第96話 大妖の中の大妖

 水を失った溜め池に、バシャバシャ蠢く水虎が取り残されている。下流に押し流された水虎も多いが、大半は泥の中に残されていた。

「さて次は、この水虎を倒すとしようか」

「倒してレベルアップですか? 分かりました。アルル、お願い」

「じゃあボクも魔法で攻撃しちゃうね。ほら、サキも攻撃するといいよ」

「ん、分かった」

 刃となった風が舞い、紫電を纏う光球が飛ぶ。

 そしてサキによる魔法も放たれる。火で攻撃できると言っていたように、サキによる攻撃は燃えさかる火球だ。なかなかの威力で、神楽の魔法と良い勝負だろう。

 競うように放たれる魔法に混じり、亘と七海も投石する。

 少しして神楽が顔をあげた。ここ最近、何度も戦っているのでタイミングもばっちり分かるらしい。

「出てくるよ」

 そんな言葉に引き続き、溜め池の中に残った水溜まりが泡立ちだす。大きく水が吹きあがり水柱を生じさせたかと思うと、そこから巨大な龍が姿を現した。

 この層の主である雨竜だ。鱗のない姿は剽軽な顔をしている。水が無いと本来の力を発揮できないため、相変わらず出落ち感が漂う仕草で、ボテッと泥の中に倒れ伏し藻掻いている。

 その愛嬌さえ感じる竜顔が、亘を見るなりゲッという感じで歪む。みるみる悲壮さと絶望に彩られていく。何度も亘に倒されているため、すっかり顔を覚えているのだ。

 けれど亘は軽く手を振る。

「おっと、今回は戦う気はないぞ」

 そんな言葉に、人の拳ほどもある巨大な目が訝しげに細められる。ついでに七海が驚き顔だ。さらに神楽など、信じ難いといった顔で目を戦慄かせている。

 亘は不当な反応を我慢しつつ、まず自分を指さし次いで下流を指さした。

「こっちと戦うか、あっちと戦うか。どうする?」

 雨竜は首をもたげ下流を見やり、チラッと亘を見やる。何を企んでいるのかと訝しげな様子の雨竜だったが、意を決したのか猛然と泥の中を這い進みだした。

 向かうは、下流だ。


 下流の僧兵たちが、襲い来る雨竜の姿に悲鳴をあげている。随分離れているが、その悲鳴は亘たちのもとまで聞こえてくるぐらいだ。亘は満足げに頷いた。

「友のピンチに協力してくれるとは、さすが雨竜くんだな。強敵と書いて友と読むってのは本当なんだ」

「ボクが思うに、あれってさ。楽な方に逃げただけだよ」

「私もそう思います」

 遠方で雨竜と僧兵の戦いが始まっている。下流に溜まる水により、本来の力を取り戻した雨竜は巨体を振り回しては僧兵たちを弾き飛ばす。それに対する僧兵たちは、錫杖を打ち込み戦いを挑んでいる。それは、なかなかの激闘だ。

「やあ雨竜くんも、なかなかの強さだな」

「そだね、今の雨竜くん輝いてるよ。生き生きしてるよ」

 神楽は腕組みしながら、嬉しそうに何度も頷いてみせた。普段は敵と言えど、同じ悪魔のカテゴリーにある雨竜の活躍が嬉しいらしい。


◆◆◆


「貴様は悪魔か!」

 のんびり休憩していた亘たちの元へと、満身創痍の僧兵たちがたどり着いた。

 ようやっと雨竜を倒したらしい。いずれもずぶ濡れ状態。無事でいるのが半分、ふらふらなのが半分といった様子だ。もちろん無事といっても、色々と酷い目にあわされ、ゲッソリとした顔だ。

 そして水に濡れても例の臭いは消えておらず、サキが嫌そうな顔をする。

「失礼な、ちゃんとした人間だぞ」

「そだよ! マスターと一緒にするなんてさ。ボクら悪魔に失礼だよ」

「神楽おやつ抜きだからな……それで? まだ、やる気なのか」

「無論のことだ。ここでおめおめ引き下がれるものか!」

「ふーん。そうか」

 亘はゆっくり立ち上がった。これで僧兵たちの運命は決まった。先程の問いは最後通告のつもりだったのだ。

 このままスオウの元へと移動し、リザードマンの群れに放り込む。さらにスオウに手伝わせ完全に僧兵たちを始末する。そんな計画を説明してあるため、七海が気の毒そうな顔をする。

 僧兵抹殺に動きだす――その時だ

「何これ、何か凄いのが来る。これは……マスター後ろっ!」

「なんだと!」

 神楽が僧兵を無視し、亘の背後を指差す。それはつまり僧兵たちなどより、そちらに脅威を感じているということだ。身を翻した亘の目の前、そこに見知らぬ女がいた。


 美貌の女で、どこかサキに似た顔立ちだ。黄金色した長い髪に、時代錯誤な十二単のような衣装。目を離せない神秘的な雰囲気は、以前にあったお宮の神様を連想させる。

 けれど怜悧で酷薄な笑みと、背後で蠢く太いフサフサした四本の尾、何より刺すような雰囲気がもっと別な邪悪な存在だと告げている。

「いかぬっ! 貴様の悪魔を殺せ! 早くしろっ! 間に合わなくなっても知らんぞっ!」

「なんだと?」

 あの粗暴な僧兵が切迫した声をあげるが、亘は戸惑うだけだ。その横をフラフラとした足取りのサキが通り過ぎていった。まるで夢遊病のような動きだ。

 女が手を差し伸べる。

「待たせたわの。さあ、我が分け身よ今こそ一つに戻ろうぞ」

 女が薄い笑いを浮かべ、無抵抗のサキを抱き上げる。そのまま頭上へと掲げると、フサフサとした尾がサキの身体を捕らえるように包み込む。蠢く尾がその姿を覆い隠し、手や足が見え隠れしていたかと思うとやがて消える。

 同時に、女から放たれる威圧感が急激に高まった。

「くっ!」

 亘は小さく声をあげ後退った。目の前の女の尾が一本増えていると気づく。何が起きているか分からないまま、七海を背後に庇いながらジリジリ後退する。

 そんな様子を気にした様子もなく女は手の甲を口に当て、高笑いを始めた。

「ほほほっ、これで妾はまた一つ力を取り戻したぞ。もはやお主ら如きでは、妾を止めることはできぬ。ほほほほほっ――」

 心底嬉しそうな高笑いを聞きながら、亘は僧兵たちの側へと移動する。よらば大樹ではないが、サキの存在が無くなった以上は敵対する理由もない。だったらヤバげな雰囲気の悪魔を前に、人間同士協力し合おうという心だ。

 自分がやったことを棚上げして、随分と図々しい。

「あの女は一体何者なんだ。知っているなら教えてくれないか」

「あれは……玉藻御前と呼ばれる九尾の狐。強大な妖力を持つ、大妖の中の大妖」

「マジですか」

 律儀に答えてくれた僧兵の言葉に、亘は思わず女を二度見してしまった。

 玉藻御前。その名を知らぬ者はいまい。その名は誰もが知る伝説に語られる存在であるし、現代でも様々な創作の中にも登場する。目の前の女がそうだと言われると、思わず固唾を飲んでしまう話ではないか。

「でも待ってください。尻尾が足りませんよ」

 七海が五本しかない尻尾を指差すと、僧兵は頷いた。

「そうだ、玉藻御前は、我らのご先祖様の手によって討伐された。あれはな、そのなれの果てだ。倒され石となったものを、さらに七つに打ち砕き各地に封印されたもので……それが蘇ったのだ」

「おいおい、封印はちゃんとしてくれないとダメだろ。管理不充分だな」

「最近の魔素の増加が想像以上なのだ。二つはなんとか再封印したが、その時点で四つが復活し合流しておった。そこに一つが加われば手に負えぬ存在となる」

「それでサキを追っていたのか……」

 亘は唸った。玉藻御前の不完全体ならタマモと呼ぶべきだろうが、そうとは知らないまま復活のお先棒を担いでしまったことになる。ちょっとどころでなく拙い。

「今は責任を追及する場合ではないよな。そんなことより、目の前のあいつを何とかせねばダメだよな」

 最悪の事態を引き起こした責任の一端が自分にあると知り、建設的ぽい言葉を口にして誤魔化す亘だった。


「ほほほほほっ――さて」

 長いこと高笑いをしていたタマモが、ピタリと笑いを止める。ゆっくり辺りを睥睨し、サキであれば決して浮かべない悪意に満ちた笑みを浮かべる。

「ようも妾を長く封じてくれたな。その罪その報いを、とくと味わせてくれようぞ」

「ぬかせ。皆の者、奴は復活したばかりだ。その力は完全なものでない! 今が最後の好機と知れい。かかれい!」

 応、と答えた僧兵たちが一斉にタマモへと襲い掛かる。多数の僧兵たちがたった一人の存在へと襲い掛かり、錫杖を振り上げ振り下ろし、御札を投げつけ、矢を射かける。一方的な戦いが始まった。

 ただし、一方的な力を振るうのはタマモの方だった……。

 僧兵たちが疲弊し、傷を負っていることを差し引いたとしても、タマモの強さは隔絶している。細腕が錫杖ごと人の胴を真二つにし、尾の一撃が身体を叩き潰す。捕らえた僧兵を引き裂き、その血を浴びながらタマモは楽しげな笑い声をあげ続ける。本当に凄惨な光景だ。

 それでも僧兵たちは怯むことはない。傷を負おうと、それが致命傷であろうと、息がある限り立ちあがり攻撃を続ける。だが残念なことに、その攻撃は殆どが届かない。投げつけられた御札や射られた矢は、タマモに届く前に燃え尽き消え失せてしまうのだ。稀に届いたとして、全く効いた様子はない。

 タマモが退屈そうに、そしてワザとらしく欠伸をしてみせる。

「やれ臭いのが混じっておる。こうも臭くては堪らぬ。『狐火』で汚物は消毒ぞ」

 ひと抱えもある大きな火球が突如として出現し放たれる。それも間断なくだ。まるでシューティングゲームのように僧兵を狙っていく。掠っただけで火が燃え移り、命中すれば爆発して一撃といった威力だ。これでは近づくどころではない。

 走り回る松明が幾つもある。それはすぐに動きを鈍らせ、弱々しく前のめりとなって膝を抱え丸まる。人間は炎に包まれると、最期は無意識に身を守ろうとするのだ。

「ほほっ、半分ぐらいに減ったか」

 半分と言っても、まともに動ける者はさらに少ない。重傷を負いまだ息があるという様相で、とてもではないが戦える状態ではない。完全に無事なのは亘と七海、その周辺にいた僧兵ぐらいのものだ。


 タマモが亘へと目を転じた。

「さてと、気分はどうかな。式主よ」

 その呼び名に息を呑んでしまう。ニヤニヤ笑うタマモが、サキでないと分かっても聞かずにはいられない。

「サキ、なのか?」

「それは妾の分かたれた身の一つのことよ。今は吸収され、その記憶も我のものだがな」

「じゃあサキは……」

「すでに妾の中に交じっておる。ほほほっ、妾の分け身を助けたこと。心より感謝しようぞ。その礼に一番最後に殺してやるが、嬉しかろう」

 見逃してくれなさそうな様子に、亘は覚悟を決めた。

「七海は下がって隙をみて逃げるんだ。それで新藤社長のところへ行くんだ」

「でも」

「いいから早く。こいつ相手だと足止めしかできん」

「ほほほっ、妾相手にそれも無理とは思わぬか」

「だったら手数を増やすまでさ。神楽、『範囲治癒』と『治癒』をかけまくれ!」

「了解だよ!」

 命令に従い、神楽が範囲治癒を発動させた。有り余る魔力で々唱えられる治癒が、息のあった僧兵どもを再び立ち上がれるまで回復させていく。思わぬ援軍とその効果に、僧兵たちの間から驚きの声が上がる。もちろんタダで助けたわけではない。

「悪いが、足止めに協力してもらおう」

「言われずとも」

 戦意盛んに僧兵たちが身構える。全員がここで捨て石になるつもりだ。そんな様子にタマモが面白くなさそうに鼻をならす。

「あの新藤とかいう悪魔を呼ぶ気か……確かにアレなれば、妾も危うかろう。ならば行かせるわけにはいかぬ。なぁ、そうであろ」

「え?」

 タマモが睨む先で七海が声をあげる。手弱女にしか見えないタマモの手に燃えさかる炎が生まれ、灼熱の火球となって打ち出された。


 その威力のほどは、倒された僧兵たちの死に様を見て知っている。一瞬で炎に包まれ、黒焦げとなってしまう凄まじい威力なのだ。

 その刹那、亘がとった行動は七海を庇うことだった。何故そんなことをしたのか分からない。やはり一番大切な人と思っているのか。それさえも分からない。とにかく反射的に動いていた。

 物語の主人公のような華麗で格好いいことはできない。せいぜいが突き飛ばし、代わりに自分が火球の射線上に立ってしまう程度のことしかできなかった。

――これは死んだな。

 亘は意外に冷静な気分で、轟々と燃える火球が迫る光景を見つめた。

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