第240話 どう見ても無垢な天使な幼子
事故車両を片付け意気揚々と戻って来るサキへと、上空から巨大な影が襲いかかった。寸前で気付いて振り仰ぐのだが、その時には金色の髪をした少女の姿は覆い隠されてしまう。
現れたのは鷲の上半身を持った獅子。翼を大きく広げれば、普通車を軽く陵駕するサイズだ。威風堂々とした恐ろしい悪魔、グリフォンの姿にバスの中から悲鳴があがった。
「ああっ!」
エルムの父親もまた叫んだ。
運転席という一番視界の良い場所で、小さな子供が襲われるという凄惨な光景を目にしてしまったせいだろう。だが、横の乗降ステップに立つ亘は平然としている。心配する様子は少しもない。
「何やってんだか……」
「君はっ! その態度はなんやな。少しはどうかと思っとたんが、これでは娘を任せるなんてできん! と、とにかく早く助けに行かんと!」
「あ、大丈夫ですから……ほら」
亘は前方を指さした。
グリフォンは猛禽の爪で獲物を掴み引き裂いている――のではなく、グリフォンの方が引き裂かれだした。鷲の頭が甲高く悲鳴をあげ、羽毛が舞い散り血しぶきがあがる。どうっと巨体が引き倒されたかと思うと、不機嫌なサキの姿が見えた。
そのまま襲いかかり羽を引き千切り肉を穿つ。地上でのたうつグリフォンは抵抗らしい抵抗も出来ずバラバラにされていった。さらには食いついたサキだが、あまり美味しくなさそうに血肉を吐き捨てている。
「うぉっ、なんて子なんや。ああしてみると、本当に悪魔なんだな」
あまりと言えばあまりな光景にエルムの父親は恐ろしげに呟いた。
「ですから悪魔と説明している通りですよ。でも大丈夫ですよ、取りあえず人間には襲いかかりませんから」
そこにサキが戻って来た。先程のような上機嫌さはなく少し悄気た様子ですらあった。ドアの前でうつむき加減で、ちんまりとなって開くのを待っている。
「すいません、ドアを開けてやって貰えますか」
「あっ、ああ……」
「大丈夫ですよ」
「分かっとる」
エルムの父親は恐怖を堪えつつ乗降口を開けた。小さな子供の仕草でステップを上がる様子は微笑ましいものの、乗客たちの中に少し動揺がありそうだった。
そのため亘は殊更に優しく穏やかな声を出す。
「どうした? 元気がないじゃないか」
「んっ、服……」
「服がどうした?」
「破れた。ごめんなさい」
サキの服は先程のグリフォンの鉤爪によって、肩口が大きく裂けていた。だからこそ、怒りに燃えて徹底的に反撃をしたのだろう。そして、まるで服を汚した幼子のように叱られる事を恐れているというわけだ。
亘は苦笑した。
「そんなこと気にしなくていいだろ。怪我はないか? 神楽に治癒させようか」
「んっ、だいじょぶ」
「だったら問題なしだ。それより、よくやったな。道も通れるようになったし、グリフォンも片付けてくれた。よしよし」
言いながら金色の長い髪をかき混ぜるようにして撫でていく。そうすると緋色の瞳が心地よさそうに細められ喉を鳴らすぐらいだ。どう見ても無垢な天使な幼子の様子である。
車内の動揺は消え、エルムの父親も肩の力を抜いている。
やはりどうあろうが人間という存在は、見た目が全てなのだ。サキがラブリーな天使の見た目でなければ、とてもこうはいかなかっただろう。
抱っこする亘の肩にちょこんと頭を預ければ、もう誰も警戒すらしていない。
「とりあえず出発しましょう」
亘の言葉にエルムの父親も頷き運転を再開しようとした。しかし、そこに神楽が割り込んだ。
「ちょっと待ってなのさ。んーとね、マスターってばさ。今のグリフォンだけどさ、鳥だけあって群れてるみたいだよ。まだ何体か向かってくるよ」
「それは良かった」
嬉しげな亘の声は弾んだ。しかし、横で聞いていたエルムの父親はそうではない。顔色を青ざめ身を乗り出し、フロントガラスに顔を張り付け上空を眺めた。
「あかんてあかんて、どこが良いものか! 逃げなければあかんやろ。ほら、見てみなれ凄い数が現れとるやろが。あの数はあかんて、どこかに逃げねば!」
上空に旋回するグリフォンの数は軽く十は超えていた。明らかにバスに狙いを定めており、それは仲間がやられた事で復讐する気なのかもしれない。
乗客からは不安と恐怖の声が小さく洩れ出る。ただし、一部の者だけは平然としたもので、数を数えてはしゃいでいるぐらいだ。
「おっ、かなりのものだな。よしよし」
「マスター、相手は空だよ。だからボクの出番だよね!」
「サキでもいけるような気がするが……まあ、任せておくよ」
「よっし、ボクにお任せだよ!」
神楽はその小さくもない胸の下で手を組み大威張りだ。
「やれやれ、どうしてこうも戦闘大好きなのかね」
「マスターにだけは言われたくないよ」
そして亘が反論する前に、小さな姿はエルムの父親の前をすり抜け、少しだけ開いていた運転席の窓をすり抜け飛びだしていった。
「本当に大丈夫なんやろか。あんな小さな子が、大きな悪魔を倒せるとは思えんのやが。そん子のようにバシバシっと倒せるんか心配やわ」
「まあ見てて下さい」
車外の神楽は上空を見上げる。
白い小袖に赤いスカートで浮遊し、まるで何か幻想的な姿だ。周囲にぽつりぽつりと光点が生じたかと思えば見る間に膨らむ。指し示した腕の動きに合わせ撃ち出されたそれらは、光の軌跡を残し上空を目指す。
逃げ惑うグリフォンたちであったが、一つ一つの光点は追尾性を持って追い回し確実に命中。閃光と共に爆音が幾つも響き、暫くして空から残骸がまき散らされた。その内の一つがバスの前にも落ちて道路上に転がった。
ハンドルにしがみつき、上空を眺めていたエルムの父親は呻くように声をあげた。
「これは凄い……なんや今のは……これは本当に凄い」
「はっはっは。まあ凄いもんでしょ」
「別に君を褒めとらんのやがな。さあ、そんなら先を急ごまいか」
エルムの父親は、ふんっと鼻をならす。お約束の如き反応だが、職場では受ける悪意ある態度とは違い嫌な感じは受けない。つまり親しい仲で少し拗ねた感じがあるといったもので……ある意味で、亘の憧れる友人関係にのみ存在する態度なのだ。
故に亘は苦笑するだけだ。
エルムの父親は憎めない人であるし、自分の父親がこんなだったらよかったのになと思う所もある。要するに仲良くしたいなと思える相手であった。
窓から神楽も戻ってくる。乗客の何人かはまたしても若干の恐怖と脅威を感じていたようだが、やっぱりそれも直ぐに消えてしまう。
まるで小さな子供のように亘へと飛びつき甘え、はしゃぐ様子は微笑ましいぐらいなのだから。横で見ているエルムの父親も軽く肩を竦めるに留めた。
「そんなら出発やんな。ほら、動くんで気を付けてや」
さらっと亘に気遣いの声がかけられバスは動きだした。
◆◆◆
途中にある障害物を避け、または押し退けバスは早くもなく遅くもなく進んでいく。あまり速度を出さず安全運転だ。
「この調子やと、日が暮れる前に君の実家に到着できそうやな。流石に夜は運転したくないんな。いくらその子らが強いと言っても、こっちの気が持たん」
移動しだしてから数時間が経過している。さして速度は出ていないとはいえ、やはり慣れない環境に異常事態に陥った状況での運転は疲労も大きいだろう。加えて数日間は避難所生活をして神経をすり減らしてもいるのだ。
「運転お疲れ様です」
「実際、少し疲れたんは事実やんな。もちろん目的地までは大丈夫やけど」
横で軽い雑談を繰り返す内に、エルムの父親の亘に対する態度も親しさが増している。それなりに認めてきているという事だろう。
ふいに神楽が声をあげる。
「ちょっと待って。んーとね前の方にさ、悪魔が沢山いるね」
動きかけたバスが急停止する。驚きの悲鳴はあっても、非難の声はあがらない。誰しも今の状況がどんなであるか理解しているのだ。乗客たちは座席からそっと身を乗り出し、恐々と様子を窺っていた。
「それはあかんな。道を変えたいが、あまり地理感がない。どうしたもんかね」
「あまり大回りになると到着が遅れますし……まあ、適当に片付けて行きますか。神楽や、多いってどれぐらいなんだ」
「百とか、二百とかそんぐらい。あとさ、人間もいるけど……逃げないね。これは戦ったりしてるのかな」
「銃声する」
窓に耳をあてたサキが告げる。たちまち神楽が顔を輝かせた。
「銃! ボクもバンバン撃ちたいや」
「銃だって? ……警察かな。いや、むしろ防衛隊という線もあるか」
「あのさマスターさ、応援にいくなら早くしたほうがいいとボク思うよ。ほら、また人間の反応が一つ減ったよ。死んじゃったみたい」
「そうか……それなら、ちょっと助けに行ってくるか」
亘は眉をひそめながらバスを降りた。進んで人助けをする気はないのだが、どうせ進む方向に人がいるのならついでに助けようというつもりだ。
これまでとは相反する行動だが、もちろんそれには理由がある。
エルムの父親や七海の母親、さらにはエルムやイツキたちの前なのだ。周囲の気持ちを忖度し空気を読めば、ここで他人を見捨てるという選択は出来やしない。
「行きがけの駄賃みたいなものだな」
バスの外で呟き、亘は走り出した。
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