第97話 紅い燐光を宿し
小さな姿が割って入る。
「マスターぁ! 『雷魔法』」
放たれた光球が、すんでのところで火球を迎撃してみせる。直撃こそ避けられたものの、至近で発生する爆発が亘を襲う。
咄嗟にかざした腕に爆炎が押し寄せ、亘は衝撃波で弾き飛ばされる。
「がはっ!」
地面に叩き付けられた亘は頭を振りながら身を起こす。顔を庇った腕だけでなく、あちこちが焼けるように痛む。実際に焦げているのだろうが、気にしてられない。そんなことより、探さねばならない者がいる。
そう――自分よりも前で、今の爆発を浴びた存在を。
四つん這いから周囲を見回すと、少し離れた場所に転がった小さな姿を見つけた。
「神楽!」
我を忘れて這い寄ると、その小さな身体を掬い上げる。爆発を間近で浴び、巫女装束どころか髪も身体も焦げた酷い有様で、大きなダメージを受けた状態だ。
動くのも辛そうな状態のくせに、微笑んでくる。
「えへへっ……マスターがケガしてら……『治癒』……大丈夫?」
「大丈夫だ、もう大丈夫だから。いいから早く自分を回復するんだ。早く!」
「マスター……ごめんね……」
弱々しい呟きと同時に、神楽の身体がホロホロと崩れだす。これまで倒した悪魔がそうだったように、光の粒子となっていく。
「嫌だ! そんなの嘘だろ! 早く回復するんだ!」
だが、神楽は最期の瞬間まで亘を見つめ続け笑顔で消滅していった。亘は地面にへたり込んだまま、何も残らない手を見つめ呆けてしまう。
――消えた。
神楽とサキと家族のように生きようと思ったばかり。ささやかでも楽しく一緒に暮らしたいと思っていた。でも、それも全部失われてしまった。
仮にこの場を生き延びたとして、この先に待っているのは暗い一人きりの将来のみ。お帰りの声もなく夜遅く帰る暗い部屋。誰とも喋らず下を向いてする食事。何の夢も展望もない人生。幸せそうな人々を下から見上げ羨むだけの生活。
「五条さんダメです! 今は悲しんでる場合じゃありません!」
「…………」
「くふふ、ほほほほっ」
そんな亘の打ちひしがれた姿をタマモが嘲笑う。十二単の袂で口を覆い、身を震わせ心底楽しそうな様子をしてみせる。人の不幸が楽しくて楽しくて堪らないらしい。
その嘲笑う声が、亘の心へと突き刺さる。
「ほほほほっ、相変わらず人間の泣き顔は最高よ。そうか、あの羽虫が死んだのがそんなに悔しいのか?」
――羽虫。
その言葉が耳朶を打つ。
知人はいるが友人はいない。彼女どころか女性と縁がない。そんな生活にある日突然現れた一体の小さな悪魔。従魔として側に居てくれて、常に励まし応援してくれた存在。自分ですら肯定できなかった自分を、初めて肯定してくれた存在。
そんな大切な存在を自分から奪い去っただけでなくバカにする。
――憎い。
亘の中で何かが動いた。それは強い怒りの感情だ。これまでの人生で圧し殺して我慢してきた感情。頭が真っ白になるぐらいの強い強い感情。心臓がドクドク脈打ちだし、眉間の奥がズキズキ痛みだす。
唐突に、身体の中にある経路と呼ばれる存在がはっきり認識できた。その感覚を言い表すことは難しい。例えるなら自分の血管と血流の存在を認識したような感覚だろうか。ともかく、この経路にDPを載せ全身に行き渡らせれば藤源次の言っていた『操身之術』が発動すると分かった。
同時に、制御できねば死の危険性があるとの言葉を思い出すが、迷うことなんてない。どうせ、この先待っているのは死んだような人生だけなのだから。
亘はそれを成した。
DPが経路に流れ出した途端、軋むような激痛が全身を襲う。無理矢理拡張し、使っていなかった未知の部分を使おうとしているのだから無理もない。激しい痛みを、それを上回る激しい憎しみで押さえ込む。むしろその痛みさえもが、憎しみを増幅させていく。
「お前を庇って死んだ羽虫が、そうも大事だったのか。ほほほほっ」
「憎い……」
「んっ」
異様な気配にタマモが戸惑う。
亘の全身でDPが渦巻いている。それは操身之術などではなかった。古来より伝わる術式に、デーモンルーラーという全く別種の未知の術式が干渉することで過剰反応を示しているのだ。つまり操身之術よりも、もっと危険で制御できない何かが発動しだしていた。
本来であれば異なる二つの術式は反発し合い、制御できぬまま暴走し、その果てに死をもたらすはずだった。
しかし奇跡的な確率によりまとめあげられ、一つの術式へと統合されていく。それは激しく強い憎しみの念が引き起こしたものだったかもしれない。
「憎い……」
呟き、亘は踏みしめるよう立ち上がりだす。ゆっくりとした呼吸は深く、そして荒々しい。憎しみに満ちた目に人ならざる色が明滅する。
「憎い……憎い……憎い憎い憎い憎い憎い憎い」
「な、なにを言っておる」
怖気を感じたタマモがたじろぎ嘲笑の笑みなど微塵もなく、恐れおののく。錫杖を構え取り囲んでいた僧兵たちも、タマモなどよりもっと不穏で異質な気配を漂わせた亘へと警戒の色をみせだす。
そして間近で気配あてられた七海はへたりこんでしまう。
「…………」
下を向きブツブツ呟いていた亘の声が、ぴたりと黙る。ゆっくりと上げられた顔の中には紅い燐光を宿した眼があり、憎しみに満ちた邪悪で壮絶な笑みがある。
ポツリと呟く。
「憎い」
「ひっ」
タマモが怯んだ。
同時に亘の全身から、圧倒的なまでの気配が放出される。全身を活性化させたDPは外にまで溢れだし、身体の表面に小さな放電の如き瞬きを放つ。一度広げられた手が力強く握りしめられ、極限まで強化された全身に力が込められた。
「……!」
次の瞬間、亘の足の下で地面が爆ぜる。圧倒的力で踏みしめられた地面が、耐えきれず弾けていた。その加速でもって肉薄したタマモへと拳を振るう。
「ぎゃっ!」
反応すら出来なかったタマモが強烈な打撃で弾き飛ばされる。
それでも、タマモとて只者ではない。すかさず空中で受け身をとり、四つん這いとなって着地してみせた。猛々しい獣のような仕草で、その口からペッと血の塊が吐き出される。それは、出現してから初めてのダメージらしいダメージだった。
「人間風情がぁ!」
牙を剝き咆える姿は、獰猛な獣そのものだ。十二単のような衣服の下でタマモの四肢に力が込もり、己を攻撃した男に襲いかかるべく、その姿を追い求める。だが見つからない。そして――周囲に目を走らせていた頭が踏みつけられた。
「ふぎゃっ!」
地面に頭がめり込むほどで、まるで埋め込むように繰り返し踏み付けられる。頭だけでなく、背も腹も踏み付けられる。その都度、轟音のような音が響き、タマモの下の地面にヒビが入っていく。
それはもはや戦闘などではなかった。彼我の差が隔絶した者による一方的暴力だ。あれほど僧兵たちを嬲り追い詰めた存在が、今は逆に嬲られ死に至らしめようとされていた。
「がはっ……ぐぁっ……」
呻くタマモの髪が掴まれ、めり込んだ地面から頭が引き抜かれる。露わになった喉が掴まれ、そのまま吊し上げられた。タマモの足が宙に浮き、五本ある尻尾が力を失いだらりと下がる。
「や、やめ……助けて……」
必死な命乞いの声があがる。しかし暴虐の拳が容赦なくタマモの腹へと叩き込まれる。何度も何度もだ。
相手が女性体であるとか、血反吐を吐き抵抗しないとか一切考慮しない。躊躇も手加減もせず、ただひたすら猛打を叩き込んでいく。さらに首を掴んだまま振り回し、全身を地面に叩きつけていく。
圧倒的なまでの暴力に晒され、ついにタマモがボロボロと崩れDP化しだす。そして暴威を振るう者が口にするのは、獣のような呻り声だけだ。
DP化しだす姿に何を思い出したのか、新たな憎しみを燃やしタマモを地面に叩きつける。まだ崩れる前の頭部を渾身の力で踏みつけると、グチャリと潰してしまった。
――それでもまだ憎しみは消えない。
まだ足りなかった。何かを壊したくて堪らない。破壊したい。手を握り開きしつつ壊せるものを探していた。
その目がすうっと細まる。タマモが消えた後に、よく似た顔立ちの金色の髪の少女が現れたではないか。識別せんと睨めば、怯えきった様子で見上げてくる。これも壊そうか。そう思考が動きかけるが、何故かそうしてはいけない気もする。なぜだか思考が上手くまとまらず、どうでもいいかと興味を失った。
憎しみが収まらない。
感情が制御できず、憎しみが呼び水となって新たな憎しみを呼び覚ます。このまま全てを滅茶苦茶にしてやり破壊を振りまき、この憎しみと絶望を世界のあらゆる者に味合わせてやりたくて堪らない。
喉の奥から怒りの声が沸き上がってくる。ただ憎しみだけが意識の全てを占めていく。もはや他は何も考えられない。そして腹に力を入れ、怒りの化身としても産声をあげようとした。
「五条さん」
ふいに優しげな声が耳朶をうった。同時に背後から柔らかく暖かなものに抱きしめられる。それは物理的にだけでなく精神的にも、憎しみに満ちた男を優しく包んだ。
たったそれだけのことで、あれほど荒れ狂っていた心が静められていく。
そして亘は正気に戻った。
「……自分は……そうか……」
「五条さん……ごめんなさい。私のせいです。でも、ですね」
「いいんだ。全ては自分が油断したせいなんだ」
「あの、そうじゃなくてですね」
一時の激情が治まれば、残るのは静かな悲しみだけだ。背中に聞こえる七海の言葉に頭を振り、亘は静かに涙を流す。
サキは戻ったかもしれないが、神楽はもう戻らない。あの小さくて口うるさい存在が、自分にとってどれだけ大切で心の支えだったのか、ようやく分かる。
大切なものは、いつも失ってから気づくのだ。
「式主」
オズオズとした仕草でサキが近づいてきた。その姿を目にしても、僧兵たちは何のアクションも起こさない。ただ遠巻きにしたまま、むしろ身を潜め隠れるように気配を殺しているだけだ。
「神楽、無事」
「なんだと本当か!?」
「ステータス確認する」
その言葉に、亘は弾かれたように顔をあげスマホを取り出した。手をもたつかせながらアプリを起動させ、ステータス画面を開く。
神楽のステータスはHPが0、状態がDEADと表示されていた。だが、その横に『リスポーン』という見慣れないタップ表示に気づく。
「まさか……これ、押すと……」
「デスペナルティ。DP減る」
「そんなの神楽が復活するなら安いもんだ」
亘は一切躊躇うこと無く、それを押した。
初めて召喚した時のようにスマホがストロボのような閃光を放ち、そして――。
「ボク復活! マスター復活させるのが遅いよ……って、どうしたの? ひゃぁ」
「神楽ぁ、よかった。生きてて良かった」
「マスター、ぐるじいよう」
神楽が苦しそうに悶えていたが、亘はお構いなしで頬を押し付ける。ただひたすら神楽の存在を感じることだけに夢中だった。
◆◆◆
「思わせぶりに『ごめんね』とか言うからだろ!」
「だってさ、復活するのにDP使うんだもん。謝っとかないとダメでしょ」
「そんなの聞いてないし、知らないぞ」
従魔は死んでもDPがあれば復活する……らしい。その事実を教えられた亘は何とも言えない顔をした。色々恥ずかしいことを言ってしまい勘違いしてしまい、なんだかとっても悔しい。
「でもですね、それは説明書に書いてありましたよ。読んでなかったですか」
「……自分は説明書を読まないタイプなんだ」
「へー、ふーん。マスターってばさ、ボクが倒されてそんなに怒ったんだ」
「激怒。凄かった」
七海から突っ込みを受けていると、サキが余計なことを話している。どうやら厄介なことにタマモの一部だった時の記憶が残っているらしい。
それで話を聞いた神楽がニヨニヨと、人の悪い顔で亘に近づいてきた。
「へー、そうなんだー。そんなに怒ったんだ。ふーん、えへへー」
「あー聞こえない。自分は何も聞こえない」
「……すまぬが、少しよろしいか」
遠巻きにしていた僧兵たちの間から、老人が畏まった様子で進み出てきた。
亘は戯れていた表情を冷徹なものに変え向き直る。同じく神楽もサキも、そして七海も表情を引き締め警戒態勢になった。
老人は怯え竦み、慌てて手を振る。
「待たれよ、我らに戦うつもりはない。もはや、今ここでその悪魔を渡せなどとは言わぬ」
「まだサキを諦めてないのか。だったら、ここで見逃すわけにはいかんな」
「そうでない……我らは現場の人間。戻って帰ってから長老衆に相談せねば、なんとも言えぬのだ」
「ああ……なるほど」
そうした事情は実によく理解できた。亘も職場では同じ目にあっているのだ。上役のプライドと勝手な面子とで、現場がどれだけ苦労させられることか。それが身に染みて分かるだけに、あまり強いことが言えない。
「また日を改め、話に伺いたいが、よろしいか」
亘は軽く嘆息した。
「忍者の藤源次は知ってるか」
「ああ、よく知っておる。我らシッカケの里とは、近い里の衆だからの」
「だったら話は早い。そいつを通して連絡をしてくれ」
「承知した。では、ご無礼つかまつる」
ぞろぞろと引き揚げだす僧兵たちを見送り、亘は息を吐く。それは安堵の息だ。正直なとこ、立っているのも辛い状態だった。全身が重く気怠く、明日もしくは明後日あたりはきっと筋肉痛かもしれない。
それでも飛びついてきたサキを抱えあげることは辛くもない。頭上に感じる小さな重みが何よりも嬉しい。
誰かが側に居てくれる。それがどれだけ嬉しいことか、改めて実感する亘だった。
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