第239話 安全な場所に移動したいと
人間は誰しも自分を基準に物事を考える。
その人が、どれほど奇妙で常識外れな思考をしていようとも、当人だけは自分こそが正常で世の中の標準だと思っている。そして他人の行動を想像する際は、自分を基準として推測するものだ。
よって亘も自分を基準として、エルムやイツキは他人を交えず身内だけで固まっているとばかり考えていた。しかしながらそれは間違いで屋上には多数の人がいる。どうやら、これだけの人を頑張って守ってきたらしい。
少しばかり感心する亘であった。
そして、あの公民館での拒否と拒絶を思い出し不安になった。またここでも同じような目に遭うのではないかと恐れたが……しかし、屋上の人々は神楽やフレンディに対する警戒は殆どなかった。
拍子抜けである。
それが何に起因するものか亘には分からない。皆と気軽にそして親しげに話すエルムやイツキの様子から思うところはあるが、閉鎖的な自分の性格を認めたくないため、それ以上考える事は止めた。
「もう、失礼しちゃうのさ。ボクは虫じゃないんだから!」
小さな子供たちに追われた神楽が亘の頭上に逃げてきた。避難所代わりにされ、さらにはそれで子供たちが追いかけるのを止めたため、少しばかり複雑な気分だ。
「人はこれだけですか?」
亘は全体を見回し言った。
屋上にいるのは三十人かそこらで、亘たちが道すがら寄った公民館ですら、もっと多数の人がいたはずだ。学校という避難所にしては人の数が少ないが、だからと言って何百人も死んだ様子はない。
「ここにいるのが全員ですよ」
答えたのは七海の母親こと、
「最初はもっと大勢の人が居ましましたけど、食糧が少ない事もあって皆さん次々と出て行かれました。後は……」
「うちのフレンディを見てな、逃げてったんもおる。もちろん最初は文句言って、うちまで悪魔扱いもおったんや。それをナーナのお母はんが説得してくれたりとか、いろいろあって最後に残ったんが、ここに居る人たちやんな」
「もう少し上手く説得できれば良かったのですが」
「ナーナのお母はんは少しも悪うないで」
エルムの意見に残っている者たちは頷いている。とくに男たちは深々と熱心に同意しているぐらいだ。
だが、正直に言えば亘にとって人が少なくてありがたかった。何百人という命の責任なんて、だれが持ちたいだろうか。三十人でも多すぎるぐらいだ。
亘は屋上に集まった人々を見回した。とりあえず意識は仕事モードで応対に入る。
「さてこれからの事ですが、安全な場所に移動したいと考えております。皆さんは一緒に行動されますか」
「安全な場所ですか? この状況下でそんな場所があるのですか?」
光海はキョトンとする。その仕草がまた七海そっくりだ。大人っぽさと色っぽさには、未亡人属性や人妻属性のない亘でもクラッときてしまう。
しかも年齢は同じ。
充分にアリの範疇にある相手なのだ。きっと、横から咳払いが聞こえねば鼻の下を伸ばしていたかもしれない。そっと見た隣で七海は軽く拗ねたように口元を尖らせているではないか。
これには慌てて表情を取り繕うしかない。
「実はうちの実家近所に神様がいまして。しかも、それなりに付き合いがありますので、きっと守ってくれるはずです」
もし平時に口にすれば、怪しい宗教かメンタルの不調を疑われるような台詞だ。この状況下では一蹴こそされないが、それでも皆は胡乱な顔をする。
けれど光海だけは別だ。あっさり信じ、大きな胸の前で両手を合わせ嬉しそうに笑った。それら全部が七海によく似ている。
「それなら安全ですね。それに、五条さんのお母さんにもご挨拶したいと思ってましたから。確かに丁度いいですよね」
「あっはい、そーですね」
「では私はそれでお願いしたいと思います。他の方々はどうされますか? 金房さんたちは、如何しますか」
いつの間にか周りに来ていたエルムの父親は渋い顔をする。
「我々はしかし……迂闊に動くよりかは、ここで警察なり防衛隊を待つ方がええやないかと。今までも上手くいってたわけやし」
「あっ、お父はんは残るんか。ウチとお母はんは、五条はんと行くつもりやでな。これが今生の別れっちゅうもんやな」
「なんやな、なんで不吉なこと言うんや。しかも、お父さんだけ置いてけぼりやと!? そらないだろマイプリンセス」
「だってなあ、行きとうないんやろ。でもしゃーないやん、あー悲しいな」
エルムはニシシッと笑った。
「別に行かんとは言っとらん。ただサバイバル時の原則っちゅうもんで迂闊に動かん方がええって教えがあるんや」
「そら助けが来る前提やんな。そやけど、うちらの助けは五条はんやら。お父はんもみたやら、さっきの五条はんの強さを。もう何も恐くないって事やで」
「ああっ、もう分った一緒に行くで」
妻と娘に置いていかれまいと、エルムの父親は必死の形相だ。それにしても、この親子はコミカルな雰囲気である。この状況下で皆を明るくさせようと振る舞っているのか、それとも普段からなのかは分らない。なんにせよ楽しそうな親子関係だ。
亘は少しばかり羨ましく見つめた。
なにせ自分の死んだ父親ときたら、冗談の一つ言わず常に不機嫌なしかめっ面。下手な事を言えば吐き捨てるように罵られるだけ。亘が就職して一番最初に驚いた事は、周囲の大人たちが声をあげ笑うことだったぐらいだ。
ぼんやりと考えている間に、屋上にいた人々の意思確認が行われ、どうやら全員が亘の意見に従うつもりらしい。
「全員が乗れる車となるとバスですね。避難に使われたバスがありますが、動かせる方はいらっしゃいますか?」
光海の言葉にエルムの父親が即座に名乗り出た。
「はい! はい! もちろん運転できますとも。ここはお任せを」
「助かります。よかったです頼りになる方が沢山いらして」
「だはは、そんな頼りになるなんて。気にせんでくださいよ」
横でエルムは静かに頭を振っているのだが、ふと見れば隣ではよく似た女性が静かに笑っている。笑顔が恐いと思ってしまう亘であった。
◆◆◆
バスが道路を走る。
学校のグラウンドにあった邪魔な車は、もはや人間重機といったパワフルさで亘がどかしたのだ。その後は幹線道路を避け、放置車両を避けながら進んで行く。
それでも何台かはある。
「前方に車ですね。どかしましょうか?」
「あんぐらい構わん構わん。このまんま行ける」
バスは速度を落としたかと思うと、道を塞いでいた放置車両をゆっくりと押しのけた。映画のように跳ね飛ばすことはしない。道が開くと加速しだす。
運転するのはエルムの父親で、職業が路線バスの運転手ということで運転はお手のものだ。もちろん学校のグラウンドに放置されていたバスを見事に操ってみせる。
座席の全てを埋める乗客たちは少し明るい顔だ。直前に迫った窮地より救われたこともあるだろうし、やはり一箇所でジッとして身を潜めるより移動している方が安心するのだろう。
七海はエルムとイツキに挟まれ、小声で話をしている。何かを追及されているのか、顔を真っ赤にして両手を振りながらワタワタしている。時折、エルムとイツキからニヤニヤした視線が亘にも向けられており、何の話か知りたいような知りたくないような感じだ。
亘は席がないこともあって、運転席横の降車口で手すりにもたれている。シートベルトも何もないが、仮に急ブレーキや事故になったとしても頑丈なので問題ないだろう。
バスの速度が落ち停車した。
前方の交差点を事故車両が塞いでいた。激突した二台と、横転した一台。その様子を見れば、災害時に車の避難が推奨されない理由がよく分る。
「これは少しどかせないな。頼めるかな」
「了解です。さて、どうするかな」
頼まれた亘が腕組みして考えると、神楽とサキが両手をあげ飛び跳ねアピールしだす。
「神楽だと爆発させるだけになるからな。サキに頼むか」
残念がる神楽と対象的にサキは上機嫌でバスから降りていく。まるでスキップするように横転する大型ランクルに近づいたかと思うと、そのまま何気ない仕草で蹴り飛ばす。ドンッと音が響き車両が弾かれ、車体を舗装の上を擦らせ滑るように動いていった。そうやって道を塞ぐ車両を跳ね飛ばしていく。
エルムの父親は信じられない光景に口を半開きにしていた。
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