第207話 煽られるよりはマシだ

 助手席にちょこんと座る七海は軽く下を向き、恥ずかしげな様子だ。観覧車を降りてからこっち、ずっとその調子だ。

 もちろん、それは亘とて似たような感じだろう。

 実を言えばどうやって車まで移動したかさえ覚えておらず、手を繋いだ七海以外は意識の外だった。きっと、これまでモゲロと念じてきたカップルも似たような状態だったのかもしれない。

 そんな状況で運転は危険なため、何度も深呼吸し気を落ち着けている。気分としてはハンドルをしっかり握らねば、身体がどこかへ飛んで行きそうな感じだ。

 横目で様子を伺うと、七海は自分の膝を落ち着かなげに握りしめている。

 その姿を見るだけで心臓が口が飛び出しそうになってしまう。今更だが、自分はとんでもないことをしたと思うのだ。

 橋の上を通過し、排水性舗装が普通舗装になって走行音が大きくなっただけでビクッとなってしまう。

 話すべき言葉を探し、なかなか思いつかない。

「まあなんだ、夕食をどうするかな」

「えっ、そうですよね。どうしましょうか」

「店を探すとなると……遅くなっても構わないか?」

 辺りはすっかり暗い。

「大丈夫です。お母さんには夕飯を食べて帰るって言ってあって、遅くなるとも伝えてありますから。べ、別に変な意味ではありませんよ」

「そ、そうだよな。変な意味じゃないよな」

 ふと気付くが、付き合ってキスまでしているのだ。つまり恋人どうしなのだ。何が言いたいかと言えば、二人は大人の付き合いが出来るという事だ。

 どうやら七海も気付いたらしい。少し慌てている。

「いえ、あの変な意味でなくて真面目な考えで遅くなるというわけでして」

「お、おう……真面目にゆっくりと過ごすか」

 亘はドギマギしながら運転に集中した。座席の上で微妙に腰を引き、若干前屈みになったのは、大人の付き合いを想像すれば仕方ないことだろう。もしかすると満願成就までいけるかもしれない。

 興奮しそうな鼻息を必死で抑えつつ、運転に集中する。

 道路照明灯のオレンジ色が次々と後ろへと流れていく。山越えのルートは寂しげで、落石防護の金網の張られた斜面や、鬱蒼とした木々が少し見えるばかり。後ろを走る大型車と、時折すれ違う対向車のライト以外は真っ暗であった。

 信号が赤になり速度を落とし停車。右折レーンにトラックが並んだ。

 工事で使用される十t型ダンプトラックだ。こんな休日に、こんな時間に遭遇するのは少し奇妙であった。公共事業にしても、その他の事業にしても基本は休みなはず。しかも最近は建設業界にも週休二日制が無理矢理ながら浸透されつつあるのだ。

 だが今の亘の頭からは直ぐに消え去る。

 なにせ助手席に座るのは七海という、可愛らしくも美しい少女。この子が自分の彼女だぞ、と大声で喧伝したい気分だ。そんな、らしからぬ感情が常にこみ上げてしまうのだ。

 亘は自制するため、今一度大きく息を吸って吐き、心を落ち着けてみせた。


 信号が青になり、ゆっくりと発進する。大事な相手を乗せているため、いつもより余計に安全運転だ。

「むっ、失礼なトラックだな」

 右に並んでいたトラックが急加速し無理矢理に追い越していった。これまで制限速度やや上程度で走行してきて、さして遅いわけではないのに随分とせっかちなことだ。

 煽られるよりはマシだが、前に来たトラックの装飾は泥よけやら何やらステンレス製の板が装着されている。おかげで、ライトが反射してギラギラと幻惑して運転しづらくて仕方がない。

「ん?」

 亘は訝しげな声をあげた。サイドミラーに眩しい光を確認したのだ。

 ゴウゴウと音をたて、右側にまたしてもトラックが並ぶ。こちらは貨物系の大型トラックだ。

「おいおい追い越しのつもりか? こんな道で二台抜きなんて無謀すぎだろ」

「危ない運転ですね」

「君子危うきに近寄らずで離れるか」

 アクセルを緩め速度を落としかけた亘だが、それはできなかった。

 バックミラーにも、大型車のライトが鏡面を占めているのだ。嫌らしく急接近しピッタリと背後に張り付いている。

 そして横のダンプトラックは追い越していかず、横を走行したままだ。

「おかしい。なんだこいつら、嫌がらせか?」

「まるで囲まれているみたいです」

「確かに。そうだな、何のつもりだ」

 七海が言う通り、完全に囲まれていた。これでは、まるで走行中の密室である。

 横のトラックは反対車線を塞いだまま、等速度で走行。真横で巨大なタイヤが猛烈に回転し、車体の下に吊り下げられた金属バケツが揺れている様子が見て取れる。ドア付近の踏み板に挿されたタイヤ洗浄用ブラシがカタカタと動いていた。

 そして――。

「うわっ!?」

 背後の大型車両が強烈なヘッドライトを照射してきた。こうなると、バックミラーもサイドミラーも反射光で何も見えなくなってしまう。前方にはトラックのステンレスの反射板もあって、そちらも合わせ完全に眩惑されてしまう。

 低く思い猛り声をあげるエンジン音に囲まれている。

「これは何のつもりでしょうか?」

「分からんが嫌な予感がする。注意した方がいい!」

 不安げな七海の声に力強く答えてみせた。

 本当は亘自身が不安でいっぱいだが、それを好きな女の子の前でみせるわけにはいかない。精一杯の虚勢だ。

 逃げ場を探すが、唯一空いている左側はガードレールが続いている。

「うわっ」

「きゃああっ」

 ドンッと車体に大きな衝撃が入った。

 後ろから突き上げられる感覚。後ろの大型車両が急接近し追突してきたのだ。ぶれた車体を懸命に制御する。

「ああっ、なんて事を!」

 これまで無事故無違反、長年丁寧に乗ってきた愛車を傷つけられ、我が身を傷つけられた以上のショックを受けてしまう。

 だが、それで終わらず次なる衝撃。

 コントロールを失いそうな車体を制御するだけで精一杯だ。おまけに横のトラックも幅寄せしてくる。全く状況が理解できないが、これが何者かによる明確な悪意に基づく行為であることは理解できた。

 これが戦闘だと思うと、頭の中が冷静になる。

「七海はアルルを喚びだすんだ」

「どうするのです!?」

「防御力強化のスキルがあっただろ、それを使っておくんだ」

 まずは身の安全の確保だ。

「あれは、敵の攻撃を受け止めるものです。それに私にしか効果がありません」

「それでいい。仮に事故になっても、車体からの攻撃を受け止めてくれるはず。こっちは、自前で身体強化できるスキルがある。それで防御力が高められる」

 亘は操身之術と呼ばれるスキルが使える。それであれば、身体能力が向上するとともに防御力も上昇する。仮に事故になったとして――どれだけ効果があるか不明だが――多少は身を守れるだろう。

「分かりました。スキルを使います。アルル、『フサフサ』お願い!」

 七海は鞄からスマホを取り出し白い綿毛のような悪魔を呼び出し命令する。同時に淡い青の光に包まれ、それで防御力が上昇したらしい。亘自身も意識を集中し、身につけた操身之術を発動させる。

 身体機能が上昇すると同時に、動体視力も向上したのか周囲の大型車両の動きがそれまでより、はっきり分かるようになった。もっとも、今はどうしようもないが。

「後部座席の鞄からスマホを出して、神楽とサキを喚んでくれ」

「はい」

 こうなればダンプトラックを敵と認定し、攻撃させるつもりだ。七海と二人きりの時間を考慮し神楽とサキに出てこぬよう言い含めてあったのが災いした。

 どうしてこうなるのかと、冷静に考えている思考がある。

 後部座席に手を伸ばすため、身をよじった七海の胸が突き出されるように向けられている。こんな時でもそれが気になってしまい。結構余裕があるなと、自分自身を笑った。


 不意に前方のキラキラと眩しい反射板が横に移動していった。前方のトラックが車線を右に移動しているのだ。その意図は分からないが、この隙に一気に加速し抜き去ろうとアクセルを踏み込む足に力を入れる。

 しかし。

「いかん! 七海座り直すんだ」

「でもあと少しでスマホが」

「いいから早く! その姿勢だと危ない!」

 前方は急カーブだった。

 しかも、横で壁となったトラックは幅寄せしながら接近してくる。ガードレールが迫り、その先が崖だということは瞬時に見て取れた。どれだけの高さかは不明だが、木すら生えていない斜面だ。

 せめてもとハンドルをきるがムダだ。横から衝突されガードレールへと押しやられる。ブレーキを踏むもムダだ。背後から衝突され、前方へと突き出された。

 激しい衝撃に悲鳴があがる。

「きゃあああっ!」

「うわあああっ!」

 ドゴンッと衝撃があった。

 ガードレールをぶち破ったことは分かったが、あとは浮遊感に包まれ上下も左右も何も分からなくなる。

 どこかジェットコースターの恐怖を思い出すが、それとは比較にならない。本能的恐怖の中で、全てがスローモーションに感じられる。そしてヘッドライトに照らされた中に黒々とした斜面が真正面に迫ってくる。そこに小石の一つ一つまでもが見分けられ、雑草の姿まではっきり識別できた。

 一度目の衝撃、また浮遊、二度目の衝撃、大きく浮遊。そして激しい衝撃を感じた瞬間に亘は意識を手放した。

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