事な僧兵たちも、臭さのあまり近寄ろうとさえしない。

「ほんと同情しちゃうよ」

「ですよね……」

 神楽と七海はどこか諦観したような顔でそれを見つめており、そしてサキは自分の鼻に届いた臭いにガタガタ身を震わせてしまう。

「じゃあ逃げるか。悪いけど、もう一つ我慢してくれるか」

「あ、はい。なんでしょうか」


◆◆◆


 亘は走りながら後方を確認する。多少距離はあるものの、怒り狂った僧兵たちが追って来る姿が見えた。

「くそっ、しつこいな」

「そりゃあ、あんなことされたらさ。当然だよ」

 並走するように後ろ向きで飛ぶ神楽は、両手を上に向けながら首を振ってみせる。余裕な素振りだ。

 足下のサキも人外の俊敏性をみせ、地面の上を滑るように駆ける。こちらは臭いから遠のくためにも必死だ。

 そして七海は亘に担がれている。走りだしてすぐにクタッと気を失ってしまったが、それを心配する暇はない。むしろ、気を失っている方が担ぎやすくありがたい。


 盛り土された斜面を駆け上がったところで七海を降ろす。さりげなくセクハラ気味に触っているが、冷たい顔した神楽に咳払いをされ慌てて手を引っ込めた。

「マスターってばさ、状況分かってんの?」

「ぐ、偶然だ。偶然手が触れただけだ」

「そーゆーのは、ナナちゃんが起きてる時にやったげなよ。ほら、起きて」

「ううんっ……はっ!」

 小さな手でペチペチされ、七海が呻きながら目を覚ます。そのまま余韻に浸るような雰囲気でポヤーッとしている。担がれる間に何度も意識を飛ばしていたのだ。

 そんなこと知らぬまま亘は額に手をやり、追ってくる僧兵たちを眺めやる。

「やれ」

「了解だよ。『雷魔法』発射ぁ!」

 意図を察した神楽が放つ光球の標的は、水を蓄えた溜め池の洪水吐きだ。

 爆発によりコンクリートが破壊され、そこに水が流れ込みだし周囲の土を削りながら破断面を大きくしていく。ついには、ドロドロと音をたて大量の水が流れ出だす。

 決壊に気づいた下流の僧兵たちが慌てふためき、押し寄せる濁流から必死になって逃げ惑っていることが見える。

 鬼の所行だが、誰を敵に回したか徹底的に思い知らせる。その言葉に嘘はないのだ。

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