第208話 もう一人の相棒とも言える存在

「どうだ仕留めたか?」

「恐らくは。異界の中でなくば、普通の人間と大して変わりはせぬ」

 蛾の纏わり付く道路照明灯の下。

 数人の男たちが集い、崖下で炎上する車を見つめていた。彼らが亘たちの乗る車を崖下へと追い落としたのだ。全員が剃髪し作務衣のような衣装に足袋と草履といった姿だ。

 付近では大型車両三台が駐められ、静かな山間にエンジン音を響かせていた。

 さらには荷台から続々と作務衣の男たちが降りてくる。統制の取れた動きで周囲を固めだす。

「使役される悪魔がいたとして、まともには動けぬはず」

 それは、異界の中で何人かの『デーモンルーラー』使いを仕留めての結論だ。

 召喚者が倒されると、まともな行動ができなくなる。フリーズしたように動かなくなるか、中には勝手に逃げ去ろうとする場合もある。

「残るは玉藻御前の分け身だが……」

「仮に現れたとして、問題あるまい。我らの人数と、そしてコレがある」

「確かに。強引ではあったが、方々から掻き集めたものな。文句も出ようが、玉藻御前を仕留めた功績を知れば、誰も何も言えまい」

 突き破られたガードレールの間から崖下を眺め、満足げに頷いてみせる。

「これで神社系列どもの鼻面を叩いてやれる。アマテラスの主流は我らこそが相応しいのだ。盟主様も、これで我らを認めて下さるに違いない」

「そうよな、ヤツらが仕留められなんだ九尾の狐を、我らが封印する。誰の目にも我らこそが正統であると――」

 得意げに言い放っていた男の顔が消えた。

 正しくは頭が消えたというべきだ。首から血を吹き出しながら、残った胴がドサリと倒れる。そのまま草の上でビクビク痙攣し、動きを止めた。

「散れいっ!」

 残った男たちの反応は素早い。即座に散開し独鈷杵を構えた。

 しかし、黒い影が高速で飛び抜け、別の男が今度は縦に引き裂かれる。投げつけられた独鈷杵を避け、ひらりと四つん這いで着地したのは幼さの残る少女だった。

 緋色の目を炯々と怒らせ、呻り声をあげる口から犬歯を覗かせ、金の髪は逆立つように揺れ、その中に黒いふた房が別物のように蠢いている。

 均整のとれたサキの顔は、怒りに歪む獰猛な獣のそれだ。

「玉藻御前のなれの果てか。皆、構えよ!」

 男たちが一斉に何かを取り出す。

 それは古びた銅鏡であった。仏像や梵字などが毛彫りされる鏡面がサキへと向けられる。それらは本来であれば宝具として後生大事にされる品々だ。

 実際、公家に連なる家々に秘蔵された品や、博物館に文化財として収められている品を半ば強引に持ち出し、かき集めてきたものであった。

 その途端に、威嚇の唸りをあげるサキの声に苦しげなものが混じる。

「長き年月を経た鏡は照魔と退魔の力を宿す! これだけの宝鏡の前には為す術もあるまい」

「愚かな悪魔め、これぞ我ら人間の叡智なるぞ」

「今度こそ、二度と蘇れぬよう滅ぼしてくれよう」

 サキは投げつけられた独鈷杵を辛うじて避ける。その動きは重く鈍くもどかしい。宝鏡を構えた男たちが包囲を狭め、そうでないものは独鈷杵を構える。

 男たちは勝利を確信した笑みを浮かべ――だが、異変が起きた。

「うがあああっ!」

「なんだ!?」

 構えた宝鏡はそのままに男たちが振り向くと、そこにはヘッドライトが照らす光の中で地面を転げ回る仲間の姿があった。

 全身から赤い液体を流しながら、身体を掻きむしるように悶え苦しんでいる。その衣服は細かくズタズタに引き裂かれていた。

 小さな鋭い飛来音が響く。

「ぎゃああっ!」

 またしても悲鳴があがり、一人が上半身が血煙をあげながら倒れ伏す。手にしていた銅鏡が幾つもの固い衝突音と同時に粉砕されてしまう。

「なんだ!?」

「ただのパチンコの弾だよ。久しぶりに使ったけどな」

 暗闇の中にのっそりと亘が現れた。

 その顔は無表情なもので、目だけが鋭く怒りを湛え男たちを睨み付けている。手にはグッタリとした七海を抱えているが、どちらの服も血に濡れ破れ、または焦げていた。


◆◆◆


 ほんの少し前。

「――マスター! 目を覚ましてよう、マスターってば! 早く!」

 ペチペチ顔を叩く感触に亘は意識を取り戻した。

 気がつくと暗い闇の中、薄く赤みがかった光に照らされていた。目の前に燃える何かがある。

 ややあって、それが自分の車だと亘は気付いた。

 光の正体は炎。割れたガラスの破片にひしゃげた金属、ガスの臭いにオイルの臭い。そんなものを確認しながら、少しずつ周囲の状況を把握していく。

「うぅっ、何が……」

「マスター、起きたの! よかったよう!」

 目の前に巫女装束の小さな少女がいた。本来は明るく元気な顔を、今はボロボロと涙をこぼし歪ませ、ひっしとしがみついてくる。

「よかったよう。よかったよう」

 まだ意識がボンヤリしている。何が起きたのか。衝撃があり浮遊感があり、そして――思い出した。車ごと崖から落ちたのだ。それに気付くと同時に意識が閃光のようにはっきりした。

「七海は!」

 大切な存在の確認しようとした途端、隣に寝かされていると気付く。

「無事か……」

「そだよ、治癒はかけといたからさ。マスターにもね」

「なんだと……!?」

 亘の声はかすれ、喉の奥から何かがせり上がってくる。手に吐き出したのは血と……焦げた塊だ。神楽の回復魔法を受ける前は、どんな状態だったのだろうか。

 しかし、そんな疑問は一瞬で消し飛んだ。

 炎の照り返しを受けた七海の姿は血だらけで、服のあちこちが破れ焦げている。腕にかき抱いてみるが意識はない。背筋をゾッとした。

「まさか!」

「大丈夫だよ。ちゃんと生きてるよ」

「そうか良かった」

 生きているという表現に引っかかりを覚えつつ、恐くて追求できない亘がいる。

「サキがさ、車の中から引っ張り出してくれたの」

「そうか」

 礼を言おうと周囲を見回し、もう一体の従魔の姿を探し求める。

「サキはどうした? あいつは無事なのか」

「上だよ」

 神楽は小さな腕を振り崖の上を指す。車のヘッドライトらしい指向性のある光が伸びている。そこから微かに悲鳴も聞こえた。

 即座に自分たちを崖下へ追いやった連中を相手に大暴れしていると察する。

「……そうか」

 ぐったりしたままの七海を抱え亘は安堵した。

 視線を巡らせ炎上する車を眺めれば、顔に放射熱が押し寄せる。

 社会人となって初めての大きな買い物が、この車だった。

 安い給料から必死に貯め、食費を削った事もあった。何度も試乗に行きもした。

 彼女ができた場合、家族ができた場合、そんな事を考えに考えカタログを読み、ネットで調べ、何日も悩んだ末にようやく購入した。

 目論んだ通りの使い方は出来なかったが、それからは転勤する時はいつも一緒。さしたる故障もなかった。

 言ってみれば、もう一人の相棒とも言える存在。

 これほど大破した状況で――神楽の回復魔法のお陰とはいえ――亘と七海が助かったのは、きっと車のお陰に違いない。そろそろ買い換え時かと考えた裏切り者を身を挺して守ってくれたのだ。

 シンミリと思っていると、徐々に怒りが込み上げてくる。

 自分が殺されかけたことなんて、どうだっていい。この車を殺されたこと、そしてなによりも七海を傷つけたこと。歯を噛みしめ口角を上げる。

――許さん

 そう心の中で、濁点を付け言い放つ。

 横で泣いていた神楽が、ハッと顔を上げた。

「マスター、上で嫌な気配がするよ。なんかさ凄く苦しい感じ。これ、サキも拙いと思うよ」

「ああそうか、分かった。行くとするか」

 亘は七海を抱え立ち上がった。炎に包まれる愛車に目線で頷き、敵を取ってやると誓う。そして神楽の補助魔法を受け崖を駆け上がっていった。


◆◆◆


 七海を地面に降ろし、所持していた暗器代わりのパチンコ弾を投げつける。それは鋼鉄の散弾となって、男たちに襲いかかった。異界の地でないため威力は落ちるが、それでも人体にめり込み損傷させる。

「なんて奴だ!」

 相手から驚きの声があがったが、無視して襲いかかる。体重の乗った拳を腹に放ち、昏倒させる。鏡を捨て武器を構えようとした相手より先に動き、思い切り足を踏みつけ顔面に頭突きをくらわす。

 ギャッという悲鳴を聞きながら腕をしならせる。さらに横にいた相手の顔面を指先の甲側で払う。狙い通り指の一部が目玉を捉えたらしく、湿った感触の後に獣のような悲鳴があがった。前屈みになった相手を、足裏で押すように崖側へ全力で蹴とばす。尾を引く悲鳴は遠ざかっていった。

 まるで容赦がない。

 だが、それは神楽も同様だ。

「あははっ、『雷魔法』」

 神楽が容赦なく魔法を叩き込む。爆風に混じり湿った破片が周囲の者を打ち付け、そこに仲間の血臭を感じた男たちが怯みをみせる。

 同時に宝鏡がてんでバラバラの方向を向いた。

「んっ、助かった」

 戒めを解かれたサキがニンマリ笑う。瞬時に地を蹴り、小柄な身体が黒の混じる金髪をなびかせ飛ぶように走り抜ける。鋭い爪で腹や手足を切り裂かれた男たちが苦痛の悲鳴をあげ地面に倒れていく。

 一瞬の形勢逆転により、残りの男たちは大混乱に陥った。

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