第241話 思ってたのとなんか違う

「悪魔はいないのか」

「いるけどさ、殆どあっちの方に行っちゃったよ」

「あっち?」

 わたるは神楽の指し示した方向を見やった。確かに遠くに人外の存在が移動し遠ざかっていく様子が見える。わざわざ追いかけるのは面倒に思えるぐらいの距離だ。

 おかげで肩すかしをされた気分だ。

「まあいいか。それなら、生存者はいないのか?」

「そっちにいるよ」

 あっちにそっちと、神楽の案内に従いながら進んでいく。

 せっかく助けに来たのだから、誰も助けられなかった事だけは避けたかった。どこまでも自分本位な考えである。

「そこ悪魔がいるから」

「了解」

 亘は物陰にいた単眼の象人のような悪魔を、あっさり倒し……きれなかった。

「こいつ攻撃が効かないのか?」

 は戸惑いの声をあげた。殴ったところで相手は平然としており、むしろ殴った手に衝撃が激しく戻って来たのだ。効かないどころか反射されているぐらいの感覚である。

「物理反射だね、これはもうボクの出番だよ!」

 亘のピンチにむしろ神楽は大張り切り。輝く羽を煌めかせ、白い小袖を揺らし両手を腰にやっては小威張りポーズをしてみせる。

「待て待て、その必要はない」

「えっ? でもさ、マスターの攻撃が効かないならボクの魔法じゃないと」

「確かに攻撃は効かないな」

 言いながら亘は相手の足を引っかけ転倒させ、少し様子を見ると、おもむろに相手の足を掴んで上空へと高く放り投げた。落ちてくると、あっさり潰れて死んでしまう。

 ボロボロと崩れ光の粒子と化していく姿に神楽は呆然となった。

「あれ? 攻撃効かないはずなのに……」

「地面に立って歩いていたし、普通に倒れただろ。つまりそれは、地面からの反力は受けていたという事だな。そうでないと、まともに歩けないだろ。つまり地面から受けるダメージは受けるという事だ。いや待てよ、いま普通に掴めたよな。だったら普通に投げ技なら効くのか?」

 亘は思案顔となるが、神楽はそうはいかない。

「……そうかもしれないけどさ、そうかもしれないけどさ。なんか違うよ、ボクが思ってたのとなんか違う!」

 嘆きとも文句ともつかない声を張り上げ、両手両足を振り回し空中で駄々をこねた。ここで自分が活躍してみせ、褒めて貰おうと思っていたのだ。それがあっさり倒され、憤懣やるかたない。

 そこにサキがトコトコと寄っていく。

「んっ、諦めろ」

 下から見上げながら達観したように言った。肩を竦め小さく頭を振れば、金色の髪がサラサラと揺れている。そこには達観した何かがあった。

 神楽も深々と息を吐き同意する。

「そだね、そうだったよね。マスターだもんね、しょうがないよね」

「んだんだ」

 よく分からぬが、亘は不当な評価をされているように感じた。自分では冷静に推理を行い、正当なる判断をしたつもりだ。なぜにこんな評価をされねばならないのかと思った。ただし、ふんっと鼻をならし不機嫌な気分を表明するだけに留める。

「あれはゾンビ?」

 今度は動きの固い人間が現れたのだが、どう見てもゾンビだ。それも最近のゾンビに対するイメージを反映させた腐りかけのタイプだ。ご丁寧に服までボロボロになって腐汁が染みて汚れている。

「……よーし、ここは神楽に任せた」

 亘が一歩下がって命じると、既に下がったサキも一緒になって頷いている。

「なんかさ、自分たちが触りたくないからってボクに任せてない?」

「まさか、そんなはずないだろ。可愛い神楽の活躍を見たいだけだよ、いつも助けてくれて一番頼りになる神楽の凄いところ見たいな」

「んもう、しょうがないなぁ」

 仕方なさそうに言いながら、その緩んだ表情は完全に言葉を裏切っている。しかも機嫌良さそうに羽を動かしているではないか。

 チョロい、と亘は思った。

 チョロい、とサキも思った。

 チョロいとゾンビが思った……かどうかは知らない。なぜなら、放たれた光球によって爆散したのだから。

 ゾンビが片づいたところで、犠牲となっていた人に気付いた。もちろんゾンビなどではない。特徴的なモスグリーンの迷彩服。犠牲者は防衛隊所属の人物であった。

 精悍な面差しをしており、いずれも怯えた様子はなく死した表情にも何か強い意志を感じさせる者たちばかりである。そして懸命に戦った様子が見て取れる。

「うん?」

 その中に、いかにもタフガイといった者がいた。

 きっと普段から皆に頼りにされるタイプだったに違いない男だ。その血に染まった迷彩服は浅く弱々しくだが上下しており、その目が亘を捉え、ゆっくり瞬きする。まだ生きている――だが、目の前で呼吸が止まる。

「神楽! 早く回復を!」

 しかし神楽は頭を振った。

「無理だよ、もう死んじゃったもん」

「……そうか無理なのか」

「そだよ。助かるならさ、ボクだって治癒ぐらいするよ」

「確かにそうだな」

 もう少し早ければと思うが、それは言っても仕方のないことだ。神楽も人の存在や生死ぐらいは分かっても、どれだけのダメージを受けているのかまでは分からない。そこまで便利ではないという事だ。

 死んだ人が気の毒である。

 しかし、こんな悪魔の闊歩する状況下ではまだマシな部類の死に方かもしれない。少なくとも誰かに最期をみとられたのだから。

 軽く冥福を祈ろうとすると、死んだはずの男の腕が持ち上げられ……パタリと落ちた。それっきり動かなくなる。

 これには亘も神楽もサキも唖然となった。

「え? 生きてたのか……」

「違うよ。ボクの探知が間違える筈ないじゃないのさ。この人は間違いなく死んじゃってたよ。うん、今も間違いなく死んじゃってるよ」

「まさかゾンビ化?」

「そんなわけないじゃないでしょ。マスターってば何を言ってるのさ。それよりさ、この人が指さしてたのってアレでしょ。アレが気になってたんだね」

 神楽が視線を向けるのは、金属製の頑丈なコンテナだ。

「中に人がいるから、それでかな」

「…………」

 亘は茫然とした。そして何故だか全てを悟ってしまう。

 この男は確かに死んで心臓も止まった。しかし同時に完全に命が尽きる寸前に心残りを伝えようとしたのだろう。即ち、そこに助けるべき人がいると。

 それをするには、どれだけの意思の力が必要だろうか。

 もし自分であれば、死の間際に他人の心配をするだろうか。

 この死んだ男が必死で人助けをしていた間、自分は今の状況を楽しみ、むしろお気楽な気分でさえいた。たとえば七海と一緒に居る事を優先させたり、はたまた博物館にふらふらと行ってみたり。自分の欲を優先させてばかりいた。

 自分がとんでもなく矮小で卑小に思えてしまう。

「ふうっ……まあいいか」

 だが、すぐに卑下する気持ちを消し去った。

 周りが自分より凄い奴ばかりだと思っても……それを気にしない事は職場で慣れている。たとえば、同期があっさり上の役職に就いたり。または、後輩が美人なアルバイトと結婚したり。もしくは、自分だけがパワハラをされていたり。

 自分を卑下して暗い満足感に浸る段階は、既に卒業している。

「まあ、自分は自分だよな。うん」

 独り言を呟く亘の様子に神楽とサキは顔を見合わせるが、何も言わない。どうやら雰囲気で、そっとしておくべきと判断したらしい。

 そしてコンテナに向かい、扉を開けた。

 中に居たのは怯えた様子の子供たちであった。まだ十歳にも満たない子供たちは、亘を見るなり泣き出してしまう。それは別に恐怖したからではないだろう。密閉された中で怯え続け、泣き声すら我慢し怯え続けていたところに亘が現れ、安堵のあまり泣き出したというわけだ。

「おじちゃん、助けに来てくれたの!?」

「おじ……ああ、そうだよ」

「兵士のおじちゃんたちは?」

「…………」

 亘は何も言えないでいた。そして子供たちは怯えながらコンテナの外に顔を出し、倒れている防衛隊員たちの姿を見つけた。ショックを受けた様子だが、それでも小さな手を合わせ祈りの真似事のような事をしている。

「あー、みんなちょっと聞こうね。助かった自分の命を大切にしなきゃだめだ。うん、何と言うか助けてくれた人の分まで頑張って、えー生きなければいけないぞ」

 亘なりの気遣いであったが、子供たちは聞いてくれやしない。慣れない事は為べきで無いし言うべきでもないと後悔することしきりだ。

 そして子供の一人が遠くを指さした。

「あのね、あっち。あっちにね、沢山の人がいるんだって」

 それは、少し前に神楽が示した方向だ。つまり大量の悪魔が向かった方向ということである。悪魔の目的は考えるまでもない。

「…………」

 亘の中でなんとも言えない感情が渦巻く。悪魔の去った方角、それから地面に倒れ亡くなっている隊員たち。彼らの意思。それらを併せ静かに考え込む。

 背後にバスのエンジン音が近づいた。

 扉が開閉すると、幾つかの足音が近づいてくる。振り返るまでもなく誰か分かるぐらいに聞き慣れた音だ。

「防衛隊の方ですね。亡くなられて残念です」

「そやな。きっと一生懸命戦ったんやろ。偉い人やんな」

「お役目に準じたのか。俺もかくありたいもんだぜ」

 仲間たちの何気ない言葉に、亘の気持ちはますます辛くなった。大きく息を吸って吐いて気を落ち着けると、悪魔どもが去った彼方をゆっくりと見やり――心を決めた。

「……悪いけど、ちょっと用事が出来た。だから子供たちの保護と、この人たちの埋葬を頼めないかな。その後は先に行ってくれ。直ぐに追いつくから」

「分かりました。五条さん」

「うん?」

「いってらっしゃい」

 その言葉に亘は振り向かない。ちょっと嬉しかったので微笑んでいるのだ。でも、周りに死者がいる状況で、そんな顔を見せるわけにはいかないではないか。

「……行ってくるよ」

 亘は軽く身を屈め全力で疾走しだした。踏み出した足の下でアスファルトが爆ぜるように砕ける。本気で加速する姿はまさに常識外だ。

 唖然と見送る子供が呟く『ターボおじちゃん』の言葉が聞こえなかった事は幸いだったに違いない。

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